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平城宮跡歴史公園:古代の都に重なる、現代のまつりの賑わい

奈良市の平城宮跡歴史公園を歩きました。今回は正倉院展を主目的に奈良を訪れ、開化天皇陵、興福寺、東大寺ミュージアムと巡った締めくくりに、東大寺から徒歩で40分ほどかけて平城の地へ向かいました。朱雀大路のスケール感が少しずつ輪郭を現し、古代の都へ入っていくような感覚が高まっていきます。 南の入口に着くと、ちょうど「なら奈良まつり」が開催中で、朱雀門へ続く通りには出店が並び、古都の軸線に現代の賑わいが重なっていました。 まずは復原遣唐使船へ。船の前では、古代日本か唐風の装束を思わせる一団が舞の稽古をしており、遠い大陸との往来が生んだ文化交流の気配が、今もイベントの形で呼吸しているように感じました。唐との往復は国家の大事業であり、危険と隣り合わせの「海の道」でしたが、その成果が律令国家の制度や都城の姿、そして宮廷文化を押し上げたことを思うと、この一艘の復原船にも物語が詰まっているように見えます。 朱雀門に近づくと、ちょうど合唱団の発表が終わったところで、出演者の記念撮影が続いていました。朱雀門は都の南正面を飾る表玄関で、かつては左右に築地塀が伸び、朱雀大路の先に羅城門が控えていたはずです。出店で何か買いたい気持ちを抑えつつ、奈良公園で肉まんとたこ焼きを食べ歩きした余韻のまま、門の裏手に回って北へ進むと、広大な広場に観光客が散らばり、人数の割に静けさが勝る独特の空気に変わりました。古代の中枢空間は、現代の雑踏をも吸い込んで静めてしまうようです。 正面の大極門は復原整備工事中で、覆屋に囲われていました。国家儀礼の正面を飾る門が徐々に姿を取り戻す過程は、完成後とは別の意味で見応えがあります。 西へ折れて復原事業情報館に立ち寄ると、宮大工の技法や大屋根の架構を理解するためのモックアップ、使用された道具類などが並び、千年単位の歴史を「現在形」に変換する作業の繊細さが伝わってきました。古材の痕跡から寸法や彩色を推定し、現代の安全基準とも折り合いをつける――復原とは、過去と現在の共同制作なのだと感じます。 北東の第一次大極殿へ。堂内では高御座の実物大模型を見学しました。即位の礼でテレビ越しに見たときは舞台の上の装置の一つという印象でしたが、目前にすると量感と格の高さが立ち上がります。大極殿は国家の中枢儀礼が行われた場であり、そこに据えられる高御座は、単なる家具ではなく「秩序」を目に見える...

池上曽根史跡公園:弥生のスケール感を体感、稲作社会の設計図

大阪府和泉市の池上曽根史跡公園を歩きました。午前中に弥生文化博物館を見学した流れで、午後二時ごろお隣の公園へ。 まずは池上曽根弥生情報館に立ち寄り、発掘資料の展示や集落復元のパノラマをさらりと確認しました。ちょうど直前に博物館で弥生の基礎をおさらいしていたこともあり、ここでは頭の中の知識と現地の地形を照らし合わせる感覚が楽しく、早々に屋外へ出て復元建物へ向かいました。 視界の奥にそびえる巨大な高床建物がひときわ目を引きますが、まずは手前の小さな茅葺の建物を覗きます。低い軒と素朴な壁、踏みしめる土の感触から、住まいのスケール感や生活の息遣いが想像できました。 少し進むと視界が開け、広場と柱列が現れます。儀礼や共同の場として機能したと考えられる空間で、集落の中心が人々の祈りと暮らしを結びつけていたことが、足元の土と風の流れから伝わってきます。 その先には「やよいの大井戸」と呼ばれる大きな井戸があり、木組みで補強された構造の力強さに目を奪われました。安定した水の確保は稲作社会の要であり、共同体の持続を支えたインフラだったはずです。井戸の前に立つと、遠い昔にここで水を汲み、調理や祭祀に用いた人々の所作が自然に思い浮かびました。 そして、いよいよ巨大な高床式建物「いずみの高殿」へ。高く持ち上げられた床、堂々たる柱、風をはらむ屋根が、ふだんの住居とは異なる特別な機能を担っていたことを静かに語ります。貯蔵、儀礼、あるいは首長の権威の象徴——いずれであっても、共同体の意思や富を集約し、配分する場だったことは間違いありません。足場を渡りながら上を見上げると、木材の組み合いと陰影が美しく、設計と施工の技術の高さに改めて驚かされました。 池上曽根は弥生時代に栄えた大規模集落のひとつとして知られ、稲作とともに発展した社会の姿を、平面の図や写真では届かない立体感で示してくれます。情報館の展示で得た知識を、そのまま地形・建物・風景のスケールに重ね合わせられるのがこの公園の良さで、歩を進めるごとに、家並み・広場・水場・高殿という配置から、集落の秩序や役割分担が自然と立ち上がってきました。 博物館での学びを抱えたまま現地に立つと、過去は単なる年代ではなく、具体的な生活空間として迫ってきます。小さな茅葺の暮らしから、共同の儀礼、そして水と食の管理へ。池上曽根史跡公園は、その連なりを一続きの体験として...

