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舘山寺:懐かしいバス路線が導く春の小さな旅、温泉と湖畔の静寂

静岡県浜松市の舘山寺(かんざんじ)を訪れました。朝から舘山寺周辺を散策し、最初に足を運んだのは浜名湖オルゴールミュージアムです。美しい景色と心地よい音色に包まれたひとときを過ごした後、かねてから名前だけは知っていた舘山寺に初めて参拝することになりました。 実は、学生時代に浜松の高校へ通っていた頃、舘山寺温泉行きのバスを利用していたことがあり、舘山寺という地名は身近に感じていました。しかし、実際に訪れるのはこの日が初めてで、門前の空気や境内の雰囲気は想像以上に穏やかで心が和みました。 境内を歩くと、旗や案内板に緑、黄、白、赤、紫といった鮮やかな色が使われているのが印象的です。さらに、至るところに鳥のようなキャラクターが描かれており、調べてみると「迦楼羅天(ガルーダ、金翔鳥)」を表していることが分かりました。仏教の護法善神である迦楼羅天は、天狗伝説とも関連があり、インド神話由来の力強い存在として崇められています。 舘山寺の裏手には「舘山(たてやま)」と呼ばれる小高い山があり、展望台や聖観音菩薩像があります。舘山を登ると、浜名湖や温泉街を一望でき、心地よい風が抜けていきます。聖観音菩薩像は、訪れた人々の間で「安倍元首相に似ている」と話題になっているようで、私も間近で見てみると、たしかにその面影を感じる表情でした。 この日は参拝を終えた後、すぐ近くの日帰り温泉で舘山寺温泉につかり、旅の疲れを癒しました。長い歴史をもつ温泉地で、湯につかりながらこれまでの舘山寺や浜名湖周辺の歩みについて思いを巡らせます。 静岡への旅の締めくくりに、舘山寺の静けさと温泉の温かさに包まれて心身ともにリフレッシュすることができました。普段は名前だけ聞いていた場所も、実際に訪れることで新たな発見や感動があり、旅の醍醐味を改めて感じた一日となりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 浜名湖オルゴールミュージアム ↓(徒歩) かんざんじロープウェイ ↓(徒歩) 愛宕神社 ↓(徒歩) 舘山寺 ↓(徒歩) 浜名湖かんざんじ温泉 華咲の湯 ↓(バス) 浜松駅 関連イベント 周辺のスポット 浜名湖オルゴールミュージアム 浜名湖パルパル 地域の名物 うなぎ料理 浜松餃子 浜名湖の牡蠣 三ヶ日みかん 遠州焼き うなぎパイ 関連スポット リンク 曹洞宗 秋葉山 舘山寺 舘山寺温泉|浜名湖の絶景とグルメが充実した、浜松の観光...

登呂遺跡:日本初の弥生時代の水田跡が発見された遺跡で弥生人の足跡をたどる

本日は、三保松原と登呂遺跡(とろいせき)を見学に静岡に来ました。同じ静岡市ですが、結構離れています。静岡駅で昼食をとったあと、登呂遺跡へ向かいました。 登呂遺跡は、静岡県静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落遺跡です。日本の弥生時代を語る上で欠かせない遺跡のひとつとして知られています。発見されたのは1943年(昭和18年)のことで、当時、軍需工場の建設が進められている最中に偶然見つかりました。その後の発掘調査によって、弥生時代の人々が暮らしていた住居や、稲作を行っていた水田跡などが明らかになりました。 登呂遺跡の最大の特徴は、日本で初めて弥生時代の水田跡が発見されたことです。用水路や田植えの跡が残っており、稲作を中心とした人々の暮らしがうかがえます。また、集落内には竪穴住居や高床倉庫があり、弥生時代の生活様式を具体的に知ることができます。これらの発見は、当時の稲作文化がどのように広まり、発展していったのかを考える上で非常に重要な手がかりとなりました。 現在、登呂遺跡は「登呂遺跡公園」として整備されており、復元された住居や水田を見ることができます。弥生時代の風景をそのまま再現したような光景が広がっており、訪れる人々に当時の生活を想像させてくれます。また、遺跡の隣には「静岡市立登呂博物館」があり、発掘された土器や石器、農具などが展示されています。ここでは、弥生時代の暮らしに関する詳しい説明があり、知識を深めることができます。 博物館では、火起こしや土器作りなどの体験プログラムも用意されており、実際に弥生時代の生活を体験することができます。子どもから大人まで楽しめる内容となっており、歴史を身近に感じることができるのが魅力です。 静岡市を訪れる際には、登呂遺跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。日本の古代史に触れ、弥生時代の人々の暮らしを体感することで、歴史の奥深さを改めて実感できるでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 おでん粉:おでんにかけてもご飯にかけてもおいしい 関連スポット リンク 静岡市立登呂博物館 国指定特別史跡 登呂遺跡:静岡市公式...

