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豊橋市二川宿本陣資料館:東海道の記憶をたどる旅 - 二川・宿場町の今昔

江戸時代の面影を今に伝える場所として、愛知県豊橋市の二川宿本陣資料館を訪れました。二川宿は東海道五十三次の宿場町の一つで、かつて多くの旅人たちが行き交った場所です。今も本陣や旅籠屋、商屋などが残り、当時の雰囲気を肌で感じることができます。 まず最初に資料館へ足を運び、二川宿の歴史や東海道の役割について学びました。展示を見ていると、東海道が単なる交通の道というだけでなく、文化や経済の交流拠点として大きな役割を果たしていたことが伝わってきます。 続いて見学したのは、庶民向けの旅籠屋「清明屋」です。建物の家紋が星形で、どこか現代的な印象を受けました。旅籠屋と聞くと、質素なイメージを抱いていましたが、実際には広々としていて思いのほか豪華な造りでした。ここで多くの旅人たちが疲れを癒やしたのでしょう。 次に本陣へ向かいました。本陣は大名や公家など身分の高い人々が利用した宿泊施設です。主屋や美しい庭が印象的で、旅籠屋以上に格式の高さを感じます。東海道を往来する人々の身分や役割によって、宿場の施設にも違いがあったことを改めて実感しました。 その後、少し離れた場所にある商屋「駒屋」に移動しました。ここもまた、想像以上に大きく立派な建物です。当時の東海道沿いの宿場町がいかに活気にあふれていたのか、建物の規模や造りからもうかがい知ることができます。 ちょうど昼時だったこともあり、商屋「駒屋」の敷地内にある蔵カフェ「こまや」で昼食を取りました。歴史ある空間の中で過ごすひとときは、普段のカフェとは違った趣があり、とても印象に残りました。 二川宿本陣資料館を巡ることで、江戸時代の旅や人々の暮らし、そして東海道の持つ意味について、より深く知ることができました。今も当時の息吹が残るこの場所は、歴史好きの方はもちろん、日常を少し離れてタイムスリップしたい方にもおすすめです。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR) 二川駅 ↓(徒歩) 豊橋市二川宿本陣資料館/商家「駒屋」 ↓(徒歩) 二川駅 ↓(JR) 新居駅 ↓(徒歩) 新居関所跡 ↓(徒歩) 旅篭紀伊国屋資料館 ↓(徒歩) 小松楼まちづくり交流館 ↓(徒歩) 新居駅 リンク トップページ|二川宿本陣資料館 商家「駒屋」 – 歴史と文化の継承の地、駒屋 二川宿本陣資料館|観る|観光スポット|歴史|【公式】豊橋観光コンベンション協会|豊橋の観光情報 豊橋市二...

岡崎城:竹千代の記憶を辿る、春雨の散策路

本日は愛知県の岡崎城を訪れました。実は晴れ男を自認している私ですが、この日はあいにくの雨。それでも、旅の足取りが重くなることはありませんでした。むしろ、雨の日ならではの城の風情や春の景色を味わえる、特別な日となりました。 岡崎公園前駅から岡崎城公園までは徒歩で向かいました。駅から公園までの道のりも、しっとりと濡れた石畳や草木が、いつもより深い色合いで迎えてくれます。川辺に目を向けると、雨に濡れた桜がしっとりと咲き誇っていました。花びらが雨粒を纏って輝く様子は、晴れた日には見られない美しさです。桜の下を歩きながら、春の静けさとともに、歴史の舞台を歩んでいるような感覚に包まれました。 公園内の竹千代通りへと足を進めます。竹千代――徳川家康の幼名でもあり、岡崎城は彼の生誕の地です。竹林の緑と雨に濡れた道は、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していました。 途中、城の大手門も見学し、立派な門構えから戦国時代の面影を感じます。 この日はちょうど大河ドラマが「どうする家康」を放送中だったこともあり、公園内には仮設の展示館が設けられ、家康に関する特別展が開催されていました。戦国時代から江戸幕府開府に至るまでの家康の歩みや、岡崎城が果たした歴史的役割についての展示は、歴史好きにはたまらない内容でした。館内で改めて岡崎城の持つ重みを感じました。 そして、城の天守閣へ。石段を上り、展示を見ながら最上階を目指します。岡崎城の天守は、昭和の時代に再建されたものですが、展示内容や建築の重厚感によって、往時の雰囲気を想像することができます。最上階に到着し、岡崎市街を見下ろしました。雨に霞む町並みは、まるで水墨画のよう。遠くの景色も柔らかく溶け合い、晴天とは異なる情緒がありました。 雨の日の城巡りは、晴れの日には気づかない発見や、静けさの中に漂う歴史の重みを感じさせてくれます。雨だからこそ出会えた景色とともに、家康公の時代へ思いを馳せた一日 旅程 東京 ↓(新幹線/名鉄) 岡崎公園前駅 ↓(徒歩) 岡崎城/岡崎城公園 ↓(徒歩) 岡崎公園前駅 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 岡崎城トップページ|岡崎城(天守閣)|特集|岡崎城公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト 岡崎城公園・岡崎城 | 岡崎市ホームページ 岡崎城・岡崎城公園・三河武士のやかた家康館 | 【...

