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長崎神社(東京都豊島区椎名町): 例大祭:豊島区の癒しのスポット

西武池袋線の椎名町駅はよく利用するのですが、そのすぐ近くに長崎神社(ながさきじんじゃ)があります。普段は人気もない神社ですが、毎年9月の例大祭の2日は駅前の道が歩けないぐらい人であふれかえります。今年は9月7日、8日が例大祭でした。 東京都豊島区の椎名町駅近くにひっそりと佇む「長崎神社」は、都会の喧騒を忘れさせる落ち着いた雰囲気の神社です。この地域の歴史と文化に触れながら、心安らぐひとときを過ごせる場所として知られています。 境内には、印象的な狛犬が鎮座しています。 特に左側の狛犬は、親子の姿をしており、訪れる人々の目を引きます。この親子狛犬は、家族の絆や子供の成長を象徴していると言われ、家族の健康や幸せを願う参拝者にとっては心強い存在となっています。 長崎神社の創建時期は不詳ですが、伝えられるところによると、少なくとも江戸時代以前にはこの地域に存在していたとされています。昔は武州豊島郡「長崎村」(現在の豊島区長崎、南長崎、千早、要町、高松、千川、目白4丁目、5丁目、西池袋4丁目、5丁目、池袋3丁目の一部)と呼ばれていた農村地帯で、神社はこの地域の鎮守として信仰されてきました。現在もなお、椎名町エリアの住民にとっては生活に密着した大切な場所となっています。 江戸時代には、長崎村は農村として栄え、周辺は田畑が広がるのどかな地域でした。長崎神社は、その中心にあり、村の守り神として信仰されていました。当時は、仏教の十羅刹女(じゅうらせつにょ)を祀っていて、十羅刹女社(じゅうらせつにょしゃ)と呼ばれていました。境内には、1733年(享保18年)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。 隣接する金剛院は、1868年(明治元年)の神仏分離まで、長崎神社の別当寺でした。 1872年(明治5年)に廃仏毀釈(神仏分離)により十羅刹女は祭神から排除され、代わりに埼玉県の氷川神社から須佐之男命(すさのおのみこと)の分霊を合祀して勧請し、氷川神社に改称しました。 1874年(明治7年)、長崎神社に改称しました。 本殿は、1849年(嘉永2年)に、拝殿は1899年(明治32年)に建立されました。旧社殿は絵馬を納める額堂として使用されています。ほかに山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)揮毫(きごう※)の神社額と祭礼幟(さいれいのぼり)があります。 ※揮毫(きごう): 毛筆...