東京都台東区の東京都美術館に行きました。今回は、東京都美術館開館100周年記念として開催されている「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画」を見ることが目的です。 大英博物館というと、エジプトやギリシア、メソポタミアなど世界各地の文化財を所蔵している博物館という印象が強いですが、日本美術についても約4万点に及ぶ大規模なコレクションを所蔵しています。今回の展覧会では、そのなかから江戸時代の絵画や浮世絵を中心に紹介されていました。 展覧会のプロローグは「大英博物館と『日本』をつないだ貢献者たち」です。オーガスタス・ウォラストン・フランクス、ウィリアム・アンダーソン、ウィリアム・ガウランド、アーサー・モリソン、ローレンス・ビニョンという、日本美術コレクションの形成に大きな役割を果たした5人が紹介されていました。 興味深かったのは、全員が最初から日本美術を専門にしていたわけではないことです。アンダーソンは外科医としてお雇い外国人となり、日本滞在中に絵画を収集しました。ガウランドも造幣局で働くために来日した技術者でしたが、日本の古墳を研究し、現在では「日本考古学の父」とも呼ばれています。一方、フランクスやビニョンは大英博物館の学芸員として、こうした収集家のコレクションを博物館へ受け入れることに重要な役割を果たしました。 明治時代は、日本美術にとって大きな転換期でもありました。明治政府による神仏分離と、それに伴って広がった廃仏毀釈のなかでは、多くの仏教関係の文化財が失われたり、寺院から離れて各地へ散逸したりしました。一方で、開国後の欧米では日本美術への関心が高まり、多くの作品が海外へ渡っていきました。 文化財が国外へ流出したことを単純に良いこととは言えませんが、その結果として海外の博物館や収集家のもとで保存され、現在まで残った作品もあります。日本で価値を失いかけていたものを外国人が熱心に集めていた時代があったことを考えると、大英博物館の日本美術コレクションそのものが、近代日本の歴史を物語る存在のようにも感じました。 第1章は「花開く江戸絵画」で、「江戸時代以前」「江戸時代前期」「江戸時代中期から後期、そして明治へ」という流れで、日本絵画の変化をたどっていきます。 「江戸時代以前」で特に印象に残ったのが、桜井香雲による《法隆寺金堂壁画 九号壁 模本》です。法...
東京都墨田区の江戸東京博物館に行きました。 この日は、まず江戸東京博物館リニューアル記念特別展「洋館 明治の夢と挑戦」を見学し、その後、常設展へ向かいました。以前、別の特別展を見に来たときにも常設展へ行こうとしたのですが、エレベーターの前に多くの人が並んでいたため、そのときは諦めています。今回はようやく常設展を見ることができました。 エレベーターで6階まで上がり、常設展示室へ入ると、まず驚いたのがその巨大な空間です。その中央には、実物大で再現された日本橋が架かっていました。 江戸時代の日本橋は、慶長8年(1603年)に架けられたとされます。江戸幕府が全国の道路網を整備すると、日本橋は東海道をはじめとする五街道の起点となりました。現在でも道路の距離を測る基準となる「日本国道路元標」が日本橋に置かれており、江戸時代から続く東京の交通の中心地です。 再現された橋を渡りながら巨大な展示空間を見渡すと、左側には芝居小屋があり、右側には服部時計店が見えました。一つの博物館の中に、江戸の町と近代東京の風景が同居しているようで、これから江戸から東京へと時代を歩いていくことが視覚的にも分かります。 6階と5階の半分ほどが江戸に関する展示となっていました。6階には「東海道五十三次図屏風」や徳川家康の座像、江戸城の鯱などが展示されていました。 徳川家康が江戸に幕府を開いたのは慶長8年(1603年)です。それ以前の江戸は現在の東京ほど巨大な都市ではありませんでしたが、幕府の成立後、江戸城を中心として大規模な都市整備が進められました。武家地、寺社地、町人地が形成され、水路や道路が張り巡らされていきます。18世紀には世界でも有数の人口を抱える大都市へと成長しました。 5階へ下りると、火消しや時刻制度、書籍など、より江戸の人々の生活に近い展示が増えてきました。 特に面白いのは、江戸時代というものが、単に将軍や武士の時代としてではなく、巨大都市で暮らした普通の人々の歴史として紹介されていることです。木造住宅が密集していた江戸では火災が頻発したため、町火消などの消防組織が発達しました。また、出版文化も盛んになり、浮世絵や草双紙などが大量に流通しました。武士だけではなく、商人や職人、庶民の生活によって巨大都市江戸が成り立っていたことが分かります。 刀などの展示もありましたが、一般的に海外で想像される「...