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旧齋藤家別邸:砂丘地の起伏が生んだ立体の日本庭園

新潟市の旧齋藤家別邸を訪ねました。最初の印象は「建物が庭を額縁にしている」ことでした。畳の間や広縁に腰を下ろすと、視線は自然と外へ開き、主庭の起伏や緑の重なりが一枚の絵のように流れ込みます。建物と庭を一体として設計する「庭屋一如」という考え方が徹底され、どの部屋からも景色が変わって見えるつくりに、迎賓の場としてのもてなしの精神を感じました。 この別邸は、港町・商都として栄えた新潟を代表する豪商・四代齋藤喜十郎が大正7年(1918)に築いたものです。敷地は約4,500平方メートル。自然の砂丘地形を巧みに読み込み、斜面に水の流れや滝を設けた池泉回遊式の庭園が広がります。戦後の所有者移転を経て新潟市が公有化し、2012年に一般公開、2015年には庭園が国の名勝に指定されました。歴史がきちんと手当てされ、今も市民と旅人に開かれていることが嬉しくなります。 室内では、板戸に描かれた日本画が目を惹きました。牡丹に孔雀、花卉、竹に鶏――佐藤紫煙による板戸絵がいくつも残り、金地の意匠とともに光の加減で表情を変えます。 建具や欄間の細工も凝っていて、材の選び方から天井の張り分けまで、当主の趣味と職人の矜持が端々にあらわれていました。 庭は広く、池のまわりを歩くたびに視点が切り替わります。斜面の上からは石組みと流れが立体的に重なり、低い場所では水面越しに主屋が静かに浮かび上がるようでした。離れの茶席へ続く小径は、賑わいから一歩離れて気持ちを整える導入路のようで、庭のリズムを変えてくれます。回遊しながら「ここを客人にどう見せたのだろう」と思いを巡らせる時間が心地よかったです。 旧齋藤家別邸は、豪奢さを誇示するのではなく、自然と調和させて品よく見せる知恵が息づく場所でした。建物の開口から四季の変化を眺め、室内の絵と金のきらめきに目を遊ばせ、池畔の風に立ち止まる――滞在のすべてが、100年前の「もてなし」を今に体験するひとときになりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 北方文化博物館 ↓(徒歩) 北方文化博物館新潟分館 ↓(徒歩) 旧齋藤家別邸 ↓(徒歩) 新潟駅 周辺のスポット 北方文化博物館新潟分館 新潟市美術館 新潟市水族館 マリンピア日本海 リンク 旧齋藤家別邸 – The Niigata Saito Villa 旧齋藤家別邸 |新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情...

北方文化博物館新潟分館:新潟の旧家に残る文人の気配

この日は朝から新潟観光の日でした。白鳥の越冬地として知られる瓢湖からスタートし、そこからは交通機関の本数も多くないので徒歩で、まずは郊外の北方文化博物館を訪れました。その本館からさらに移動し、再度徒歩で新潟市街地へと向かいました。 バスの本数も限られているエリアなので、阿賀野川沿いの風や住宅地の雰囲気を感じながら、少しずつ街の中心へ歩いていく道のりです。郊外の田園風景から、やがてビルの立ち並ぶ市街地へと景色が移り変わっていくのを眺めながら、「伊藤家がなぜ市内にも別邸を構えたのか」ということに思いを巡らせました。 ようやくたどり着いた北方文化博物館新潟分館は、南浜通の静かな一角に建つ、落ち着いた佇まいの旧家でした。建物は明治28年に、日本海側の油田開発で財を成した清水常作が別邸として建てたもので、その後、明治末期に伊藤家七代目・伊藤文吉によって取得され、新潟別邸となったそうです。つまりここは、郊外の「豪農の館」と市街地とをつなぐ、伊藤家のもう一つの顔が残された場所でもあります。 門をくぐると、まず目に入るのは手入れの行き届いた庭と、二階建ての和風建築、奥に控える洋館です。新潟分館の洋館は、歌人・美術史家・書家として知られる會津八一が晩年を過ごした住まいであり、現在は彼の書や資料、新潟ゆかりの僧・良寛の書も展示する博物館になっています。 館内に入ると、旧家の各部屋がそのまま展示空間として生かされているのが印象的でした。古文書や巻物が静かに並び、窓際には使い込まれた木の机が置かれています。その机の上に開かれた帳簿や筆記具を想像すると、ここで実際に誰かが腰を下ろし、仕事や創作に向き合っていた気配がふっと立ち上がってくるようでした。 床の間には掛け軸が掛かり、その脇には控えめな意匠の壺や花器が置かれています。展示のために「並べました」というよりも、かつての暮らしの延長線上にあるような、自然な配置が心地よく感じられました。伊藤家の別邸として客を迎え、やがて會津八一が住まいとした場所だけあって、華美すぎず、それでいて文化的な香りのあるしつらえです。 部屋を移動するごとに、展示内容は少しずつ表情を変えます。ある部屋では會津八一の力強い書が壁面を飾り、別の部屋では、良寛の書が静かな気配をまとって並んでいました。どちらも新潟にゆかりの深い人物であり、北方文化博物館の収集・保存活動の延長...

