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心蓮社:遠州流の美にひたる隠れた書院庭園

金沢百万石まつりの日に、朝からいくつかの寺社を巡った後、心蓮社を訪れました。金沢の中でも、あまり観光客で賑わう場所ではない心蓮社は、静かで落ち着いた雰囲気が漂っています。 心蓮社の庭園は、金沢市の名勝にも指定されており、遠州流庭園の「めでた造り」と呼ばれる築山池泉式の書院庭園です。遠州流といえば、江戸時代初期に小堀遠州が確立した庭園様式で、調和や祝意を込めた造りが特徴とされています。ただ、心蓮社の庭は想像よりもこぢんまりとしており、訪れた際は池も見当たらず、庭の全容を楽しむことができませんでした。 後から調べてみると、名勝に指定されているのは裏庭であり、一般の通路からは案内がなく、たどり着くのが難しい場所だったようです。せっかく訪れたのに、肝心の裏庭を見ることができなかったのは残念でしたが、次回金沢を訪れる際には、ぜひ裏庭にも足を運びたいと思います。 金沢の寺社巡りは、有名な場所だけでなく、こうしたひっそりと佇む歴史ある庭園を持つ寺院にも、新たな発見があります。心蓮社は、その静かな美しさと、少しだけ“探す楽しみ”を残してくれる場所でした。 旅程 (略) ↓(徒歩) 全性寺 ↓(徒歩) 月心寺 ↓(徒歩) 心蓮社 ↓(徒歩) 金沢百万石まつり ↓(徒歩) (略) 周辺のスポット 月心寺 全性寺 リンク 心蓮社|観光・体験|【公式】金沢の観光・旅行情報サイト|金沢旅物語 心蓮社庭園/金沢市公式ホームページ いいね金沢 心蓮社(しんれんしゃ) | 金沢 寺社仏閣めぐり 心蓮社と桜 | 金沢観光推進委員会

月心寺:前田家の都で、茶の湯の面影に耳を澄ます

金沢百万石まつりを見に石川県金沢市を訪れています。混雑を避けて少し早めに市内の寺院を歩きました。空気がまだひんやりとして、通りの提灯や旗が日差しに揺れるのを眺めながら、ふと立ち寄ったのが月心寺(げっしんじ)でした。門をくぐると町中のざわめきが遠のき、石畳に落ちる木陰だけが時間の流れを知らせてくれるようでした。 この日の散策では、祝祭の華やぎの向こうに、震災の爪痕も確かに感じました。能登の被害が大きく注目されていますが、金沢でも屋根や塀にブルーシートがかけられた家がところどころに見え、影響は小さくありませんでした。月心寺の門の写真にも、修繕を待つかのように小さなブルーシートが写り込んでいました。観光の足取りと同じ道を、復旧に向けて働く方々の時間が流れていることを思い、頭が下がる思いがします。 月心寺には、茶道裏千家の祖とされる仙叟宗室の墓があると伝わります。利休から続く千家の流れの中で、裏千家は「宗室」を名乗る家元の系譜を受け継ぎ、武家文化とともに茶の湯を生活の作法へと磨き上げてきました。加賀の地は、前田家の保護のもとで文化が花開いた土地柄でもあり、工芸や茶の湯が重層的に息づいています。百万石まつりが初夏に行われるのも、この街が育んだ歴史の厚みを思い出させてくれます。 境内をゆっくり歩くと、門前に控えめな石碑が目に留まりました。案内には歌碑があると記されていたのですが、どれがそれに当たるのか確信が持てません。石肌に刻まれた文字は風化していて、近づいても一気に読み解けるものではありませんでした。けれど、茶人の生涯や加賀に根づいた作法への敬意が、静かな佇まいの中に自然と立ち上ってくる気がします。墓所のある寺というのは、史実の説明よりも先に、足音の響きや木の匂いで人物像を伝えてくれるのだと感じました。 祭りを前にした朝の境内は、人影もまばらで、小鳥の声だけがよく通りました。やがて市街地に戻れば、加賀友禅の色彩や甲冑行列の気迫に包まれるのでしょう。その前に、茶の湯の祖を偲ぶ静けさと、復旧を待つ青い布の色とに心をとどめる時間を持てたことは、祝祭の一日を支える「余白」を与えてくれました。次に訪れるときは、石碑の文字をもう少し丁寧に読み、歌碑の所在も確かめたいと思います。歴史を辿ることは、華やかな見どころを集めるだけでなく、こうした小さな疑問や祈りに立ち止まる時間そのものを味わうこ...

