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嘉例川駅:観光タクシー運転手さんのおすすめ、心に残る小さな駅の風景

2泊3日の鹿児島旅行の最終日、朝から霧島市内をタクシーで貸し切り観光しました。霧島神宮などの有名な観光スポットを巡ったあと、運転手さんが「ぜひ見てほしい」と勧めてくれたのが嘉例川駅(かれいがわえき)でした。 嘉例川駅は、鹿児島県内で最も古い木造駅舎として知られています。どこか懐かしさを感じさせる佇まいで、時がゆっくりと流れているような雰囲気でした。私が駅に着いたとき、ちょうど電車がやってきました。駅前には電線がなく、屋根にパンダグラフのない車両だったので、これはディーゼルカーなのでしょう。鉄道に詳しくない私ですが、電線がない線路というのも新鮮に感じました。嘉例川駅を通る列車は1時間に1本もないそうで、電車と出会えたのは本当に幸運でした。運転手さんは「運がいい」と言ってくれましたが、もしかしたら、運転手さんが時間を合わせて案内していただいたのかもしれません。 列車が静かに発車する様子を見送った後、駅の周りではかっこうが鳴いていて、運転手さんと一緒にしばらく耳を澄ませていました。自然に囲まれた静かな駅舎と鳥の声が、旅の終わりにふさわしい穏やかな時間を演出してくれました。 その後、鹿児島空港に向かいました。空港に着くと、運転手さんが「旅の記念に」とお土産を買ってくださっていました。最後まで温かい心遣いに触れ、鹿児島観光を存分に楽しんだ実感が湧きました。 嘉例川駅のような歴史ある駅舎は、単なる交通の拠点ではなく、その土地の文化や人の温かさを伝えてくれる場所だと感じました。鹿児島旅行の締めくくりに、心に残る貴重な体験となりました。 旅程 略) ↓(タクシー) 坂元のくろず「壺畑」 ↓(タクシー) 上野原縄文の森 ↓(タクシー) 国分上野原テクノパーク ↓(タクシー) (略) ↓(タクシー) 足湯の駅 えびの高原 ↓(タクシー) 丸尾滝 ↓(タクシー) 塩浸温泉龍馬公園 ↓(タクシー) 嘉例川駅 ↓(タクシー) 鹿児島空港 周辺のスポット 塩浸温泉龍馬公園 犬飼滝 リンク 嘉例川駅 | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅 鹿児島県霧島市|嘉例川駅 [霧島発]レトロな嘉例川駅&姶良ドライブコース | モデルコース | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅

塩浸温泉龍馬公園:湯けむりをくぐる二人のシルエット

鹿児島観光の最終日は、霧島市内をタクシーで巡りながら、山の緑と川のせせらぎに沿って走りました。案内してくださった運転手さんの一押しで立ち寄ったのが、塩浸温泉龍馬公園でした。駐車場から降りると、湿った空気に温泉の匂いが混じり、ところどころから白い湯けむりが立ちのぼっています。川沿いの斜面には、坂本龍馬とお龍の銅像が静かに並び、濡れた石肌に差す光を受けて柔らかく光っていました。 資料館も併設されているようでしたが、訪れた折は新型コロナの影響で入館できず、屋外の散策に専念しました。 公園の一帯は、幕末のふたりが新婚の頃に足を運んだ地として知られています。慶応二年(1866年)に、龍馬とお龍は霧島の温泉地を巡り、塩浸温泉には十八日間も逗留したと伝わります。現在は園内に資料館や足湯、「新婚湯治碑」などが整えられ、往時をしのぶ展示も見られる場所です。 そもそもこの旅は、寺田屋事件で負った傷の療養を兼ね、西郷隆盛や小松帯刀の勧めもあって計画されたものだといわれます。湯治の行き先に霧島を選んだことは、薩摩と龍馬の結びつきの一端を映す選択でもあり、ここが「日本で最初の新婚旅行」と称されるゆえんにもなりました。 行程をたどると、二人は大坂から蒸気船で長崎を経て鹿児島に入り、日当山・塩浸・栄之尾と温泉地を回りながら高千穂峰にも登ったと記録されています。霧島の厳かで伸びやかな自然の中で、体を癒やしながら次の時代を見据えた思索を重ねたのだろうと想像します。 銅像の前に立つと、ふたりの等身大の距離感が印象に残ります。見上げる龍馬の姿は風に背筋を伸ばし、お龍は少し斜めに腰を下ろして寄り添うように佇みます。足元では、湯気を含んだ風が川面から吹き上がり、遠くで鳥の声が響きました。資料館に入れなかったのは残念でしたが、湯けむりに包まれた屋外の空気そのものが、歴史の余熱をまとった展示のように感じられます。 園内には足湯もあり、旅の終盤の疲れをそっとほどいてくれます。風の強い日で残念ながら足湯も遠慮しました。ここでの逗留は、二人にとって、歩みを整える休符だったのかもしれません。 霧島の山並みは、季節の光とともに表情を変えます。最終日にここを訪れたことで、旅が一本の物語として静かに結ばれた気がしました。激動の時代を駆け抜けたふたりが、湯けむりの向こうで束の間の安らぎを分かち合った場所。公園を後にするとき、歴...

