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福岡タワー:都市と海が溶け合うパノラマ

 福岡市博物館で金印や地域の歴史に触れたあと、背後にそびえる福岡タワーへ向かいました。館の落ち着いた空気から一歩外へ出ると、ガラスの外装が空の色を映す三角柱の塔が思いのほか近く、足元の芝生と海風が「海辺のシンボル」の顔をして迎えてくれます。 エレベーターで展望階まで一気に上がると、視界は一気に開け、博多湾のゆるやかな弧と、規則正しく並ぶ百道浜の街並みが広がりました。ほぼ快晴で、ところどころに浮かぶ薄い雲が海面に淡い影を落とし、街の輪郭をやさしく際立たせていました。 海側に目を移すと、浜の沖に小さな人工島が見えます。百道浜の海上に築かれたリゾート施設「マリゾン」で、桟橋が伸び、白い建物が水面に浮かぶように佇んでいました。砂浜を歩く人の列や、海沿いを行き交うランナーの姿も小さく動き、冬の午後の穏やかさが上からでも伝わってきます。西へ視線を滑らせば、能古島や志賀島までが重なり、内海のように穏やかな博多湾の地形が一望できました。 この塔は1989年に開業しました。アジア太平洋博覧会「よかトピア」で整備が進んだ百道エリアのランドマークとして誕生し、全高234メートルという日本有数の高さを誇る海浜タワーです。三角形の断面をもつ外観は、約8,000枚のハーフミラーで覆われ、季節や時間帯によって表情を変えます。都市の近代化を象徴する建築でありながら、海と空を写し込むことで周囲の風景に溶け込む、その設計思想が上からの眺めにも感じられました。 展望階をひと巡りしていると、先ほどまでいた福岡市博物館の屋根が見えました。古代の金印から近現代の都市景観へ、わずかな移動で時空をまたいだ気分になります。歴史資料が語る遠い昔の福岡と、ガラスの塔が映す現在の福岡。その連続性を思うと、街は常に海とともに形を変え続けてきたのだと実感します。エレベーターで地上に戻ると、夕日の色が塔のガラスに滲みはじめていました。短い寄り道でしたが、海風と光に包まれた展望の時間は、旅程の中でいちばん「福岡らしさ」を凝縮していたように思います。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 福岡空港(FUK) ↓(バス) 博多駅 ↓(福岡市地下鉄空港線) 西新駅 ↓(徒歩) サザエさん通り/磯野広場 ↓(徒歩) 福岡市博物館 ↓(徒歩) 福岡タワー ↓(徒歩) 西新駅 ↓(福岡市地下鉄空港線/西鉄天神大牟田線/西鉄太宰府線) 太宰府...

