大学の考古学の授業で、近隣の遺跡について調べる必要があり、池袋東貝塚と氷川神社裏貝塚の手がかりを探すため、東京都豊島区の豊島区立郷土資料館に行きました。池袋というと、現在では繁華街やアニメ文化のイメージが強く、縄文時代の貝塚とはすぐには結びつきにくい場所です。そのため、実際に地域の資料を見れば、何か手がかりが得られるのではないかと思いました。 館内に入ると、まず目に入ったのは江戸時代から始まる大きな年表でした。歴史好きとしてはそれだけで興味を引かれましたが、今回の目的は貝塚や古い時代の遺跡だったので、少し嫌な予感もしました。一般的に、旧石器時代や縄文時代の資料が充実している展示であれば、年表もその時代から始まっていることが多いからです。豊島区の歴史展示は、どちらかというと近世以降に重点が置かれているように見えました。 とはいえ、その年表には豊島長崎の富士塚、自由学園明日館、長崎村、長崎神社など、自分がこれまでこのブログで取り上げてきた場所もいくつか登場していました。本来の目的からは少し外れますが、知っている場所が地域の歴史の流れの中に位置づけられているのを見るのは面白く、思わず時間をかけて眺めてしまいました。何度も歩いてきた場所でも、年表の中で見るとまた違った姿が見えてきます。 年表の向かい側の壁には、土器や石器などの考古資料が展示されていました。残念ながら、池袋東貝塚や氷川神社裏貝塚に直接関係する資料は見当たりませんでしたが、巣鴨遺跡や学習院大学周辺遺跡の資料がありました。目的の貝塚にたどり着けなかったのは残念でしたが、豊島区内にも古い時代の人々の痕跡が残っていることは確認できました。調査対象を変更する場合には、これらの遺跡も候補にできそうで、結果的には良い情報収集になりました。 その後の展示では、江戸時代の豊島区周辺の村の構成が紹介されていました。長崎村、池袋村、巣鴨村、上駒込村、雑司ヶ谷村など、現在の地名につながるような村の名前が並んでいます。特に長崎については、現在の椎名町駅周辺の印象が強かったため、椎名町という地名の方が古いのかと思っていました。しかし、地域としては長崎の名が古くから使われていたことが分かり、地名の由来や変化にも興味が湧きました。 近代以降の展示では、巣鴨監獄や戦時・戦後に関する資料も紹介されていました。展示の規模としては大きくありませんが...
キトラ古墳の壁画を見るために朝から明日香村を訪れ、キトラ古墳や高松塚古墳をめぐったあと、橿原市へ移動しました。目的は橿原神宮(かしはらじんぐう)を参拝することでしたが、その前に近くの奈良県立橿原考古学研究所附属博物館に立ち寄ったところ、想像していた以上に見応えがあり、気づけばかなり時間が過ぎていました。そのため、橿原神宮に向かう頃には、すでに夕方の空気になっていました。 橿原神宮は、初代天皇とされる神武天皇と、皇后である媛蹈鞴五十鈴媛皇后を祀る神社です。日本書紀などに伝わる神武天皇の即位の地、橿原宮の跡とされる場所に、明治時代に創建されました。古代そのものの遺構というより、近代国家の中で「日本のはじまり」を象徴する場所として整えられた神社でもあります。朝から飛鳥の古墳を見てきた後だったこともあり、古代の記憶と近代の国家観が重なる場所に来たような感覚がありました。 今回は北の入口から境内に入りました。まず印象に残ったのは、大きな木製の鳥居です。朱色に塗られた鳥居ではなく、木の色がそのまま生かされており、巨大でありながらも落ち着いた雰囲気がありました。そこから続く北参道はかなり長く、歩き始めてすぐに、境内の広さを実感しました。 参道には砂利がきれいに敷き詰められていました。見た目にはとても美しいのですが、距離が長いこともあり、歩いてみると意外と足を取られます。明日香村で古墳や史跡を歩いた後だったため、なおさら長く感じました。ただ、その歩きにくさも含めて、神域へ少しずつ近づいていく感覚がありました。舗装された道を効率よく進むのではなく、あえて時間をかけて歩くことで、日常の感覚から少し離れていくようでした。 拝殿のある区域に近づくと、北神門が見えてきました。これもまた大きく立派な門で、参道の長さに続いて、建物の規模にも圧倒されました。門をくぐると、広々とした空間の奥に拝殿が見えます。建物と建物の距離が非常に大きく、奥行きのある構成になっているため、視線が自然と遠くへ導かれていきます。 参拝したときには、正面に見える大きな建物を拝殿、そのさらに奥に見える建物を本殿のように感じていました。しかし後で調べてみると、私が拝殿だと思っていた建物は外拝殿で、本殿だと思っていた建物は内拝殿でした。本殿はさらに奥にあり、内拝殿での参拝も通常は事前の申し込みが必要なようです。実際に現地で見た...