丸尾滝:神話の山で出会う温泉の瀑布、風がさらう湯けむり

霧島の最終日は、朝からタクシーを貸し切って上野原縄文の森や霧島神宮を巡り、夕方、丸尾滝にたどり着きました。 陽はまだ傾ききらず、谷あいに柔らかな光が差し込む時間帯です。周辺は温泉地らしく、車を走らせているあいだも道路脇の岩肌や茂みのあいだから湯気が立ちのぼり、鼻先にははっきりと硫黄の香りが届きました。温泉地に来たという実感が、まず匂いでやって来ます。 丸尾滝は、霧島温泉郷を流れる温泉水が集まって落ちる、全国でも珍しい「温泉水の滝」として知られています。落差はおよそ二十数メートル、幅も十数メートルあり、正面に立つと、白い飛沫とともに独特の乳青色がかった水の色が目を引きます。この色合いは、硫黄や湯の花に由来するといわれ、火山と共に生きてきた霧島ならではの景観です。冬の風がやや強く、写真で見かけるような濃い湯けむりは長く留まらず、たちまち流されていきました。手を伸ばして温度を確かめることはできませんでしたが、落下の途中で空気に触れて冷やされ、また周囲の川水と混ざるため、滝壺では温度が下がっているのだろうと想像します。温泉が地表に湧き、谷を下り、やがて滝となって落ちるまでのあいだに、風や水や地形が少しずつ温度と色合いを変えていく。自然の「混ざり合い」のダイナミズムを、目の前で見ているようでした。 霧島の名は、古事記・日本書紀に語られる天孫降臨の地として知られ、霧島神宮はその神話世界を現在に伝える場所です。一方で、上野原縄文の森に立つと、はるかな縄文の生活が重なり、同じ山稜の別の時間層が見えてきます。丸尾滝のほとりに立ちながら、神話から先史、そして火山活動がもたらす温泉文化へと続く時間のレイヤーを、一日の観光の流れの中で手触りとして感じられました。 滝の轟音は力強いのに、立ち去りがたい静けさがありました。岩肌を濡らしながら広がる飛沫のきらめき、冷たい冬の風、そしてかすかな硫黄の残り香。霧島の温泉地では夜にライトアップされることもあるそうですが、日暮れ前の生の光が刻々と表情を変える滝もまた、見飽きません。しばし眺めたあと、タクシーに乗り込み、塩浸温泉龍馬公園へ向かいました。ここは坂本龍馬とお龍が1866年に逗留したことで知られる湯治場の跡で、「日本初の新婚旅行」の行路としてしばしば語られる場所です。火山の恵みが人を癒やし、歴史の登場人物の足跡を今に伝える点でも、霧島の温泉は物語...