旧師団長官舎(上越市):高田に残る近代化の足跡、モダン建築と和室が織りなす静かな午後

秋も深まった本日、新潟県上越市の旧師団長官舎を訪れました。午前中は春日山城跡を巡り、戦国時代の歴史に思いを馳せたあと、高田の街に移動し、近代の記憶が色濃く残る旧師団長官舎に足を運びました。 門をくぐると、まず目に飛び込んできたのは長岡外史(ながおか がいし)の銅像です。その姿は堂々としていて、この場所がただの歴史的建築物ではなく、近代日本の歩みを伝える特別な場所であることを感じさせます。 旧師団長官舎の外観は、明治時代の洋風建築らしい落ち着いた佇まいです。白い壁と大きな窓が印象的で、当時のモダンな雰囲気を今に伝えています。内部へ進むと、時代を感じさせる趣ある洋室が広がり、シャンデリアや重厚な家具が非日常の空気を演出していました。一部はレストランとして活用されているようで、歴史ある空間で食事を楽しむこともできるのは魅力的です。 さらに印象的だったのは、2階に和室が設けられていることです。洋風建築のなかに和室があるというのは、日本の近代化のなかで和洋折衷が進んだ時代背景を象徴しているように感じました。畳の香りと、外の景色を取り込む障子の美しさが、どこか懐かしさを呼び起こします。 旧師団長官舎は、明治から昭和初期にかけての軍都・高田を今に伝える貴重な建物です。戦争の記憶だけでなく、近代日本がどのように西洋文化と向き合い、独自のスタイルを築き上げてきたかを体感できる場所でもありました。歴史好きの方だけでなく、建築や文化に興味のある方にもぜひ一度訪れてほしいスポットです。 旅程 東京 ↓(新幹線/えちごトキめき鉄道) 春日山駅 ↓(徒歩) 春日神社 ↓(徒歩) 林泉寺 ↓(徒歩) 春日山神社 ↓(徒歩) 春日山城跡 ↓(徒歩) 上越市埋蔵文化財センター ↓(徒歩) 春日山駅 ↓(えちごトキめき鉄道) 高田駅 ↓(徒歩) 平出修の旧居 ↓(徒歩) 旧師団長官舎 ↓(徒歩) 高田駅 ↓(新幹線/えちごトキめき鉄道) 東京 周辺のスポット 高田城跡 上越市立歴史博物館 リンク 旧師団長官舎 | 【公式】上越観光Navi - 歴史と自然に出会うまち、新潟県上越市公式観光情報サイト レストラン エリス - 大切な日のレストラン 旧師団長官舎|新潟の観光スポット|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ 旧師団長官舎 - 上越市ホームページ 旧師団長官舎|ロケ地検索|新潟...

上越市埋蔵文化財センター:春日山の稜線、土器の温度、上杉の気配と縄文の声

新潟県の上越市埋蔵文化財センターを訪れました。朝は上杉謙信ゆかりの林泉寺から始まり、春日山城跡で山風を受けながら往時の気配に耳を澄ませ、その足でセンターへ向かいました。敷地の入口では、馬上の謙信像が凛とした姿で迎えてくれます。甲冑の威厳をまとった横顔は、城下の記憶を今に伝える門標のようで、ここから先が「土地の時間」に触れる場であることを静かに告げていました。 館内に入ると、まず目に入るのは発掘成果に裏打ちされた実物資料の数々です。上越の大地から掘り起こされた縄文時代の土器は、火焔のように立ち上がる装飾や、掌に心地よい丸みをたたえた器形が印象的でした。日本海沿岸と山岳地帯が交わるこの地域では、人々が海と山の恵みを行き来しながら暮らしを築いてきたのでしょう。器の縁に残る細かな文様をたどっていると、土を捏ね、火で焼き締め、日々の食と祈りを支えた手つきが、時間を越えて指先に伝わってくるようでした。 時代を下ると、展示は戦国の空気へと切り替わります。直江兼続の名を冠した鎧が放つ緊張感は、春日山の山城で磨かれた上杉の軍制と美意識を思わせました。戦場で命を守るための実用品でありながら、威厳と品格をまとわせる造形は、権威を示す記号であると同時に、武士が内面を律するための鏡でもあったのだと感じます。朝に歩いた城跡で想像した鬨の声が、ここでは金具の一片や鋲の並びから静かに立ち上がり、歴史が単なる年表ではなく、重さと温度を伴った生活の連続であったことを教えてくれました。 林泉寺の静謐(せいひつ)、春日山城跡の風、そしてセンターの展示がひとつの線でつながると、上越という土地がもつ時間の層が立体的に見えてきます。寺の境内で感じた祈りは縄文の土器に通じ、山城で想った規律は甲冑の意匠に映り、個々の場所の体験が互いを照らし合わせて深まっていきました。発掘資料はどれも土中から現れた無口な証人ですが、配置や解説に導かれて耳を澄ますと、当時の人々の選択や迷い、望みが、確かな重みをもって語り始めます。 見学を終えて外に出ると、入口の謙信像が行きに見たときよりも近しく感じられました。名将の名だけでなく、その背後に広がる長い暮らしの積み重ねに触れたからかもしれません。史跡を歩き、資料を見て、また史跡に思いを返す——その往復運動こそが旅の醍醐味であり、学びの原点だとあらためて思います。上越市埋蔵文化財センターは...

