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九州国立博物館:九州はアジアの玄関口?建築美も必見!

福岡市博物館の金印と太宰府天満宮を目当てに福岡県の博多に来ました。 地図で太宰府天満宮周辺を見たところ、九州国立博物館というのがあったので、軽い気持ちで寄ってみました。 国立博物館は、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館の4つあるそうです。国立「の」博物館は、国立科学博物館、国立民族学博物館、国立歴史民俗博物館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館、国立近現代建築資料館などがありますが、国立博物館と呼ばれているのは4つです。 九州国立博物館に近づくと、近代的な未来的な特徴の建物が現れ、今まで見てきた博物館と印象が違ったので驚きました。どちらかというと、美術館のような外観ですが、東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館が美術系博物館であるのに対して、九州国立博物館は歴史系博物館として設立されました。 2005年(平成17年)に設立され、他の3つの国立博物館より、かなり新しい博物館です。首都の東京、古代の都の奈良、京都にあるので、日本発祥の可能性の一つとして九州に古くからあるのかと思いましたが、京都国立博物館から108年ぶりに4番目の国立博物館として創設されたようです。 九州国立博物館には、約1,300件の収蔵品と、約1,300件の寄託品があり、常時800~900件を展示しています。 私は、縄文時代から古墳時代の作品が好きなので、写真を見るとその時代のものばかり残っていました。 縄文らしくない縄文時代の壺型土器。ひも状に延ばした粘土を「輪積み」や「巻上げ」といった方法で積み上げて作られました。 アジアとの関連するものも多く展示されています。 朝鮮半島で発掘された磨製石剣、石鏃で弥生時代のものと似ています。磨製石器という言葉はよく聞きますが、磨製石剣というのは初めて見ました。 縄文時代の編かご(あみかご)。設計図を残す方法が無い時代に、作り方は親世代から子世代へ伝承されたのでしょうか。 奈良時代の須恵器(すえき)多嘴壺(たしこ)。愛知県の猿投窯(さなげよう)で造られました。猿投窯では古墳時代から鎌倉時代の長期に渡って、埴輪や壺などが焼かれました。 各地の県立博物館はできるだけ寄るようにしていますが、国立博物館ともなると量も多いので圧倒されます。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 福岡空港(FUK) ↓(バス) 博多駅 ↓(福岡...

太宰府天満宮:学問の神様・菅原道真を祀る九州のパワースポット

昼にもつ鍋を食べた後、太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)に向かいしました。電車までは割とすいていましたが、受験シーズンだからか駅を降りたところで想像以上の人がいました。 福岡県にある太宰府天満宮は、全国の天満宮の総本社的な存在として知られ、学問の神様・菅原道真公(すがわら の みちざね)を祀る神社です。受験生をはじめ、多くの参拝者が学業成就を願い訪れる場所として有名です。 平安時代、菅原道真は学者でありながら政治家としても活躍していました。しかし、政争に巻き込まれ、京都から太宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなりました。その後、京都では天変地異が相次ぎ、道真の怨霊を鎮めるために天満宮が創建されることとなりました。現在の本殿は1591年(天正19年)に再建されたものですが、2023年(令和5年)から124年ぶりの改修が行われており、仮殿(かりどの)が使われています。 境内に足を踏み入れると、まず目に入るのが太鼓橋です。この橋は三つのアーチを持ち、それぞれが過去・現在・未来を表しているとされ、渡ることで心身を清められるといわれています。本殿に進むと、道真公ゆかりの「飛梅」があります。この梅の木は、道真が左遷された際、彼を慕って一夜にして京都から飛んできたという伝説が残されています。春には梅の花が美しく咲き誇り、訪れる人々の目を楽しませてくれます。 また、境内には宝物殿があり、菅原道真ゆかりの品々や歴史的な文化財が展示されています。さらに、すぐ近くには九州国立博物館があり、日本とアジアの文化交流に関する貴重な展示を見ることができます。太宰府天満宮を訪れた際には、ぜひ立ち寄ってみてください。 参拝の後には、名物の梅ヶ枝餅を楽しむのもおすすめです。もちもちとした生地に甘いあんこが包まれたこの焼き餅は、道真公にちなんで作られたとされ、境内の周辺には数多くのお店が並んでいます。また、地元で人気の太宰府バーガーも注目されています。 アクセスも便利で、西鉄の太宰府駅から徒歩5分ほどの距離にあります。福岡空港や博多駅から直通バスも運行しており、観光客にとって訪れやすい立地です。ただし、特に受験シーズンには多くの人が訪れるため、混雑を避けるなら早朝や平日が狙い目です。 太宰府天満宮は、学問の神様にお参りするだけでなく、歴史や文化を感じながら楽しめる魅力的な場所です。春の梅、秋の紅葉、冬の...

