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10月, 2019の投稿を表示しています

徳川園:滝の音に導かれて辿る、城下に広がる旧藩主の庭

本日は、名古屋を訪れています。秋晴れの気持ちよい一日でした。朝早くに名古屋に到着し、まずは市の象徴ともいえる名古屋城を見学しました。威風堂々とした天守と広大な敷地に、尾張徳川家のかつての栄華を感じつつ、その足で徳川園へと向かいました。 徳川園の入口にあたる黒門をくぐると、街中の喧騒がふっと消え、庭園の静けさに包まれました。 園内にはせせらぎが流れ、小川の音が耳に心地よく響きます。しばらく歩くと、木造の橋・虎仙橋が姿を見せました。風雅な橋を渡ると、菖蒲田が広がり、季節こそ違えど、初夏に咲く花々を想像して楽しむことができました。 さらに奥へ進むと、園の中心に位置する龍仙湖が現れました。池の周りには木々が映り込み、水面はまるで絵画のような静けさを湛えていました。 湖畔を歩きながら、趣ある瑞龍亭に立ち寄り、茶室のベンチでひとときの休憩を取りました。茶室から望む景色は格別で、時間がゆっくりと流れるように感じられました。 その後、牡丹園を抜けて、園の最奥にある龍門の瀧へとたどり着きました。大きな岩の間を流れる滝は、静かな庭園の中にあって、ひときわ生命感を放っており、まさに「龍が住む門」にふさわしい佇まいでした。 庭園を後にして向かったのは、隣接する徳川美術館です。ここには尾張徳川家の重宝が数多く収められており、戦国から江戸へと続く歴史の流れを感じることができました。中でも、源氏物語絵巻の展示は非常に印象的で、日本の美意識の深さと繊細さに見入ってしまいました。 この日の旅は、まさに名古屋の歴史と美を一度に味わうような一日となりました。静寂の中に力強さを感じる庭園と、文化の香り高い美術館。それらを巡ることで、徳川の名がもつ重みを改めて感じることができました。 旅程 名古屋駅 ↓(タクシー) 名古屋城 ↓(タクシー) 徳川園 ↓(徒歩) 徳川美術館 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 徳川美術館 名古屋城 名古屋市市政資料館 地域の名物 関連スポット リンク 徳川園 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now 愛知県名古屋市の日本庭園 徳川園 和の伝統が調和したフレンチを由緒ある庭園で | ガーデンレストラン 徳川園 名古屋・徳川美術館|The Tokugawa Art Museum 徳川園 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」 徳川園 – 名古屋...

名古屋城:金鯱が見下ろす城下の記憶、武家の栄華と現代をつなぐ石垣

弟が名古屋に住んでいるため、弟家族に会うついでに名古屋城に行ってきました。 名古屋城(なごやじょう)が築城される前、同じ場所に那古野城(なごやじょう)がありました。 那古野城は、もともと今川氏のものでしたが、織田信長の父の織田信秀(おだ のぶひで)が奪いました。織田信長も那古野城で生まれたという説があります(勝幡城で生まれたとう説の方が有力)。 信長が清洲城(清須城)に移ったあと、那古野城は廃城となりました。 約50年後の1609年(慶長14年)に、この跡地に徳川家康が名古屋城を築城しました。 名古屋城は、大阪城、熊本城(または姫路城)、とともに日本三名城と言われています。 当時の尾張は、清州が中心地でしたが、名古屋城の築城により、1612年(慶長17年)~1619年(元和2年)のころに、清州から名古屋に都市全体を移転しました。これを、清洲越し(きよすごし)と言い、住民だけでなく社寺も徹底的に移転しました。 築城には、多くの大名が分担しました。例えば、石垣は、高度な技術を持つ加藤清正(かとう きよまさ)が担当しました。巨石を運ぶにあたり、清正が自ら石の上に乗り音頭をとったと言われており、その様子が像になっています。 また、石垣の最大の石材は、黒田長政(くろだ ながまさ)が担当した区域にありますが、巨石であったため、普請(ふしん。土木のこと)の名手の加藤清正が積み上げたと言われ、清正石(きよまさいし)と呼ばれています。 名古屋城の天守は権力の象徴として建てられたこともあり、屋根の金鯱(きんしゃち、きんこ、きんのしゃちほこ)はその最たるものです。 旅程 名古屋駅 ↓(タクシー) 名古屋城 ↓(タクシー) 徳川園 ↓(徒歩) 徳川美術館 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 徳川園 徳川美術館 名古屋市市政資料館 地域の名物 関連スポット リンク 名古屋城公式ウェブサイト なごやSDGs街|SDGsフィールド|名古屋城 名古屋城 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」 アートサイト名古屋城 2023 名古屋城 / 名古屋城本丸御殿 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now