スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

国立西洋美術館:テート美術館 ターナー展―崇高の絵画、現代美術との対話:霧の向こうに、赤いブイ

東京都台東区の国立西洋美術館に行きました。上野の森美術館の「シンシナティ美術館展」を目的に上野公園へ来ていましたが、せっかくなので「テート美術館 ターナー展――崇高の絵画、現代美術との対話」にも足を運ぶことにしました。 2か月ほど前、大阪中之島美術館でフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》を見た頃は、ターナーという画家にはまだなじみがありませんでした。それが今回は、事前に作品を調べ、映画まで観てから訪れています。短い間でも、少しずつ興味の向く先が増えているようです。 予習をしていて気になったのは、独特な土色の霧がかかったような絵でした。どこかで見たことがあると思って調べると、美術史のテキストにも登場していました。たくさんの画家が出てくるので名前を覚えるのは難しいですが、あの特徴的な画面は、名前よりも先に記憶に残っていたようです。 暗い部屋で出会ったターナー ターナーは1775年に生まれ、1851年に亡くなった、イギリスのロマン主義を代表する画家です。若くしてロイヤル・アカデミーの正会員となり、風景の中の光や大気を追い続けました。「光の画家」と呼ばれる人の絵を、私はまず「土色の霧」として覚えていたわけです。今回の鑑賞では、その印象がどう変わるのかも楽しみでした。 展覧会の始まりには、暗い部屋が用意されていました。ターナーは自身の画廊に来た客を、作品を見る前に暗い部屋でしばらく待たせたといいます。今回の導入も、その逸話を踏まえたものです。絵を描くだけでなく、見る側の目の状態まで意識していたと思うと、作品の見せ方にも強い関心があったことが伝わってきます。 そこに展示されていたのが、ウィリアム・ホールが版刻した《ターナーの肖像》でした。予習で観た映画『ターナー、光に愛を求めて』では、ターナーは随分と癖の強いおじさんでしたが、こちらは整った顔立ちです。「このイケメンと、映画のあの強烈なおじさんと、どちらが本当なのだろう」と、最初から絵画とは少し違うところが気になってしまいました。 ただ、この版画は若い頃の肖像をもとにしており、映画が描くのは晩年に至る約25年間です。1859〜61年という版画の制作年も、描かれた本人の年齢を示すものではありません。そもそも比べている時期が違っていました。 石の輪とアルプスに感じる自然の力 第1章「はじまりの歩み、英国の風景から」では、中央に置かれ...
最近の投稿

上野の森美術館:シンシナティ美術館展:見えすぎる絵と、まだ見えない絵

東京都台東区の上野の森美術館に行きました。今回の目的は、「シンシナティ美術館展 ~アメリカに渡ったヨーロッパの至宝~」です。 先日、名古屋市美術館で「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」を見てきたばかりですが、今回も印象派の前後の流れが分かりやすくまとめられていて、良い復習になりました。前の展覧会で知った画家や言葉がもう一度出てくると、初めて聞いたときよりも少し身近に感じます。それでも、後半になるほど分からないことが増え、会場でも、帰宅後に図録を開いてからも、ずいぶん頭を使うことになりました。 仮面のような目をした肖像画 最初の「芸術家の姿」では、いくつかの肖像画が並んでいました。その中で気になったのが、アメデオ・モディリアーニの《マックス・ジャコブ》(1916~1917年頃)です。 まず、目が黒く塗りつぶされているように見えました。ところが、よく見ると、単なる黒というより背景の壁に近い色にも感じられます。目の部分だけ向こう側が透けているようで、少し不思議な顔です。 図録によると、モディリアーニの細長い顔や幾何学的な顔立ちには、コートジボワールのバウレ族の仮面への関心が反映されているそうです。そう聞いてから見直すと、この目も仮面の穴のように思えてきました。目の描き方が変わるだけで、人の顔がこれほど違って見えるのかと感じます。 モデルのジャコブは詩人であり画家でもあり、ピカソやモディリアーニらと交流した人物です。モンマルトルには「洗濯船(バトー=ラヴォワール)」と呼ばれるアトリエ兼住居があり、そこに集まる芸術家や文学者たちの交流から、新しい表現が生まれていきました。肖像画のモデルを調べると、描いた画家だけでなく、その周囲の人間関係にもつながっていきます。 「見る人を見る」絵が、浮き出してきました 続く「伝統」では、まず「アカデミー」が取り上げられていました。 昔の画家というと、それぞれが自分の力で技術を磨いていく姿を何となく想像していました。しかし、師匠の工房で学ぶ伝統があり、ルネサンス期には美術アカデミーも生まれていたそうです。1563年にはフィレンツェにアカデミーが設立され、フランスでも1648年に王立絵画彫刻アカデミーが創設されました。こうした組織は技術を教えるとともに、古典や歴史を重んじる美術の基準を形づくり、作品の評価にも大きな影響を与えていました。 ここで長...

