スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―)が付いた投稿を表示しています

中尊寺:真夏の古寺、句碑と木陰と光の記憶、夏の坂道をのぼって

岩手県の平泉に観光に来ています。旅行業務取扱管理者で勉強した毛越寺、中尊寺金色堂などが目的です。毛越寺を見た後、徒歩で北へ向かい中尊寺(ちゅうそんじ)を訪れました。夏も盛りの時期で、照りつける太陽の光に包まれながら、緑豊かな境内を歩くひとときとなりました。 中尊寺といえば、浄土教建設の代表例の金色堂が思い浮かびます。堂内は撮影禁止で写真を残すことはできませんでしたが、実際に目にしたその輝きは、まさに極楽浄土をこの世に現したかのような、言葉に尽くせない美しさでした。金色に輝く阿弥陀三尊像や繊細な螺鈿細工、煌びやかな装飾の数々は、長い年月を超えて今に伝わる奇跡のように感じられました。 松尾芭蕉もまた、この地を訪れ、金色堂を前に一句を残しました。「五月雨を 降り残してや 光堂」。 奥の細道の旅の途中、芭蕉はこの句に、長く降り続く雨さえも避けて通ったかのように、金色堂の存在が特別であることを託しました。私が訪れたのは梅雨明けの7月でしたが、強い陽ざしのなかにあっても、この句が思い出され、まるで堂内の光が雨をはね返していたかのような、神秘的な印象が胸に残りました。 金色堂を後にして、境内をさらに巡っていきました。弁慶堂では、静かに佇む義経弁慶像が訪れる人々を迎えてくれていました。瑠璃光院や地蔵堂、薬師堂など、どの建物もそれぞれに個性があり、細部にまで丁寧な意匠が施されていることに感嘆しました。本堂では、お線香の香りとともに荘厳な空気に包まれ、心が自然と落ち着いていくのを感じました。 光勝院、峯薬師堂へと歩を進めると、少しひんやりとした木陰に救われながら、心地よい時間が流れていきました。 さらに、経蔵や覆堂では、中尊寺の長い歴史に思いを馳せました。覆堂は金色堂を保護するための建物であり、文化財を守る人々の努力に頭が下がる思いでした。 境内の奥には、白山神社と、その一角に建つ能舞台がありました。野外に設けられた能楽殿は、自然の中に溶け込むようにたたずみ、ここで演じられる能は、どれほど幻想的な空間を生み出すのだろうと想像を膨らませました。 この日、中尊寺で見た堂宇のひとつひとつは、それぞれに異なる魅力を放っていました。そして、夏の強い日差しに照らされながらも、どこか涼しさを感じさせるような、深い緑と静けさが、心に深く残りました。平泉の文化と歴史に触れる、かけがえのない一日となりまし...

