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歌舞伎座:秀山祭九月大歌舞伎「通し狂言 菅原伝授手習鑑」

歌舞伎座で「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の夜の部を拝見しました。演目は後半の名場面「車引」「賀の祝」「寺子屋」の三つ。最初の「車引」はおよそ30分、勢いよく駆け抜けて幕が下り、続く休憩が長いのだろうかと思っていると、「賀の祝」は1時間15分、「寺子屋」は1時間15分と、後になるほど物語が深まり時間も長くなる構成でした。すべての上演がこの配列とは限らないのでしょうが、序章でぐっと引き込み、家族の情と義に踏み込んでいく弧を描くようで、面白い設計だと感じました。 「菅原伝授手習鑑」は江戸中期に人形浄瑠璃として生まれ、ほどなく歌舞伎にも移されたとされる時代物で、「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」と並ぶ三大名作の一つと言われます。学問の神として親しまれる菅原道真(劇中名は菅丞相)にまつわる伝説をもとに、政争と陰謀、そして庶民の暮らしの中で交錯する「恩」と「義」を描きます。上演は長大な全体から見せ場を抜き出す形が多く、今回の三場も、それぞれ性格の異なる味わいがありました。 「車引」では、荒事の力強さと見得のきまり手が舞台を一気に熱くします。筋書きを買う前は人間関係の細部が掴みきれず、勢いに圧倒されるばかりでしたが、相関図を眺めると、梅・松・桜の三兄弟がそれぞれの主君や立場に引き裂かれていく苦さが見えてきます。「賀の祝」になると祝言の華やかさの裏にひそむ不安が顔を出し、誰もが笑っていても、次の犠牲の気配が静かに忍び寄る気配を感じました。そして「寺子屋」。ここでは舞台が一段と息を詰めた空気に変わり、庶民の暮らしの場で、名もなき者が背負う決断の重さが、抑えた所作と台詞の間でにじみます。途中から登場して微動だにしない役があり、初見では何気なく眺めてしまいそうですが、筋書きの「役の難しさ」を読んで、動かずに時間を支える存在感もまた技なのだと気づかされました。静と動、語る声と沈黙の時間が、同じだけ物語を運ぶのだと実感します。 今回、事前にパンフレットで粗筋を追っていたつもりでしたが、実際の舞台は人物の色、衣裳の文様、音楽の拍、役者の呼吸が重なって物語が立ち上がります。幕間に筋書を手に入れ、役者ごとの見どころや型を知ってから観ると、同じ台詞でも響き方が変わりました。特に「寺子屋」の結末に向けて、ひとりの親としての情と、家に仕える武士の義がぶつかる瞬間、客席に広がる静けさが...

日本銀行金融研究所 貨幣博物館:銭から紙幣へ、めぐる日本の通貨物語

 曇りがちな空に雨の気配が漂うある日、午前中は靖国神社と遊就館をめぐり、将門塚に立ち寄ったのち、午後は日本橋の日本銀行金融研究所 貨幣博物館(かへいはくぶつかん)を訪れました。東京の中心にありながら、静けさと重みを感じさせるこの博物館は、まるでお金の歴史を通して日本の時間そのものを辿る場所のように感じられました。 貨幣博物館では、古代から現代にいたるまでの日本の貨幣の変遷を学ぶことができます。その背景には、単なる経済的な制度だけでなく、人々の暮らしや価値観の変化、国際情勢とのかかわりが色濃く映し出されていました。 古代の展示では、富本銭(ふほんせん)や和同開珎(わどうかいちん)といった初期の貨幣に加え、円形に方孔を持つ開元通宝(かいげんつうほう)などが紹介されていました。日本でも一時期は写経所(しゃきょうじょ)を中心とした国家的な宗教事業と結びつけて貨幣が使われましたが、しばしば「銭離れ」が起こり、米や絹といった実物財が交換の手段として重んじられる時期もあったようです。 中世に入ると、日本は自国で通貨を発行せず、主に中国の宋・元・明などの渡来銭が流通するという独特のスタイルが続きました。市の発達とともに有徳人と呼ばれる裕福な層が現れ、貨幣による商取引が活発になります。また、代銭納や撰銭といった制度も生まれ、徐々に「お金で納める」という発想が人々の生活に浸透していったようです。 そして、近世には徳川家康による貨幣の統一が大きな転換点となります。天正菱大判(てんしょうひしおおばん)や慶長小判といった金貨、銀貨が登場し、「金は天下のまわりもの」という言葉通り、貨幣が経済の血流として社会を循環していきました。石見銀山(いわみぎんざん)をはじめとする鉱山の開発は、この時代の経済活動を支えた柱の一つです。また、藩札や私札の発行、偽札防止の技術、両替屋の役割、さらには「付け払いや掛け払い」など、当時の人々のお金の使い方からも、今に通じる信頼や信用の基盤が築かれていく様子がうかがえました。 近代に入ると、金銀の流出や物価の高騰に悩まされつつ、円という新たな単位が誕生し、新貨条例が施行されます。開拓使兌換証券や政府紙幣の登場、西南戦争での紙幣乱発などを経て、日本銀行が設立され、やがて金本位制が導入されます。米騒動や金融恐慌、関東大震災といった社会の激動とともに、管理通貨制度へ...