旧江戸川乱歩邸(大衆文化研究センター):名古屋で知った太郎、池袋で出会った乱歩

東京都豊島区の旧江戸川乱歩邸、大衆文化研究センターに行きました。通常の公開日は月・水・金曜日なので、タイミングが合えば訪ねたいと思っていた場所です。ちょうど月曜日に池袋へ行く予定ができたため、この機会に立ち寄ることにしました。 今回の訪問は、名古屋へ行く前から予定していたものです。ところが、その名古屋で訪れた杉原千畝広場センポ・スギハラ・メモリアルに、第五中学校の出身者として「平井太郎」の名前がありました。江戸川乱歩の本名です。千畝さんについて知るために訪れた場所で、次に見学する予定の作家につながったことで、乱歩邸へ行くのがさらに楽しみになりました。 乱歩は1894(明治27)年、現在の三重県名張市に生まれ、幼いころに名古屋へ移り住みました。第五中学校を卒業して早稲田大学へ進み、さまざまな職業を経験した後、1923(大正12)年に『新青年』で「二銭銅貨」を発表しました。僕にとっては、子どものころに推理小説をいくつか読んだことのある作家ですが、作品を書くようになるまでの人生は、あまり知りませんでした。 池袋のこの家へ移り住んだのは、1934(昭和9)年のことです。それまでは何度も住まいを変えていた乱歩ですが、ここには1965(昭和40)年に亡くなるまで、約30年間暮らしました。転居を繰り返した末に落ち着いた、最後の住まいということになります。現在も、実際に暮らしていた場所で、その生活や仕事の跡に触れられます。 展示室1で足を止めたのは、乱歩自身が自分の歩みをまとめた「貼雑年譜」でした。これは、経歴を書き記すとともに、日記や手紙、新聞・雑誌の切り抜きなどを貼り込み、自筆の書き込みを添えた記録です。人生に関わるさまざまな資料を、自ら集めて残していました。 第五中学校の出身だと知っていたので、その記述を探してみると、きちんと書かれていました。名古屋で見かけた学校の名前が、今度は本人の残した年譜の中に出てきます。知っていることを確認しただけといえばそれまでですが、これが思いのほか楽しいものでした。 博物館や記念館には、人物の生涯を紹介する年表がよくあります。本人の手書きであっても、施設が分かりやすく作ったものであっても、普段は一つひとつを丁寧に読むことはあまりありません。ところが今回は、「あの学校のことは、どこに書いてあるだろう」と、自分から文字を追っていました。少し知ってい...