上野原縄文の森:日本最古級の集落、霧島に眠る1万年の暮らし

本日は鹿児島県の霧島市を観光します。高千穂の方も廻りたかったため、貸し切りでタクシーを頼みました。隼人塚や鹿児島神宮などを廻ったあと、上野原縄文の森に来ました。アゼルバイジャンでガイドをしてくれた人が、鹿児島で縄文の勉強をしたということを言われていて、上野原縄文の森のことなのかは不明ですが、記憶に残っていて鹿児島観光のついでに訪れることにしました。 上野原縄文の森(うえのはらじょうもんのもり)は、鹿児島県霧島市にある縄文時代の大規模な遺跡を保存・展示する考古学公園です。この場所は、約1万700~1万400年前の日本最古級の定住集落跡として発見された上野原遺跡を中心に整備されており、縄文時代の暮らしを体験しながら学べる貴重な文化施設となっています。 1997年(平成9年)の発掘調査により、竪穴住居跡や貯蔵穴、土坑墓など、当時の人々の生活を物語る多くの遺構が発見されました。特に注目すべきは、国内最古級の集落構造が確認されたことで、縄文時代の社会形成の早さを示す重要な証拠とされています。 園内には、遺跡を保存した「上野原縄文の森展示館」や、復元された竪穴住居、体験学習ができる工房、そして散策路や展望台などがあり、自然の中で縄文人の暮らしを追体験することができます。展示館では出土品の土器や石器、装飾品などが展示され、縄文文化の豊かさを感じられるように工夫が凝らされています。 また、体験プログラムも充実しており、土器作りや火起こし、弓矢体験など、縄文人の技術や生活に直に触れることができます。こうした参加型の学習は、子どもから大人まで幅広い層に人気があります。 地層観察館で見える地層から、この森が桜島の噴火の長い歴史の上にできていることも知ることができます。 さらに、周囲には霧島連山の雄大な自然が広がっており、縄文時代の人々が暮らした環境を想像しながらの散策は、心を癒やしてくれるでしょう。 上野原縄文の森は、単なる遺跡ではなく、縄文文化を五感で体感しながら深く学べる貴重な歴史公園です。鹿児島を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてください。 狗奴国 九州南部にあったとされる古代の国、狗奴国(くなのくに/くなこく)は、『魏志倭人伝』の中でその名を確認することができる謎多き勢力です。三世紀の日本列島には複数の小国が割拠しており、その中でも狗奴国は、卑弥呼が統治していたとされる邪馬台国と並...

尚古集成館 / 仙厳園:幕末の先進性、島津家の集成館事業、桜島を借景に薩摩の記憶を歩く

桜島を一周したあと、尚古集成館(しょうこしゅうせいかん) / 仙厳園(せんがんえん)までタクシーで移動しました。 鹿児島を訪れた際に、ぜひ立ち寄ってほしい場所のひとつが「尚古集成館」です。尚古集成館は、鹿児島市の吉野町にあり、錦江湾や桜島を望む風光明媚な場所にたたずんでいます。この資料館は、島津家の歴史や、幕末から明治にかけての薩摩藩の近代化の歩みを伝える貴重な博物館です。 館内に入るとまず驚かされるのは、建物そのものの重厚な美しさです。実はこの建物は、1865年(慶応元年)に建てられた旧集成館機械工場を利用したもので、日本の産業近代化の先駆けとなった貴重な西洋式石造建築です。現在は国の重要文化財にも指定されており、まさに「展示物そのもの」といえる存在感があります。 展示では、島津家の代々の当主が収集・使用してきた武具や調度品、さらには幕末期の薩摩藩が進めたガラス製造、紡績、機械工業などの記録を見ることができます。特に、薩英戦争や西南戦争に関する資料には、薩摩という地が日本史の重要な転換点で果たした役割の重みがひしひしと伝わってきます。 館内をめぐるうちに、島津斉彬の先進的な思考と行動力がいかに画期的だったかがよくわかります。斉彬は西洋の技術や学問を積極的に導入し、日本の自立した近代化を目指しました。その姿勢は、後の明治維新の原動力ともなったと言えるでしょう。 尚古集成館の魅力は展示だけではありません。隣接する仙巌園や薩摩切子の工房、さらには美しい海と桜島を望む景色もまた、訪れる人の心を豊かにしてくれます。歴史に詳しくない人でも、目の前に広がる実物や風景を通して、自然と当時の人々の息づかいを感じられるはずです。 館は年中無休で開館していることが多く、仙巌園との共通入場券もあるので、ゆっくりと一日かけて歴史と文化にひたることができます。鹿児島の旅に、尚古集成館という知の窓を加えてみるのも素敵な体験になることでしょう。 仙厳園 鹿児島を旅するなら、ぜひ訪れてほしい場所のひとつが「仙巌園(せんがんえん)」です。桜島を望む錦江湾のほとりに広がるこの庭園は、江戸時代初期の1658年(万治元年)に島津家第19代当主・島津光久によって築かれました。以来、歴代の島津家当主が愛し、手を加え続けてきた場所であり、今もその気品と風格を感じさせてくれます。 仙巌園の最大の魅力は、...