大森貝塚遺跡庭園/大森貝墟の碑:都市の片隅に残る、縄文の時間

品川歴史館を見学した後、 大森貝塚遺跡庭園を訪れました。品川歴史館で古代の遺跡や品川の歴史に触れた後だったので、実際にその歴史の現場を歩けることに、少しワクワクしながら庭園の入口に到着しました。 入口や広場は、どこか土器を思わせる丸みや曲線を活かした造りになっていて、過去と現代をつなぐ不思議な雰囲気が漂っていました。 園内には、アメリカ人動物学者エドワード・S・モース博士の像が建てられています。モース博士は1877年(明治10年)、この地で日本初の本格的な考古学的発掘調査を行った人物であり、大森貝塚を世界的に有名にした立役者です。その像の前に立つと、100年以上前の発見の感動が少しだけ伝わってくる気がしました。 庭園の奥へ進むと、貝塚の断面を見ることができます。黒ずんだ貝殻や土層が幾重にも重なり、縄文時代の人々の暮らしや日常の痕跡が感じられます。解説パネルも設置されており、当時の食生活や文化に思いを馳せることができました。 その後、庭園から徒歩ですぐの場所にある「大森貝墟の碑」も訪れました。NTTのビルの裏手という少し分かりにくい場所ですが、道や階段がきちんと整備されており、迷わずたどり着くことができました。入口には「9時から17時までは通行可能」とあり、訪問時間に少し気を付ける必要があります。 また、ビルの前には時間外の訪問者向けなのか、碑の2分の1スケールのレプリカが設置されていました。手軽に碑の雰囲気を感じられる工夫がされているのも、歴史を大切にするこの地域らしい配慮だと感じました。 大森貝塚は、ただの「遺跡」ではなく、日本の考古学や縄文文化の出発点の一つともいえる場所です。現地を歩き、モース博士の功績や、土の中に眠る遠い昔の人々の暮らしを身近に感じられるひとときとなりました。 旅程 大森駅 ↓(徒歩) 品川区立品川歴史館 ↓(徒歩) 大森貝塚遺跡庭園 ↓(徒歩) 大森貝墟の碑 ↓(徒歩) 大森駅 関連イベント 周辺のスポット 品川区立品川歴史館 ニコンミュージアム しながわ水族館 地域の名物 関連スポット リンク 大森貝塚|品川区立 品川歴史館 大森貝塚遺跡庭園 | しながわ観光協会 大森貝塚遺跡庭園 | agataJapan.tokyo

