スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(大阪府)が付いた投稿を表示しています

岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵):王権のかたち、軍事のかたち、祈りのかたち

藤井寺市の岡ミサンザイ古墳を訪ねました。以前に応神天皇陵には足を運びましたが、今回はアイセルシュラホール見学のあとに、まだ見ていなかった仲哀天皇陵へ向かいました。歩いていくと、他の天皇陵と同じく、前方後円墳の方墳側の先に、きれいに整えられた白い砂利の広場と鳥居があらわれます。結界の内と外をやわらかく区切る空間で、風が通るたびに砂利の乾いた音がして、ここが日々ていねいに守られていることを感じました。 外周を眺めていると、古墳そのものはやはり巨大で、近くに立つと全体の形がつかめません。堤の傾斜と樹木の緑、堀を思わせる低地が視界に断片的に入ってきて、遠近の尺度が失われていくようです。古市古墳群は世界遺産にも登録された巨大古墳の集中地帯ですが、岡ミサンザイ古墳もその一角らしく、個々の説明を超えて「古墳景観」がひとつの文化を形づくっているのだと実感しました。 案内板には、この古墳が室町時代には城として利用されたことが記されていました。堀と高まりを備えた地形は、有事には自然に防御施設へと転用されます。王権の象徴として築かれた墳丘が、時代を経て軍事的な機能を帯び、さらに現代では静謐な聖域として保全されている――同じ土の高まりが、歴史の局面ごとに意味を変え続けることに、時間の厚みを思いました。 鳥居の前で一礼し、しばらく砂利の広場に立っていると、アイセルシュラホールで耳にした祭りの掛け声がふとよみがえりました。台地の上に連なる前方後円墳、地域に根づく祭礼、そして今を生きる私の歩みが、一瞬だけ一本の線で結ばれたように感じます。古墳そのものの内部に立ち入ることはできませんが、外縁をめぐるだけでも、この土地が抱えてきた記憶の重さは十分に伝わってきました。次は古市古墳群の他の墳丘とも道をつなぎながら、季節を変えて歩いてみたいと思います。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR京都線/JR関空線/JR阪和線) 信太山駅 ↓(徒歩) 大阪府立弥生文化博物館 ↓(徒歩) 池上曽根史跡公園 ↓(徒歩) 信太山駅 ↓(JR阪和線/JR関空線/近鉄南大阪線) 藤井寺駅 ↓(徒歩) アイセルシュラホール ↓(徒歩) 岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵) ↓(徒歩) 藤井寺駅 周辺のスポット アイセルシュラホール 関連スポット 古市古墳群 誉田御廟山古墳(応神天皇陵) 仲津山古墳(仲津姫命陵) 市野山古墳(允恭天皇陵) ...

アイセルシュラホール:学びの船の短い航海、藤井寺の歴史をひと口サイズで

大阪府藤井寺市のアイセルシュラホールを訪ねました。 古市の古墳群は以前にいくつか巡ってきましたが、後から調べているうちに、船のような外観の巨大な建物が気になり、いつか立ち寄ろうと思っていました。ちょうど弥生文化博物館を見学した帰り道、藤井寺駅で下車すると、街にはだんじり祭りの掛け声が響き、秋の活気に背中を押されるように会場へ向かいました。ほどなく現れたアイセルシュラホールは想像以上に大きく、全景を収めるだけでもひと苦労なスケールです。外観から「巨大博物館」を連想していたのですが、実際は生涯学習センターや公民館機能を備えた複合施設で、展示は主に2階にまとまっていました。 歴史展示フロアは、古市古墳群や倭の五王、留学生・井真成、藤井寺の近現代史、そして近鉄バファローズの資料が一続きに配され、地域の通史をコンパクトに横断できる構成でした。まずは古市古墳群と倭の五王のコーナーへ。埴輪や石製品、鎧の出土品に加え、古墳の断面や墳丘のスケール感をつかめる模型が並びます。 中でも津堂城山古墳に関連する水鳥形埴輪は、のびやかな造形に当時の祭祀観念を感じさせ、実用品と聖域の境い目に立つような存在感でした。墳丘が点在する台地の上に政治と祭祀の場が重なっていたこと、そして列島と大陸の交流のうねりが古市の造形美に刻まれていることを、コンパクトな展示ながらも実感できます。 続く通路には井真成(せい しんせい/い まなり /いのまなり)の小コーナーがあり、墓誌レプリカなどを通じて、遣唐使とともに大陸へ渡った若者の息遣いに触れました。大陸側に名が刻まれ、再び郷土の施設に戻って物語を語り続けるという往還のドラマは、国際交流の歴史を「誰か一人の人生」に引き寄せて理解させてくれます。 藤井寺の地域史コーナーでは、町を支えた産業や交通、教育の足跡を辿りました。小山団扇の展示からは職人の技と暮らしが立ち上がり、河陽鉄道・河南鉄道・大阪鉄道といった路線の資料からは、都市圏の膨張と結びついた行き来の歴史が浮かび上がります。藤井寺球場や藤井寺教材園の記録も並び、まちの記憶が点から線、線から面へと広がる過程が見えてきました。 その延長線上にあるのが近鉄バファローズの展示です。ユニフォームやサイン入りのボール、バット、当時の雑誌などが所狭しと並び、球団を支えた選手とファンの熱量が資料の密度として残っています。私は野茂...