三保松原:神話の風が吹く、天女が舞い降りた海辺の道

本日は、三保松原を訪れるため、静岡に来ました。空にはところどころ薄い雲が浮かんでいましたが、富士山の裾野がくっきりと見えるほどの良い天気に恵まれ、穏やかな一日となりました。 三保松原には、御穗神社から「神の道」と呼ばれる参道を歩いて向かいました。この道は、松並木の間をまっすぐに伸びており、まるで過去と現在をつなぐ時の回廊のようでした。御穗神社は、三保の守り神として古くから信仰を集めてきた神社で、羽衣伝説とも深く結びついています。 道を抜けた先に現れたのは、三代目の「羽衣の松」。その名の通り、天女が羽衣を掛けたと伝えられる松の木です。かつての初代、二代目はいずれも寿命を終え、現在の松がその伝承を今に伝えています。松の根元には、羽衣伝説を描いた石碑があり、天女と漁師の切なくも美しい物語に思いを馳せることができます。 さらに進んで、羽車神社を参拝しました。この小さな社は、羽衣伝説の舞台を見守るように静かに佇んでおり、訪れる人々に神話の余韻を与えてくれます。 目の前には、松原と砂浜、そして駿河湾の海が広がっていました。波打ち際には冬の陽光がやさしく反射し、遠くには富士山がそびえ立っていました。松の緑と白い砂、青い海と空とのコントラストが印象的で、日本の原風景とも言える風景に、ただただ見入ってしまいました。 三保松原は、富士山世界文化遺産の構成資産としても知られていますが、単なる景勝地にとどまらず、神話と歴史、そして人々の祈りが織り込まれた場所でもあります。歩くたびに、何か大切なものに包まれているような感覚がありました。 この日の訪問は、単なる観光ではなく、自然と伝承が響き合う静かな時間を過ごすひとときとなりました。再び訪れるときは、また違った季節の表情が待っていることでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 御穗神社 地域の名物 関連スポット リンク 三保松原 三保松原 【富士山世界文化遺産構成資産登録】|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を 世界文化遺産富士山の構成資産「三保松原」:静岡市公式ホームページ

御穗神社:伝説と歴史に包まれた静岡の散歩道

本日は三保松原を訪れる予定で静岡に来ており、松原に向かう前に、まずはその近くにある御穗神社(みほじんじゃ)に立ち寄りました。 「御穗」と書いて「みほ」と読むこの神社は、三保松原と深いゆかりがあります。三保松原といえば、日本三大松原にも数えられ、羽衣伝説の舞台としても有名です。その伝説によれば、天女が舞い降り、羽衣を松の枝にかけて舞を舞ったとされていますが、御穗神社はまさにこの伝説と縁が深く、三保の地に古くから鎮座してきました。 境内に足を踏み入れると、静けさと神聖な雰囲気が広がっていました。まず拝殿で参拝し、旅の安全と静岡での一日がよいものになるよう願いを込めました。社殿は落ち着いた佇まいで、地域の人々に大切に守られていることが伝わってきます。 参拝を終えた後は、「神の道」と呼ばれる参道を進みました。この道は御穗神社から三保松原まで真っ直ぐに続いていて、かつては松の木々に囲まれていたそうです。今でも松並木が残り、ゆっくりと歩くと、羽衣伝説に思いを馳せることができます。道を進むごとに、次第に松原とその先の海が近づいてくるのを感じ、自然と心が澄んでいくような気がしました。 御穗神社と三保松原は、単なる観光地としてだけでなく、日本の神話や伝説、そして地元の暮らしと深く結びついています。今回の訪問を通じて、歴史や物語の息づく土地を自分の足で歩くことの大切さを、あらためて感じました。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 三保松原 地域の名物 関連スポット リンク miho-jinja.jp 御穂神社|【公式】静岡のおすすめ観光スポット/駿府静岡市~最高の体験と感動を 御穂神社 (三保)---静岡市観光ガイド 『駿河湾★百景』 御穂神社|しずおか東海道まちあるき