平和公園(長崎):静寂の中で想う平和、声なき声に耳を澄ます、原爆の記憶を辿る旅

日帰りで長崎観光に来ました。午前中はグラバー園などを廻り、午後は平和公園に来ました。 長崎の平和公園を訪れると、静けさの中に込められた深い祈りと歴史の重みを感じます。この公園は、1945年(昭和20年)8月9日に長崎に投下された原子爆弾の記憶を今に伝え、世界の恒久平和を願うために整備された場所です。市の中心部からもアクセスしやすく、長崎駅から路面電車に乗れば10分ほどで到着します。 公園のシンボルとなっているのが、「平和祈念像」です。これは彫刻家の北村西望(きたむら せいぼう)によって制作されたもので、青銅製の巨大な像が訪れる人々を迎えてくれます。右手を高く天に向けて伸ばしている姿は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を意味しています。そして閉じた目は犠牲者への祈りを表しているのだそうです。その姿はとても印象的で、しばらく見入ってしまいます。 また、公園内には「原爆落下中心地碑」があり、ここがまさに爆心地であったことを静かに語っています。周囲には、被爆当時に崩れた浦上天主堂の遺構も保存されていて、当時の惨状を思い起こさせます。整然と配置された石碑や展示物が、過去の出来事を忘れないよう私たちに語りかけているようでした。 「平和の泉」も忘れてはならない場所です。ここは、被爆後に水を求めながら亡くなった人々への慰霊を込めて作られた泉で、そばにはある少女の言葉が刻まれた碑があります。「のどがかわいてたまりませんでした」という短い一文が、胸に深く刺さります。何気ない言葉なのに、重く響く一言です。 公園のすぐ隣には「長崎原爆資料館」もあり、被爆の事実や原爆の被害、そして平和への歩みについて学ぶことができます。館内には被爆者の遺品や写真、証言などが展示されており、一つ一つが生々しく、簡単には言葉にできない重さがあります。 長崎の平和公園は、単なる観光地ではありません。静かに歩きながら、過去の出来事に思いを馳せ、今ある日常の尊さを改めて感じさせてくれる場所です。毎年8月9日には平和祈念式典が行われ、世界中から人々が集まって祈りを捧げています。もし長崎を訪れる機会があれば、ぜひこの平和公園にも足を運び、心静かに過ごしてみてはいかがでしょうか。 第五福竜丸 1954年(昭和29年)3月1日、太平洋の静かな海に突如として巨大な閃光と衝撃が走りました。アメリカがマーシャル諸島・ビキニ環礁...

松山城:空へ続くリフトと石垣の記憶、小春日和に歩く城下の道

湯神社を参拝した後、松山城に向かいました。冬とは思えぬ穏やかな陽気で、遠く石鎚山系までくっきりと見えるほどの好天に恵まれました。 松山城へはロープウェイとリフトのいずれかで向かうことができますが、この日は空と景色をより身近に感じられるリフトを選びました。椅子に揺られながら上がっていく途中、町の屋根が徐々に遠ざかり、松山の街並みが眼下に広がっていく感覚は、日常を離れて旅の時間に入り込むような心地よさがありました。 山上に到着すると、まず小腹を満たすべく立ち寄ったのが、名物の坊ちゃん団子。三色団子の素朴な甘さと熱いお茶が、ひとときの休息をもたらしてくれました。小説『坊っちゃん』でも知られるこの街の味を、ここで味わえたことが何よりうれしく感じられました。 その後、石垣を見上げながら歩を進め、堂々たる門をくぐって本丸広場へ。松山城は1602年に加藤嘉明によって築かれた名城で、江戸時代の面影を色濃く残しています。幾重にも積み上げられた高石垣や、敵の侵入を巧みに防ぐために設計された門や通路は、戦国から江戸へと移り変わる時代の知恵と緊張感を今に伝えてくれます。 本丸に入ると、鎧や刀剣、古文書などが展示されており、城主たちの暮らしぶりや戦の備えがうかがえました。 展示を一通り見たあとは、天守の最上階へ。そこからは松山城山公園や市街地、そして遠く瀬戸内海まで一望することができ、築城者がこの地に城を構えた理由を体感する瞬間でもありました。 再び広場に戻ったあと、次に味わったのはじゃこ天。魚の旨みがぎゅっと詰まった揚げたての一品で、寒さに少し冷えた体に染み渡る美味しさでした。松山城の凛とした空気の中でいただく地元グルメは、旅の記憶に深く刻まれます。 名残惜しさを感じながら、再びリフトで麓へと戻り、松山城見学を終えました。歴史と風景、そして食を楽しむにはぴったりのコースで、訪れる人すべてに満足をもたらす名城だと実感しました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 萬翠荘 坂の上の雲ミュージアム 愛媛県美術館 秋山兄弟生誕地 地域の名物 伊予かすり リンク 四...

