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青岸寺:米原の隠れた名庭、旅の途中で出会った禅の静謐

彦根観光の帰りに新幹線に乗るために米原駅に来ました。新幹線まで少し時間が余っていたため、観光案内所で観光マップをもらい、近くの青岸寺(せいがんじ)に行ってきました。 もともと予定なかったのもあり、それほど大きな期待をしていなかったですが、非常に立派な日本庭園で、国の名勝に指定されています。 青岸寺は、もともとは室町時代の初期(1350年ごろ)に建てられ米泉寺という名前でした。その後、戦国時代(1504年)に焼失し、1650年に再建されました。150年後に再建されたことに驚きです。 この再建のときに尽力した伊藤五郎助の諡(おくりな)から青岸寺という名前になりました。 庭が国の名勝に指定されたのが昭和9年(1934年)で、きれいな庭が長期に渡って維持されてきました。 喫茶室もあり、きれいな庭を見ながら、お茶やお菓子を食べることができます。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根駅 ↓(電車) 米原駅 ↓(徒歩7分) 青岸寺 ↓(徒歩7分) 米原駅 地域の名物 信楽焼 鮒ずし 関連スポット 永平寺: 本山 総持寺(横浜市鶴見区): 本山 リンク 青岸寺公式サイト – 名勝青岸寺庭園 湖北霊場会第二十七番札所 青岸寺 【国指定名勝・青岸寺庭園】【木造聖観音菩薩坐像】  | 長浜・米原・奥びわ湖を楽しむ観光情報サイト 青岸寺(せいがんじ)/米原市 新幹線「米原」から徒歩7分!和スイーツも楽しめる、癒やしの寺院『青岸寺』 - しがトコ

林泉寺 (上越市):謙信公と共に歩む越後の古刹、静寂の境内に響く武将の記憶

新潟県の上越市に来ました。コロナ後でまだ旅行の感覚が取り戻せておらず、どこに行こうか悩んでいるときに、「上越新幹線」という言葉が目に入り、上越ってどこだ?という感じで決めました。 春日山城を目指して、林泉寺(りんせんじ)に寄りました。 林泉寺は、上杉謙信にゆかりのお寺です。受付を過ぎると、相談な山門が見えてきます。裏側にある「第一義」の扁額は、上杉謙信の直筆の複製です。オリジナルは宝物館にあります。 林泉寺は、上杉謙信の曾祖父(そうそふ、ひいじじ)の長尾重景(ながお しげかげ)が曇英恵応(どんえい えいおう)という曹洞宗の高僧に出会い、感銘を受け越後にとどまってもらったのが始まりです。その後、上杉謙信の祖父の長尾能景(ながお よしかげ)が、重景が亡くなったあとに菩提を弔うために、林泉寺を創建しました。 曇英恵応は、曹洞宗の高僧で、短期間ですが、永平寺の住職も務めました。 春日山城で長尾家の四男として生まれた虎千代(後の上杉謙信)は、妾の子であったため、長尾家の後継者として扱われず、7歳のときに林泉寺に入門しました。虎千代は、林泉寺六代住職の天室光育(てんしつこういく)の教育を7年間受けました。 林泉寺は、長尾家、上杉家の菩提寺で、上杉謙信のお墓もあります。 上杉謙信のお墓の隣には、川中島合戦の供養塔があります。 他に、堀氏、松平氏、榊原氏の菩提寺でもあり、今もお墓が残っています。 林泉寺の惣門(そうもん)は、春日山城の裏門を移築したもので、市の指定文化財です。現存の唯一の春日山城の建築物であり、上越市市最古の建造物でもあります。 宝物館には、林泉寺や上杉謙信に関する多くの貴重な資料が展示されています。武田晴信(後の信玄)に関する手紙では、ひらがなで愚痴が書かれており、上杉謙信女性説が広がるのも理解できます。 上杉謙信が亡くなったあと、景勝が会津、米沢へ移転になり、林泉寺も米沢に移転しました。 その後、上越の林泉寺は衰退しますが、堀氏の時代に再興され、江戸時代からは寺領を与えられ、現在に至ります。 旅程 東京 ↓(新幹線/えちごトキめき鉄道) 春日山駅 ↓(徒歩) 春日神社 ↓(徒歩) 林泉寺 ↓(徒歩) 春日山神社 ↓(徒歩) 春日山城跡 ↓(徒歩) 上越市埋蔵文化財センター ↓(徒歩) 春日山駅 ↓(えちごトキめき鉄道) 高田駅 ↓(徒歩) 平出修の旧居 ↓(徒歩...