桜島フェリー

連休を利用して、鹿児島、宮崎観光に来ました。 鹿児島駅の近くに安いホテルが見つかり、桜島への移動に良さそうなので、とても良い場所を見つけたと思ったのですが、鹿児島市の中心街は鹿児島駅周辺ではなく、鹿児島中央駅の周辺でした。鹿児島駅周辺は人が少なくかなり静かな場所です。 昨晩、鹿児島駅近くのホテルに泊まり、今朝朝早くからフェリーで桜島に向かうことにしました。 九州と桜島を結ぶ桜島フェリー(さくらじまフェリー)は、鹿児島市が運営している公営です。 九州側の鹿児島港 桜島フェリーターミナルは、かなり大きくコインロッカーなどもあります。 桜島フェリーは、1934年(昭和9年)に西桜島村の村営で運航が開始しました。その後、西桜島村が桜島町となり、桜島町が鹿児島市に吸収されたため、現在は鹿児島市が運営しています。 運行間隔が短く、大隅半島と薩摩半島・鹿児島市を行き来するのに便利なため、多くの人が利用しています。 桜島まで近いのでゆっくり休むという感じではありませんが、船内の座席数は多いです。 船から見る桜島は非常にきれいな形をしており、富士山の妹と言われるだけのことはあります。 15分ほどで桜島に到着です。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 鹿児島港 桜島フェリーターミナル ↓( 桜島フェリー ) 桜島港フェリーターミナル ↓(タクシー) (略) ↓( 桜島フェリー ) 鹿児島港 桜島フェリーターミナル ↓(タクシー) 尚古集成館 / 仙厳 ↓(タクシー) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 桜島 西郷隆盛銅像 島津久光公像 天文館 地域の名物 かるかん 豚骨料理 関連スポット リンク 桜島フェリー|桜島フェリー 桜島フェリー | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅 桜島フェリー | 交通アクセス | 【公式】鹿児島市の観光・旅行情報サイト|かごしま市観光ナビ 鹿児島県/鹿児島港桜島フェリーターミナル

鹿児島城跡/鹿児島県歴史·美術センター 黎明館

連休を利用して鹿児島と宮城の観光に来ています。桜島や高千穂などに行く予定です。鹿児島市のいくつかのスポットを廻ったあと、鹿児島城跡に来ました。 鹿児島城(かごしまじょう)は、江戸時代に薩摩藩の藩主である島津氏によって築かれた城で、鹿児島県鹿児島市にあります。別名「鶴丸城(つるまるじょう)」とも呼ばれていますが、その由来は、城の形状が鶴が羽を広げた姿に似ていることからと言われています。 もともと、鹿児島城跡の西の城山(しろやま)に上山氏の居城の上乃山城(上山城)がありました。後に島津家に明け渡されました。 1601年(慶長6年)、島津義弘(しまづ よしひろ)の三男の島津忠恒(しまづ ただつね、家久(いえひさ))によって、城山の東麓に屋形を築いて居城としました。 島津氏は戦国時代に九州を統一するほどの勢力を誇っており、その後江戸時代には薩摩藩の中心として機能しました。島津氏の居城であったことから、薩摩藩の政治・経済・文化の中心として重要な役割を果たしていました。 鹿児島城は他の日本の城と比較して「天守閣」がないことが特徴です。これは、外敵からの攻撃を避けるというよりも、薩摩藩主が江戸幕府に対して対抗心を抱かず、平和的な姿勢を示すための設計だとも言われています。城の周囲には広い堀があり、城内には重厚な石垣が残っています。 現在、鹿児島城の主要な建物は失われていますが、石垣や堀は今も残っており、その一部は観光名所となっています。城跡は「鹿児島城跡」として国の史跡に指定されており、敷地内には「鹿児島県立博物館」や「鹿児島県歴史資料センター黎明館」などがあり、薩摩藩の歴史や文化を学ぶことができます。 1873年(明治6年)に焼失した御楼門(ごろうもん)の復元工事が行われており、2020年(令和2年)4月に一般公開されます。 黎明館(れいめいかん)は、鹿児島城跡に設立された歴史博物館です。薩摩藩や鹿児島県の歴史・文化に関する資料を展示しており、特に幕末や明治維新に関連する展示が充実しているのが特徴です。黎明館は、1983年に鹿児島城跡地に開館し、鹿児島の歴史を学ぶための中心的な施設となっています。 黎明館は、鹿児島県や薩摩藩の歴史を網羅的に紹介しており、各時代の資料や展示物が豊富に揃っています。特に、以下のようなテーマが扱われています。 黎明館では、薩摩藩を統治した島津氏の歴史に...