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和歌山城:紀州徳川家の歴史を巡る旅

紀伊風土記の丘で天王塚古墳を見学した後、帰りの電車までに少し時間が余っていたので、市の中心に移動し、和歌山城と和歌山県立博物館に行くことにしました。 和歌山城 (わかやまじょう) は、和歌山県和歌山市にある歴史的な城で、紀州徳川家の居城として知られています。江戸時代には徳川御三家の一つである紀州藩の中心として栄え、多くの歴史的な出来事の舞台となりました。 この城の始まりは、戦国時代の1585年(天正13年)にさかのぼります。豊臣秀吉の命を受けた弟の羽柴秀長が、紀伊国を治めるために築城したのが和歌山城の始まりです。その後、関ヶ原の戦いを経て徳川家の支配下に入り、1619年には徳川家康の十男である徳川頼宣(とくがわ よりのぶ)が城主となりました。これにより、紀州徳川家が確立され、江戸幕府を支える御三家の一つとして重要な役割を果たすことになります。 和歌山城の魅力の一つは、その壮麗な天守閣です。戦災によって一度焼失しましたが、1958年(昭和33年)に再建され、現在は歴史資料を展示する博物館として公開されています。天守閣からは和歌山市内や和歌山湾を一望することができ、訪れる人々にとって見逃せないスポットとなっています。 また、城内には美しい日本庭園が広がっています。特に西之丸庭園(紅葉渓庭園)は、紅葉の名所として知られ、秋には鮮やかな色彩が訪れる人々を魅了します。春になると、和歌山城公園全体が桜に包まれ、約600本の桜が一斉に咲き誇る姿は圧巻です。桜の季節にはライトアップも行われ、夜の幻想的な雰囲気を楽しむことができます。 アクセスも便利で、JR和歌山駅や南海和歌山市駅からバスで約10分、和歌山市駅からは徒歩約20分で到着します。市街地に位置しているため、観光の合間に立ち寄ることもできるのが魅力です。 和歌山城は、歴史と自然が調和した魅力的なスポットです。訪れるたびに異なる表情を見せてくれるこの城は、歴史好きな方はもちろん、四季折々の景色を楽しみたい方にもおすすめです。 旅程 東京 ↓(東海道新幹線 / JR特急くろしお) 和歌山駅 ↓(タクシー) 紀伊風土記の丘 ↓(徒歩) 田井ノ瀬駅 ↓(JR和歌山線) 和歌山駅 ↓(タクシー) 和歌山城 ↓(徒歩) 和歌山県立博物館 ↓(徒歩) 和歌山駅 ↓(東海道新幹線 / JR特急くろしお) 東京 関連イベント 和歌山城公園 さ...

亥鼻城跡:千葉の千年の歴史を感じる癒やしスポット

本千葉駅(ほんちばえき)から千葉県立中央博物館に向かう途中で見かけた亥鼻城跡(いのはなじょうあと)に軽く寄ってみました。普段は、千葉市立郷土博物館となっていますが、現在改築中で2025年10月ごろまで休館です。リニューアル後にまた来たいと思います。 千葉市の中心部にある亥鼻城跡は、歴史好きの方やお散歩を楽しみたい方にぴったりのスポットです。この場所は、平安時代末期に千葉氏の祖である千葉常重(ちば つねしげ)が築いたとされ、千葉氏の居城として栄えました。現在は「千葉城」としても知られ、千葉市立郷土博物館として多くの人々に親しまれています。 亥鼻城は、かつて自然の地形を活かした中世の要塞として、その堅固さを誇っていました。戦国時代の千葉氏の衰退とともに廃城となりましたが、1967年(昭和42年)に模擬天守が建てられ、現在の千葉城の姿となりました。実際の亥鼻城には天守閣は存在しなかったのですが、現代の千葉城はランドマークとして、歴史的な魅力をさらに引き立てています。 千葉城内にある千葉市立郷土博物館は、千葉市や千葉氏に関する貴重な展示が充実しています。城の歴史だけでなく、江戸時代の生活文化や千葉市の発展の過程を学ぶことができ、訪れるたびに新たな発見があります。特に、千葉氏の系譜や彼らがどのように地域に影響を与えたのかを知ることで、千葉市の奥深い歴史を感じることができます。 また、亥鼻城跡を囲む亥鼻公園は、春には桜の名所としても有名です。園内を散策していると、当時の城下町の風情を感じることができ、自然と歴史が調和した風景が広がります。春の桜はもちろんのこと、秋の紅葉や新緑の季節も美しく、季節ごとに違った表情を見せてくれます。 アクセスも良好で、JR本千葉駅から徒歩でも約15分程度なので、お天気の良い日は街並みを楽しみながらの散歩もおすすめです。 千葉市内の歴史散策を楽しみたい方や、のんびりと自然に触れたい方には、ぜひ訪れていただきたい場所です。亥鼻城跡と千葉城で、千葉の歴史に思いを馳せ、ゆったりとしたひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。 千葉常重 千葉常重(ちば つねしげ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した武将で、千葉氏の第2代当主として知られています。彼は、後に鎌倉幕府の創設に大きく貢献することとなる千葉常胤(ちば つねたね)の父でもあります。 千葉氏...

