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Ancient Amphitheatre of Carthage(カルタゴ古代円形闘技場):

チュニジア観光の2日目に、カルタゴのAncient Amphitheatre of Carthageを訪れました。朝からカルタゴ遺跡を巡り、カルタゴ博物館やアントニヌス浴場を見たあと、タクシーでこの円形闘技場へ向かいました。カルタゴの遺跡は広い範囲に点在しており、地図を見ても「Ancient Amphitheatre of Carthage」のように、Ancientから始まる説明的な名前がいくつも並んでいます。アントニヌス浴場のように固有名詞として覚えやすい名前がもう少し付いていれば、旅人には助かるのにと思いながらの移動でした。 Ancient Amphitheatre of Carthageは、日本語にすると「カルタゴ古代円形闘技場」といった意味になります。カルタゴというと、ハンニバルやポエニ戦争に代表されるフェニキア系都市国家のイメージが強くありますが、現在残る遺跡の多くは、その後に築かれたローマ時代のカルタゴに関わるものです。カルタゴは紀元前146年にローマによって滅ぼされましたが、のちにローマ都市として再建され、北アフリカにおける重要な都市となりました。この円形闘技場も、そうしたローマ時代の都市生活を伝える遺構の一つです。 入口から少し道を進むと、木々に囲まれた場所に円形の遺跡が現れました。周囲に木が生えているため、かつて森のようになっていた場所を掘り起こしたのではないかと思わせる雰囲気があります。アントニヌス浴場のように巨大な柱や壁が強く印象に残る遺跡とは違い、ここでは地面に残された円形の構造から、かつての闘技場の姿を想像するような見学になりました。 闘技場の中央には、少し低い位置に通路のような空間がありました。そこを見ていると、剣闘士や動物、あるいは舞台装置のようなものが地下から現れたのではないかと想像が広がります。ところどころには地下へ続く入口のような場所もあり、古代ローマの見世物がどのように演出されていたのかを考えさせられました。 通路の先の方には白いらせん状の柱もあり、現在は断片的に残るだけの遺構の中に、かつての装飾や構造の名残を感じることができました。 カルタゴ遺跡をいくつか巡っていると、ひとつひとつの遺跡が単独で存在しているというより、古代都市の断片を少しずつ拾い集めているような感覚になります。博物館で全体像を見て、浴場で都市の規模を感じ、円形...

アントニヌス浴場:円柱とアーチが語る、カルタゴで出会う遥かな時の風景

チュニジアを旅して二日目、私はカルタゴのアントニヌス浴場を訪れました。 前日の興奮がまだ冷めやらぬ中、晴れ渡る空の下での観光となりました。この日はカルタゴのビュルサの丘を見学し、古代都市の息吹を感じた後、徒歩で海岸まで足を運び、地中海の青さにしばし心を奪われました。 海沿いを歩いていくと、やがて目指すアントニヌス浴場が姿を現します。 入口付近には、南国ならではの背の高い木々が生い茂っており、まるで異国情緒あふれる門をくぐるような気持ちで敷地内へと足を踏み入れました。 視界が開けると、そこには広大な遺跡が広がっていました。古代ローマ時代に築かれたこのアントニヌス浴場は、2世紀頃に建設されたと伝えられており、その規模は北アフリカ最大級といわれています。地元の人々だけでなく、当時は地中海世界各地から訪れる人々で賑わっていたそうです。 遺跡内には、どの建物が何であったのか分からないものも多く、ローマ時代の巨大な円柱やアーチ状の通路、そして柱に施された細やかな装飾の数々が、時の流れを超えて今もなお人々を魅了しています。説明板を読みながら、かつてこの地でどのような人々が集い、語り合い、身を清めていたのかを想像するのはとても楽しい時間でした。 壮大な遺構を眺めていると、日常から切り離されたような静けさと、2000年前のローマ人たちの活気が同時に感じられ、不思議な感覚に包まれます。建物の一つ一つに当時の繁栄と洗練が色濃く残り、見上げるほどの高さの円柱や、堂々たるアーチをくぐるたびに、古代ローマの技術と美意識の高さを実感せずにはいられません。 海を背にしたアントニヌス浴場で過ごすひとときは、チュニジア観光の中でも特に印象的な思い出となりました。遺跡に吹く潮風や、南国の太陽に照らされた石のぬくもりとともに、遥かなる歴史を肌で感じることができる、特別な場所です。 旅程 ホテル ↓(徒歩) チュニス駅 ↓(タクシー) ビュルサの丘/カルタゴ博物館 ↓(徒歩) セントルイス大聖堂 ↓(徒歩) アントニヌス浴場 ↓(タクシー) Basilica of Damous El Karita ↓(タクシー) (略) ↓(タクシー) Ancient Theatre of Carthage ↓(タクシー) Ancient Amphitheatre of Carthage(カルタゴ古代円形闘技場) ↓(タク...