熱海城:海のきらめきを一望する架空の城

熱海城は、旅の偶然が運んでくれた発見でした。朝いちばんでMOA美術館を鑑賞し、午後は地図を片手に起雲閣など市内を歩きながら、予定を決めずに足の向くまま進みました。海沿いの空気が澄んでいて、ふと視界に入ったのがロープウェイと「熱海城」の文字です。「こんなところにも城跡があるのか」と半ば歴史散歩のつもりで向かうことにしました。 ロープウェイから眺める相模灘の青さは冬晴れにいっそう冴え、港や町の起伏が一枚の地図のように広がっていきます。 山頂駅から天守へ向かうと、現れるのは堂々たる天守風の建物。中に入ると、1階には鎧や刀の展示が並び、武具の意匠や金具の細工を間近に見られました。 最上階の展望台はまさに圧巻で、陽光にきらめく海と町並みを一望できます。晴天に恵まれ、海と空の境目が薄く溶け合うような眺めにしばし見とれました。 下の階に降りると体験コーナーがあり、3階には浮世絵の春画展示が設けられていました(18歳未満は入場不可)。他ではなかなか見られないテーマですが、江戸の風俗や版画の技法を学ぶ上での資料性も高く、絵師ごとの表現や摺りの美しさに目を奪われます。さらに地下には子ども向けの無料ゲームコーナーもあり、家族連れでも過ごしやすい工夫が随所に見られました。 一方で、一般的な「城跡」に必ずあるはずの藩史や城主の系譜、築城経緯といった解説が見当たらず不思議に思い、その場で調べてみると、熱海城は史実の城ではなく、昭和期に観光施設として築かれた“模擬天守”でした。戦国・江戸の実在城を復元したものではなく、展望や娯楽を主目的に設計された、いわばテーマパーク型の城です。戦後の観光ブームの中で各地に生まれたこうした施設は、史跡としての厳密さよりも「眺望」「学び」「娯楽」を一度に体験できることを重視しており、熱海城もその文脈に位置づけられるのだと腑に落ちました。 史実の城ではないと知るとがっかりする人もいるかもしれませんが、実際に歩いてみると評価は少し違ってきます。展望台からの海景は、城郭に求めがちな“高台からの視界支配”を現代的に味わわせてくれますし、武具展示や浮世絵は「見る楽しさ」と「知る楽しさ」を両立させています。子どもが遊べるスペースまで揃っていて、家族で過ごす午後にも向いています。史跡の厳密な年表や縄張り図こそありませんが、海と町を一望する爽快さ、江戸文化に触れる意外性、そして気...

