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江戸東京博物館:特別展「大江戸礼賛」:リニューアル後の博物館でたどる、花のお江戸の記憶

東京都墨田区の江戸東京博物館に行きました。リニューアルオープンしたばかりということで、訪れるのを楽しみにしていました。 両国駅周辺ではちょうど大相撲が行われており、国技館のまわりには出待ちの人も含めて多くの人が集まっていました。そのため、最初は博物館へ向かう人はそれほど多くないようにも見えましたが、新しく作られた赤いアーチを進んでいくと、チケット売り場には長い行列ができていました。 今回は事前に特別展「大江戸礼賛」のチケットを購入していたため、長い列に並ばず、そのまま展示室へ向かうことができました。展示室内には行列こそありませんでしたが、企画展としては最終日であり、リニューアル後の注目も重なっていたため、会場内はかなり多くの人でにぎわっていました。ゆっくり一つひとつを見ていくには少し難しいほどでしたが、それだけ江戸という都市への関心の高さも感じられました。 展示の序章では、入口付近に「武蔵野図屏風」が展示されていました。現在の東京や埼玉の一帯は、かつて広く武蔵野と呼ばれていました。今では都市のイメージが強い東京も、江戸以前には野や林が広がる土地であり、その風景から展示が始まることで、江戸という都市がどのように形づくられていったのかを考える導入になっていました。 第1章の「将軍のお膝元」では、徳川家康が慶長8年、1603年に江戸幕府を開いたころから、明暦の大火までの江戸が紹介されていました。江戸はもともと日本の中心だったわけではなく、徳川政権の成立とともに、武士の都として急速に整えられていきました。江戸城を中心に大名屋敷や町が広がり、政治都市としての性格を強めていきます。明暦の大火以前の江戸城を描いた資料からは、後に大きく姿を変える前の江戸の様子を想像することができました。 この章では、紺糸素懸威五枚胴具足などの甲冑、鞍、刀、香箱、打掛なども展示されていました。絵画や書物が中心となる後半の展示に比べると、武家文化を象徴する実物資料が多く、海外から訪れた人にとっても、いかにも江戸時代らしい印象を受けやすい展示だったように思います。武士の都として始まった江戸の姿が、視覚的にもわかりやすく伝わってきました。 第2章の「江戸繁華」では、町人文化の開花がテーマになっていました。江戸は政治都市であると同時に、やがて巨大な消費都市、娯楽都市としても発展していきます。「江戸名所図会」...
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国立映画アーカイブ:写し絵からゴジラまで、日本映画の長い道のり

東京都中央区の国立映画アーカイブを訪れました。東京の中心部にありながら、館内に入ると、そこには映画という娯楽がどのように日本へ入り、どのように社会や文化と結びつきながら発展してきたのかをたどる、濃密な時間が広がっていました。国立映画アーカイブは、国立の美術館の一つでもあり、日本映画に関する資料を保存し、公開し、研究する施設です。映画というと、どうしても作品そのものや俳優、監督に目が向きがちですが、展示を見ていると、映画は単なる娯楽ではなく、技術、産業、スター、観客、そして時代の空気が複雑に重なり合って生まれてきた文化なのだと感じました。 展示の始まりは「日本映画のはじまり」でした。映画が日本に渡来する以前から、江戸時代には幻燈、いわゆるマジック・ランタンがオランダから伝わり、「写し絵」や「錦影絵」として広まっていました。暗い空間に映し出される絵と、それに添えられる語りは、現代の映画とは仕組みこそ違いますが、人々が映像と物語を楽しむ文化の原型のように見えます。ここでの語り物の伝統が、後の「活動弁士」につながっていくという流れは、とても興味深いものでした。映画は突然外国から入ってきた新技術であると同時に、日本にすでにあった語りや見世物の文化とも結びついて受け入れられていったのだと思います。 日本に映画が渡来したのは1896年ごろとされ、その後、日本でも映画作品が作られるようになりました。吉沢商店、横田商会、Mパテー商会、福宝堂といった初期の映画会社が登場し、それらが統合されて日活が誕生していく流れを見ると、映画が一つの産業として急速に形を整えていったことが分かります。まだ映画というもの自体が新しかった時代に、撮影し、上映し、観客を集める仕組みが作られていく様子には、明治から大正にかけての近代化の勢いも感じられました。日本最初の映画スターとされる尾上松之助が人気を集めたことも、映画が単なる珍しい見世物から、人々が俳優に熱狂する大衆文化へと変わっていったことを示しているようでした。 続く「サイレント映画の黄金時代」では、1920年代の日本映画が紹介されていました。この時代を特徴づける存在として、やはり活動弁士があります。サイレント映画は音声のない映画ですが、日本では上映の場で活動弁士が登場人物の台詞や情景を語り、物語に命を吹き込んでいました。徳川夢声のように、俳優をしのぐほ...