明治村

愛知県の明治村に来ました。なんとなく明治時代の雰囲気が好きなので前から来たいと思っており、ようやく来れました。 非常に広大な敷地で、一つ一つの建物が本物なので、それぞれについて記事が書けるぐらいの内容です。 例えば、教会。本物がそこに建っています。 帝国ホテル。 汽車。 工場。もちろん機械式で、100年ぐらい前の同じ国なのに、失われた古代文化のようです。 上記はほんの一例で、とんでもない数の建物が保存されています。 明治村は建築家の谷口吉郎さんと名古屋鉄道会長の土川元夫によって1965年(昭和40年)に開館されました。歴史的、文化芸術的に価値のある建築物を保存するために設立され、現在は60件以上あり、ほとんどが重要文化財や登録有形文化財に指定されています。 旅程 東京駅 ↓(新幹線) 名古屋駅 ↓(名鉄) 犬山駅 ↓(バス) 明治村 ↓(バス) 犬山駅 ↓(徒歩) 犬山城 ↓(徒歩) 犬山駅 ↓(名鉄) 名古屋駅 ↓(新幹線) 東京駅 周辺のスポット 犬山城 リトルワールド 地域の名物 関連スポット リンク 博物館明治村 | 愛知県犬山市の野外博物館 博物館 明治村 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now 博物館 明治村 « 犬山観光情報 博物館明治村 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」

吉田城

愛知県豊橋市の吉田城に来ました。 吉田城は、豊橋駅から路面電車で行ける豊橋公園内にあります。 吉田城には天守が無いと言われていましたが、鉄櫓(くろがねやぐら)が実質的な天守でした。現在、鉄櫓は再建され、中は資料館になっており、多くの資料が展示されています。 吉田城は、1505年(永正2年)(1496年という説もあり)に一色城主( いっしきじょう )の牧野古白(まきの こはく)が今橋城として築きました。吉田城のある東三河(みかわ)は軍事、経済的に重要な拠点であり、城の争奪戦が繰り返されました。初めは、渥美郡(あつみぐん)の戸田氏、宝飯郡(ほいぐん)の牧野氏で争奪戦が繰り返され、城主が次々と替わりました。 1529年(享禄2年)に、西三河の徳川家康の祖父の松平清康(まつだいら きよやす)が吉田城を制し、一度は三河を安定させました。その後、清康が亡くなると、再度、戸田氏、牧野氏間で争奪戦になり、最終的に駿河(するが)の今川氏が入り管理下に置いたことで落ち着きました。 今川時代に、今橋城から吉田城に名前が変更されました。1522年(大永2年)に牧野信成(まきの のぶしげ)が「いまわし」(忌まわしい)は縁起が悪いということで吉田に変更したという説もあります。 今川氏が桶狭間の戦いで弱体化したのを狙って、1565年(永禄8年)、松平(徳川)家康が10か月かけて吉田城を攻略し、後に徳川四天王と呼ばれる酒井忠次(さかい ただつぐ)を城主に置きました。酒井忠次は、徳川家康から城を与えられた最初の家臣で、25年間城主を務めました。このころ、豊川には橋がありませんでしたが、酒井忠次が土橋をつくり、これが吉田橋となりました。 酒井忠次が城主の時代には、三河攻略中の武田信玄による攻撃を受けましたが、守りを固め守り切りました。 家康が豊臣秀吉によって、関東に移封されると、池田輝政(いけだ てるまさ)が城主となり、11年間務めました。後に姫路城を築城する池田輝政ですが、この城主時代には吉田城を近世城郭として改修し、城下町の整備や、吉田大橋の架け替えを行いました。 この吉田大橋は、豊橋の地名の由来です。当時の東海道は、吉田大橋のような大橋が少なく、多くの絵師に描かれました。 関ケ原の戦いの後、池田輝政は播州、姫路に移封され、22代に渡って譜代大名が吉田を支配しました。当時は、吉田城主は出生の登竜門...