那谷寺

今日は旅行業務取扱 管理者の試験勉強で学んだ 粟津温泉と那谷寺に来ました。 ウォーキングを兼ねているので私は徒歩で来ましたが、周辺の観光スポットと距離があるのでバス、タクシー、自動車で来ることをお勧めします。 創建は奈良時代の養老元年(717年)で1300年以上の歴史があります。 奇岩遊仙境は非常に見応えがあります。向かいの高い位置に展望できる場所があり、そこから眺めることもできます。 苔もとても手入れされており、静かで穏やかな時間を過ごせます。 芭蕉も句を詠んでいます。 「石山の石より白し秋の風」 旅程 東京 ↓(新幹線) 小松駅 ↓(電車) 粟津駅 ↓(徒歩) 日本自動車博物館 ↓(徒歩) 粟津温泉 ↓(徒歩) 加賀伝統工芸村 ゆのくにの森 ↓(徒歩) 那谷寺 ↓(徒歩約1時間) 動橋駅 周辺のスポット 粟津温泉 加賀伝統工芸村 ゆのくにの森 日本自動車博物館 地域の名物 関連スポット リンク 那谷寺(なたでら)白山信仰自然智の森・高野山真言宗別格本山 那谷寺|スポット|【公式】石川県の観光/旅行サイト「ほっと石川旅ねっと」 那谷寺の魅力を徹底解説!御朱印や紅葉も必ずチェック|特集|こまつ観光ナビ - 小松市公式観光情報サイト

中谷宇吉郎 雪の科学館

片山津温泉総湯に入ったあと、中谷宇吉郎 雪の科学館に行きました。 中谷宇吉郎さんは名前を聞いたことがなく、片山津温泉からのウォーキングの目的地としてちょうど良い位置にあったため来たのですが、雪や人工雪ついて、もちろん中谷宇吉郎さんについても学ぶことができ、良い体験ができました。 中谷宇吉郎さんは北海道大学で雪や人工雪の研究をされていた方で、ここ片山津温泉の出身です。 ここにも1月の能登半島地震の影響があり、本来とは別の入り口から入りましたが、展示や映像、実験は普通に行われていました。 天窓は雪の結晶でしょうか。 実演で人工雪を作るところを見せてくれました。説明も分かりやすく、みんなが写真を撮りたいだろうところは事前に言ってくれたりと、とても見ごたえがありました。 能登半島の地震があまりにひどいので、この辺りの方々は「この辺の被害はたしたことない」と言われていましたが、公園のあちこちで土が盛り上がっていたり、建物の外壁がくずれていたりと、生活には支障がないにしても修理にそれぞれ何十万、何百万円と必要で普通なら「大丈夫ではない」状態でした。(もちろん観光するには安全で全然問題ありません) 観光や寄付、ふるさと納税などで少しずつ貢献していきたいと思います。 旅程 東京 ↓(新幹線+特急) 加賀温泉駅 ↓(バス) 加賀片山津温泉 総湯 ↓(徒歩) 瑠璃光山 愛染寺 ↓(徒歩約15分) 中谷宇吉郎雪の科学館 ↓(バス) 加賀温泉駅 周辺のスポット 加賀片山津温泉 総湯 瑠璃光山 愛染寺 地域の名物 関連スポット リンク 中谷宇吉郎 雪の科学館

