弟が名古屋に住んでいるため、弟家族に会うついでに名古屋城に行ってきました。
名古屋城(なごやじょう)が築城される前、同じ場所に那古野城(なごやじょう)がありました。
那古野城は、もともと今川氏のものでしたが、織田信長の父の織田信秀(おだ のぶひで)が奪いました。織田信長も那古野城で生まれたという説があります(勝幡城で生まれたとう説の方が有力)。
信長が清洲城(清須城)に移ったあと、那古野城は廃城となりました。
約50年後の1609年(慶長14年)に、この跡地に徳川家康が名古屋城を築城しました。
名古屋城は、大阪城、熊本城(または姫路城)、とともに日本三名城と言われています。
当時の尾張は、清州が中心地でしたが、名古屋城の築城により、1612年(慶長17年)~1619年(元和2年)のころに、清州から名古屋に都市全体を移転しました。これを、清洲越し(きよすごし)と言い、住民だけでなく社寺も徹底的に移転しました。
築城には、多くの大名が分担しました。例えば、石垣は、高度な技術を持つ加藤清正(かとう きよまさ)が担当しました。巨石を運ぶにあたり、清正が自ら石の上に乗り音頭をとったと言われており、その様子が像になっています。
また、石垣の最大の石材は、黒田長政(くろだ ながまさ)が担当した区域にありますが、巨石であったため、普請(ふしん。土木のこと)の名手の加藤清正が積み上げたと言われ、清正石(きよまさいし)と呼ばれています。
名古屋城の天守は権力の象徴として建てられたこともあり、屋根の金鯱(きんしゃち、きんこ、きんのしゃちほこ)はその最たるものです。
旅程
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(略)
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