春日山城跡:落ち葉の音とともに歩く戦の山

上越の秋を感じながら、戦国の記憶が眠る山へ足を運びました。 コロナ後初の遠出で、午前中は林泉寺などを見学し、昼頃に春日山城跡の麓にある春日山神社に到着しました。境内から北へ延びる道を進むと、直江屋敷跡の表示が現れ、かつて上杉家を支えた家臣団の生活圏がこの山裾に広がっていたことを想像させてくれます。 ゆるやかな登りに体が慣れてくるころ、小さな毘沙門堂が現れ、上杉謙信が信仰した毘沙門天に守られた城であったことを静かに語りかけてきます。 道はよく整備され、落ち葉を踏む音が心地よいリズムになります。山城らしく石垣の壮観はなく、曲輪や堀切、土塁といった土の造形が主役です。やがて本丸に至ると、視界を遮るものの少ない尾根筋に風が通り、石碑がひっそりと往時を示しています。復元建物のない城跡に初めて立った私は、最初こそ拍子抜けしましたが、建物が消えたことでかえって地形の工夫がよく見え、戦国の防御思想が足裏から伝わってくるようでした。紅葉に彩られた尾根伝いの道は、歴史散歩とハイキングのちょうど中間の愉しさがあります。 春日山城は、越後を治めた上杉謙信の本拠として知られる中世の山城です。海と山に挟まれた交通の要衝を押さえ、麓の城下・寺社・在地の屋敷群と一体で機能しました。近世城郭のような壮麗な天守は持たず、自然地形を最大限に活かした曲輪群が連なります。謙信の後、上杉景勝の時代を経て拠点は移り、江戸時代には平城の時代となって山城は役目を終えました。だからこそ、今目にするのは土と森が主役の静かな城跡で、戦国の「現場」をそのまま歩いている実感が残ります。 南側へ下山すると、堂々たる上杉謙信公の銅像が姿を現しました。山上の静謐とは対照的に、ここには写真を撮る人の笑顔が集まります。ちょうど近くに休憩所があったので、少し遅めの昼食にそばをいただき、体の芯まで温まりました。素朴な味が、山道で高ぶった気持ちをやさしく落ち着かせてくれます。食後は、発掘成果や地域の歴史が学べる上越市埋蔵文化財センターへ。山で感じた断片的なイメージが、展示を通じて線で結ばれていくのが心地よく、春日山の一日が学びで締めくくられました。 復元建物がないことは、最初は物足りなく思えるかもしれません。しかし、春日山城跡は、地形そのものが築城の知恵であり、森と土が見せる静かな迫力が最大の見どころでした。紅葉の色づきと澄んだ空気のなか、...

