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たばこと塩の博物館: 第45回夏休み塩の学習室 買い物ゲームで塩さがし!2024

今日も東京は30度を超える猛暑で、都内のたばこと塩の博物館に行きました。 たばこと塩の博物館は、名前の通り、たばこと塩をテーマとする博物館で、日本たばこ産業が運営しています。 たばこと塩は、大蔵省の外局の専売局が専売として担当した品目でした。専売局が専売した品目は他に樟脳(しょうのう)、アルコールなどがあります。 1949年(昭和24年)、専売局は日本専売公社に分離しました。 1985年(昭和60年)、日本専売公社は民営化され日本たばこ産業(JT)になりました。 たばこと塩の博物館は、1978年(昭和53年)に、日本専売公社によって東京都の渋谷区に設立されました。現在の博物館の前にあるモニュメントは、このときに制作されたモニュメントで、19世紀初めごろのスウェーデンのたばこ屋の看板が原形です。 2015年(平成27年)に老朽化のため、墨田区の現在の地に移転しました。 今の時期は子供たちの夏休みなので、企画展として「第45回夏休み塩の学習室 買い物ゲームで塩さがし!2024」が開催されていました。 塩と言えば、当然しょっぱい料理に使う食塩ですが、他に、そのまま一般工業で使用した理、ソーダ工場で薬品にする使い方があります。 食品用としては、味付け、ねばり、防腐・発行の役割があります。 味付けは、塩味をつけるために使われ、一般的によく知られています。 ねばりを出す使い方としては、かまぼこ、パン、うどんのコシなどに使われます。 防腐・発行の用途としては、味噌、しょうゆなどに使われています。塩じゃけも味付けだけでなく、防腐用途としても使われています。 一般工業での使われ方は、革製品のために、皮になめし加工をするために使われ、皮を革に加工するために使われます。 また、合成ゴムもゴムの粒からゴムを作るために利用されています。砂糖の生産にも使われています。 雪国で道路の凍結を防ぐために使用するのも、工業用途です。 ソーダ工業用としては、苛性ソーダ、塩素、ソーダ灰にして、他の製品になります。 苛性ソーダは、せっけん、紙、アルミ、セロハン、レーヨンなどの生産に使われます。原料の一部として使われたり、生産中の処理のために使われたりします。 塩素は、塩化ビニルになりプラスチック製品の生産に使われたり、ウレタン樹脂になりシート、塗料の生産に使われたり、漂白剤、水道水(殺菌)などの生産や原料に...

旧安田庭園:安田善次郎と江戸の面影

刀剣博物館の後、旧安田庭園(きゅうやすだていえん)にも寄りました。今日は最高気温38度の猛暑で、木陰で少し涼もうと思いましたが、そんなレベルの暑さではありませんでした。 東京・両国の喧騒から少し足を伸ばすだけで、静寂と緑に包まれた空間に出会える場所があります。それが、旧安田庭園です。この庭園は江戸時代後期に本庄松平氏の常陸国笠間藩主・本庄宗資 (ほんじょう むねすけ)の下屋敷の庭園として造られ、明治時代に安田財閥の創始者である安田善次郎(やすだ ぜんじろう)によって整備されたことで知られています。現在は東京都墨田区が管理する、入園無料の日本庭園として多くの人々に親しまれています。 本庄宗資は江戸時代中期から後期にかけて活躍した常陸国笠間藩の藩主であり、笠間藩約8万石を治めていました。本庄家は徳川幕府に仕える譜代大名として、幕政において重要な役割を担っていました。宗資は政治的な手腕だけでなく、文化や庭園造りにも深い関心を持っていたと考えられています。その証として、旧安田庭園は江戸の大名庭園の特徴を色濃く残しており、彼の美意識と統治理念が反映された空間となっています。 安田善次郎は、幕末から明治・大正時代にかけて活躍した実業家であり、安田財閥の創始者として知られています。1838年に現在の富山県高岡市で生まれ、商才に恵まれた彼は若くして江戸に出て両替商としてのキャリアをスタートさせました。明治維新後の経済変革期において、1876年に安田銀行(現在のみずほ銀行の前身)を設立し、金融業界で大きな成功を収めました。その後、不動産業や保険業など幅広い事業に進出し、安田財閥を日本四大財閥の一つにまで成長させました。 安田善次郎は事業だけでなく、文化財の保護や社会貢献活動にも積極的に取り組んでいました。その一環として、旧安田庭園を所有し、整備したことで知られています。もともと本庄宗資の下屋敷だったこの庭園を取得した善次郎は、美しい景観を維持しつつ、一般の人々にも楽しんでもらえるように工夫を凝らしました。彼の死後、庭園は東京市に寄贈され、現在は墨田区が管理する公園として多くの人々に親しまれています。 旧安田庭園の魅力は、都会の真ん中にありながらも、訪れる人々に心安らぐひとときを提供してくれるところにあります。庭園は池泉回遊式と呼ばれる形式で、中央には心字池と呼ばれる大きな池が広がり、...

