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投稿

三鷹市星と森と絵本の家/旧東京天文台高等官官舎:天文台の森に残る、大正の官舎で出会う絵本と星の世界

東京都三鷹市にある星と森と絵本の家に行きました。この日は国立天文台を目的に三鷹まで来ており、受付で近くに旧東京天文台高等官官舎を再利用した施設があると教えていただき、見学を終えたあと、帰りに立ち寄りました。天文学の最前線に触れたあとに、同じ敷地の中で子どもたちに開かれた施設を訪ねる流れはとても自然で、国立天文台のある土地が、研究だけでなく学びや文化にもつながっていることを感じさせてくれました。星と森と絵本の家は、国立天文台の協力のもと三鷹市が設置・運営している施設で、絵本との出会いや体験を通じて、子どもたちの知的好奇心や感受性を育む場として整えられています。 この施設の大きな魅力は、単なる読み聞かせや児童向け展示の場ではなく、建物そのものに深い歴史があることです。もともとは東京天文台、現在の国立天文台が麻布飯倉から三鷹へ移転する過程で建てられた旧1号官舎で、大正4年、1915年に高等官官舎として建設されたものだそうです。東京天文台は、都心では敷地が手狭になったことに加え、都市の明かりによって観測条件が悪くなったため、より観測に適した三鷹へ移ることになりました。つまりこの建物は、東京の近代化と天文学の発展、その両方の歴史を静かに背負ってきた建物でもあります。 実際に建物の中に入ると、たしかにただの新しい公共施設とは違う空気がありました。長い廊下や和室、木の質感を生かしたつくりには、大正から昭和へと続く日本の住宅の面影が残っており、時間が少しゆっくり流れているように感じられます。館内には数多くの絵本が本棚に並び、子どもたちが自由に手に取れるようになっていましたが、その本棚や部屋のたたずまい自体が、すでに一つの展示のようでもありました。 古い電話やラジオなども置かれており、建物を保存するだけでなく、そこで営まれていた暮らしの記憶まで伝えようとしているように思えました。三鷹市の案内でも、旧官舎部分は大正・昭和の時代にタイムスリップしたような感覚を味わえる空間と紹介されています。  印象的だったのは、絵本の家でありながら、天文台の敷地にある施設らしく、星や宇宙への入り口があちこちに用意されていたことです。壁には星座が展示され、月の満ち欠けもわかりやすく示されていて、子ども向けでありながら、大人でもつい足を止めて見入ってしまう親しみやすさがありました。天文に関する絵本や...
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国立天文台:暦と観測がつなぐ空へのまなざし

東京都三鷹市にある国立天文台を歩いていると、ここが単なる見学施設ではなく、日本の近代科学の時間が幾重にも積み重なった場所なのだと、門をくぐる前から感じられました。正門は立派でありながら、どこか落ち着いた古さをまとっており、これから入る場所が長い歴史を背負っていることを静かに伝えてきます。国立天文台の前身は1888年に麻布に置かれた東京帝国大学附属東京天文台で、関東大震災の翌年である1924年に三鷹へ移転しました。現在の三鷹キャンパスは国立天文台の本部として、国内外の観測施設の統括や研究、観測装置の開発、大学院教育まで担っています。 入口で手続きを済ませたあと、第一赤道儀室を目指して歩き始めました。ところが、途中でトイレに立ち寄ったことで少し方向感覚が狂い、気がつけば天文台歴史館に着いていました。別名が「大赤道儀室」なので、最初は道を間違えたことにすぐには気づきませんでした。2階が本来の入口らしいのですが、1階にも大きな入口があり、そちらから自然に入ってしまったのも、あとで振り返るとこの見学らしい始まりだったように思います。まっすぐ目的地に着く見学も悪くありませんが、歴史ある施設では、少し迷うことでかえって全体の広がりが見えてくることがあります。 1階の展示は幅広い内容でしたが、歴史好きの私に特に印象深かったのは、岡田芳朗文庫による「絵暦」の展示でした。江戸時代ごろの人々が、暦という一見すると実用一辺倒に思えるものに、絵や遊び心を織り込みながら日々の時間を理解していたことがよく伝わってきました。数字をさいころに見立てて表したり、年中行事を絵で示したりする工夫を見ていると、暦は単なる日付の表ではなく、暮らしと文化そのものだったのだと実感します。天文学というと、巨大望遠鏡や最新観測の世界をすぐに連想しがちですが、その根には時を測り、季節を知り、社会の営みを整えるという、古くからの人間の切実な関心がありました。ここで最初に絵暦に出会えたことは、後に見る巨大な観測装置の意味を、少し柔らかく受け止める助けになったように思います。 2階に上がると、雰囲気は一変しました。そこには大きなドームと巨大な望遠鏡があり、まさに天文台らしい光景が広がっていました。天文台歴史館の建物は1926年に完成したもので、木製ドームの内部には65センチメートル屈折望遠鏡が収められています。この望遠鏡はド...