伏見桃山城

桓武天皇 柏原陵(かしわばらのみささぎ)のあと、少し戻って伏見桃山城(ふしみももやまじょう)に来ました。 伏見桃山城は、京都府京都市伏見区にある城で、豊臣秀吉が1592年(文禄元年)に築いたものです。この城は、秀吉が晩年を過ごした重要な居城であり、当時の政治的な中心の一つでした。また、桃山文化の象徴でもあり、豪華で華麗な建築様式が取り入れられたことでも有名です。 伏見桃山城は、当初は「伏見城」と呼ばれていましたが、地名である「桃山」が後に加えられ、桃山城とも呼ばれるようになりました。城は何度も災害や戦火に遭い、1596年の慶長伏見地震で大きな被害を受けた後、再建されました。 江戸時代には徳川家康も伏見城に一時滞在しており、その後、幕府の一部として重要な役割を果たしましたが、1623年には廃城となりました。現在の伏見桃山城は、1964年に観光目的で再建された模擬天守です。元の天守とは異なりますが、当時の華麗な様式を模したデザインが施されています。 城の周辺には、伏見稲荷大社や、名水で知られる伏見の酒蔵が点在しており、歴史的観光地としても人気です。 旅程 東京 ↓(新幹線) 京都駅 ↓(徒歩) 京都国立博物館 ↓(徒歩) 七条駅 ↓(列車) 小倉駅(京都) ↓(徒歩) ニンテンドーミュージアム ↓(徒歩) 小倉駅(京都) ↓(列車) 桃山御陵前駅 ↓(徒歩) 御香宮神社 ↓(徒歩) 明治天皇 伏見桃山陵 ↓(徒歩) 桓武天皇 柏原陵 ↓(徒歩) 伏見桃山城 ↓(徒歩) 丹波橋駅 ↓(列車) 祇園四条駅 ↓(徒歩) 祇園新橋/祇園白川 ↓(徒歩) 平安神宮 ↓(徒歩) 京都国立近代美術館 ↓(タクシー) 京都駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 御香宮神社 明治天皇 伏見桃山陵 桓武天皇 柏原陵 地域の名物 関連スポット リンク 伏見桃山城(伏見城) | 京都観光情報 KYOTOdesign 京都市伏見区役所:伏見区の歴史 : 安土桃山時代 秀吉が開いた城下町 伏見桃山城 | 京都の観光地 - 京都観光ネット 伏見桃山城運動公園

根城:復元された中世の暮らし、南部氏ゆかりの地を歩く

八戸市博物館からすぐ横の根城に向かいました。 根城(ねじょう)は、日本の青森県八戸市にあった中世の城で、南部氏によって築かれました。南北朝時代に、南朝側の武将である南部師行(なんぶ もろゆき)が築いたのが始まりとされています。この城は、八戸地方を支配する拠点となり、その周辺には町も形成されていました。 根城は典型的な中世の城で、自然の地形を活かして防御を固め、土塁や堀で囲まれていました。天守閣などの大規模な石造りの建築はなく、主に木造の建物や、土を使った構造が特徴的です。 根城は14世紀頃に築かれ、その後も何度か増改築が行われましたが、江戸時代になると廃城となりました。 現在、根城跡は「八戸根城跡」として国の史跡に指定されており、復元された主殿や庭園、当時の生活様式を再現した展示が行われています。 八戸市博物館も併設され、根城の歴史や文化を学ぶことができる観光スポットです。 旅程 東京 ↓(新幹線) 八戸駅 ↓(徒歩 約40分) 櫛引八幡宮 ↓(徒歩 約1時間20分) 是川縄文館 ↓(徒歩 約1時間20分) 八戸市博物館 ↓(徒歩) 根城 ↓(徒歩 約50分) 八戸駅 関連イベント 周辺のスポット 櫛引八幡宮 是川縄文館 八戸市博物館 みろく横丁 八戸ポータルミュージアム はっち 八戸市美術館 三八城公園 地域の名物 八戸せんべい汁 サバ料理 イカ料理 南部せんべい しゅうれん(酒粕甘酒) 八戸ラーメン ホヤ料理 八戸ワイン 関連スポット 南部お城めぐり 種里城 浪岡城 野辺地城 七戸城 聖寿寺館 三戸城 九戸城 姉帯城 久慈城 盛岡城 高水寺城 鍋倉城 土沢城 花巻城 金澤城 リンク 史跡根城の広場 | VISIT HACHINOHE | VISITはちのへ観光物産サイト 史跡 根城の広場 | 八戸市博物館・史跡 根城の広場 復原された中世の城 -根城-/八戸市

