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西本願寺:細部に光る遊び心、埋木と天の邪鬼を探して

京都駅の近くにありながら、いつでも行けると思って後回しにしていた西本願寺を、ようやく訪れることができました。この日は京都鉄道博物館と京都文化博物館の特別展示を見るために朝から京都に来ていたのですが、開館まで少し時間があったので、朝早くから拝観できる西本願寺に立ち寄ることにしました。 駅から歩いて向かったため、まず西側の南寄りにある御影堂門から境内に入りました。 朝の8時半ごろでしたが、銀杏の木はすでに鮮やかな黄金色に色づき、その下には多くの外国人観光客や日本人の参拝者が集まっていました。西本願寺の大イチョウは樹齢数百年ともいわれる古木で、秋には境内を黄金色に染め上げることで知られていますが、まさにその評判どおりの姿で迎えてくれました。 まずは御影堂と阿弥陀堂を、外観と内部の両方からじっくりと見学しました。御影堂(ごえいどう)は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の御影を安置する建物で、阿弥陀堂(あみだどう)は阿弥陀如来を本尊とする礼拝の中心となる堂です。現在の西本願寺は、戦国時代に織田信長と対立した本願寺顕如が、豊臣秀吉からこの地を与えられて再興したのが始まりとされ、1591年に現在地に移ってからは本願寺派(浄土真宗本願寺派)の本山として栄えてきました。 内部に入ると、特に正面の内陣が印象的でした。柱や欄間、須弥壇の周りには金箔がふんだんに使われ、細かな彫刻と装飾が隙間なく施されています。金色というと、どうしても世俗的な「欲」や富の象徴を連想しがちですが、宗教空間で見る金色は不思議とそれとは逆の、清らかさや尊さの方を強く感じさせます。阿弥陀堂には阿弥陀如来像とともに、インド、中国、日本の高僧たちの影像が並び、御影堂には親鸞聖人の御影が安置されていますが、いずれも金色の輝きの中に静かにおさまっていて、視線を向けると自然と背筋が伸びるような気がしました。 堂内の静けさを味わったあと、境内を歩きながら経蔵や唐門へ向かいました。 経蔵(きょうぞう)はその名のとおり経典を収める建物で、唐門(からもん)は桃山時代らしい華やかな彫刻で知られる門です。西本願寺は、その建築群の多くが安土桃山時代から江戸初期の姿をとどめており、御影堂や阿弥陀堂、唐門などが国宝に指定されています。また、こうした建物群が評価され、1994年には「古都京都の文化財」の一つとしてユネスコ世界遺産にも登録されています。駅か...

来遠橋(日本橋):歴史の架け橋、屋根付きの橋に秘められた物語

フーンフンの家のすぐ東にあるのが来遠橋(らいえんばし)です。 ホイアンの来遠橋は、日本とベトナムの歴史的なつながりを象徴する建築物であり、16世紀末から17世紀初頭にかけて建設されました。この橋は、かつて国際交易で栄えたホイアンに日本人街と中国人街を結ぶために架けられたもので、今日ではホイアン旧市街のランドマークとして知られています。「日本橋」という別名でも親しまれている来遠橋は、その美しい建築様式と文化的意義から、世界中の観光客を魅了しています。 来遠橋の最大の特徴は、屋根付きの木造構造にあります。日本の伝統的な建築様式を基調としながらも、中国やベトナムの建築要素が巧みに融合され、独特の美しさを生み出しています。橋の欄干や屋根には細かい彫刻が施されており、当時の職人たちの卓越した技術を見ることができます。橋の中央には小さな祠(ほこら)が設置されており、ここには航海や交易の安全を祈るために道教の神である北帝真君が祀られています。この祠は、当時の人々が日常的に船旅や交易に伴う危険と向き合っていたことを物語っています。 また、来遠橋の歴史的背景を知ることで、ホイアンという町の特異性がより深く理解できます。16世紀から17世紀にかけて、ホイアンは日本、中国、ヨーロッパなどさまざまな国との交易が行われる国際港町として発展しました。その中で、来遠橋は日本人移住者が地域社会に溶け込み、他文化との交流を深めていた証として建設されたのです。名前にある「来遠」という言葉には、「遠くから来る」という意味が込められており、海外から渡ってきた人々や交易を象徴するものと考えられています。 1999年にはホイアン旧市街全体がユネスコの世界文化遺産に登録され、来遠橋もその一部として世界的に認知されるようになりました。この橋は単なる観光名所ではなく、ホイアンの歴史や文化を伝える重要な遺産でもあります。訪れる際には、橋を歩くだけでなく、その背景にある物語や人々の営みに思いを馳せてみると、より深い感動を得られるでしょう。 来遠橋はホイアン旧市街の中心部に位置しており、アクセスも非常に便利です。旧市街全体が観光地として整備されているため、チケットを購入すれば橋だけでなく周辺の歴史的建造物や博物館も楽しむことができます。特に早朝や夕方は混雑が少なく、橋の静かな佇まいをじっくりと味わえる時間帯としておすすめ...