国会議事堂:衆議院国会参観:赤絨毯の先の日本の政治の舞台

春分の日に、国会議事堂の衆議院参観に行きました。国会議事堂は、現在の建物が大正9年(1920年)に着工され、17年の歳月をかけて昭和11年(1936年)に完成した建物です。また、日本で最初の帝国議会が開かれたのは明治23年(1890年)で、国会議事堂は日本の議会政治の長い歩みを象徴する場所でもあります。テレビや教科書で何度も見てきた建物ですが、実際にその中に入ってみると、単なる「政治の舞台」ではなく、歴史そのものが積み重なった空間なのだと感じました。 この日は休日参観だったため、永田町に着いてからまず入口を探しました。しかし、どこから入ればよいのかが分からず、近くにいた警察官に聞こうとしたところ、どうやら重要な警備の最中だったらしく、「すみません。話しかけないでください」と言われました。そこで、ひとまず建物の周囲を歩いてみることにしました。参議院議員会館と国会の間の道を進んでいくと、警察が一時的なバリケードのようなものを作っており、その間をバンが通り抜けていきました。通過後には素早く片づけが始まり、ほんの短い時間の出来事でしたが、要人警護というものが、こうした緊張感のある現場で支えられているのだと実感しました。普段はニュースの映像の向こう側にあるものとして見ていた警備が、急に生々しい現実として目の前に現れた気がしました。 そのまま参議院側の裏手を進んでいくと、参議院の参観入口が見つかり、ようやく方向感覚がつかめました。そこから衆議院側へ回って、無事に衆議院参観の入口に到着しました。休日は受付開始が参観時間の15分前からとのことで、それまで待合室で待つことになりましたが、室内はかなり混んでいました。家族連れも多く、子どもたちの姿も目立ちました。国会というと、普段はどこか遠い存在として語られがちですが、こうして休日に多くの人が足を運んでいる様子を見ると、政治の場であると同時に、社会科見学の延長のように市民へ開かれた場所でもあるのだと感じます。 やがて案内が始まり、中へ入ると、まず目に入ったのは階段や廊下に敷かれた赤い絨毯でした。国会議事堂というと荘厳で新しさのない建物という印象は持っていましたが、実際に見ると、その赤絨毯はかなり使い込まれていて、ところどころ擦れていました。長年、多くの議員や関係者、来賓、参観者がこの上を歩いてきたのだろうと思うと、その傷みさえも建物の歴...