松山城:空へ続くリフトと石垣の記憶、小春日和に歩く城下の道

湯神社を参拝した後、松山城に向かいました。冬とは思えぬ穏やかな陽気で、遠く石鎚山系までくっきりと見えるほどの好天に恵まれました。 松山城へはロープウェイとリフトのいずれかで向かうことができますが、この日は空と景色をより身近に感じられるリフトを選びました。椅子に揺られながら上がっていく途中、町の屋根が徐々に遠ざかり、松山の街並みが眼下に広がっていく感覚は、日常を離れて旅の時間に入り込むような心地よさがありました。 山上に到着すると、まず小腹を満たすべく立ち寄ったのが、名物の坊ちゃん団子。三色団子の素朴な甘さと熱いお茶が、ひとときの休息をもたらしてくれました。小説『坊っちゃん』でも知られるこの街の味を、ここで味わえたことが何よりうれしく感じられました。 その後、石垣を見上げながら歩を進め、堂々たる門をくぐって本丸広場へ。松山城は1602年に加藤嘉明によって築かれた名城で、江戸時代の面影を色濃く残しています。幾重にも積み上げられた高石垣や、敵の侵入を巧みに防ぐために設計された門や通路は、戦国から江戸へと移り変わる時代の知恵と緊張感を今に伝えてくれます。 本丸に入ると、鎧や刀剣、古文書などが展示されており、城主たちの暮らしぶりや戦の備えがうかがえました。 展示を一通り見たあとは、天守の最上階へ。そこからは松山城山公園や市街地、そして遠く瀬戸内海まで一望することができ、築城者がこの地に城を構えた理由を体感する瞬間でもありました。 再び広場に戻ったあと、次に味わったのはじゃこ天。魚の旨みがぎゅっと詰まった揚げたての一品で、寒さに少し冷えた体に染み渡る美味しさでした。松山城の凛とした空気の中でいただく地元グルメは、旅の記憶に深く刻まれます。 名残惜しさを感じながら、再びリフトで麓へと戻り、松山城見学を終えました。歴史と風景、そして食を楽しむにはぴったりのコースで、訪れる人すべてに満足をもたらす名城だと実感しました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 萬翠荘 坂の上の雲ミュージアム 愛媛県美術館 秋山兄弟生誕地 地域の名物 伊予かすり リンク 四...