金鶏山:木漏れ日に誘われて、祈りの台地を歩く

夏の真っ盛りの一日、平泉で毛越寺を歩いたあと、中尊寺へ向かう道すがら金鶏山(きんけいさん)に寄りました。 世界遺産の構成資産ということもあって、入口には新しい解説板が立ち、静かな一角ながらもこの小丘が町の歴史に深く結びついてきたことを感じさせます。すぐ脇の千手堂には、源義経公の妻子の墓があると伝えられており、手を合わせてから山道に入りました。 真夏の盛りで境内の草はよく伸び、毛越寺の整然とした景観と比べると人影も少なく、むしろ昔日の面影がそのまま残っているように思えます。 金鶏山は本当に小さな山です。ゆっくり歩いてもほどなく頂上に着き、そこには小さな石の祠がひっそりと佇んでいました。見晴らしは決して華やかではありませんが、木々が広げる木陰に吹く風が心地よく、汗ばむ夏の日にひと息つくにはぴったりの場所です。耳を澄ますと、遠くの車の音と蝉の声が重なり、賑わいの中尊寺通りからわずかに外れただけで、時間の流れがゆるやかに変わるのを感じました。 この小丘に「金鶏」の名が残るのは、奥州藤原氏の栄華とともに語られる伝承ゆえでしょう。藤原清衡が都の方角を鎮めるため、山頂に金色の鶏を埋めたという話が伝わり、以後、平泉の都市と寺院の配置はこの丘を基点に構想されたともいわれます。毛越寺の浄土庭園や中尊寺の諸堂が描き出すのは、仏の国土をこの世にあらわすという壮大な思想ですが、その“芯”のように静かに座しているのが金鶏山なのだと考えると、目の前の小さな祠もぐっと存在感を増して見えてきます。華やかな金色堂の輝きや、整えられた苑池の曲線に心奪われたあとに、この素朴な丘に立つと、平泉の宗教都市が大伽藍と日常の地形の両方で成り立っていたことがよく分かります。 千手堂の一隅に伝わる義経の縁も、平泉の物語をいっそう人間的に感じさせてくれました。歴史はしばしば勝者の記録で語られますが、金鶏山の周りに息づくのは、逃れ、支え、祈った人々の静かな記憶です。夏草が勢いよく伸びる道を歩きながら、芭蕉の句を思い出しつつも、ここでは「兵どもが夢の跡」というより、むしろ“暮らしと信仰の跡”に触れているような気持ちになりました。 短い上り下りを終えて道へ戻ると、再び中尊寺へ向かう人流に合流しました。世界遺産と聞くと、つい壮大な建物や有名な眺望を期待してしまいますが、平泉の魅力は、こうした小さな場所が大きな物語の要にそっと据...

毛越寺:平泉の朝を歩く、鏡のような池と浄土庭園

世界遺産「平泉」を歩く一日の始まりに、私はまず毛越寺(もうつうじ)へ向かいました。平泉駅からの道すがら、観自在王院跡が視界に入りますが、先に毛越寺の山門をくぐります。門を抜けて正面の本堂へ歩いていくと、観光地としての賑わいよりも、朝の境内に漂う静けさのほうが強く感じられ、ここが祈りの場であることを自然と意識させられました。 毛越寺の魅力は、建物を眺めるだけでは終わりません。平泉が栄えた奥州藤原の時代、この地では浄土思想が厚く信仰され、理想の世界をこの世に表そうと寺院や庭園が整えられていきました。境内の広大な庭園を歩き始めると、その「浄土を写す」という発想が、言葉ではなく空間として迫ってきます。天気の良い日で、池には周囲の景色がきれいに映り込み、風が止まる瞬間には水面が鏡のようになって、庭園そのものが一幅の絵のように見えました。 途中で印象に残ったのは、松尾芭蕉の「夏草」の句碑だけでなく、英訳の句碑が並んでいたことです。平泉という土地が、日本の歴史の記憶であると同時に、いまや世界の人が訪れる場所になっていることを、さりげない石碑が語っているようでした。 花菖蒲園は季節が少し過ぎていたようで、花はわずかに残る程度でしたが、そのぶん緑の勢いが強く、盛りの華やかさとは別の、夏らしい生命感がありました。菖蒲園の先では開山堂を参拝し、視線と気持ちをいったん整えてから、さらに境内をめぐります。 嘉祥寺跡、講堂跡、金堂円隆寺跡、鐘楼跡などは、建物こそ残っていないものの、礎石が静かに「ここに伽藍があった」事実を示していました。遺跡を歩くとき、私はいつも「失われたもの」を想像してしまいますが、毛越寺では不思議と、失われたことが悲しいというより、時間の厚みが場所に蓄えられているように感じます。 説明板にあった遣水(やりみず)の話も同じで、発掘によって見つかった庭園遺構が、平安期の庭園文化をいまに伝える重要な手がかりになっているのだと思うと、目の前の小さな流れが急に重みを帯びて見えてきました。 常行堂や鐘楼堂、そして常行堂・法華堂跡まで足を延ばすと、少し先に次の目的地である観自在王院跡を見渡せました。朝は通り過ぎたはずの場所が、寺の境内から「次に向かう先」として見えてくる流れが心地よく、平泉の名所が点ではなく線でつながっていく感覚がありました。毛越寺は、世界遺産として「見どころ」を回収する...