郡山市歴史情報博物館で開催されていた「発掘された日本列島2025」展を見に行きました。館内の展示室はいくつかに分かれていて、最初の展示室がこの特別展になっています。各地の発掘成果が“年代順に”並び、日本列島の時間の厚みをそのまま歩ける構成になっているのが伝わってきました。 最初は縄文時代です。神奈川県伊勢原市の上粕屋・秋山遺跡の成果が紹介されていて、出土品の説明を読みながら、縄文の暮らしが「身近な道具」から立ち上がってくる感覚がありました。中でも印象に残ったのは、東北地方の石材で作られたという萪内型石刀が出土したという点です。縄文というと地域ごとの特色を想像しがちですが、素材が“動く”ことで、人の移動や交流の気配が一気に現実味を帯びます。地図の上の線が、遺物として目の前に現れる感じがしました。 同じく縄文時代では、鹿児島県姶良市の前田遺跡の展示も強く記憶に残りました。網籠の展示があり、出土したものや復元品を見ていると、「ここまで残るのか」と素直に驚きます。以前、是川縄文館で網籠の特別展を見たときも、植物質のものが発掘されること自体が衝撃でしたが、今回も同じ種類の驚きがありました。土器や石器のような“硬いもの”だけではなく、編まれた痕跡が残ることで、縄文の手仕事が急に近い距離に来ます。 弥生時代に入ると空気が変わります。福岡市の高畑遺跡では、水田や青銅器工房などが見つかっているという説明があり、稲作社会の広がりと技術の集積が、遺跡として具体化していました。さらに、後漢書に記された「奴国」を構成するものと同じ、という言及があり、文献に現れる“国”の輪郭が、発掘で補強されていく面白さがあります。歴史は文章だけでできているのではなく、地面の下からも書き足されるのだと感じます。 同じ福岡市の顕孝寺遺跡では、甕棺や一緒に埋められた青銅武器が展示されていました。甕棺という形式そのものが、死者をどう扱い、共同体の中でどう位置づけたかを語りますし、武器が伴うことで当時の緊張感も透けて見えます。弥生の社会が、ただの農耕の始まりではなく、階層や争い、祭祀など複数の要素を抱えて立ち上がっていく段階だったことが、展示のまとまりから伝わってきました。 鹿児島県さつま市の高橋貝塚の紹介も興味深かったです。資料を再整理・再評価した結果、有明海の交易ルートが開かれた後に衰退したと思われていたものが、...
郡山市に来た目的は、郡山市歴史情報博物館の特別展と開成館でした。朝から動ける日だったので、博物館の開館時間に合わせて9時30分ごろに向かい、地図を眺めながら歩いていると、手前に麓山公園があるのに気づきました。「近道にもなるし、少しだけ公園を抜けて行こう」くらいの軽い気持ちで、麓山公園へ入ってみることにしました。 公園の入り口には、日本遺産としての麓山公園の案内があり、その中に「安積疏水(あさかそすい) 麓山の飛瀑」があることが紹介されていました。この時には、まだ安積疏水の名前は聞いたこともありませんでしたが、案内板の時点で少し心を掴まれました。予定の前に寄り道をする罪悪感よりも、「これは見ておいた方が良さそうだ」という気持ちが勝ち、飛瀑へ向かって歩いていきました。 道中には有形文化財の碑も立っていて、ただの公園の景観ではなく、きちんと“遺産”として位置づけられていることが伝わってきます。期待を膨らませながらたどり着いた飛瀑は、ところがその時点では水が流れていませんでした。すぐ横には「メンテナンスのため水を止めていることがあります」という説明があり、なるほど、そういうこともあるのかと納得しつつも、やはり少し残念でした。滝というより、水路の形そのものが見える状態で、乾いた姿を写真に撮りながら、案内板の説明をじっくり読みました。 説明によると、この飛瀑は安積疏水の完成を祝って明治15年に作られたものだそうです。その後いったん埋められたものの、安積疏水の偉業を伝えるために平成3年に復元されたと書かれていました。水が流れていないからこそ、かえって「これは単なる装飾ではなく、記憶を残すための場所なのだ」と意識が向きます。安積疏水が郡山の発展と深く結びついていることは知っていましたが、こうして公園の中に“祝うための滝”という形で残っているのが面白く、歴史の語り方にもいろいろあるのだなと思いました。 さらに、あとで分かったことですが、この飛瀑はこれから向かう予定の開成館とも関係があり、郡山市歴史情報博物館の常設展にも登場していました。つまり私は、目的地に行く前に、偶然その核心に触れていたことになります。旅先でこういう偶然が起きると、それだけで一日の印象が少し良くなります。 麓山公園は飛瀑だけで終わらず、慰霊碑や神社もあり、歩いていると静かな散策の場としての表情も見せてくれました。あ...