島根県出雲市の日御碕神社を訪ねました。出雲大社を目的に出雲へ来たこの日は、古代出雲歴史博物館、出雲大社、出雲阿国ゆかりの場所、そして稲佐の浜と巡ってきました。そこからはタクシーに乗り、日御碕神社へと向かいました。 鳥居をくぐると、目の前に朱色の楼門が現れました。出雲大社では木の色を生かした社殿が印象に残っていたので、こちらの鮮やかな姿を見て、まず「こちらは華やかだな」と感じました。同じ日に訪ねた神社でも、建物の色が違うだけで、受ける印象はずいぶん変わるものです。 日御碕神社は、奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に「美佐伎社」、平安時代の『延喜式』に「御碕社」の名で登場する古社です。また、平安時代末期の歌謡集『梁塵秘抄』にも、修行者の住む場所として日御碕の名が見えます。今の華やかな社殿が建てられるよりも、はるか以前から信仰を集めてきた場所なのです。 現在の社殿群は、江戸時代初期、三代将軍・徳川家光の命によって造営されたものです。松江藩主の京極忠高、続いて松平直政のもとで工事が進められ、寛永21年(1644)に遷宮が行われました。その後も屋根の葺き替えや塗り直しなどの修理が重ねられ、今日まで伝えられています。目の前の朱色は、江戸時代の建築を守り続けてきた人々の手によって保たれている色でもあります。 両宮の建物は、本殿と拝殿を幣殿でつなぐ「権現造」という形式で、日光東照宮と共通する構成を持っています。社殿や楼門などは国の重要文化財に指定されています。ただ色鮮やかなだけでなく、江戸時代初期の神社建築をまとまって見ることのできる境内でもあります。 楼門を通ると、まず正面に見えてきたのが「日沉宮(ひしずみのみや)」です。こちらには天照大御神が祀られています。拝殿の前に進み、参拝しました。 太陽の神様を祀るお宮が「ひしずみのみや」という名前なのは、少し意外にも感じられます。日御碕神社には、伊勢神宮が日本の昼を守るのに対し、こちらは日本の夜を守るという伝承があります。太陽を、昇って世界を照らす存在としてだけでなく、西の海へ沈んでいく姿から捉えているところに、出雲ならではの信仰が表れているように思います。 この日は、博物館で出雲の歴史や神話に触れ、出雲大社や稲佐の浜を巡ってきました。その続きにある日御碕でも、また別の角度から神話の世界に出会うことになりました。「日の沈むお宮」という...
島根県出雲市の稲佐の浜を訪れました。今回は出雲大社への参拝を目的に出雲を訪れ、古代出雲歴史博物館、出雲大社を見学したあと、海岸へ向かう途中で出雲阿国塔にも立ち寄りました。そこから、引き続き徒歩で稲佐の浜へ向かいました。 この日は風が強く、帽子が飛ばされてしまいそうなほどでした。砂浜の手前には壁があり、その間に設けられた入口を通り抜けると、海を背景に大きな岩が姿を現しました。岩の上の方には鳥居と小さな祠があり、広い砂浜の中でもひときわ目を引きます。 砂浜に立つ大きな岩は、かつての「島」 目の前の大きな岩は、「弁天島」と呼ばれています。砂浜の上にある姿を見ると、島というよりも独立した大岩のように感じますが、かつては海に囲まれ、「沖ノ御前」や「沖ノ島」とも呼ばれていたそうです。昭和60年頃までは島のすぐ前まで波が打ち寄せていたものの、その後、砂浜が広がり、現在のように島の裏側まで歩いて回れる姿になりました。「島」という名前には、以前の海岸の様子が残っているのです。 岩の上に鎮座するのは、沖御前神社です。神仏習合の時代には弁財天が祀られ、明治以降は豊玉姫命が祀られています。弁天島という呼び名からも、この場所に重なってきた信仰の歴史をうかがうことができます。 自然の岩の上に鳥居と祠があるだけで、その岩が単なる風景の一部ではなく、大切に祀られてきた場所なのだと伝わってきます。浜辺に立つ姿の印象深さに加え、海岸の変化や信仰の移り変わりを知ると、小さな島にも長い時間が積み重なっているように感じられます。 博物館で知った国引き神話が、目の前の風景につながる 海岸を眺めながら思い出したのは、先ほど古代出雲歴史博物館で見た国引きの話でした。「ここがその海岸か」と思うと、展示の中で知った物語が、急に身近なものになります。 『出雲国風土記』に記される国引き神話では、八束水臣津野命という神が、出雲の国をもっと広くしようと、海の向こうの土地を綱で引き寄せます。こうして土地をつなぎ合わせてできたのが、島根半島だとされます。土地そのものを引っ張ってくるという、実に大きなスケールの物語です。 稲佐の浜から南へ続く長い砂浜は、神話に登場する「薗の長浜」と結びつけられています。国を引くために使われた綱がこの砂浜となり、綱を結びつけた杭が三瓶山になったと伝えられています。なお、『出雲国風土記』には「稲佐の浜...