福岡タワー:都市と海が溶け合うパノラマ

 福岡市博物館で金印や地域の歴史に触れたあと、背後にそびえる福岡タワーへ向かいました。館の落ち着いた空気から一歩外へ出ると、ガラスの外装が空の色を映す三角柱の塔が思いのほか近く、足元の芝生と海風が「海辺のシンボル」の顔をして迎えてくれます。 エレベーターで展望階まで一気に上がると、視界は一気に開け、博多湾のゆるやかな弧と、規則正しく並ぶ百道浜の街並みが広がりました。ほぼ快晴で、ところどころに浮かぶ薄い雲が海面に淡い影を落とし、街の輪郭をやさしく際立たせていました。 海側に目を移すと、浜の沖に小さな人工島が見えます。百道浜の海上に築かれたリゾート施設「マリゾン」で、桟橋が伸び、白い建物が水面に浮かぶように佇んでいました。砂浜を歩く人の列や、海沿いを行き交うランナーの姿も小さく動き、冬の午後の穏やかさが上からでも伝わってきます。西へ視線を滑らせば、能古島や志賀島までが重なり、内海のように穏やかな博多湾の地形が一望できました。 この塔は1989年に開業しました。アジア太平洋博覧会「よかトピア」で整備が進んだ百道エリアのランドマークとして誕生し、全高234メートルという日本有数の高さを誇る海浜タワーです。三角形の断面をもつ外観は、約8,000枚のハーフミラーで覆われ、季節や時間帯によって表情を変えます。都市の近代化を象徴する建築でありながら、海と空を写し込むことで周囲の風景に溶け込む、その設計思想が上からの眺めにも感じられました。 展望階をひと巡りしていると、先ほどまでいた福岡市博物館の屋根が見えました。古代の金印から近現代の都市景観へ、わずかな移動で時空をまたいだ気分になります。歴史資料が語る遠い昔の福岡と、ガラスの塔が映す現在の福岡。その連続性を思うと、街は常に海とともに形を変え続けてきたのだと実感します。エレベーターで地上に戻ると、夕日の色が塔のガラスに滲みはじめていました。短い寄り道でしたが、海風と光に包まれた展望の時間は、旅程の中でいちばん「福岡らしさ」を凝縮していたように思います。 旅程 羽田空港 ↓(飛行機) 福岡空港(FUK) ↓(バス) 博多駅 ↓(福岡市地下鉄空港線) 西新駅 ↓(徒歩) サザエさん通り/磯野広場 ↓(徒歩) 福岡市博物館 ↓(徒歩) 福岡タワー ↓(徒歩) 西新駅 ↓(福岡市地下鉄空港線/西鉄天神大牟田線/西鉄太宰府線) 太宰府...