春日山神社:静かな境内から、戦国の舞台へ足を踏み入れる

私は新潟県上越市の春日山神社を訪ねました。この日は朝から上越市内を歩いて観光しており、春日山城跡へ向かう流れの中で、まず春日神社、そして林泉寺へと参拝を重ね、いよいよ城跡のふもとにある春日山神社へと足を進めました。城の名を冠する土地を歩いていると、現在の街の穏やかさの中に、かつての軍事拠点としての緊張感が重なって見えてくる瞬間があります。 春日山神社の入口には、思わず足を止めてしまうほどの長い階段が構えていました。城へ向かう道の途中にある神社らしく、参拝そのものが小さな登城のようでもあります。一段ずつ上がっていくと、周囲の空気が少しずつ澄んでいき、日常の延長線が静かに切り替わっていく感覚がありました。 境内に入ると、季節はちょうど晩秋で、紅葉が見事でした。赤や黄に染まった葉が、神域の落ち着いた雰囲気に華やかさを添え、歴史の舞台を訪ねているという高揚感と、自然に包まれる安心感が同時に押し寄せてきます。 本殿で手を合わせた後、境内に掲示された春日山城の案内図に目を留めました。そこで意外に感じたのが、春日山神社が思っていた以上に山の中腹あたりに位置していることでした。ここまでの道のりでは、それほど急な坂を上った実感が少なかったため、地図を見て初めて「自分はもう、城に近い高さまで来ているのだ」と気づかされたのです。城跡めぐりは、目で追う地形と体で感じる地形が必ずしも一致しないところが面白く、当時の人々がどのようにこの山を使いこなしていたのか、想像がふくらみます。 春日山城は、戦国時代に越後を治めた上杉氏、とりわけ上杉謙信の居城として知られています。謙信は武勇だけでなく、領国統治や信仰にも厚い人物として語られ、毘沙門天への帰依を象徴する逸話が数多く残ります。春日山という山城は、そうした上杉氏の権威と実務の両方を支える拠点であり、尾根筋や曲輪を利用した広大な城域の中に、家臣団の屋敷や政務の機能が配置されていました。山全体を城として用いる発想は、守りの堅固さと同時に、日々の生活と政治が山の地形と不可分だったことを物語っているように思えます。 参拝を終えると、私は春日山城の本丸跡を目指して歩き出しました。最初の目的地は直江屋敷跡です。直江といえば、後に上杉家の重臣として名高い直江兼続を連想しますが、春日山の城下・城内には、上杉氏を支えた多くの家臣たちの痕跡が点在しています。神社の静...

林泉寺 (上越市):謙信公と共に歩む越後の古刹、静寂の境内に響く武将の記憶

新潟県の上越市に来ました。コロナ後でまだ旅行の感覚が取り戻せておらず、どこに行こうか悩んでいるときに、「上越新幹線」という言葉が目に入り、上越ってどこだ?という感じで決めました。 春日山城を目指して、林泉寺(りんせんじ)に寄りました。 林泉寺は、上杉謙信にゆかりのお寺です。受付を過ぎると、相談な山門が見えてきます。裏側にある「第一義」の扁額は、上杉謙信の直筆の複製です。オリジナルは宝物館にあります。 林泉寺は、上杉謙信の曾祖父(そうそふ、ひいじじ)の長尾重景(ながお しげかげ)が曇英恵応(どんえい えいおう)という曹洞宗の高僧に出会い、感銘を受け越後にとどまってもらったのが始まりです。その後、上杉謙信の祖父の長尾能景(ながお よしかげ)が、重景が亡くなったあとに菩提を弔うために、林泉寺を創建しました。 曇英恵応は、曹洞宗の高僧で、短期間ですが、永平寺の住職も務めました。 春日山城で長尾家の四男として生まれた虎千代(後の上杉謙信)は、妾の子であったため、長尾家の後継者として扱われず、7歳のときに林泉寺に入門しました。虎千代は、林泉寺六代住職の天室光育(てんしつこういく)の教育を7年間受けました。 林泉寺は、長尾家、上杉家の菩提寺で、上杉謙信のお墓もあります。 上杉謙信のお墓の隣には、川中島合戦の供養塔があります。 他に、堀氏、松平氏、榊原氏の菩提寺でもあり、今もお墓が残っています。 林泉寺の惣門(そうもん)は、春日山城の裏門を移築したもので、市の指定文化財です。現存の唯一の春日山城の建築物であり、上越市市最古の建造物でもあります。 宝物館には、林泉寺や上杉謙信に関する多くの貴重な資料が展示されています。武田晴信(後の信玄)に関する手紙では、ひらがなで愚痴が書かれており、上杉謙信女性説が広がるのも理解できます。 上杉謙信が亡くなったあと、景勝が会津、米沢へ移転になり、林泉寺も米沢に移転しました。 その後、上越の林泉寺は衰退しますが、堀氏の時代に再興され、江戸時代からは寺領を与えられ、現在に至ります。 旅程 東京 ↓(新幹線/えちごトキめき鉄道) 春日山駅 ↓(徒歩) 春日神社 ↓(徒歩) 林泉寺 ↓(徒歩) 春日山神社 ↓(徒歩) 春日山城跡 ↓(徒歩) 上越市埋蔵文化財センター ↓(徒歩) 春日山駅 ↓(えちごトキめき鉄道) 高田駅 ↓(徒歩) 平出修の旧居 ↓(徒歩...