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旧堀田邸:佐倉の丘に残る伯爵家のたたずまい

成田山新勝寺を参拝した後、思ったより時間が余っていたので、前回佐倉に来たときに行けなかった旧堀田邸(きゅうほったてい)に寄ることにしました。 旧堀田邸は、千葉県佐倉市に位置する歴史的建造物で、旧佐倉藩主・堀田正倫(ほった まさとも)伯爵が1890年(明治23年)に建築した邸宅です。 堀田正倫は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した大名であり、下総国佐倉藩の第6代(最後の)藩主です。 彼は幕末の老中であった堀田正睦(ほった まさよし)の四男として生まれ、1859年に父の失脚に伴い家督を継ぎました。  1868年の鳥羽・伏見の戦い後、徳川慶喜に対する討伐令が下ると、正倫は上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願しましたが、新政府から拒絶され、京都に軟禁されました。 その後、佐倉藩は家老の平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、改易を免れました。 明治維新後、正倫は知藩事となり、廃藩置県後は東京に移住しました。  1884年には伯爵に叙され、佐倉に戻って私立の農事試験場設立や佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)の維持発展に寄与するなど、地域の発展に尽力しました。  1911年に61歳で死去し、墓所は千葉県佐倉市新町の甚大寺にあります。  旧堀田邸は、明治時代の旧大名家の純和風住宅として貴重な存在で、玄関棟、座敷棟、居間棟、書斎棟、湯殿、土蔵、門番所の7棟から構成されており、これらが「旧堀田家住宅」として2006年(平成18年)に国の重要文化財に指定されました。  また、庭園は「旧堀田正倫庭園」として2015年に国の名勝に指定され、地元では「さくら庭園」として親しまれています。 庭園は、前田家の庭師であった伊藤彦右衛門(珍珠園)によって作庭され、四季折々の風情を楽しむことができます。  特に春にはソメイヨシノやオオシマザクラが咲き誇り、多くの訪問者を魅了しています。  旧堀田邸は、映画やドラマの撮影地としても利用されており、歴史的な雰囲気を持つ建物と美しい庭園が、多くの作品で活用されています。 旅程 東京 ↓(鉄道/モノレール) 千城台駅 ↓(徒歩) DIC川村記念美術館 ↓(バス) 佐倉駅 ↓(鉄道) 成田駅 ↓(徒歩) 成田山新勝寺 ↓(徒歩) 成田山書道美術館 ↓(徒歩) 成田駅 ↓...

那智の滝

和歌山観光の2日目。 熊野御坊南海バスのバスツアー で那智の滝に来ました。 和歌山の南側は見どころは多いのですが、1つ1つの距離があり気軽に来れる場所ではないため、バスツアーを利用しました。 バスは大型のもので、人数もちょうど良く一人2席ぐらいとれたので、非常に快適でした。那智の黒飴もお土産にいただきました。 那智の滝(なちのたき、那智滝、那智大滝、那智御瀧、一の瀧)は、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑の一つです。日本三なんとかは、だいたい三番目を主張するものがたくさんあって3つに収まらないのですが、日本三名瀑では袋田の滝と競う名瀑が多いようです。一般的にはこの3つで安定しています。 滝の落口の岩盤に切れ目があり三筋に分かれて流れ落ちるため三筋の滝ともいわれています。 那智の滝は、国指定名勝であり、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産の一つでもあります。周囲の那智原始林も世界遺産の一部です。 手前の広場には鳥居もあり、滝自体がご神体で、古来より熊野信仰の中心地のひとつでした。1,300年以上前から滝行が行われてきました。 落差は133mあり、一段の落差としては日本2位です(総落差は12位)。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 紀伊勝浦駅 ↓(バス) 川湯温泉 ↓(バス) 渡瀬温泉 ↓(バス) 湯の峰温泉 ↓(バス) 熊野本宮大社 ↓(バス) 瀞峡めぐりの里熊野川(志古) ↓(バス) 熊野速玉大社 ↓(バス) 熊野古道 大門坂 ↓(バス) 那智の滝 ↓(バス) 熊野那智大社/那智山 青岸渡寺 ↓(バス) 紀伊勝浦駅 周辺のスポット 青岸渡寺 熊野那智大社 地域の名物 那智の黒飴 まぐろ 串本節 めはり寿司 関連スポット 華厳滝 袋田の滝 吉野山 吉野水分神社 金峯神社 金峯山寺 吉水神社 大峰山寺 熊野本宮大社 熊野速玉大社 熊野那智大社 青岸渡寺 那智原始林 補陀洛山寺 丹生都比売神社 金剛峯寺 慈尊院 リンク 定期観光バス | 熊野御坊南海バス 社殿案内(那智御瀧)|熊野那智大社 わかやま観光 那智の滝 | 和歌山県公式観光サイト わかやま観光|モデルルート 大門坂~熊野那智大社・那智の滝 | 和歌山県公式観光サイト 世界遺産・熊野古道 | 那智勝浦観光サイト 熊野那智大社 飛瀧神社 那智御瀧