起雲閣:湯のまちに佇む、文豪たちが愛した、和と洋の美が織りなす空間

MOA美術館に行くために、静岡県の熱海に来ました。 MOA美術館を一通り見た後、熱海城に向かいました。なお、熱海城が歴史的な城と思っていたのですが、テーマパーク的な場所で歴史的には意味のある場所ではありません。子供向けのアトラクションが多いので、子供連れで遊びに行くには良い場所です。 熱海城に向かう途中、地図に起雲閣(きうんかく)というのを見つけたので寄りました。 起雲閣は、1919年(大正8年)に建築され、実業家の根津嘉一郎や農商相の内田信也の別荘として使われました。岩崎別荘(非公開)、住友別荘(現存しない)とならび、「熱海の三大別荘」と呼ばれました。 1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳などの日本を代表する文豪に愛されてきました。起雲閣には、これらの文豪についての資料も展示されています。 庭園は非常に手入れされきれいですが、背景のビル群が奇妙に溶け込んでいます。 ステンドグラス。西洋風でありながら、明治時代や大正時代の建物は、やはり日本的な懐かしさを感じます。 カラーのタイル。日の光が反射して非常に映えますが、強い日光にさらされているので、保存には苦労されているのではないかと思います。 洋室。この柱も貴重なものだったはず(詳細は忘れました)。 お風呂。染殿の湯と言われ、由来は平安時代にまでさかのぼるようです。 もう一つ、ローマ風呂もあります。 残念ながら、どちらの風呂も現在は入れません。 街の中にありますが、建物や部屋が非常に多く、見ごたえのある場所でした。 旅程 東京 ↓(新幹線) 熱海駅 ↓(徒歩) 來宮神社 ↓(徒歩 かなり遠い) MOA美術館 ↓(徒歩 かなり遠い) 起雲閣 ↓(徒歩&ロープウェイ) 熱海城 ↓(徒歩&ロープウェイ) ATAMI BAY RESORT KORAKUEN ↓(徒歩) 熱海駅 周辺のスポット 熱海サンビーチ 熱海城 リンク 起雲閣【きうんかく】公式|静岡県熱海市 昭和・大正レトロな観光施設|熱海 人気観光スポット 起雲閣(きうんかく)へようこそ|熱海市公式ウェブサイト 起雲閣|スポット | 【公式】熱海市の観光サイト あたみニュース 施設案内 起雲閣(熱海市指定有形文化財)|熱海市公式ウェブサイト 起雲閣のご紹介 | 【公式】オーベルジュ ...

MOA美術館:長いエスカレーターの先にある静けさ、万華鏡の天井とブロンズの王と女王

冬とは思えないような澄んだ青空のもと、静岡県熱海市にあるMOA美術館を訪れました。熱海駅からはやや距離がありますが、景色を楽しみながら、北にある3F側の入り口まで歩いていくことにしました。 少し早めに到着したため、美術館の駐車場脇から見える海の景色をゆっくりと眺めることができ、潮の香りと太陽のまぶしさが旅の始まりを優しく彩ってくれました。 MOA美術館は、1982年に開館した比較的新しい美術館ですが、その歴史的背景は深く、創設者である岡田茂吉(MOAはMokichi Okadaの頭文字)が「真・善・美」を理念として設立したものです。岡田氏は美術を通して人々の心を浄化し、平和な社会の実現を目指していたとされます。そのためか、美術館全体にはどこか霊的ともいえる静けさが漂い、訪れる者の心を穏やかに整えてくれます。 展示では、尾形光琳をはじめとする琳派の作品をじっくりと鑑賞しました。金箔や銀箔をふんだんに用いた装飾的な美しさと、自然を象徴的に描き出す構図に、時代を超えて人々を魅了してきた力を感じます。展示室の光の取り入れ方も巧妙で、作品そのものが持つ静かな輝きを一層引き立てていました。 展示を見終えたあと、敷地内にある「茶の庭」へと足を運びました。手入れの行き届いた庭園には、苔の柔らかさや竹のしなやかさが自然の美を体現しており、まるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚に包まれました。ふと風が吹くと、竹の葉がささやき、どこからともなく鳥の声が響いてくる――そんなひとときに心が洗われるようでした。 庭を後にして向かったのは、ムアスクエア。ここには英国の彫刻家ヘンリー・ムアによるブロンズ像「キング・アンド・クイーン」が展示されています。抽象的でありながら、どこか人間味のあるフォルム。王と女王というタイトルの響きからは荘厳な印象を受けますが、実際の像は自然の中に佇むふたりの人間のようにも見え、親しみを感じさせます。 その後、アートストリートと呼ばれる長いエスカレーターを降りました。エスカレーターといえば単なる移動手段ですが、ここではそれ自体が空間演出の一部。赤と白を基調とした配色や、壁面に配された照明の配置によって、美術館の世界観が立体的に延長されているようでした。 エスカレーターの途中にある円形ホールでは、天井に設けられた巨大な万華鏡の映像を見上げました。緩やかな音楽ととも...