太閤山 常泉寺:静かな境内でたどる出世人の原点

 名古屋を訪れたこの日は、弟夫婦と姪に会う予定の合間に時間ができたため、一人で中村公園周辺を歩くことにしました。豊臣ゆかりの展示施設や神社、記念館を見てまわったあと、最後に足を向けたのが、静かな空気をたたえたこの寺でした。にぎわいのある周辺施設を巡ったあとに訪れると、同じ地域にありながら少し落ち着いた時間が流れており、歴史の余韻をゆっくり味わえる場所のように感じられました。 この寺は太閤山を号する日蓮宗の寺で、加藤清正が一族の僧とともに創建したと伝えられています。また、この地は豊臣秀吉の誕生地とする伝承とも結びついており、境内には秀吉誕生の際に産湯に使われたとされる井戸が残されています。中村公園一帯は、豊臣秀吉と加藤清正という戦国時代を代表する人物のゆかりの地が集まる地域ですが、この寺もまた、その歴史の流れを静かに今へ伝える場所の一つです。 境内に入ると、まず目を引いたのは、やはり秀吉の産湯の井戸でした。天下人となった豊臣秀吉にも、この中村の地で生まれた一人の赤子だった時代があったのだと思うと、戦国史の英雄が急に身近な存在として感じられます。華々しい出世や全国統一といった大きな歴史の物語も、こうした小さな土地の記憶に支えられているのだと思うと、史跡を見る目も少し変わってきます。境内に建つ秀吉の銅像も、そうした土地の記憶をわかりやすく形にしたもののように思え、華やかな成功者としての姿だけでなく、この地から出発した人物としての秀吉を意識させてくれました。寺には、秀吉手植えと伝わる柊など、秀吉にまつわる伝承も残されています。 本堂で手を合わせたあとは、これまで見てきた展示や史跡を思い返しながら、しばらく境内の空気を味わいました。博物館や記念館では資料や解説を通して歴史を学ぶことができますが、寺社や井戸のような場所では、文字では説明しきれない土地の連続性を感じることができます。秀吉や清正という名前は教科書でもよく知られていますが、その出発点がこの中村の町並みと結びついていると思うと、名古屋という都市が持つ歴史の厚みを改めて感じました。 今回は本堂に参拝したあと、少し時間が余っていたものの、そのまま帰ることにしました。しかし後から調べてみると、隣の妙行寺は加藤清正の誕生地として伝わる寺で、名古屋城築城のころに清正が再建したともいわれているそうです。すぐ近くまで来ていな...

名古屋市秀吉清正記念館:中村の地で感じる天下人の足跡

名古屋市中村区の中村公園は、豊臣秀吉ゆかりの地として知られていますが、その公園内にある名古屋市秀吉清正記念館は、華やかな観光施設というより、秀吉と加藤清正の歩みを静かにたどることができる場所でした。弟夫婦と姪に会うために名古屋を訪れたこの日、午後に少し時間ができたので、一人で中村公園まで足を延ばしました。最初は豊臣ミュージアムを目的に来たのですが、豊国神社も参拝し、その流れで秀吉清正記念館にも立ち寄ることにしました。 同じ公園内にありながら、豊臣ミュージアムや豊国神社と比べると、こちらはずいぶん落ち着いた雰囲気でした。人の姿も少なく、少し寂しいようにも感じましたが、その分、展示資料を自分のペースでゆっくり見られるのは良かったです。秀吉や清正といえば、戦国時代を代表するよく知られた人物ですが、こうした記念館では、名前だけではない、時代の空気や人々の動きが感じられるのが面白いところです。派手さはなくても、歴史そのものに向き合える場所でした。 最初の展示は「信長と秀吉」に関するものでした。織田信長は、群雄割拠の戦国時代にあって強い統率力と革新性で勢力を広げた人物であり、豊臣秀吉はそのもとで頭角を現していきます。農民の出とされる秀吉が、主君である信長のもとで才能を発揮し、やがて天下人へ上り詰めていく物語は、戦国史のなかでも特に劇的です。展示されていた信長が描かれた掛け軸や、永楽銭散銀象嵌鍔(えいらくせんちらしぎんぞうがんつば)の複製を見ていると、単に教科書の中の人物ではなく、実際に武器や道具に囲まれて生きていた時代の人物として信長や秀吉が立ち上がってくるようでした。 続く展示では、秀吉の天下統一に関する資料が並んでいました。馬藺後立兜(ばりんうしろだてかぶと)や天正小判といった展示物は、戦国の武将としての秀吉だけでなく、天下人として政治や経済を動かした秀吉の姿も感じさせます。秀吉は、信長の死後にその後継争いを制し、各地の戦国大名を従えて全国統一を進めました。その一方で、刀狩や太閤検地のように、戦乱の時代を終わらせ、支配の仕組みを整える政策も行っています。兜のような武の象徴と、小判のような統治の象徴が同じ空間に並んでいると、秀吉という人物が単なる戦上手ではなく、時代を作り変えた存在だったことがよく分かります。 その次の「関ケ原の戦い」のコーナーでは、石田三成の密書などが展示さ...