ロンドン塔:レイヴンが見守る英国王室の宝と闇を秘めた城塞

昼食にフィッシュ・アンド・チップスを食べた後、ロンドン塔(Tower of London)に向かいました。今日は、ロンドン市内のいくつかの観光スポットを廻りましたが、すべてチケットを事前にオンラインで購入しておく必要があり、ロンドン塔もチケットを購入できず入れませんでした。完全に事前調査不足でした。 ロンドン観光の際にぜひ訪れていただきたいのが、「ロンドン塔」です。テムズ川の北岸に位置し、歴史的にも文化的にも非常に重要な場所として知られています。その重厚な外観や、数々の伝説を秘めた雰囲気は、訪れる人を一瞬で中世へと引き込んでくれます。 ロンドン塔の建設は11世紀、ウィリアム征服王によって始まりました。当時はノルマン人によるイングランド征服の直後で、王の権力を誇示し、ロンドンを防衛するための城塞としてこの塔が築かれたのです。中心となる建物「ホワイト・タワー」はその時期に建てられたもので、今でもその堂々とした姿を保っています。 長い歴史の中で、ロンドン塔は様々な役割を果たしてきました。王族の居城として使われたこともありましたし、牢獄や処刑場として暗い歴史も持っています。特に16世紀のテューダー朝時代には、王妃アン・ブーリンやキャサリン・ハワードなど、多くの人々がここで処刑されました。トーマス・モアやレディ・ジェーン・グレイなど、歴史の教科書で見た名前が次々と登場する場所でもあります。 その一方で、ロンドン塔は王室の宝物を保管する「宝物庫」としての顔も持っています。現在では「クラウン・ジュエルズ」と呼ばれる王冠や宝石の数々が展示されており、金や宝石がきらめく荘厳な展示室を見学することができます。戴冠式で実際に使われる王冠などもあり、その豪華さには誰もが圧倒されることでしょう。 そして、ロンドン塔といえば「ワタリガラス(レイヴン)」の存在も忘れてはなりません。古くから「塔からレイヴンがいなくなると、王国が滅びる」という言い伝えがあり、現在でも数羽のレイヴンが塔の敷地内で飼育されています。足輪に名前が書かれ、ちゃんと飼育係もいて、大切に管理されているのです。 観光客には「ビーフィーター(正式にはヨーマン・ウォーダーズ)」と呼ばれる衛兵が案内をしてくれるガイドツアーも人気です。彼らはユーモアを交えながら塔の歴史や逸話を語ってくれるので、英語が少しでも分かる方であればぜひ参加して...

鑁阿寺:足利の秋、武家の記憶が残る寺院

秋の気配が深まりはじめた本日、足利学校へ向かう途中、私はふと思い立って鑁阿寺(ばんなじ)に立ち寄りました。少し肌寒さを感じる季節ではありましたが、空気は澄んでいて、散策にはとても心地よい日和でした。 鑁阿寺は、鎌倉時代に足利義兼(よしかね)によって創建された、真言宗大日派の本山です。もともとは足利氏の邸宅跡に建てられた寺院で、寺というよりは「武家屋敷と城郭の面影を色濃く残す寺院」とも言われています。 現在も境内には堀や土塁が巡らされており、いわゆる寺院建築とは一線を画す、武士の拠点としての面影を残しています。この独特の歴史的背景から、鑁阿寺は「日本100名城」にも選定されているのです。 境内では、まず本堂で静かに手を合わせました。国宝に指定されているこの本堂は、鎌倉時代の建築様式を伝える貴重な建物で、威厳がありながらも、どこか温かみを感じさせる佇まいです。 その後、多宝塔へ足を運びました。朱塗りの塔は木々の緑や秋の陽射しとよく調和しており、まるで絵画のような景色が広がっていました。 鐘楼の素朴な木造の構造や、経蔵に息づく書物への敬意もまた、鑁阿寺がいかに信仰と学問の場であったかを静かに語りかけてくるようでした。 鑁阿寺は単なる観光名所ではなく、足利氏の興亡を今に伝える歴史の舞台でもあります。そして、足利学校という日本最古の学び舎へ向かう前に、こうしてその祖となった武家の足跡を辿ることができたのは、私にとってとても意味深い体験となりました。今度は春や初夏、あるいは紅葉の盛りにも再訪し、また違った顔の鑁阿寺に出会ってみたいと思っています。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓(東武線) 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 周辺のスポット 足利学校 足利織姫神社 足利市立美術館 明石弁天厳島神社(美人弁天) リンク 国宝 鑁阿寺 鑁阿寺(ばんなじ) | 足利市 公式ホームページ

