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岩宿遺跡:三万年前の知恵と出会う、太古への扉をひらく旅

群馬県にある岩宿遺跡は、日本の旧石器時代研究の出発点ともいえる場所です。 晴天のなか、私は岩宿駅を降りてまず岩宿ドームへと向かいました。ドーム内では、岩宿遺跡の発見から研究の歩みまでをわかりやすくまとめたビデオが上映されており、これを観ることで、これから目にする地層や出土資料への期待が一層高まりました。 岩宿遺跡といえば、1946年(昭和21年)に相沢忠洋(あいざわ ただひろ)によって旧石器が発見され、日本にも旧石器時代があったことを決定づけた場所です。それまで「日本には縄文時代以前の文化はなかった」と考えられていた学説が覆され、考古学史上の大きな転機となりました。ドームの内部には、発掘現場の地層断面が再現されており、発掘の様子や発見当時の資料が丁寧に展示されています。実際に地層を眺めていると、遠い昔に思いを馳せずにはいられませんでした。 ドームを見学した後は、歩いて岩宿博物館へ向かいました。館内には、尖頭器や細石器といった石器がずらりと並んでいます。これらはおよそ三万年前、人類がこの地で狩猟採集生活を営んでいた証です。とくに細石器の繊細な加工や、用途ごとに形を工夫した技術の高さに、当時の人々の知恵と工夫を感じます。 黒曜石の石器は半透明で石器としての鋭さだけでなく、芸術的な美しさも感じましたが、学芸員の方の説明では、当時はアクセサリーなどの美術品としての用途は無かったそうです。機能美から芸術的な美を表現するには、さらなる人の進化が必要だったのでしょう。 また、相沢忠洋氏に関する資料コーナーでは、彼の情熱と地道な調査活動に触れることができ、現代に続く考古学研究の原点を見るような思いがしました。 展示のなかで印象的だったのは、オオツノシカやマンモスの骨格標本です。日本にもマンモスがいたことを物語るその巨大な骨は、ただただ圧倒されるばかりです。氷河期の環境や当時の動物相、人々の暮らしを想像しながら、悠久の時間の流れを感じました。 館外の広場もまた見どころが多く、日本の竪穴住居のほかに、ウクライナのメジリチ遺跡のマンモスの骨で作られた住居や、ドイツのゲナスドルフ遺跡の馬の皮で作られた住居が復元展示されています。日本のみならず、世界の旧石器時代の住居や暮らしぶりを身近に感じることができ、人類の多様な工夫や環境への適応力に驚かされました。 見学を終えた後は、徒歩で桐生市の桐生...

ミーソン遺跡:煉瓦に刻まれた歴史

本日の最初は、ミーソン遺跡観光でした。 バスで田園地域を進み、山の中のミーソン遺跡に向かいます。ベトナムというとベトナム戦争、特に映画のランボーなどでよく見る田んぼのイメージでしたが、そういった光景が広がっていました。 ミーソン遺跡(My Son)の入り口(地図の右下)から移籍がある場所(地図の左上)まではかなりの距離があります。 ツアーが用意したカートに乗って向かいます。途中歩いている人もいましたが、結構な距離なのでカートに乗って行った方が良いです。 ミーソン遺跡は、ベトナム中部クアンナム省に位置する、チャンパ王国時代(4世紀~13世紀)の宗教的・文化的な中心地であり、ヒンドゥー教寺院群の遺跡です。1999年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。 ミーソン遺跡は、4世紀頃に建設が始まり、最初の寺院はチャンパ王国の王、バドラヴァルマン1世によって建立されました。 ミーソン遺跡は主にヒンドゥー教の神シヴァを祀る寺院群で、チャンパの王族の聖地として利用されました。シヴァ神は「バドラシュヴァ(幸福のシヴァ)」という名で崇拝されていました。 チャンパ王国は交易で栄え、多くの文化や技術をインドや東南アジア諸国から取り入れ、独自の芸術や建築様式を発展させました。 ミーソンには約70もの寺院がありましたが、戦争や風化により現在は20以上が残っています。寺院群は谷間に点在しており、建物ごとに異なる神々が祀られていました。 煉瓦で構築されており、独特な接着剤を使用せずに煉瓦を密着させる技術が用いられました。この技術は未解明の部分も多く、現在でも注目されています。写真上部の古い部分が実は現代の技術で補修された箇所で、下のきれいな部分がミーソンの技術で残っている煉瓦です。現代の煉瓦の方が痛みが速く、ミーソンオリジナルは1000年以上経ってもきれいなままです。 インドの影響を受けた優美な塔(祠堂、チャム塔)が特徴的で、彫刻やレリーフにはヒンドゥー教の神話や宗教的モチーフが描かれています。 遺跡はAからGまでのグループに分けられています。Aグループは特に重要な宗教儀式が行われていた中心的エリアでしたが、戦争で大きな被害を受けました。 ベトナム戦争中、アメリカ軍の空爆により多くの建造物が破壊されました。現在もその痕跡が残っています。こちらの地面の窪みは空爆の爆発によるもので、先の塔は倒...