豊国神社:鳥居の先の天下人の影

名古屋を訪れた日の午後、少し時間が空いたため、中村公園へ足を延ばしました。もともとの目的は豊臣ミュージアムでしたが、その見学を終えたあと、そのまま園内にある豊国神社へ向かいました。豊臣秀吉を祀る神社として知られる場所だけに、境内には思っていた以上に人が集まっており、参拝の列ができていました。秀吉という人物が、今もなお多くの人の関心を集め続けていることを、こうした光景からも実感しました。 豊臣秀吉は、戦国時代から安土桃山時代にかけて天下統一を成し遂げた人物として広く知られています。織田信長に仕え、そこから頭角を現し、最終的には全国規模の権力を握るまでに至ったその生涯は、日本史の中でもとりわけ劇的です。しかも秀吉は、もともと高い家柄の出身ではなく、庶民的な出自から出世した人物として語られることが多く、そのためか、戦国武将の中でもどこか親しみをもって受け止められているように思います。中村の地は、そうした秀吉の出生地と伝えられており、この地域が特別な意味をもつのもよく分かります。 豊国神社は、まさにその秀吉を顕彰するための場であり、歴史上の英雄を身近に感じさせる空間でした。華やかな桃山文化の印象や、天下人としての壮大な足跡を思い浮かべると、神社の境内に流れる空気も、どこか特別なものに感じられます。もちろん実際の境内は静かな信仰の場ですが、参拝に訪れる人々の多さを見ていると、単に神社としてだけでなく、歴史をたどる場所、あるいは秀吉という人物を記憶する場所としても、多くの人に開かれているのだと思いました。 参拝を終えたあと、参道を外へ向かって歩いていくと、公園の入口に大きな鳥居が立っていました。ほかではあまり見かけない茶色の鳥居で、鮮やかな朱色の鳥居とはまた違った趣がありました。強く華やかに主張するというより、落ち着いた色合いの中に風格があり、公園の景色にも自然になじんでいました。秀吉といえば、豪華絢爛な城や桃山文化のきらびやかな印象を思い浮かべがちですが、この鳥居にはむしろ土地に根ざした静かな重みが感じられ、その対比も印象に残りました。 中村公園一帯は、単に神社があるだけでなく、秀吉や加藤清正といったこの地にゆかりのある人物の記憶が重なり合う場所でもあります。戦国時代は遠い過去のようでいて、こうした場所を歩くと、その時代が地域の中に今も息づいていることを感じます。教科書の中で...

豊臣ミュージアム:史実と物語のあいだの豊臣の世界

名古屋市中村区にある豊臣ミュージアムを訪れました。この日は弟夫婦と姪に会うために名古屋へ来ており、午後に少し時間が空いたため、一人で中村公園周辺を歩いてみることにしました。中村公園といえば、豊臣秀吉ゆかりの地として知られる場所です。そのため、最初は豊臣政権や戦国時代の歴史を中心に紹介する博物館のような施設を想像していました。しかし実際に足を運んでみると、現在放送中の「豊臣兄弟」に関する展示を中心としたミュージアムで、撮影に使われた道具や衣装、舞台の再現、役者のコメントなどが並び、歴史そのものを学ぶ場というより、現代の映像作品を通して豊臣の世界に触れる空間になっていました。 館内はかなりにぎわっており、場所によっては列ができるほどでした。豊臣秀吉という人物の知名度の高さに加え、映像作品としての注目度も重なって、多くの人を集めているのだと思います。歴史上の人物は、教科書の中ではどうしても年号や出来事と結びついて記憶されがちですが、このように衣装や小道具、舞台美術、出演者の言葉といった具体的な形で示されると、ぐっと身近に感じられます。戦国時代の人物を現代の感覚で再び語り直すことには賛否もあるかもしれませんが、歴史に興味を持つ入口としては非常に力のある方法だと感じました。 中村の地は、豊臣秀吉の出世地、あるいは生誕地の一つとして広く知られています。もちろん、秀吉の出生については諸説あり、どこまでを確定的に語れるかは慎重であるべきですが、それでもこの土地が長く秀吉と結びつけられてきたことは確かです。ミュージアムの前に建つ「豊公誕生之地」の石碑も、そうした地域の記憶を今に伝える存在でした。秀吉は尾張国の農民あるいは下級の身分から身を起こし、織田信長に仕え、やがて天下統一を成し遂げた人物として語られます。その劇的な出世物語は、江戸時代以降も庶民の人気を集め、「太閤記」などを通じて広く親しまれてきました。単なる戦国武将というだけでなく、立身出世の象徴として受け止められてきたからこそ、この地にも強い記憶が残っているのでしょう。 秀吉の生涯を振り返ると、その歩みは日本史の大きな転換と重なっています。織田信長が各地の戦国大名を圧倒し、天下統一へ向けた道筋を作ったあと、その事業を引き継いで完成へ近づけたのが秀吉でした。中国大返しや賤ヶ岳の戦い、小田原征伐などを経て権力を固め、刀狩や太閤検地...