万博記念公園:1970年の夢が今も生きる場所、自然と文化、過去と現代と未来が溶け合う大阪のオアシス

通天閣から地下鉄、モノレールを使って万博記念公園に来ました。太陽の塔が目的でしたが、公園内をぶらついているときに国立民族学博物館を見つけてしまい、大半を国立民族学博物館で過ごしてしまいました。新幹線の時間が近く万博記念公園も国立民族学博物館も十分に見学できなかったので、また来たいと思います。 大阪・吹田市に広がる「万博記念公園」は、1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」の跡地に整備された広大な公園です。当時の熱気と夢を今に伝える場所でありながら、四季折々の自然と文化を満喫できる、関西屈指の観光スポットでもあります。 公園の顔ともいえるのが、岡本太郎によって制作された「太陽の塔」です。高さはなんと約70メートル。万博のシンボルとして建てられ、今も力強い存在感を放っています。近年は塔の内部も公開されており、予約制で内部見学が可能です。内部には「生命の樹」と呼ばれる巨大なオブジェがそびえ立ち、進化の過程を辿るような神秘的な空間が広がっています。まるでタイムトンネルを通るような感覚で、未来と過去を行き来するような気持ちにさせられます。 また、万博記念公園の魅力は自然の豊かさにもあります。自然文化園と呼ばれるエリアでは、季節の草花や樹木が訪れる人々を出迎えてくれます。春は桜の名所として多くの人でにぎわい、秋には紅葉の絶景が広がります。ベンチや芝生も多く、ピクニックにもぴったりです。 園内のもうひとつのハイライトは、日本庭園です。ここは「上代」「中世」「近世」「現代」をテーマに構成されており、回遊式庭園としても見応えがあります。池泉や橋、茶室などもあり、喧騒を離れて静かに過ごしたいときにはとてもおすすめです。特に春の梅や秋の紅葉は見事で、季節ごとの風情を存分に楽しめます。 文化的な体験をしたい方には、「国立民族学博物館」も外せません。ここでは世界中の民族文化に触れることができ、音楽や衣装、住まいに関する展示などがとても充実しています。特にアジアやアフリカの展示室は異国感たっぷりで、まるで小さな世界一周をしているかのような気分になります。 また、1970年の万博を今に伝える「EXPO’70パビリオン」では、当時のポスターや映像、ロボットなどが展示されており、万博を知らない世代でも新鮮に感じられるでしょう。未来への希望や技術への夢が詰まっていたあの時代...

大阪城:石垣に刻まれた失われた栄華と豊臣秀吉の夢、天下人の記憶が眠る再生の城

今日は大阪市に来ました。いくつか見たいポイントがあり、若干距離が離れているので、テンポよく廻りたいと思っています。まず、大阪城公園にある大阪城(おおさかじょう / 大坂城)に来ました。 大阪を訪れるなら、やはり一度は足を運びたいのが「大阪城」です。大阪城は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって築かれた、日本を代表する名城のひとつです。1583年(天正11年)、天下統一を進める秀吉が、自らの権威を示すためにこの地に壮大な城を築き始めました。その規模は当時としては破格で、全国から集められた巨石によって組まれた石垣や、広大な堀は、まさに天下人の威光を感じさせるものです。 しかし、栄華を誇った豊臣家も、大坂の陣によって滅亡してしまいます。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は歴史の表舞台から姿を消しました。その後、徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠によって再建が進められ、現在私たちが目にする城郭の多くは、このときの再建によるものです。 現在の天守閣は、1931年(昭和6年)に市民の寄付によって鉄筋コンクリートで再建されたもので、外観は五層、内部は八階建てとなっています。館内は歴史博物館として整備されており、豊臣秀吉にまつわる資料や甲冑、屏風絵などが展示されています。 最上階の展望台からは、大阪市内を一望することができ、晴れた日には遠くまで見渡せて、とても気持ちの良い場所です。 天守閣を囲む大阪城公園もまた、訪れる人にとって大きな魅力です。春には桜が咲き誇り、多くの花見客でにぎわいます。梅林も整備されており、早春には可憐な梅の香りが漂います。また、敷地内には大阪城ホールという大型イベント会場もあり、コンサートやスポーツイベントなどが開催されるなど、市民にとっても憩いと楽しみの場となっています。 アクセスも非常に良く、JR大阪環状線の「大阪城公園駅」や「森ノ宮駅」から徒歩で行くことができます。観光で訪れる際には、天守閣だけでなく、公園内をのんびりと散策するのもおすすめです。季節によっては、ライトアップイベントやプロジェクションマッピングも行われており、昼と夜で違った魅力を楽しむことができます。 歴史と現代が共存する大阪城は、ただの観光地ではなく、日本人にとっての誇りや記憶を宿す場所でもあります。大阪を訪れた際には、ぜひこの城の物語に思いを馳せながら歩いてみてください...