アーティゾン美術館: 空間と作品

東京駅の近くのアーティゾン美術館に行ってきました。東京駅八重洲口の地下街から出てすぐなので、今日のような猛暑日にはちょうど良い場所です。 今日は、「 空間と作品 」というイベントをやっていました。 絵そのものだけでなく、絵の元所有者の紹介とどのように飾られていたかが説明されています。 マイクロソフト創業者のポール・アレンが所有していた絵画も飾られていました。絵画はまだよく分かりませんが、ポール・アレンなら分かります。 他には額や襖なら部屋を組み合わせて紹介されています。 アーティゾン美術館は、ブリヂストン創業者の石橋正二郎さんが1952年に開設したブリヂストン美術館が始まりです。2019年にアーティゾン美術館に改名されました。 旅程 東京駅 ↓(徒歩5分) アーティゾン美術館 ↓(徒歩5分) 東京駅 周辺のスポット 皇居 三菱一号館美術館 東京駅 銀座 日本銀行金融研究所 貨幣博物館 コニカミノルタ プラネタリアTOKYO 地域の名物 関連スポット リンク アーティゾン美術館 Artizon Museum, Tokyo

歌舞伎座ギャラリー回廊:伝統と高層ビルが重なる風景、籠と船と刀が語る舞台裏

本日は歌舞伎座ギャラリー回廊に行きました。 銀座駅から地下通路を東銀座方面へ歩くと、ひんやりした空気の中に扇子や手拭いが並ぶ売店が現れました。地下で既に歌舞伎の世界が始まっているのが面白く、色とりどりの隈取模様のグッズを眺めているだけで気分が高まります。 地上に出ると、唐破風の屋根をいただく古典的な劇場の背後に近代的な高層ビルがそびえ、伝統の殿堂と都市のダイナミズムが一枚の風景に同居していました。少しの違和感と、むしろ未来へとつながる不思議な安心感を同時に覚えます。 このビルは歌舞伎座タワーで、その5階に「歌舞伎座ギャラリー回廊」があります。館内では、舞台で使われる張り子の馬や駕籠、船の道具、刀、豪華な衣裳などが、照明のもとで静かに存在感を放っていました。近くで見ると、観客席からはわからない細工が随所に施されていて、道具一つにも物語を背負わせる手仕事の積み重ねが伝わってきます。 壁面には歌舞伎独特の化粧「隈取」の実例が並び、赤は勇壮、藍は冷酷、茶は怪異といった色が役柄の性格や心情を示すことを改めて学びました。役者の「見得」と同じように、化粧もまた物語を一瞬で語る記号なのだと感じます。 回廊を抜けて屋上庭園へ出ると、銀座の空を切り取るような緑の一角が広がっていました。公演を待つ人たちがベンチで休み、遠くに首都高の走る音がかすかに響きます。都会の真ん中で、舞台の高揚と開演前の静けさが交わる、不思議に落ち着く場所でした。 歌舞伎は、江戸初期に出雲阿国のかぶき踊りに端を発し、江戸や上方の庶民文化と共に成熟してきた芸能です。明治期に誕生した歌舞伎座は、火災や震災、戦災を経て何度も再建され、現在の建物は伝統的な劇場意匠と高層オフィスを一体にした形で2010年代に新たな門出を迎えました。格式を守りながら現代の都市と共生する設計は、歌舞伎そのものが時代に応じて上演様式や舞台技術を更新してきた歴史と響き合っているように思います。 今回は公演の時間が合わず舞台は見られませんでしたが、道具と化粧の世界を覗いたことで、次は客席に座って音と光と所作が一体となる瞬間に立ち会いたいという思いが一層強まりました。地下で手に取った扇子の柄を思い出しながら、伝統が現在形で息づく銀座の劇場を後にしました。次に訪れるときは、幕が上がる直前の鼓動も含めて味わいたいと思います。 旅程 銀座駅 ↓(徒歩) 歌舞...