徳川園:滝の音に導かれて辿る、城下に広がる旧藩主の庭

本日は、名古屋を訪れています。秋晴れの気持ちよい一日でした。朝早くに名古屋に到着し、まずは市の象徴ともいえる名古屋城を見学しました。威風堂々とした天守と広大な敷地に、尾張徳川家のかつての栄華を感じつつ、その足で徳川園へと向かいました。 徳川園の入口にあたる黒門をくぐると、街中の喧騒がふっと消え、庭園の静けさに包まれました。 園内にはせせらぎが流れ、小川の音が耳に心地よく響きます。しばらく歩くと、木造の橋・虎仙橋が姿を見せました。風雅な橋を渡ると、菖蒲田が広がり、季節こそ違えど、初夏に咲く花々を想像して楽しむことができました。 さらに奥へ進むと、園の中心に位置する龍仙湖が現れました。池の周りには木々が映り込み、水面はまるで絵画のような静けさを湛えていました。 湖畔を歩きながら、趣ある瑞龍亭に立ち寄り、茶室のベンチでひとときの休憩を取りました。茶室から望む景色は格別で、時間がゆっくりと流れるように感じられました。 その後、牡丹園を抜けて、園の最奥にある龍門の瀧へとたどり着きました。大きな岩の間を流れる滝は、静かな庭園の中にあって、ひときわ生命感を放っており、まさに「龍が住む門」にふさわしい佇まいでした。 庭園を後にして向かったのは、隣接する徳川美術館です。ここには尾張徳川家の重宝が数多く収められており、戦国から江戸へと続く歴史の流れを感じることができました。中でも、源氏物語絵巻の展示は非常に印象的で、日本の美意識の深さと繊細さに見入ってしまいました。 この日の旅は、まさに名古屋の歴史と美を一度に味わうような一日となりました。静寂の中に力強さを感じる庭園と、文化の香り高い美術館。それらを巡ることで、徳川の名がもつ重みを改めて感じることができました。 旅程 名古屋駅 ↓(タクシー) 名古屋城 ↓(タクシー) 徳川園 ↓(徒歩) 徳川美術館 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 徳川美術館 名古屋城 名古屋市市政資料館 地域の名物 関連スポット リンク 徳川園 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now 愛知県名古屋市の日本庭園 徳川園 和の伝統が調和したフレンチを由緒ある庭園で | ガーデンレストラン 徳川園 名古屋・徳川美術館|The Tokugawa Art Museum 徳川園 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」 徳川園 – 名古屋...

名古屋城:金鯱が見下ろす城下の記憶、武家の栄華と現代をつなぐ石垣

弟が名古屋に住んでいるため、弟家族に会うついでに名古屋城に行ってきました。 名古屋城(なごやじょう)が築城される前、同じ場所に那古野城(なごやじょう)がありました。 那古野城は、もともと今川氏のものでしたが、織田信長の父の織田信秀(おだ のぶひで)が奪いました。織田信長も那古野城で生まれたという説があります(勝幡城で生まれたとう説の方が有力)。 信長が清洲城(清須城)に移ったあと、那古野城は廃城となりました。 約50年後の1609年(慶長14年)に、この跡地に徳川家康が名古屋城を築城しました。 名古屋城は、大阪城、熊本城(または姫路城)、とともに日本三名城と言われています。 当時の尾張は、清州が中心地でしたが、名古屋城の築城により、1612年(慶長17年)~1619年(元和2年)のころに、清州から名古屋に都市全体を移転しました。これを、清洲越し(きよすごし)と言い、住民だけでなく社寺も徹底的に移転しました。 築城には、多くの大名が分担しました。例えば、石垣は、高度な技術を持つ加藤清正(かとう きよまさ)が担当しました。巨石を運ぶにあたり、清正が自ら石の上に乗り音頭をとったと言われており、その様子が像になっています。 また、石垣の最大の石材は、黒田長政(くろだ ながまさ)が担当した区域にありますが、巨石であったため、普請(ふしん。土木のこと)の名手の加藤清正が積み上げたと言われ、清正石(きよまさいし)と呼ばれています。 名古屋城の天守は権力の象徴として建てられたこともあり、屋根の金鯱(きんしゃち、きんこ、きんのしゃちほこ)はその最たるものです。 旅程 名古屋駅 ↓(タクシー) 名古屋城 ↓(タクシー) 徳川園 ↓(徒歩) 徳川美術館 ↓(徒歩) (略) 関連イベント 周辺のスポット 徳川園 徳川美術館 名古屋市市政資料館 地域の名物 関連スポット リンク 名古屋城公式ウェブサイト なごやSDGs街|SDGsフィールド|名古屋城 名古屋城 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」 アートサイト名古屋城 2023 名古屋城 / 名古屋城本丸御殿 | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now