青岸寺:米原の隠れた名庭、旅の途中で出会った禅の静謐

彦根観光の帰りに新幹線に乗るために米原駅に来ました。新幹線まで少し時間が余っていたため、観光案内所で観光マップをもらい、近くの青岸寺(せいがんじ)に行ってきました。 もともと予定なかったのもあり、それほど大きな期待をしていなかったですが、非常に立派な日本庭園で、国の名勝に指定されています。 青岸寺は、もともとは室町時代の初期(1350年ごろ)に建てられ米泉寺という名前でした。その後、戦国時代(1504年)に焼失し、1650年に再建されました。150年後に再建されたことに驚きです。 この再建のときに尽力した伊藤五郎助の諡(おくりな)から青岸寺という名前になりました。 庭が国の名勝に指定されたのが昭和9年(1934年)で、きれいな庭が長期に渡って維持されてきました。 喫茶室もあり、きれいな庭を見ながら、お茶やお菓子を食べることができます。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根駅 ↓(電車) 米原駅 ↓(徒歩7分) 青岸寺 ↓(徒歩7分) 米原駅 地域の名物 信楽焼 鮒ずし 関連スポット 永平寺: 本山 総持寺(横浜市鶴見区): 本山 リンク 青岸寺公式サイト – 名勝青岸寺庭園 湖北霊場会第二十七番札所 青岸寺 【国指定名勝・青岸寺庭園】【木造聖観音菩薩坐像】  | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト 青岸寺(せいがんじ)/米原市 新幹線「米原」から徒歩7分!和スイーツも楽しめる、癒やしの寺院『青岸寺』 - しがトコ

哲学堂公園:門をくぐれば、思索の旅が始まる、宇宙と真理の建築群

本日、東京都中野区にある哲学堂公園を訪れました。この日はよく晴れていて、冬の空気が澄んでおり、公園全体に静謐な雰囲気が漂っていました。 哲学堂公園は、明治時代の哲学者・井上円了(いのうえ えんりょう)によって「哲学を身近に感じてもらいたい」という願いのもとに作られた公園です。園内にはユニークな名前の建造物が点在しており、一つひとつに哲学的な意味や物語が込められています。私はまず、入口近くにそびえる「哲理門」をくぐりました。門をくぐると、日常の世界から一歩踏み出し、思索の空間に足を踏み入れたような気持ちになります。 園内を進むと、まるでお城のような外観の「絶対城」が現れます。この建物は、その名の通り「絶対」や「無限」といった大きな哲学的概念を象徴しているのでしょうか。建物の前に立つと、物事の根源や真理について考えるきっかけを与えてくれる気がしました。 さらに歩みを進めると、「四聖堂」が見えてきました。ここは、ソクラテス、カント、孔子、釈迦という東西の四大哲人を祀った場所です。和洋折衷の独特な建物を眺めていると、時代も場所も超えて人間が探求してきた「知」や「真理」のつながりを感じます。 池のほとりには「概念橋」が架かっていました。この橋を渡ると、考えや発想の世界がさらに広がるような気がします。公園の名前通り、歩くたびに「これはどういう意味なのだろう」「この建物の意図は?」と自然に自問自答が始まります。 また、「演繹観」や「宇宙館」といった建物も独特で、哲学堂ならではの非日常的な空気感を醸し出しています。それぞれの建物が、「演繹」や「宇宙」といった大きなテーマについて考えさせてくれる存在であり、散策しながら自分なりの思索を深めることができました。 哲学堂公園は、単なる公園ではなく、日常の喧騒を離れて思索にふけることのできる特別な場所です。冬の晴れた日に訪れることで、凛とした空気の中でゆっくりと自分の思考と向き合う時間を持つことができました。哲学に詳しくなくても、建物の名前や形、配置に触れるだけで自然と「考える」気持ちが芽生える場所です。都心の一角にある、静かな思索の庭をぜひまた訪れたいと思います。 現象と実在 私たちはふだん、「見えているものが、そのまま本当の姿だ」と思いがちです。しかし、ストローが水の中で折れているように見えたり、夕日が赤く見えたりするのは、実際の物体の...