福岡市博物館:国宝「金印」からアジアとの交流を学ぶ

本日のメインの目的の金印を見るため、福岡市博物館(ふくおかしはくぶつかん)に来ました。博物館に入ってみると、朝早めの時間にも関わらず女性が並んでいます。受付と書かれていたので、人気があるんだなあ、と思いながら、よく確認もせずに並んで入ったところ、特別展の「美少女戦士セーラームーン ミュージアム」でした。先に進めば金印があると思い、先に進みましたが出口に来てしまい、金印を展示している常設展は別でした。料金も別々だったので、少し失敗しました。 福岡市博物館は、福岡の歴史や文化を深く知ることができる施設です。早良区のシーサイドももち地区に位置し、美しい海岸線を望むロケーションにあります。歴史や美術に興味がある方はもちろん、福岡の成り立ちや特色を学びたい方にもおすすめの場所です。 博物館のなかでも特に注目を集めるのが、国宝「金印」です。この金印は、江戸時代に志賀島で発見されました。表面には「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という文字が刻まれており、『後漢書』に記された、後漢の光武帝が倭の使者に授けた印章とされています。実物は驚くほど小さいながらも、二千年近い歴史を持つ貴重な遺物として、多くの来館者が訪れます。 また、福岡藩主・黒田家に関連する展示も見どころの一つです。戦国時代から江戸時代にかけて活躍した黒田長政の甲冑や、名槍「日本号」など、歴史好きにはたまらない品々が展示されています。福岡が武士の町として栄えてきた歴史を感じることができます。 さらに、福岡は古くから中国や朝鮮半島との交易が盛んな土地でした。博物館ではその交流の歴史を学ぶことができ、遣唐使や日宋貿易、さらに江戸時代の長崎貿易といったテーマの展示も充実しています。博多祇園山笠や、福岡の祭りについての展示もあり、地域の文化に触れることができます。 常設展示に加え、定期的に企画展や特別展が開催されているのも魅力のひとつです。国内外の美術品や歴史資料をテーマごとに紹介し、訪れるたびに新しい発見があります。最新の企画展情報は、博物館の公式サイトをチェックすると良いでしょう。この日の特別展は、「美少女戦士セーラームーン ミュージアム」でした。 福岡市博物館は、福岡市地下鉄「西新駅」から徒歩約15分の場所にあります。バスを利用すれば、博物館のすぐそばまで行くことも可能です。周辺には福岡タワーやももち浜といった観光スポ...

サザエさん通り/磯野広場(福岡県福岡市):福岡の海辺に息づくサザエさんの記憶

西新駅を出て福岡市博物館へ向かう途中、ふと視界に「サザエさん通り」の大きな看板が飛び込んできました。サザエさんといえば、世田谷・桜新町のイメージが強かったので、「福岡にもサザエさん?」と少し不思議な気持ちになりながら歩き始めました。 脇山口交差点からシーサイドももち海浜公園の入り口まで、約1.6キロ続くこの道が「サザエさん通り」です。沿道には、西南学院大学や修猷館高校、西新小学校といった学校が並び、さらに福岡市博物館や福岡市総合図書館、福岡タワーなどの文化・観光施設へとつながっていきます。 学生と観光客が行き交う、にぎやかでありながらどこかのんびりした空気が漂っていました。 しばらく歩くと、道路脇に小さな広場が現れました。名前は「磯野広場」。その名の通り、ここがサザエさん一家の「磯野家」と深く結びついた場所です。広場の一角には、サザエさん、かつおくん、わかめちゃんの銅像が仲良く並び、いつもの明るい表情で迎えてくれます。記念撮影にちょうど良い大きさで、思わずこちらも笑顔になります。 銅像の横には、長谷川町子さんの生誕100周年を記念した説明板がありました。そこには、佐賀県多久に生まれた長谷川町子さんが、幼少期から高校時代までを福岡で過ごしたこと、戦争中に再び疎開して西新に住んでいたことが紹介されています。 散歩コースだった百道の海岸を歩きながら、サザエ・カツオ・ワカメなど、海にちなんだ名前のキャラクターを思いついたそうで、「サザエさんは福岡の海から生まれた」という言葉が急にリアルなものとして胸に入ってきました。 今では埋め立てが進み、高層ビルや住宅が並ぶシーサイドももちですが、かつてこのあたり一帯が海だったことを思うと、磯野広場の大きな石やカニのオブジェも、ただの装飾ではなく「かつての風景の記憶」をとどめる装置のように見えてきます。 サザエさん通りを歩きながら、その歴史を少しずつ知っていくと、東京・桜新町のあの町並みとは別の、「もうひとつのサザエさん」の姿が浮かび上がってきます。戦後間もない1946年、福岡の新聞「夕刊フクニチ」で連載が始まった当初、サザエさん一家は福岡在住という設定だったこと。 長谷川町子さん自身の、おてんばな少女時代の記憶がサザエさんのキャラクターに重ねられていること。日曜日のテレビアニメで見るおなじみの世界の背後に、福岡の海風や路地の空気が確かに...