大阪城:石垣に刻まれた失われた栄華と豊臣秀吉の夢、天下人の記憶が眠る再生の城

今日は大阪市に来ました。いくつか見たいポイントがあり、若干距離が離れているので、テンポよく廻りたいと思っています。まず、大阪城公園にある大阪城(おおさかじょう / 大坂城)に来ました。 大阪を訪れるなら、やはり一度は足を運びたいのが「大阪城」です。大阪城は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって築かれた、日本を代表する名城のひとつです。1583年(天正11年)、天下統一を進める秀吉が、自らの権威を示すためにこの地に壮大な城を築き始めました。その規模は当時としては破格で、全国から集められた巨石によって組まれた石垣や、広大な堀は、まさに天下人の威光を感じさせるものです。 しかし、栄華を誇った豊臣家も、大坂の陣によって滅亡してしまいます。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は歴史の表舞台から姿を消しました。その後、徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠によって再建が進められ、現在私たちが目にする城郭の多くは、このときの再建によるものです。 現在の天守閣は、1931年(昭和6年)に市民の寄付によって鉄筋コンクリートで再建されたもので、外観は五層、内部は八階建てとなっています。館内は歴史博物館として整備されており、豊臣秀吉にまつわる資料や甲冑、屏風絵などが展示されています。 最上階の展望台からは、大阪市内を一望することができ、晴れた日には遠くまで見渡せて、とても気持ちの良い場所です。 天守閣を囲む大阪城公園もまた、訪れる人にとって大きな魅力です。春には桜が咲き誇り、多くの花見客でにぎわいます。梅林も整備されており、早春には可憐な梅の香りが漂います。また、敷地内には大阪城ホールという大型イベント会場もあり、コンサートやスポーツイベントなどが開催されるなど、市民にとっても憩いと楽しみの場となっています。 アクセスも非常に良く、JR大阪環状線の「大阪城公園駅」や「森ノ宮駅」から徒歩で行くことができます。観光で訪れる際には、天守閣だけでなく、公園内をのんびりと散策するのもおすすめです。季節によっては、ライトアップイベントやプロジェクションマッピングも行われており、昼と夜で違った魅力を楽しむことができます。 歴史と現代が共存する大阪城は、ただの観光地ではなく、日本人にとっての誇りや記憶を宿す場所でもあります。大阪を訪れた際には、ぜひこの城の物語に思いを馳せながら歩いてみてください...

岡山城(烏城):黒い天守が語る戦国のロマン、池田家の城の魅力

後楽園を目的に岡山市に来ました。 後楽園を見た後、後楽園から見える、岡山城(烏城)へ行きました。 岡山城は、上神高直が南北朝時代の正平年間(1346年~1369年)が石山台(岡山)に石山城を築いたのが始まりです。 その後150年ほどは城主の変遷は分かっていませんが、金光宗高(かなみつ むねたか)が城主の時代の1570年(元亀元年)に宇喜多直家(うきた なおいえ)が金光宗高を謀殺し、石山城に移りました。宇喜多直家は、城の改築と城下町を整備を行いました。 1590年(天正18年)~1597年(慶長2年)、直家の子・宇喜多秀家(うきた ひでいえ)が大改修を行い岡山に本丸を移しました。これ以降、岡山城と呼ばれるようになりました。 1600年(慶長5年)、関ケ原の戦いにおいて、宇喜多秀家は西軍についたため、八丈島に流刑になり、小早川秀秋(こばやかわ ひであき)が城主となりました。小早川秀秋は城を改修し、外堀の廿日堀を完成させました。 1615年(慶長20年)、小早川秀秋は急死したため、徳川家康の孫の池田 忠継(いけだ ただつぐ)が城主となりました。 その後、池田忠雄(いけだ ただお、いけだ ただかつ)が城主となり、大改築を行いました。 1669年(貞享4年)、池田綱政(いけだ つなまさ)によって、後楽園が造園されました。 明治以降も池田家の池田章政(いけだ あきまさ)が岡山藩知事となり、1876年(明治6年)に廃城令により、岡山城の堀などが埋め立てられましたが、天守、月見櫓、西之丸西手櫓、石山門などは残りました。 1931年(昭和6年)には天守が国宝となりましたが、第二次世界で天守が焼失しました。 1964年(昭和39年)〜1966年(昭和41年)に天守が再建され、城跡が国指定史跡となりました。 旅程 東京 ↓(新幹線) 岡山駅 ↓(徒歩) 後楽園 ↓(徒歩) 岡山城(烏城) ↓(徒歩) 岡山市立オリエント美術館 関連イベント 烏城夏まつり 周辺のスポット 後楽園 岡山市立オリエント美術館 岡山県立美術館 林原美術館 夢二郷土美術館 岡山県立博物館 地域の名物 関連スポット リンク 【公式】岡山城ウェブサイト 岡山城(烏城)|観光スポット | 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ! (※警報発令のため中止)烏城夏まつり2024 | 【公式】岡山城ウェブサイ...

