春分の日に、国会議事堂の衆議院参観に行きました。国会議事堂は、現在の建物が大正9年(1920年)に着工され、17年の歳月をかけて昭和11年(1936年)に完成した建物です。また、日本で最初の帝国議会が開かれたのは明治23年(1890年)で、国会議事堂は日本の議会政治の長い歩みを象徴する場所でもあります。テレビや教科書で何度も見てきた建物ですが、実際にその中に入ってみると、単なる「政治の舞台」ではなく、歴史そのものが積み重なった空間なのだと感じました。 この日は休日参観だったため、永田町に着いてからまず入口を探しました。しかし、どこから入ればよいのかが分からず、近くにいた警察官に聞こうとしたところ、どうやら重要な警備の最中だったらしく、「すみません。話しかけないでください」と言われました。そこで、ひとまず建物の周囲を歩いてみることにしました。参議院議員会館と国会の間の道を進んでいくと、警察が一時的なバリケードのようなものを作っており、その間をバンが通り抜けていきました。通過後には素早く片づけが始まり、ほんの短い時間の出来事でしたが、要人警護というものが、こうした緊張感のある現場で支えられているのだと実感しました。普段はニュースの映像の向こう側にあるものとして見ていた警備が、急に生々しい現実として目の前に現れた気がしました。 そのまま参議院側の裏手を進んでいくと、参議院の参観入口が見つかり、ようやく方向感覚がつかめました。そこから衆議院側へ回って、無事に衆議院参観の入口に到着しました。休日は受付開始が参観時間の15分前からとのことで、それまで待合室で待つことになりましたが、室内はかなり混んでいました。家族連れも多く、子どもたちの姿も目立ちました。国会というと、普段はどこか遠い存在として語られがちですが、こうして休日に多くの人が足を運んでいる様子を見ると、政治の場であると同時に、社会科見学の延長のように市民へ開かれた場所でもあるのだと感じます。 やがて案内が始まり、中へ入ると、まず目に入ったのは階段や廊下に敷かれた赤い絨毯でした。国会議事堂というと荘厳で新しさのない建物という印象は持っていましたが、実際に見ると、その赤絨毯はかなり使い込まれていて、ところどころ擦れていました。長年、多くの議員や関係者、来賓、参観者がこの上を歩いてきたのだろうと思うと、その傷みさえも建物の歴...
東京都渋谷区にある國學院大學博物館に行きました。現在、大学で学芸員のための勉強をしていることもあり、以前から他の大学博物館を見てみたいと思っていました。大学博物館には、それぞれの大学が積み重ねてきた研究の特色が表れます。國學院大學は神道研究や日本文化研究でよく知られているため、どのような展示が行われているのか、前から気になっていました。特に神道の展示が充実していると聞いていたので、今回はその点にも期待しながら足を運びました。 このとき開催されていた企画展は「和の硯-SUZURI-」でした。硯というと、書道で使う黒くて重い道具という程度の印象しかありませんでしたが、展示を見ているうちに、それが単なる文具ではなく、漢字文化そのものを支えてきた重要な道具であることがよく分かりました。第一章の「漢字文化と硯」では、筆・墨・硯・紙という文房四宝が、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったことが紹介されていました。文字を書くための道具が伝来したということは、単に物が輸入されたという話ではなく、政治、記録、学問、祭祀といった社会の仕組みそのものが一緒に入ってきたということでもあります。古代国家の形成と文字文化の受容は切り離せない関係にあり、その入口に硯があるのだと思うと、急にその存在が重みを帯びて見えてきました。 ちょうど先日、斎宮の博物館で円形硯がいくつも展示されているのを見たばかりだったので、今回の展示ではその記憶とも自然につながりました。博物館を巡っていると、別の地域で見た資料が思わぬところで結びつくことがありますが、まさにその感覚がありました。ひとつの遺物だけを見ていたときには分からなかったことも、別の展示と重ねることで立体的に理解できるのが面白いところです。硯は地味な道具のようでいて、古代の文字文化や行政、信仰の実態を物語る存在なのだと改めて感じました。 第二章の「和硯と日本地図」では、日本各地の硯の産地が紹介されていました。北は岩手の紫雲硯から、南は屋久島硯まで、各地の石の個性を生かした多種多様な硯が並んでおり、思っていた以上に地域色の強い世界であることに驚きました。硯というと黒いものを想像していましたが、実際には石材の違いによって表情はかなり異なり、福井県の宮川硯のように赤みを帯びたものもありました。墨を磨るための道具でありながら、その見た目には工芸品としての魅力もあり...