池上曽根史跡公園:弥生のスケール感を体感、稲作社会の設計図

大阪府和泉市の池上曽根史跡公園を歩きました。午前中に弥生文化博物館を見学した流れで、午後二時ごろお隣の公園へ。 まずは池上曽根弥生情報館に立ち寄り、発掘資料の展示や集落復元のパノラマをさらりと確認しました。ちょうど直前に博物館で弥生の基礎をおさらいしていたこともあり、ここでは頭の中の知識と現地の地形を照らし合わせる感覚が楽しく、早々に屋外へ出て復元建物へ向かいました。 視界の奥にそびえる巨大な高床建物がひときわ目を引きますが、まずは手前の小さな茅葺の建物を覗きます。低い軒と素朴な壁、踏みしめる土の感触から、住まいのスケール感や生活の息遣いが想像できました。 少し進むと視界が開け、広場と柱列が現れます。儀礼や共同の場として機能したと考えられる空間で、集落の中心が人々の祈りと暮らしを結びつけていたことが、足元の土と風の流れから伝わってきます。 その先には「やよいの大井戸」と呼ばれる大きな井戸があり、木組みで補強された構造の力強さに目を奪われました。安定した水の確保は稲作社会の要であり、共同体の持続を支えたインフラだったはずです。井戸の前に立つと、遠い昔にここで水を汲み、調理や祭祀に用いた人々の所作が自然に思い浮かびました。 そして、いよいよ巨大な高床式建物「いずみの高殿」へ。高く持ち上げられた床、堂々たる柱、風をはらむ屋根が、ふだんの住居とは異なる特別な機能を担っていたことを静かに語ります。貯蔵、儀礼、あるいは首長の権威の象徴——いずれであっても、共同体の意思や富を集約し、配分する場だったことは間違いありません。足場を渡りながら上を見上げると、木材の組み合いと陰影が美しく、設計と施工の技術の高さに改めて驚かされました。 池上曽根は弥生時代に栄えた大規模集落のひとつとして知られ、稲作とともに発展した社会の姿を、平面の図や写真では届かない立体感で示してくれます。情報館の展示で得た知識を、そのまま地形・建物・風景のスケールに重ね合わせられるのがこの公園の良さで、歩を進めるごとに、家並み・広場・水場・高殿という配置から、集落の秩序や役割分担が自然と立ち上がってきました。 博物館での学びを抱えたまま現地に立つと、過去は単なる年代ではなく、具体的な生活空間として迫ってきます。小さな茅葺の暮らしから、共同の儀礼、そして水と食の管理へ。池上曽根史跡公園は、その連なりを一続きの体験として...