國學院大學博物館:渋谷で出会う神道と考古、そして和硯の世界

東京都渋谷区にある國學院大學博物館に行きました。現在、大学で学芸員のための勉強をしていることもあり、以前から他の大学博物館を見てみたいと思っていました。大学博物館には、それぞれの大学が積み重ねてきた研究の特色が表れます。國學院大學は神道研究や日本文化研究でよく知られているため、どのような展示が行われているのか、前から気になっていました。特に神道の展示が充実していると聞いていたので、今回はその点にも期待しながら足を運びました。 このとき開催されていた企画展は「和の硯-SUZURI-」でした。硯というと、書道で使う黒くて重い道具という程度の印象しかありませんでしたが、展示を見ているうちに、それが単なる文具ではなく、漢字文化そのものを支えてきた重要な道具であることがよく分かりました。第一章の「漢字文化と硯」では、筆・墨・硯・紙という文房四宝が、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わったことが紹介されていました。文字を書くための道具が伝来したということは、単に物が輸入されたという話ではなく、政治、記録、学問、祭祀といった社会の仕組みそのものが一緒に入ってきたということでもあります。古代国家の形成と文字文化の受容は切り離せない関係にあり、その入口に硯があるのだと思うと、急にその存在が重みを帯びて見えてきました。 ちょうど先日、斎宮の博物館で円形硯がいくつも展示されているのを見たばかりだったので、今回の展示ではその記憶とも自然につながりました。博物館を巡っていると、別の地域で見た資料が思わぬところで結びつくことがありますが、まさにその感覚がありました。ひとつの遺物だけを見ていたときには分からなかったことも、別の展示と重ねることで立体的に理解できるのが面白いところです。硯は地味な道具のようでいて、古代の文字文化や行政、信仰の実態を物語る存在なのだと改めて感じました。 第二章の「和硯と日本地図」では、日本各地の硯の産地が紹介されていました。北は岩手の紫雲硯から、南は屋久島硯まで、各地の石の個性を生かした多種多様な硯が並んでおり、思っていた以上に地域色の強い世界であることに驚きました。硯というと黒いものを想像していましたが、実際には石材の違いによって表情はかなり異なり、福井県の宮川硯のように赤みを帯びたものもありました。墨を磨るための道具でありながら、その見た目には工芸品としての魅力もあり...

京都文化博物館:企画展「アイヌの美―彩りと輝き―」:うずまきと対称の文様に惹かれて

京都文化博物館を訪れた日は、もともと開館に合わせて向かうつもりでしたが、京都御苑や新島旧邸で思いのほか足を止めてしまい、博物館に着いたころにはすでに昼を回っていました。けれども、そうして少し寄り道を重ねたあとにたどり着いたからこそ、京都という町の厚みを感じたまま展示に入ることができたようにも思います。 京都文化博物館は、京都の歴史と文化を紹介する博物館で、別館には明治39年(1906)竣工の旧日本銀行京都支店の建物も残っています。古都の文化を見せる場所として、建物自体にも時代の層が感じられるのが印象的です。 今回の目的は、企画展「アイヌの美―彩りと輝き―」でした。この展覧会は、服飾や木工芸に見られるアイヌの豊かな色彩感覚と美意識に注目し、衣服、ござ、首飾り、煙草入れ、マキリ、儀礼具、漆器などを通して、その美の世界を紹介する内容でした。また、チカップ美恵子さんの刺繍作品に加え、貝澤徹さん、下倉洋之さん、藤戸康平さんといった現代作家の作品も並び、過去の工芸と現代の表現が連続していることを感じさせる構成になっていました。 私は以前から、日本の歴史や文化を学ぶのであれば、本州中心の歴史だけではなく、アイヌや琉球についてもあわせて知りたいと考えていました。アイヌ民族は、20世紀半ばまで北海道、樺太、千島列島を主な生活圏とし、木や樹皮、骨、角、毛皮、魚皮、貝など身近な自然素材を用いて生活用具や儀礼具を作る一方、周辺の民族や和人との交流を通じて、布や糸、金属、ガラス玉なども取り入れ、独自の文化を発展させてきました。アイヌ文化は孤立したものではなく、北東アジアの諸民族や和人との長い接触の中で受け継がれてきた文化でもあります。 展示の冒頭では、チカップ美恵子さんの作品が並んでいました。私はそれまで、アイヌ文様とはどういうものかをはっきり理解していなかったので、作品を前にしても、これは作家自身の個性なのか、それともアイヌ文化に共通する造形なのかが分かりませんでした。ただ、見ているうちに、幾何学的で、うずまくようで、しかも左右の均衡を意識したような文様が繰り返し現れることに気づき、強い印象を受けました。先に進んで、国立民族学博物館所蔵の樹皮繊維の衣服や、煙草入れ袋、針入れ袋、ござなどを見たとき、そこに通じる造形がはっきり感じられ、ようやく「ああ、これがアイヌらしい意匠なのか」と腑に落ちま...

新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...