登呂遺跡:日本初の弥生時代の水田跡が発見された遺跡で弥生人の足跡をたどる

本日は、三保松原と登呂遺跡(とろいせき)を見学に静岡に来ました。同じ静岡市ですが、結構離れています。静岡駅で昼食をとったあと、登呂遺跡へ向かいました。 登呂遺跡は、静岡県静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落遺跡です。日本の弥生時代を語る上で欠かせない遺跡のひとつとして知られています。発見されたのは1943年(昭和18年)のことで、当時、軍需工場の建設が進められている最中に偶然見つかりました。その後の発掘調査によって、弥生時代の人々が暮らしていた住居や、稲作を行っていた水田跡などが明らかになりました。 登呂遺跡の最大の特徴は、日本で初めて弥生時代の水田跡が発見されたことです。用水路や田植えの跡が残っており、稲作を中心とした人々の暮らしがうかがえます。また、集落内には竪穴住居や高床倉庫があり、弥生時代の生活様式を具体的に知ることができます。これらの発見は、当時の稲作文化がどのように広まり、発展していったのかを考える上で非常に重要な手がかりとなりました。 現在、登呂遺跡は「登呂遺跡公園」として整備されており、復元された住居や水田を見ることができます。弥生時代の風景をそのまま再現したような光景が広がっており、訪れる人々に当時の生活を想像させてくれます。また、遺跡の隣には「静岡市立登呂博物館」があり、発掘された土器や石器、農具などが展示されています。ここでは、弥生時代の暮らしに関する詳しい説明があり、知識を深めることができます。 博物館では、火起こしや土器作りなどの体験プログラムも用意されており、実際に弥生時代の生活を体験することができます。子どもから大人まで楽しめる内容となっており、歴史を身近に感じることができるのが魅力です。 静岡市を訪れる際には、登呂遺跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。日本の古代史に触れ、弥生時代の人々の暮らしを体感することで、歴史の奥深さを改めて実感できるでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 おでん粉:おでんにかけてもご飯にかけてもおいしい 関連スポット リンク 静岡市立登呂博物館 国指定特別史跡 登呂遺跡:静岡市公式...

下野谷遺跡公園:武蔵野台地にひそむ縄文の気配

西東京市の地図を眺めながら、密を避けてスクーターで行ける行き先を探していた夏の日、まず目に留まったのは東伏見稲荷神社でした。東伏見駅近くにスクーターを止め、周辺をさらに拡大してみると、「下野谷遺跡公園」という文字がすぐ近くに現れます。遺跡という言葉には不思議な吸引力があります。炎天の午後でしたが、せっかくなので足を延ばすことにしました。 公園に着くと、静かな住宅街の一角に、縄文時代を想像させる小さな空間がぽっかりと現れます。目を引くのは復元された竪穴住居で、草屋根の丸いふくらみが、武蔵野台地の緑とよくなじんでいました。コロナ禍のさなかだったためか、住居の周囲には低い柵が巡らされ、内部に近づくことはできませんでしたが、入口の向こうに落ちる影を見つめていると、土の床に座して火を囲む人びとの気配までが立ちのぼってくるように感じます。そばには木組みだけを見せる小さな復元もあり、竪穴住居の構造が視覚的に理解できました。地面に掘り下げた円形の窪み、その上に木柱を組み、梁を渡して屋根を架ける——そんな基本の骨格がむき出しになっていて、教科書の図を立体で見るような楽しさがあります。 武蔵野の台地は、湧水や雑木林に恵まれた場所で、縄文人の生活の跡が点々と残ります。竪穴住居は、地面を掘り込むことで夏は涼しく冬は暖かい、素朴で理にかなった住まいでした。遠い過去の営みは遺物や土層の重なりから読み解かれますが、実物大の復元が目の前にあると、身体感覚で時間の厚みを確かめられるのが良いところです。残念ながら公園内に解説の充実した資料館は見当たらず、その日は外からそっと眺めるだけにとどめました。 ひとしきり遺跡の空気を吸い込み、次の目的地の東伏見稲荷神社へ向かいました。駅へ戻る道すがら、蝉の声が濃く重なります。社殿の朱が夏の光でいっそう鮮やかに見えるだろうと想像しながら、もう一度振り返って竪穴住居を確かめました。いつか落ち着いた頃に、中まで見学できる日が来ればと願います。 後で調べると、発掘で見つかった出土品は西東京市の郷土資料室に収められているようです。住居の復元で感じた気配を、器や石器の質感からもう一歩確かな像へと結び直すには、現物に触れるように見る機会が欠かせません。次は郷土資料室で遺物を見てから、再び公園を歩き、住まいのスケールや周囲の地形と照らし合わせてみたいと思います。遺跡公園は広大で...