刀剣博物館: 2024年度現代刀職展

今日も東京の気温は最高気温38度の猛暑なので、都内の刀剣博物館(とうけんはくぶつかん)に行くことにしました。 刀剣博物館は、1968年(昭和43年)に日本刀専門の博物館として渋谷区で開館しました。その後、2017年(平成29年)に一度閉館し、墨田区の旧安田庭園内に移転しました。 収蔵品は、日本の刀剣、刀装、刀装具、甲冑、金工資料など約190点で、刀剣類には国宝、重要文化財、重要美術品が含まれます。平安、鎌倉、南北朝期の古名作を中心に、様々な年代、流派の作品を収蔵しています。 現在は、「2024年度現代刀職展 ー今に伝わるいにしえの技ー」という展覧会を行っています。 これは、日本美術刀剣保存協会が毎年行っている現代刀職展の作品の紹介です。現代刀職展では、現代の刀職の方が技を競って、作品を発表しています。いくつかの部門があり、それぞれ賞が与えられています。高松宮記念賞のようなものから、努力賞もあります。 作刀(さくとう)の部。刀剣そのものを制作する工程。玉鋼(たまはがね)から、鍛錬や焼入れを行い刀剣を作る工程。写真は必ずしも優秀な賞を取ったものではなく、私がなんとなくで写真を撮ったものです。 彫金の部。鍔(つば)などの金具の技量を競う部門。日本刀は刀だけでなく、鍔や鞘(さや)も芸術的であるところが、他国の武器と違います。 柄前(つかまえ)の部。柄の製作工程。朴(ほお)の木で作成した柄木の上に鮫皮(エイの皮)を巻き、その上に組紐(くみひも)を菱形に巻いて、滑り止め効果をあげ手持ちをよくする工程。 刀装(とうそう)の部。拵(こしらえ)とも言われる、鞘に漆(うるし)を施し、柄(つか)には鮫皮などで装飾し、鍔や目貫(めぬき)などの金具をつけ、仕上げる工程。 白鞘(しらさや)の部。白鞘は刀身を保存するための鞘。休め鞘とも言われた。これは、他の博物館ではあまり見かけない珍しいもの。 他にもいくつかの部門がありました。 他に、江戸時代の真言宗の僧侶の慈雲(じうん)の書なども展示されていました。 一階では、刀づくりの工程や道具についての情報が展示されています。 旅程 両国駅 ↓(徒歩) 刀剣博物館 ↓(徒歩) 両国駅 周辺のスポット 墨田区立旧安田庭園 両国国技館 江戸東京博物館 すみだ北斎美術館 浅草寺 たばこと塩の博物館 清澄庭園 地域の名物 関連スポット リンク 刀剣博物館

東京スカイツリー:夜景に溶け込む伝統と革新、現代に蘇る江戸の一望屏風

晴れた夜に東京スカイツリーを訪れました。午後7時を過ぎていたこともあり、ライトアップされたタワーがひときわ美しく輝いていました。 案内に従ってエレベータに乗り込むと、まず目に入ったのが、天井付近の壁に施された和風の装飾です。現代的な建築物でありながら、こうした日本らしい意匠がさりげなく散りばめられていることに、東京スカイツリーならではのこだわりを感じます。 エレベータが静かに上昇し、展望デッキに到着しました。夜景はまさに圧巻で、無数の灯りが都心にきらめき、どこまでも続く光の海を眺めていると、東京という都市の広がりと力強さを実感します。 展望デッキ内を歩いていると、江戸一目図屏風が展示されていました。江戸の名所が一望できるこの屏風は、まさに現代の東京を見下ろす体験と重なり合い、時代を超えて同じ「眺める楽しみ」を味わっていることに気づかされました。 さらにもう一基のエレベータに乗り換え、今度は天望回廊へ向かいました。回廊はスロープ状になっていて、未来的な雰囲気に包まれています。ゆるやかなカーブを描きながら上昇していくと、目の前にどんどん広がっていく景色にわくわくします。 途中には宇宙服や衛星など、宇宙関連の展示もありました。東京スカイツリーがただの展望施設ではなく、科学や未来、そして人類の探究心を象徴する場でもあることを感じます。 地上から634メートルという高さまで駆け上がり、江戸から現代、そして未来や宇宙へと視点が広がる東京スカイツリー。夜の静けさの中、過去と未来が交差するような、印象深いひとときでした。 旅程 とうきょうスカイツリー駅 ↓(徒歩) 東京スカイツリー ↓(徒歩) とうきょうスカイツリー駅 関連イベント 周辺のスポット すみだ水族館 郵政博物館 たばこと塩の博物館 浅草寺 地域の名物 関連スポット リンク 東京スカイツリー TOKYO SKYTREE 東京スカイツリータウンについて|東京ソラマチ 東京スカイツリー®/東京の観光公式サイトGO TOKYO