福島県双葉郡の東京電力廃炉資料館に行きました。今回の福島訪問では、東日本大震災・原子力災害伝承館を主な目的としており、三春滝桜に立ち寄ったあと伝承館を見学し、その後はとみおかアーカイブ・ミュージアムに向かうため電車で富岡町まで来ていました。富岡駅から歩いて移動している途中、地図の中に東京電力廃炉資料館を見つけ、これは先に見ておいた方が流れとして理解が深まりそうだと思い、予定を少し変えて立ち寄ることにしました。 館内に入ると、まず二階の映像室へ案内され、最初に映像を見ることになりました。東京電力自身が設けた廃炉に関する施設ということもあり、映像はお詫びと反省から始まります。原子力や震災に関する展示施設はいくつもありますが、事業者自身が自らの事故を語る場はやはり独特で、そこには一般的な博物館とは少し異なる重さがありました。華やかな導入や技術の誇示ではなく、まず事故に向き合う姿勢が前面に出ている点に、この施設の性格がよく表れていたように思います。 展示は、原子力発電の仕組みを説明するところから始まっていました。燃料棒の実物大レプリカなどもあり、原子力発電がどのようにエネルギーを生み出しているのかを視覚的に理解できるようになっています。原子力発電というと、どうしても「危険」「放射能」といったイメージばかりが先に立ちますが、そもそもどういう仕組みで動いているのかを知らなければ、事故の意味や廃炉の難しさも十分には見えてきません。その意味で、この導入は非常に良い構成だと感じました。技術を知ることは、賛成か反対かを決める以前に、問題をきちんと理解するための出発点なのだと思います。 続いて、安全装置の説明では、「止める」「冷やす」「閉じ込める」という三段階によって安全が守られていることが示されていました。原子炉は止めればそれで終わりではなく、止めた後も熱を持ち続けるため、冷やし続けなければならないという点は、言われてみれば当然でありながら、普段はあまり意識しない部分です。そして、その「冷やす」が失われると、「閉じ込める」ことまで困難になり、放射性物質の漏えいへとつながっていくことも説明されていました。事故とは一つの大きな失敗が突然起きるものというより、複数の防御が連鎖的に崩れていくことで発生するのだと、改めて実感させられました。 その後には、福島第一原子力発電所の一号機から四号機まで...
福島県双葉郡にある東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れました。今回の福島行きは、この伝承館を主な目的として計画したものでしたが、道中では三春滝桜にも立ち寄り、そのあとタクシーで伝承館へ向かいました。満開の桜が広がる三春から、震災と原子力災害の記憶を伝える地へ移動する流れは、同じ福島県の中にある多様な風景と歴史を強く意識させるものでした。 伝承館の周辺に着いてまず印象に残ったのは、見渡すかぎり平らな土地が広がっていたことです。建物はぽつぽつと見えるものの、全体としては広大な空間が整然と広がっており、ここで一度すべてが失われ、その後にあらためて整備が進められてきたことが、景色そのものから伝わってきました。言い方として適切ではないかもしれませんが、その光景には、まるで街づくりゲームの始まりの段階を見ているような、不自然なほどの整い方がありました。普通の町の風景にあるはずの、長い時間の積み重ねによる雑然さや生活の層が薄く、そこに震災と原子力災害の大きさを感じました。 館内に入ると、まず震災に関する映像を見ました。2011年3月11日の東日本大震災は、地震と津波という自然災害に加え、福島第一原子力発電所の事故によって、被害がきわめて長期的で複雑なものとなった災害でした。発生当時にリアルタイムで見た映像や、その後テレビで何度も繰り返し目にしてきた場面、そして被災者の方々の声は、時間がたった今でも胸に重く響きます。何度見ても慣れるようなものではなく、そのたびに当時の衝撃と、そこから続く長い苦しみを思わされます。 その後、円形の映像室の周りをめぐる螺旋状の廊下を上がって二階へ向かいました。この廊下に沿って地域の歩みが描かれており、展示の導入として非常に印象的でした。そこには、2011年の出来事だけではなく、この地域が近代以降どのような産業とともに歩んできたかが示されていました。1884年の磐城炭鉱の操業にはじまり、エネルギー供給を支える地域としての歴史が積み重ねられ、1957年には常磐共同火力勿来発電所が運転を開始し、さらに原子力発電の時代へと進んでいきます。1966年の東海発電所、1971年の福島第一原子力発電所の運転開始と続く流れを見ると、この地が日本の近代化や高度経済成長の中で、首都圏を含む広い地域のエネルギーを支える役割を担ってきたことが分かります。 一方で、その年表には、...