大阪府立弥生文化博物館:令和7年度秋季特別展「伝世―弥生時代と古墳時代をつなぐモノ―」

朝から関東は雨の予報でしたので、以前から気になっていた大阪府立弥生文化博物館を訪ねました。大阪市内からは少し距離がありますが、信太山駅(しのだやまえき)から博物館へは色の違う遊歩道が続いており、案内に沿って迷うことなく到着できました。途中、法被姿の方々が交通整理をしていて太鼓や笛の音も聞こえ、本日はだんじり祭りの日だと後で知りました。土地の息づかいに背中を押されるような道中でした。 開館まもなくの10時前に入ると、エントランスにはセレモニーの会場が設えられ、受付の方に聞いてみると、本日が特別展「伝世―弥生時代と古墳時代をつなぐモノ―」の初日だと分かりました。まずは第一展示室へ。ここでは稲作の導入、石器から鉄器への転換、弥生土器の変遷といった、弥生文化の骨格が丁寧に整理されています。暮らしの道具や生産技術が社会をどう変えていくのか、展示ケース越しにも時間の流れがくっきり感じられました。 この博物館は邪馬台国近畿説のフィールドに比較的近いこともあってか、卑弥呼や邪馬台国関連の展示も充実しています。なかでも銅鏡や銅鐸のコーナーは見応えがあり、鏡背の文様や復元図を前にしていると、祭祀具が単なる「美術品」ではなく、権威や共同体をつなぐ媒体だったことが迫ってきます。 第一展示室を見終えるころ、特別展のオープニングセレモニーが始まり、一般も見学可とのアナウンス。せっかくなので参加しました。館長や教育委員会の方々の挨拶に続き、「学芸員が頑張って展示物を集めてくれた」という一言が印象に残ります。資料を借用するために各館と交渉を重ね、輸送や保存環境に細心の注意を払う――学芸員の方の学びと実務の積み重ねが、この場の一点一点を成立させているのだと実感しました。以前の自分なら「儀礼的」と受け取っていたかもしれない場面が、今日は舞台裏の努力を想像する入口になりました。 続く学芸員によるギャラリートークでは、特別展のキーワード「伝世(でんせい)」が腑に落ちました。作られてすぐ副葬されたのではなく、世代をまたいで大切に受け継がれたのちに古墳へ収められた品々――主に銅鏡――を通して、弥生と古墳の時間をつなぐ視点が提示されます。製作から埋納まで400年以上の時差を持つ例もあるという説明には驚かされました。モノが人と人、時代と時代を橋渡しする、その具体がここにあります。 展示では、大和天神山古墳の銅鏡群...

大阪・関西万博:夢洲に描かれた、テクノロジーと文化が交差する場所

4月から通信制の大学に入学したので、しばらくは旅行は月に一回ぐらいで我慢しようと思います。今月は始まったばかりの万博に行くことにしました。 2025年、再び大阪に世界が集まります。舞台となるのは、大阪湾に浮かぶ人工島・夢洲。ここで開催されるのが「2025年日本国際博覧会」、通称「大阪・関西万博」です。1970年に開催された伝説的な大阪万博から55年、今回は「いのち輝く未来社会のデザイン」という壮大なテーマのもと、人と地球、そして社会のあり方を問う万博が始まろうとしています。 会場の中央には「リング」と呼ばれる巨大な円形の構造物が設けられ、その周囲を各国のパビリオンや企業展示が囲みます。まるで未来都市のような空間で、来場者はぐるりと円を巡りながら、さまざまな価値観やテクノロジー、文化と出会うことになります。今回の万博では、150を超える国と地域が参加予定で、各国が独自の視点で「いのち」と「未来社会」に迫る展示を行います。 企業パビリオンでは、日本の最先端技術が一堂に会し、たとえば空飛ぶクルマや自動運転の次世代モビリティが実際に体験できる機会もあります。デジタル技術を駆使した展示や、環境配慮を徹底した建築・運営方法も注目されており、まさに未来社会の「実験場」として機能することが期待されています。 また、未来の社会課題に対する解決の糸口を探る場として、万博の副題には「未来社会の実験場(People's Living Lab)」という言葉が掲げられています。ここでは、技術だけではなく、人と人のつながりや、文化の融合、自然との共生といった、より根本的な問題についても来場者に問いかけてきます。 この万博のもうひとつの魅力が、公式キャラクター「ミャクミャク」です。一度見たら忘れられないユニークな姿は、生命の細胞と水の流れをイメージしており、「いのち」のコンセプトを象徴する存在として多くの人々に愛されています。 大阪・関西万博は、過去の栄光を振り返るだけのイベントではありません。これは、これからの日本、そして世界がどう生きていくのか、その道を模索するための舞台です。都市と自然、伝統と革新、個と共生のバランスをどう取るのか――夢洲の地で繰り広げられる6か月間の対話が、私たちにそのヒントを示してくれることでしょう。 GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION 大阪・...