片山津温泉

1月に起きた能登地震の復興の応援も兼ねて加賀の片山津温泉に来ました。 片山津温泉は、加賀(加賀市、小松市)にある粟津温泉、山代温泉、山中温泉と4つで加賀温泉郷、関西の奥座敷と呼ばれています。 片山津温泉は、江戸時代の1653年(承応2年)に、加賀国江沼郡(えぬまぐん・えぬのこおり)にの大聖寺藩(だいしょうじはん)の第二代藩主の前田利明(まえだ としあき)が加賀三湖の一つ「柴山潟」に鷹狩に訪れた際に、湖底に温泉が湧出していることに気づいたことが始まりと言われています。前田利明やその後の幾人の手によって温泉開発が行われましたが、湯源を確保することができませんでした。 1876年(明治9年)に、柴山潟で、松材三万本を使用し、埋め立て面積一町歩(約1ヘクタール)に及ぶ大規模な埋め立て工事が行われ、柴山潟の一部を埋め立てられました。その工事で造成された人工島に架橋されて温泉が利用できるようになりました。 翌1877年(明治10年)に片山津で初の温泉旅館が開業しました。 1882年(明治15年)、源泉が確保され開湯しました。 片山津温泉には、温泉旅館やホテルもありますが、今回は日帰りで入浴できる加賀片山津温泉 総湯に来ました。 2012年にできたばかりで、2階には軽い食事ができる場所もあり、きれいな施設です。2階の屋上からは、裏に広がる柴山潟(しばやまがた)が眺められます。柴山潟は加賀三湖の一つです。 加賀片山津温泉 総湯の近くの砂走公園には、足湯もあります。 柴山潟に突き出た浮御堂は、能登地震の影響で途中の道が通行止めになっていました。 道の途中で、話しかけていただいた人は、一部地震の被害を受けた家やホテルがあるが、全体としては全然大丈夫と言われていましたが、建物の壁が崩れていたり、道が盛り上がっていたりして、能登ほどではないにしても、たいへんな状態だということが分かりました。 旅程 東京 ↓(新幹線+特急) 加賀温泉駅 ↓(バス) 加賀片山津温泉 総湯 ↓(徒歩) 瑠璃光山 愛染寺 ↓(徒歩約15分) 中谷宇吉郎雪の科学館 ↓(バス) 加賀温泉駅 関連イベント 周辺のスポット 中谷宇吉郎 雪の科学館 瑠璃光山 愛染寺 地域の名物 関連スポット 粟津温泉 山代温泉 山中温泉 リンク 片山津温泉観光協会公式サイト 加賀市の観光施設 カフェも併設|片山津温泉総湯 公式サイト | ...

金沢城公園:庭園の静寂、庭園の水面に映る加賀の静けさ

春の気配が少しずつ感じられる本日、金沢を訪れました。尾山神社の和洋折衷の独特な神門をくぐり、静かな境内を歩いた後、私はその足で金沢城公園へと向かいました。 鼠多門からの入場です。再建されたばかりの鼠多門橋を渡ると、加賀藩ゆかりの往時の風情がそこかしこに感じられました。 門を抜けた先で広がるのは、整えられた玉泉院丸庭園。池泉回遊式庭園の姿に心をなごませながら、園内を歩いていると、弟から一通のメッセージが届きました。開いてみると、先週生まれたばかりの姪の写真。生まれたばかりの小さな命がスマートフォンの画面に笑みを浮かべているようで、その瞬間、風景以上に心があたたかく満たされたのを覚えています。 玉泉院丸庭園の一角には、旧第六旅団司令部庁舎が立っています。明治期の軍の歴史を伝えるこの建物は、かつての近代化の一端を担っていたことを思わせる静かな佇まいでした。 そこから金沢城の中心部、菱櫓や五十間長屋、橋爪門続櫓などの復元建造物を見学しました。内部に入ると、展示によって再建の工法や歴史的な背景が丁寧に解説されており、ただの復元建築にとどまらない、時代をつなぐ意志を感じました。木組みの美しさや石垣の工夫には、加賀百万石の力と知恵が今も息づいているかのようです。 見学のあとは、鶴丸倉庫を見て回り、再び外へ出て橋爪門を正面から眺めました。そして、百間堀跡をたどりながら、兼六園へと歩を進めます。江戸と明治、自然と人工、歴史と現在が折り重なるこの道のりは、ただの観光ではなく、時間の流れの中に身を置くような体験でした。 金沢の空の下、静かに揺れる庭園の水面と、生まれたばかりの姪のまなざしとが、心の中で重なり合った一日でした。歴史の中を歩きながら、新しい命と向き合う──そんな春の訪れを、私は金沢で迎えました。 金沢城 金沢城は、石川県金沢市の中心に位置する歴史的な城郭で、加賀百万石を誇った前田家の居城として知られています。その威容は現在もなお、兼六園と並ぶ観光名所として多くの人々を惹きつけています。 この城の起源は戦国時代にさかのぼります。もともとは一向一揆勢が拠点としていた尾山御坊(おやまごぼう)という宗教施設でしたが、1580年(天正8年)に織田信長の命を受けた佐久間盛政(さくま もりまさ)によって攻略され、その跡地に金沢城が築かれました。後に豊臣秀吉の配下であった前田利家(まえだ と...