関公廟(ベトナム/ホイアン):義と忠のシンボルに出会う旅

ホイアン市場を北に抜け、関公廟(かんこうびょう、クアンコン廟、Quan Cong Temple)に来ました。 ホイアン旧市街の中心部に足を踏み入れると、異国情緒あふれる華やかな建築とカラフルな街並みが一気に視界に飛び込んできます。その中でも、ひときわ中国風の色彩を帯びた「関公廟」は、歴史あるホイアンにおいて外せない観光スポットのひとつです。ベトナムの町並みに溶け込みつつも、赤と金を基調とした廟の装飾は目立ち、その存在感から自然と足が向かう方も多いかもしれません。 この廟は、1653年に建立され、中国の三国志に登場する武将・関羽を祀る場所として知られています。関羽は「義」と「忠」の象徴として中国やアジア各地で広く信仰され、特に商売繁盛や安全、成功などを願う人々の心の拠り所となってきました。17世紀頃のホイアンは日本や中国をはじめアジア各地から商人が集う国際貿易港であり、多国籍の文化が出会う場所でもありました。そんな華人コミュニティの信仰と生活を支えた関公廟には、当時の街の国際色豊かな空気が今も息づいています。 廟の正面には中国伝統の意匠が細やかに施され、漆塗りの表面や鮮やかな彩色の飾りが訪れる人の目を楽しませてくれます。内部に入ると関羽の像が厳かに鎮座し、その周囲には忠義の部下や息子たちを象った像も並んでいます。観光客だけでなく地元の方々も香を手向けに訪れる光景を目にすると、華やかな観光地でありながら、ここが今なお人々の信仰を支える「生きた」場所なのだと感じずにはいられません。 広々とした中庭には香炉や石造の置物などが点在しており、陽の光の下では一層美しい空間が広がります。廟のなかには大きな香炉が据えられていて、ここで祈りを捧げるときには静かで厳粛な雰囲気に包まれます。ホイアン旧市街全体がランタンの灯りに彩られる夕方以降に訪れると、昼間とは違った幻想的な表情を見せてくれるので、可能であれば時間帯をずらして複数回足を運ぶのもおすすめです。 関公廟のあるホイアン旧市街はユネスコ世界遺産に登録されており、付近には同じく華人によって建てられた福建会館や広東会館、日本橋(来遠橋)、歴史的な商家などが点在しています。古くから商業の町として発展し、様々な文化が融合してきたホイアンをより深く知りたいなら、関公廟をはじめとするこうしたスポットを数か所めぐってみると、時代背景や人々の営み...

タンキーオールドハウス:200年の歴史を刻む家

 ホイアン民俗文化博物館から西に戻り、タンキーオールドハウス(Tan Ky Old House、タンキー旧家)に来ました。 ベトナム中部のホイアンは、1999年に世界遺産に登録された古い街並みで知られています。その中心部に位置するタンキーオールドハウスは、ホイアンの歴史と文化を象徴する重要な建築物の一つです。この家は200年以上の歴史を持ち、当時の繁栄した貿易の時代を垣間見ることができます。 タンキーオールドハウスは、ベトナム、日本、中国の建築様式を巧みに融合させたデザインが特徴です。特に、屋根の形状には日本の建築様式の影響が見られ、中国の伝統的な木彫り装飾が家の至るところに施されています。一方で、家全体の構造や材料はベトナムの伝統に根ざしており、木材を主体にした温かみのある作りが印象的です。これらの要素が調和し、訪れる人々に独特の雰囲気を感じさせます。 この家は、当時の商人たちの暮らしを知る手がかりとなる貴重な場所です。内部には、商売で使用された道具や当時の生活を再現した家具が展示されています。 特に目を引くのは、精巧な木彫り装飾や美しい彫刻が施された柱や壁です。それらは、家の所有者がどれだけの富と品格を持っていたかを物語っています。 また、家の奥にある小さな中庭は、通気性を確保しながら家族がリラックスするための空間として設計されています。この中庭から差し込む柔らかな光が、家全体に穏やかな雰囲気を与えています。 タンキーという名前には“繁栄した時代”という意味が込められており、この家がホイアンの国際貿易の全盛期を象徴する存在であることを示しています。ホイアンがアジアとヨーロッパをつなぐ交易の拠点として栄えていた時代、この家は商人の家として使われ、繁忙を極めた日々を支えていました。その歴史的意義から、現在も保存状態が良く、訪れる人々に当時の面影を伝えています。 タンキーオールドハウスは、単に歴史的な建築物というだけでなく、ホイアンが歩んできた時間を感じることができる特別な場所です。訪問者は、この家を通じてベトナム、日本、中国の文化的融合の深さを実感し、過去と現在をつなぐ貴重な体験を得ることができます。観光の際には、ホイアンの古街を散策しながら、ぜひこの歴史ある家を訪れてみてください。灯篭流しを楽しむ前後に立ち寄れば、ホイアンの魅力をさらに深く味わえることでし...