福岡市博物館:国宝「金印」からアジアとの交流を学ぶ

本日のメインの目的の金印を見るため、福岡市博物館(ふくおかしはくぶつかん)に来ました。博物館に入ってみると、朝早めの時間にも関わらず女性が並んでいます。受付と書かれていたので、人気があるんだなあ、と思いながら、よく確認もせずに並んで入ったところ、特別展の「美少女戦士セーラームーン ミュージアム」でした。先に進めば金印があると思い、先に進みましたが出口に来てしまい、金印を展示している常設展は別でした。料金も別々だったので、少し失敗しました。 福岡市博物館は、福岡の歴史や文化を深く知ることができる施設です。早良区のシーサイドももち地区に位置し、美しい海岸線を望むロケーションにあります。歴史や美術に興味がある方はもちろん、福岡の成り立ちや特色を学びたい方にもおすすめの場所です。 博物館のなかでも特に注目を集めるのが、国宝「金印」です。この金印は、江戸時代に志賀島で発見されました。表面には「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という文字が刻まれており、『後漢書』に記された、後漢の光武帝が倭の使者に授けた印章とされています。実物は驚くほど小さいながらも、二千年近い歴史を持つ貴重な遺物として、多くの来館者が訪れます。 また、福岡藩主・黒田家に関連する展示も見どころの一つです。戦国時代から江戸時代にかけて活躍した黒田長政の甲冑や、名槍「日本号」など、歴史好きにはたまらない品々が展示されています。福岡が武士の町として栄えてきた歴史を感じることができます。 さらに、福岡は古くから中国や朝鮮半島との交易が盛んな土地でした。博物館ではその交流の歴史を学ぶことができ、遣唐使や日宋貿易、さらに江戸時代の長崎貿易といったテーマの展示も充実しています。博多祇園山笠や、福岡の祭りについての展示もあり、地域の文化に触れることができます。 常設展示に加え、定期的に企画展や特別展が開催されているのも魅力のひとつです。国内外の美術品や歴史資料をテーマごとに紹介し、訪れるたびに新しい発見があります。最新の企画展情報は、博物館の公式サイトをチェックすると良いでしょう。この日の特別展は、「美少女戦士セーラームーン ミュージアム」でした。 福岡市博物館は、福岡市地下鉄「西新駅」から徒歩約15分の場所にあります。バスを利用すれば、博物館のすぐそばまで行くことも可能です。周辺には福岡タワーやももち浜といった観光スポ...

サザエさん通り/磯野広場(福岡県福岡市):福岡の海辺に息づくサザエさんの記憶

西新駅を出て福岡市博物館へ向かう途中、ふと視界に「サザエさん通り」の大きな看板が飛び込んできました。サザエさんといえば、世田谷・桜新町のイメージが強かったので、「福岡にもサザエさん?」と少し不思議な気持ちになりながら歩き始めました。 脇山口交差点からシーサイドももち海浜公園の入り口まで、約1.6キロ続くこの道が「サザエさん通り」です。沿道には、西南学院大学や修猷館高校、西新小学校といった学校が並び、さらに福岡市博物館や福岡市総合図書館、福岡タワーなどの文化・観光施設へとつながっていきます。 学生と観光客が行き交う、にぎやかでありながらどこかのんびりした空気が漂っていました。 しばらく歩くと、道路脇に小さな広場が現れました。名前は「磯野広場」。その名の通り、ここがサザエさん一家の「磯野家」と深く結びついた場所です。広場の一角には、サザエさん、かつおくん、わかめちゃんの銅像が仲良く並び、いつもの明るい表情で迎えてくれます。記念撮影にちょうど良い大きさで、思わずこちらも笑顔になります。 銅像の横には、長谷川町子さんの生誕100周年を記念した説明板がありました。そこには、佐賀県多久に生まれた長谷川町子さんが、幼少期から高校時代までを福岡で過ごしたこと、戦争中に再び疎開して西新に住んでいたことが紹介されています。 散歩コースだった百道の海岸を歩きながら、サザエ・カツオ・ワカメなど、海にちなんだ名前のキャラクターを思いついたそうで、「サザエさんは福岡の海から生まれた」という言葉が急にリアルなものとして胸に入ってきました。 今では埋め立てが進み、高層ビルや住宅が並ぶシーサイドももちですが、かつてこのあたり一帯が海だったことを思うと、磯野広場の大きな石やカニのオブジェも、ただの装飾ではなく「かつての風景の記憶」をとどめる装置のように見えてきます。 サザエさん通りを歩きながら、その歴史を少しずつ知っていくと、東京・桜新町のあの町並みとは別の、「もうひとつのサザエさん」の姿が浮かび上がってきます。戦後間もない1946年、福岡の新聞「夕刊フクニチ」で連載が始まった当初、サザエさん一家は福岡在住という設定だったこと。 長谷川町子さん自身の、おてんばな少女時代の記憶がサザエさんのキャラクターに重ねられていること。日曜日のテレビアニメで見るおなじみの世界の背後に、福岡の海風や路地の空気が確かに...