FUJIなごや科学館:LとDを探していたら、RとSにも出会いました

愛知県名古屋市のFUJIなごや科学館を訪れました。 この日は、名古屋市博物館の特別展「リトアニア ―バルトの森に響く歌―」を目的に、朝から名古屋に来ていました。杉原千畝広場センポ・スギハラ・メモリアル、名古屋市博物館、名古屋市美術館と巡り、その後に向かったのがこちらです。 時刻はまだ14時ごろでしたが、朝から充実した展示を見続けてきたため、すでに頭も体もかなり疲れていました。そこで、今回は見るポイントを少し絞ることにしました。気になっていたのは、今年、ノーベル化学賞の受賞が決まった硤合憲三さんの研究につながる、「分子の右手と左手」です。事前に見所を調べていた中でも、特に自分の目で確かめてみたいと思っていたテーマでした。 もちろん、ほかの展示にも立ち寄ります。分子の左右を探しながら、気になったものを楽しむつもりで館内へ入りました。 巨大な球体とロケットに迎えられて 建物を見て、まず目に入るのが中央の巨大な球体です。両側の建物に挟まれた姿は、どこかフジテレビの上部を思い出させます。 この科学館は1962年に開館し、2011年には新館が公開されました。あの球体の中には、内径35メートルのプラネタリウムがあります。外観だけを見ると未来的な建物ですが、科学を身近に伝える場所として、60年以上の歴史を重ねてきた施設でもあります。 屋外には、H-IIBロケットも展示されていました。大きいことは間違いないのですが、「ロケット」と聞いて想像していたものと比べると、意外に小さいとも感じます。想像していた大きさと目の前の展示を比べて、自分の中のロケットの印象が少し変わりました。 展示されている機体の大部分は、実際のロケットと同じ構造を持つ試験機で、一部は実機を参考に製作したものだそうです。名古屋周辺にはロケット製造に関わる企業が多く、この展示には地域のものづくりとのつながりもあります。 最先端科学のそばにある、世界の見方の歴史 中に入って、まずは上の6階へ向かいました。理工館6階のテーマは「最先端科学とのであい」です。宇宙や地下の世界など、普段の生活では直接見ることのできない領域に関する展示が並んでいました。 館内では、宇宙や地球を人々がどのように理解してきたかという、歴史に関わる展示にも目が留まりました。アタナシウス・キルヒャーの『地下世界』に関わる図も、そのひとつです。 『地下世界』...

名古屋市美術館:「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵」:ゴッホ目当てが、いつの間にか美術史の旅に

愛知県名古屋市の名古屋市美術館に行きました。 この日は、名古屋市博物館の特別展「リトアニア ―バルトの森に響く歌―」を目的に、朝から名古屋に来ていました。杉原千畝広場センポ・スギハラ・メモリアルを訪ね、名古屋市博物館で展示を見た後、白川公園にある名古屋市美術館へ移動しました。 お目当ては、「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ=リヒャルツ美術館所蔵」展です。ドイツのケルンにある美術館のコレクションから、印象派とその前後に活躍した42名の画家による70点が紹介されています。 もともとは東山荘なども訪ねるつもりでしたが、名古屋に行く数日前、Xでこの展覧会の情報が流れてきました。「また、いつもの一瞬しか見られないやつかな」と思いつつ、やはりゴッホの名前には釣られます。予定を組み替えて、見に行くことにしました。 美術館の前に着くと、そこには一時間待ちの長い列が……ありませんでした。 人が少ないわけではありませんが、ロッカーも使えますし、一つひとつの作品を正面や少し横から、落ち着いて見ることができます。名古屋だからなのか、ほかの会場を巡回した後だからなのか、理由は分かりません。ただ、この日はとても快適に鑑賞できました。 今後、各地を巡回する展覧会は、東京以外の会場で見ることも積極的に考えようと思います。その土地の博物館や美術館、史跡を訪ねるきっかけにもなりますし、今回のように作品の前でゆっくり考えられるなら、旅と組み合わせる楽しみが増えます。 ほとんどの作品が撮影可能だったことも、ありがたい点でした。写真を残せるだけでなく、iPhoneのカメラをズームして、細かな筆づかいや描き込まれたものを確かめられます。全体を見て、細部を見て、もう一度全体に戻る。その行き来を楽しめる会場でした。 展示は、印象派以前からバルビゾン派、印象派、ポスト印象派、点描派、そして20世紀の色彩画家へと続きます。有名な画家の作品を一枚ずつ見る楽しみに加えて、美術史の流れをたどれる構成は、今の僕にとても合っていました。 「印象派以前」から、早くも分からなくなります 最初の章は「印象派以前」です。 僕の印象派に対する理解は、かなり大ざっぱなものでした。全体を見ると何が描かれているか分かるのに、拡大すると輪郭がぼんやりしている。まずは、そんな印象を持っていました。 会場では、刻々と変わる光景をその場で...