ミーソン遺跡:煉瓦に刻まれた歴史

本日の最初は、ミーソン遺跡観光でした。 バスで田園地域を進み、山の中のミーソン遺跡に向かいます。ベトナムというとベトナム戦争、特に映画のランボーなどでよく見る田んぼのイメージでしたが、そういった光景が広がっていました。 ミーソン遺跡(My Son)の入り口(地図の右下)から移籍がある場所(地図の左上)まではかなりの距離があります。 ツアーが用意したカートに乗って向かいます。途中歩いている人もいましたが、結構な距離なのでカートに乗って行った方が良いです。 ミーソン遺跡は、ベトナム中部クアンナム省に位置する、チャンパ王国時代(4世紀~13世紀)の宗教的・文化的な中心地であり、ヒンドゥー教寺院群の遺跡です。1999年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。 ミーソン遺跡は、4世紀頃に建設が始まり、最初の寺院はチャンパ王国の王、バドラヴァルマン1世によって建立されました。 ミーソン遺跡は主にヒンドゥー教の神シヴァを祀る寺院群で、チャンパの王族の聖地として利用されました。シヴァ神は「バドラシュヴァ(幸福のシヴァ)」という名で崇拝されていました。 チャンパ王国は交易で栄え、多くの文化や技術をインドや東南アジア諸国から取り入れ、独自の芸術や建築様式を発展させました。 ミーソンには約70もの寺院がありましたが、戦争や風化により現在は20以上が残っています。寺院群は谷間に点在しており、建物ごとに異なる神々が祀られていました。 煉瓦で構築されており、独特な接着剤を使用せずに煉瓦を密着させる技術が用いられました。この技術は未解明の部分も多く、現在でも注目されています。写真上部の古い部分が実は現代の技術で補修された箇所で、下のきれいな部分がミーソンの技術で残っている煉瓦です。現代の煉瓦の方が痛みが速く、ミーソンオリジナルは1000年以上経ってもきれいなままです。 インドの影響を受けた優美な塔(祠堂、チャム塔)が特徴的で、彫刻やレリーフにはヒンドゥー教の神話や宗教的モチーフが描かれています。 遺跡はAからGまでのグループに分けられています。Aグループは特に重要な宗教儀式が行われていた中心的エリアでしたが、戦争で大きな被害を受けました。 ベトナム戦争中、アメリカ軍の空爆により多くの建造物が破壊されました。現在もその痕跡が残っています。こちらの地面の窪みは空爆の爆発によるもので、先の塔は倒...

カイディン帝廟:ベトナム最後の皇帝廟が魅せる華麗なる建築美

ティエンムー寺のあと、バスで南下しカイディン帝廟に向かいました。 カイディン帝廟(カイディン廟、Lăng Khải Định)は、ベトナム中部の古都フエ近郊に位置する、グエン(阮)朝第12代皇帝カイディン(在位1916-1925)の陵墓です。グエン朝の皇帝墓としては最後に造営されたもので、その華麗かつ独特な様式から、フエを訪れる旅行者の代表的観光名所の一つとなっています。 カイディン帝はフランス植民地統治時代の皇帝であり、ベトナム伝統文化と西洋様式の影響を大きく受けました。その結果、帝廟は1920年から1931年にかけて11年の歳月をかけて建設され、西洋と東洋、さらにはベトナム伝統様式を融合した独特な建築美を生み出しました。 カイディン帝廟は、フエ市中心部から約10kmほど離れたチョウチュ山(Châu Chữ)の斜面に建てられています。規模自体は他のグエン朝皇帝陵(ミンマン帝廟、トゥドゥック帝廟など)に比べて小振りですが、その分、内部装飾は非常に緻密で豪華です。 カイディン帝廟は、中国やベトナム伝統の宮廷建築様式に加え、フランスのコロニアル建築やバロック・ロココ風の要素など、東西が入り混じった唯一無二のデザインとなっています。 内部には陶磁器片やガラス片を用いて壁面や天井に精巧なモザイクが施され、カラフルなドラゴンや伝統的紋様が浮かび上がります。こうした緻密な装飾は、職人たちの高度な技術を物語っています。 廟の中心建築物は「天鼎宮(Điện Khải Thành)」と呼ばれ、カイディン帝の玉座が安置されています。また、ここには皇帝のブロンズ像や彼を模したレリーフ彫刻などがあり、内部装飾は息をのむほど豪奢です。 陵墓へのアプローチには層状に高くそびえる石の階段があり、その途中には文武官や動物像(象・馬など)が整然と並び、皇帝を守護するかのような厳粛な雰囲気を醸し出します。 内部壁面に施されたモザイクは、陶磁器やガラスが細分化され、鮮やかな色彩と複雑な文様を形作っています。陽光を受けて輝くその細工は、他の皇帝陵には見られない芸術性の高さが特徴です。 壁に使われているガラスや陶器は、瓶や食器を再利用したもので、日本のサクラビールの瓶も使用されています。 カイディン帝廟は、フエの歴史的建造物群とともに世界文化遺産として評価されています。その独創的な美術装飾と、近代ベトナム史...