來宮神社:竹のトンネルを抜けて出会う樹齢二千年の巨樹

熱海市の來宮神社(きのみやじんじゃ)を訪れました。この日はMOA美術館を目的に熱海を訪れており、道すがら少し足を伸ばして來宮神社に立ち寄ることにしました。 境内の入り口には立派な鳥居があり、そこから続く竹林の風景がとても印象的でした。冬の静けさの中に凛とした空気が流れ、竹の緑が一層鮮やかに感じられます。來宮神社は、古くから熱海の人々に親しまれてきた歴史ある神社で、来福・縁起の神様として信仰を集めています。 本殿では静かに参拝し、旅の安全と新しい出会いを祈りました。境内を進むと、国の天然記念物に指定されている大楠(おおくす)が現れます。この大楠は樹齢2,000年を超えるといわれ、その圧倒的な存在感に思わず息をのみました。幹の周囲を一周すると寿命が延びる、願い事が叶うという伝説もあり、多くの参拝者が大楠のまわりを静かに歩いていました。 短い滞在ではありましたが、來宮神社の厳かな雰囲気と歴史の重みを感じることができました。その後、また歩を進めてMOA美術館へと向かいましたが、熱海の自然と歴史が調和するこの地を、少しだけ深く味わえたように思います。 旅程 東京 ↓(新幹線) 熱海駅 ↓(徒歩) 來宮神社 ↓(徒歩 かなり遠い) MOA美術館 ↓(徒歩 かなり遠い) 起雲閣 ↓(徒歩&ロープウェイ) 熱海城 ↓(徒歩&ロープウェイ) ATAMI BAY RESORT KORAKUEN ↓(徒歩) 熱海駅 周辺のスポット 起雲閣 MOA美術館 リンク 熱海 來宮神社 - きのみやじんじゃ 【神社】來宮神社|スポット | 【公式】熱海市の観光サイト あたみニュース

小松楼まちづくり交流館:宿場町の裏通りで見つける、保存された時間と人の気配

静岡県湖西市新居町の小松楼まちづくり交流館を訪れたのは、二川宿や新居関所をめぐった一日の締めくくりの時間でした。大正から昭和20年代ごろまで、ここは芸者置屋兼小料理屋としてにぎわった「小松楼」の建物で、明治末期の建物を大正初期に現在地へ移築・増改築したものだそうです。戦後に廃業したあと長く空き家になっていたところを、地域の有志が修繕し保存活動を進め、国の登録有形文化財となったのち、2010年に「小松楼まちづくり交流館」として生まれ変わりました。歓楽街として栄えた新居宿の一角に、かつての賑わいと地域の記憶を今につなぐ拠点が静かに立っているのだと感じました。 一階ではちょうど特別展が開かれており、戦時中に新居に墜落したアメリカ軍機の乗組員のために、地元の人びとが慰霊碑を建てた出来事が紹介されていました。敵国の兵士であっても、一人の人間として弔おうとした人びとの姿は、シンドラーのような物語にも通じるものがありますが、もし自分が同じ時代・同じ状況に置かれていたとして、同じ行動ができるのかと考えると、簡単には想像できません。だからこそ、こうした具体的な地域の物語に触れることが、いつか自分が「いざ」という局面に立たされたとき、ふと記憶の底から立ち上がって行動のよりどころになってほしいと願いながら展示を見て回りました。 二階に上がると、かつての座敷だった和室が静かに残されており、その一角にはまだ整理しきれていない資料が山と積まれていました。案内の方は「これらも貴重なんですが、まだ整理しきれていないんです」と少し申し訳なさそうに話していましたが、その言葉の裏には、この建物と一緒に受け継いだ膨大な歴史を、どうやって未来につないでいくかという悩みと使命感がにじんでいるように感じました。窓の外に目をやると、すぐ近くに銭湯の煙突が見え、「みどり湯」という昔ながらの銭湯があることも教えてもらいました。芸者たちが行き交ったであろう往時の街並みと、今も地域の人びとが湯に集う日常の気配が、窓枠の向こうでひと続きの風景として重なって見えました。 小松楼まちづくり交流館は、華やかな歓楽街の記憶と、戦時下の葛藤を抱えた人間ドラマと、地域の人びとが空き家を守り、文化財としてよみがえらせた近年のまちづくりの歴史が、一つの建物の中に折り重なるように詰まっている場所だと感じます。きちんと展示として整理された歴史...