セントルイス大聖堂(カルタゴ):フランス王ルイ9世を偲ぶ大聖堂

カルタゴ博物館の後、すぐ近くのセントルイス大聖堂に向かいました。全体の写真を撮りたいと思っていたところ、続々とバスが来て、あっという間に前をふさいでしまいました。カルタゴ博物館のツアー客用のバスの待機場になっているのかもしれません。見た目も遠くから目立つ大聖堂で、それなりに古いもので写真映えしそうなのにもったいない。 カルタゴの丘の上に佇むセントルイス大聖堂は、かつてチュニジアにおけるカトリック信仰の象徴的な存在でした。フランスの植民地時代に建てられたこの大聖堂は、フランス王ルイ9世(聖ルイ)を記念して1884年から1890年にかけて建設されました。 建築様式は、新ビザンティン様式とゴシック様式が融合した独特のデザインとなっており、白と黄褐色の外観が特徴的です。内部には美しいアーチやステンドグラス、装飾的な柱が施され、かつての荘厳な雰囲気を感じさせます。 ルイ9世は第8回十字軍でチュニジアを訪れ、1270年にカルタゴで病死したと伝えられています。そのため、この大聖堂は彼の名を冠し、フランスとチュニジアの歴史的な結びつきを象徴する建築物となりました。 しかし、チュニジアが1956年に独立すると、カトリック教会の影響力が弱まり、大聖堂は宗教施設としての役割を終えることになりました。現在は「Acropolium de Carthage」として文化センターに生まれ変わり、コンサートやイベントが開催されています。 この大聖堂はカルタゴ遺跡の丘の上にあり、遺跡を一望できる絶好のロケーションにあります。訪れると、壮麗な建築とともに、カルタゴの歴史の重みを感じることができます。宗教施設としての役割は終えましたが、今もなお文化と歴史を伝える大切な場所となっています。 カルタゴを訪れた際には、ぜひこのセントルイス大聖堂にも足を運んでみてください。歴史と文化が交差するこの場所で、かつての時代の息吹を感じることができるでしょう。 ルイ9世 ルイ9世(Louis IX)は1214年4月25日に生まれたフランスの王様で、「聖王(サン・ルイ)」とも呼ばれています。彼はわずか12歳でフランスの王位につきましたが、幼い頃は母親であるブランシュ・ド・カスティーユ(Blanche de Castille)が摂政として国を支えました。 成長したルイ9世は非常に敬虔なキリスト教徒で、その信仰心は政治にも深く...

ビュルサの丘/カルタゴ博物館:フェニキアからローマへ、地中海に眠る古代都市の記憶

チュニス駅からタクシーでカルタゴに向かいビュルサの丘(Byrsa)で降ろしてもらいました。 ビュルサの丘は、チュニジアのカルタゴに位置する歴史的な丘で、カルタゴの中心部として非常に重要な役割を果たしていました。この丘は、カルタゴの都市建設の初期段階から戦略的な拠点とされ、政治、宗教、軍事の中心地として機能しました。 ビュルサの丘は、カルタゴ建設の伝説にも登場します。カルタゴはフェニキア人の植民都市として、ティルス(現代のレバノン)から移住した人々によって紀元前814年頃に設立されたとされています。女王ディードー(Dido、幼名エリッサ、Elissa)がカルタゴを建設する際、この丘を都市の中心として選んだとされています。 ポエニ時代には、ポエニ人(ラテン語でフェニキア人のカルタゴ住民のこと)は、この丘に強力な要塞を築きました。都市の行政と軍事の中心地として、カルタゴの元老院や主要な神殿がここに設置されていました。 カルタゴの歴史においてローマとの戦争(ポエニ戦争)は特筆すべきものです。第一次ポエニ戦争(紀元前264–241年)は、シチリア島の支配を巡り争い、カルタゴは敗北し、シチリア島を失いました。 第二次ポエニ戦争(紀元前218–201年)では、ハンニバルの活躍が特に有名です。彼は象を伴ってアルプス山脈を越え、ローマに脅威を与えましたが最終的に敗北しました。 第三次ポエニ戦争(紀元前149–146年)では、ビュルサの丘がカルタゴの最終防衛拠点となり、激しい戦闘が繰り広げられました。戦争の末、ローマ軍によりカルタゴが破壊された際、この丘も破壊されました。生存者は奴隷として売られました。 紀元前44年、ローマの指導者ユリウス・カエサルによってカルタゴの都市は再建されました。カルタゴ再建後、ビュルサの丘はローマ時代の都市設計に取り入れられ、新しい公共施設や神殿が建設されました。 4世紀以降、カルタゴはキリスト教の重要な拠点となり、教会会議(カルタゴ会議)も開催されました。 現在のビュルサの丘の上からはカルタゴの遺跡や地中海を見渡すことができます。防衛上の要地として利用された理由が分かる場所です。 1979年にユネスコの世界遺産「カルタゴ遺跡」の一部として登録され、観光客が多く訪れる場所です。 ビュルサ(Byrsa)の語源には、興味深い伝説が関連しています。フェニキア語で「...