広島城:平和の街、夏空の下で歴史を感じる一日

真夏の猛暑の中、平和記念公園で静かな時間を過ごした後、広島城(ひろしまじょう)へと足を延ばしました。 平和公園を離れて少し歩くと、徐々にその姿が見えてきます。広島城は別名「鯉城(りじょう)」とも呼ばれ、かつて毛利輝元が1589年(天正17年)に築城を開始し、中国地方の政治の中心地として栄えました。江戸時代は、浅野氏一族の居城となり、約5倍の大きさに拡充されました。広島城は、明治以降も陸軍施設として利用されるなど、歴史の波を経てきましたが、1945年(昭和20年)の原爆によって完全に破壊され、現在の天守閣は1958年(昭和33年)に復元されたものです。 城の中に入ると、常設展が広がっていました。ここでは広島城の歴史だけでなく、戦国時代から江戸時代にかけての武具や文書、そして広島の街の移り変わりをわかりやすく展示していました。展示物をゆっくりと鑑賞していると、外の暑さを忘れてしまうほどでした。 常設展をひと通り見終え、階段を上がって最上階の展望室に向かいました。展望室からの眺めは素晴らしく、眼下には広島市の街並みが一望できます。暑さを伴った空気がかすかに揺れる中、目を凝らすと遠くには瀬戸内海も見え、その景色の美しさにしばらく見入ってしまいました。 展望室から見る広島の街は、かつての悲劇を乗り越えて再建され、活気に満ちています。その風景は、広島が持つ過去と現在、そして未来への希望を感じさせるものでした。 暑さが少し落ち着くまで展望室で過ごした後、再び城を後にしました。猛暑の日に訪れた広島城は、その歴史の深さと街の復興の力強さを感じさせてくれた、印象深い場所でした。 五奉行 豊臣秀吉が政権の頂点にあった時代、その行政機構の中枢を担ったのが「五奉行」と呼ばれる五人の官僚たちです。石田三成、増田長盛、長束正家、浅野長政、前田玄以。この五人は、豊臣政権において政策の実務を司る重要な役割を果たし、それぞれが個性豊かで、後の歴史に大きな影響を与えました。 石田三成は、近江国出身で、幼少期に観音寺で学んだとされます。秀吉に仕えるようになると、その卓越した事務能力と理知的な性格から、五奉行の筆頭として政務の中心を担いました。彼が居城とした佐和山城は、現在の滋賀県彦根市にその遺構を残しており、訪れると当時の緊迫した政治状況を肌で感じることができます。また、彼の出生地に近い長浜市石田町には石...

彦根城:井伊直弼の気配をたどる、鎧と能面と庭園と、武家文化を味わう

彦根をじっくり歩く一日として、朝、彦根駅を出て彦根城へ向かいました。 城下町の空気を感じながら進むと、彦根城の手前に滋賀縣護國神社があり、まずは参拝して旅の安全を願いました。城へ向かう気持ちが整うようで、観光の始まりにちょうど良い区切りになります。 さらに歩くと、敷地入口のあたりで井伊大老歌碑が目に入りました。彦根といえば井伊家、そして幕末に大老を務めた井伊直弼の存在が強く印象に残ります。彦根城は関ヶ原の戦い後に井伊家の居城として整えられ、江戸時代を通じて譜代大名の要衝として機能しました。いま目の前に広がる中堀に水が満ちている景色も、城が「見せるため」だけでなく「守るため」の施設であったことを静かに語っているようでした。 敷地内に入って最初に立ち寄ったのが開国記念館です。レゴで作られた彦根城の姿は親しみやすいのに、背景にある歴史は重厚で、その対比が面白く感じられました。彦根という土地が、江戸の安定した統治の象徴である城と、幕末の開国という大転換の記憶を同時に抱えていることが、展示の切り口からも伝わってきます。 馬屋を見たあと、内堀を渡って彦根城博物館へ向かいました。鎧や着物、能面、琴や掛け軸など、多様な展示を眺めていると、武家の世界が「武」だけでなく「芸」や「儀礼」と密接につながっていたことを実感します。能舞台や庭園も併設され、権力の場である城が、同時に文化を育てる舞台でもあったのだと腑に落ちました。 そしていよいよ天守へ。彦根城の天守は国宝として知られ、山城らしい高低差の中を進むほどに、守りの工夫が身体感覚として分かってきます。 内部を見学して最上階に上がると、彦根市の街並みが一望でき、城がこの土地を見守ってきた時間の長さに思いが及びました。天守の外へ出たあとは、次の目的地である玄宮園へ向かいます。歩き続けた一日の最後に庭園を訪れる流れは、軍事と政治の象徴としての城から、静けさを味わう空間へと気持ちが切り替わっていくようで、彦根観光の締めくくりにふさわしい余韻を残してくれました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根駅 ↓(電車) 米原駅 ↓(徒歩7分) 青岸寺 ↓(徒歩7分) 米...