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浜松城:徳川家康ゆかりの「出世城」、歴史×自然を楽しむ桜の名所

静岡県の浜松に観光に来ました。浜松の高校に通っていたこともあり、知っている場所も多いですが、当時はただ横を通り過ぎていただけで、歳をとってからこういった史跡に興味を持つとは思いもしませんでした。 五社神社·諏訪神社で参拝したあと、浜松城(はままつじょう)のある浜松城公園に向かいました。 浜松城は、静岡県浜松市にある歴史的な城で、徳川家康が若き日に拠点としたことで知られています。戦国時代から江戸時代にかけての重要な舞台となり、現在は復元された天守や美しい公園が訪れる人々を魅了しています。 この城は、1570年頃に徳川家康によって築かれました。当時の家康は今川家から独立し、武田信玄などの強敵と戦いながら勢力を拡大していた時期でした。そのなかで、家康は浜松城を本拠地として17年間過ごし、戦国大名としての基盤を築いていきました。特に、1572年に起こった三方ヶ原の戦いでは、家康が武田信玄に敗北するものの、その経験が後の天下統一への足がかりとなったと言われています。 家康が駿府城へ移った後も、浜松城は重要な城として機能しました。歴代の城主には、後に幕府の要職に就く人物が多かったことから、「出世城」としても有名です。そのため、現在も多くの人々が出世や成功を願いながら浜松城を訪れています。 浜松城の天守閣は、1958年に再建され、現在は歴史資料館として一般公開されています。館内には家康や浜松城に関する資料が展示されており、戦国時代の歴史に触れることができます。 また、天守からは浜松市の街並みが一望でき、特に晴れた日には遠くの景色まで楽しむことができます。 この城の特徴のひとつに、当時のまま残る野面積み(のづらづみ)の石垣があります。大きさや形が不揃いな石を積み上げるこの工法は、戦国時代の築城技術のひとつであり、戦国武将たちの知恵と工夫を感じることができます。 浜松城の周辺は現在、浜松城公園として整備されており、四季折々の風景を楽しむことができます。特に春には桜が咲き誇り、多くの花見客が訪れます。また、公園内には徳川家康の銅像があり、戦国時代のロマンを感じさせます。 浜松城へのアクセスは、JR浜松駅から徒歩約20分、または遠鉄バスを利用して「浜松城公園入口」で下車すると便利です。浜松城だけでなく、近くの浜松八幡宮や浜名湖なども合わせて訪れることで、浜松の歴史や自然をより深く味わうこ...

吉田城

愛知県豊橋市の吉田城に来ました。 吉田城は、豊橋駅から路面電車で行ける豊橋公園内にあります。 吉田城には天守が無いと言われていましたが、鉄櫓(くろがねやぐら)が実質的な天守でした。現在、鉄櫓は再建され、中は資料館になっており、多くの資料が展示されています。 吉田城は、1505年(永正2年)(1496年という説もあり)に一色城主( いっしきじょう )の牧野古白(まきの こはく)が今橋城として築きました。吉田城のある東三河(みかわ)は軍事、経済的に重要な拠点であり、城の争奪戦が繰り返されました。初めは、渥美郡(あつみぐん)の戸田氏、宝飯郡(ほいぐん)の牧野氏で争奪戦が繰り返され、城主が次々と替わりました。 1529年(享禄2年)に、西三河の徳川家康の祖父の松平清康(まつだいら きよやす)が吉田城を制し、一度は三河を安定させました。その後、清康が亡くなると、再度、戸田氏、牧野氏間で争奪戦になり、最終的に駿河(するが)の今川氏が入り管理下に置いたことで落ち着きました。 今川時代に、今橋城から吉田城に名前が変更されました。1522年(大永2年)に牧野信成(まきの のぶしげ)が「いまわし」(忌まわしい)は縁起が悪いということで吉田に変更したという説もあります。 今川氏が桶狭間の戦いで弱体化したのを狙って、1565年(永禄8年)、松平(徳川)家康が10か月かけて吉田城を攻略し、後に徳川四天王と呼ばれる酒井忠次(さかい ただつぐ)を城主に置きました。酒井忠次は、徳川家康から城を与えられた最初の家臣で、25年間城主を務めました。このころ、豊川には橋がありませんでしたが、酒井忠次が土橋をつくり、これが吉田橋となりました。 酒井忠次が城主の時代には、三河攻略中の武田信玄による攻撃を受けましたが、守りを固め守り切りました。 家康が豊臣秀吉によって、関東に移封されると、池田輝政(いけだ てるまさ)が城主となり、11年間務めました。後に姫路城を築城する池田輝政ですが、この城主時代には吉田城を近世城郭として改修し、城下町の整備や、吉田大橋の架け替えを行いました。 この吉田大橋は、豊橋の地名の由来です。当時の東海道は、吉田大橋のような大橋が少なく、多くの絵師に描かれました。 関ケ原の戦いの後、池田輝政は播州、姫路に移封され、22代に渡って譜代大名が吉田を支配しました。当時は、吉田城主は出生の登竜門...