鹿児島県指宿市の池田湖に行きました。 今回の知覧・指宿周辺の旅は、「白いゼロ戦」を探して知覧特攻平和会館を訪れたことから始まりました。残念ながら目的の機体には出会えませんでしたが、交通の便があまり良くない地域で、観光タクシーを貸し切っていたので周辺を巡ることにしました。 知覧の戦争遺跡や武家屋敷通りを歩き、海辺の釜蓋神社を参拝したあと、車は指宿方面へ向かいました。そうして案内されたのが、開聞岳を望む景勝地として知られる池田湖です。 池田湖は、およそ5700年前の大規模な火山活動によって地面が陥没して生まれたカルデラ湖です。周囲は約15キロメートル、最も深いところは233メートルあり、九州最大のカルデラ湖とされています。湖底には火山地形も残っており、一見すると静かな湖ですが、その成り立ちは薩摩半島が火山活動によって形づくられてきた歴史を物語っています。 江戸時代の古い記録には池田湖に住む龍神の伝説が残され、現代には謎の巨大生物「イッシー」の目撃談も生まれました。また、湖には大ウナギが生息することでも知られています。深く大きな湖を前にした人々が、昔から水面の下に何か神秘的なものを感じてきたことがうかがえます。 この日の鹿児島は、十分に晴れていて、外を歩くと暑さを感じるほどでした。しかし、大陸の方に台風が来ていたためか、あるいは直前まで雨が降っていたためか、湖の水は少し濁っていました。湖面も穏やかに静まり返っているわけではなく、小さな波が絶えず広がっていました。 ただし、岸に立っていても、身体で感じるほど強い風が吹いているわけではありません。雨が降りそうな空でもなく、頭上には青空が広がっています。それでも、山の周辺には厚い雲が集まり、池田湖の向こうにそびえる開聞岳の上部は雲の中に隠れていました。 晴れているのに山頂が見えず、風をほとんど感じないのに湖面は波立っています。目の前の天候だけを見れば穏やかな夏の日ですが、湖と山の様子には、どこか遠方の台風の影響が現れているようでした。 台風というと、激しい雨や強風を思い浮かべます。しかし、中心から離れた場所でも空気や雲、水面の状態を変え、広い範囲に影響を及ぼします。直接その力を感じることはなくても、普段とは少し違う風景を通して、巨大な気象現象が遠くまでつながっていることを実感しました。 開聞岳の美しい山頂をすべて見ることができな...
鹿児島県南九州市頴娃町にある釜蓋神社を参拝しました。 今回の鹿児島旅行では、「白いゼロ戦」を求めて知覧特攻平和会館を訪れました。しかし、残念ながら目的としていた白いゼロ戦は展示されていませんでした。 知覧や指宿周辺には公共交通機関だけでは訪れにくい場所も多いため、この日は観光タクシーを貸し切っていました。知覧特攻平和会館や周辺の戦争遺跡、知覧武家屋敷通りなどを巡ったあと、運転手さんの案内で釜蓋神社に向かいました。 釜蓋神社の正式名称は、射楯兵主神社といいます。「いたてつわものぬしじんじゃ」と読む難しい名前で、素盞鳴命などを祭神とする神社です。創建された年代は明らかではありませんが、江戸時代にはすでにこの地で信仰されていました。享保元年に火災で焼失し、その翌年に再建されたことや、天保14年に薩摩藩主の島津斉興が国家鎤護と武運長久を祈願したことも伝えられています。 「釜蓋神社」という通称には、この地方に残る不思議な伝説が関係しています。天智天皇と妃の大宮姫を迎えるため、大量の米を炊いていたところ、強い風によって釜の蓋が吹き飛ばされ、大川の浦に落ちたといいます。土地の人々はその釜蓋を拾い上げ、神としてまつったことから、釜蓋神社と呼ばれるようになったそうです。 運転手さんによると、なでしこジャパンの選手たちが近くで合宿した際に参拝し、その後の活躍によって、勝負運にご利益のある神社として広く知られるようになったそうです。現在では、サッカーに限らず多くのスポーツ選手が訪れる神社になっています。 この日の鹿児島は、ところどころに厚い雲が浮かんでいたものの、暑さを感じるほどよく晴れていました。一方で、大陸方面には台風が来ていたため、釜蓋神社を取り囲む海は激しく荒れていました。 神社は入り江の岩礁に突き出すような場所に鎮座しています。普段はもっと穏やかな海だそうですが、この日は大きな波が次々と押し寄せ、岩にぶつかって白いしぶきを上げていました。海辺の神社らしい美しさよりも、自然の力強さや怖さの方が強く感じられる光景でした。 境内に入ると、濃い赤色の鳥居が目に入りました。一般的な神社で見かける明るい朱色よりも深い色に見え、本殿も白と濃い赤を組み合わせた、よく目立つ色合いでした。 なでしこジャパンの話を聞いた直後だったこともあり、その色使いから、最初はどことなく女性的な印象を受けました。...