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ラベル(北海道・北東北の縄文遺跡群)が付いた投稿を表示しています

是川縄文館: 縄文の編み/組みの探究:手を合わせた4,000年前の祈り、合掌土偶のふるさと

櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)から徒歩で是川縄文館(これかわじょうもんかん)に来ました。気温が23度ぐらいですが、まだまだ暑いです。 是川縄文館は、青森県八戸市にある博物館で、主に縄文時代の遺跡や文化に関する展示を行っています。特に、是川遺跡(これかわいせき)からの出土品を中心に、縄文時代の人々の生活や文化を紹介しています。この博物館は、八戸市の貴重な文化遺産を保存し、縄文時代の歴史をより深く理解するための場所です。 是川遺跡は、青森県八戸市に位置する日本の縄文時代を代表する遺跡のひとつです。この遺跡は、約4,000年前の縄文時代中期から後期にかけての生活や文化を示す貴重な考古学的証拠が数多く発見されていることで知られています。 是川遺跡は、丘陵地に広がる複数の住居跡や貯蔵穴、墓地などから構成されています。このことから、縄文時代の人々が定住生活を送っていたと考えられています。また、農耕文化が発達する以前の採集・狩猟・漁労による生活の様子がうかがえます。遺跡からは木の実や種子、魚の骨なども出土しており、縄文人が多様な食物資源を利用していたことがわかります。 是川遺跡は、縄文時代の中でも特に文化が成熟していた時期の生活を示す遺跡として、日本国内だけでなく国際的にも評価されています。豊富な出土品や居住地跡は、当時の人々が環境と調和しながら生活していたことを示しています。 是川縄文館には、国宝に指定された出土品も展示されています。中でも1946年の調査で出土した「合掌土偶」は、独特な姿勢と繊細なデザインで非常に有名です。この土偶は、祈りや信仰に関わる重要な意味を持つと考えられています。2011年に国宝に指定されました。 国宝の合掌土偶以外にも様々な土偶が展示されています。 縄文時代の生活様式、住居、食文化、狩猟や採集の方法なども展示を通じて学ぶことができます。 是川縄文館は、縄文時代の考古学的な資料を保存し、その価値を次世代に伝える役割を担っています。地元の歴史教育の場としても利用され、多くの訪問者が、展示を通じて縄文時代の人々の暮らしを理解する機会を得ています。 是川縄文館は、八戸市の文化観光スポットのひとつとしても人気で、地元の人々だけでなく、国内外からの観光客も訪れています。 是川縄文館では、現在、特別展として「縄文の編み/組みの探究」が開催されています。「縄文の...

三内丸山遺跡:縄文の風が吹く丘で、5900年前にタイムスリップ、日本最大級の縄文遺跡

縄文時代から古墳時代の文字がなく作者が分からない土器、土偶、石器などを眺めるのが好きで、以前から行きたいと思っていた三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)に来ました。 青森というと東京から遠いので宿泊が必要かと思ったのですが、計算してみると日帰りでも十分楽しめそうだったので、新幹線を使って日帰りで来ました。三内丸山遺跡は新青森駅から近く、歩くのが好きな人にはちょうど良い距離です。 青森市にある三内丸山遺跡は、日本の縄文時代を語るうえで欠かせない、非常に貴重な史跡です。およそ5,900年前から4,200年前、縄文時代中期に栄えたこの遺跡は、かつての縄文人たちの生活の様子を現代に伝えてくれる「タイムカプセル」のような場所です。 遺跡が発見されたのは1992年(平成4年)のことでした。もともとは野球場の建設予定地として整地されていた土地でしたが、その調査の過程で地中に埋もれた巨大な集落跡が姿を現しました。この発見により、計画は大きく変更され、現在では遺跡が保存・公開される施設「三内丸山遺跡センター」として整備されています。 三内丸山遺跡を訪れると、まず目を引くのが巨大な柱を使った建物の復元です。地面には直径1メートルを超えるクリの木の柱穴が6本並び、それをもとにした高床建物の模型が建てられています。この建物は、単なる住居ではなく、儀式や共同作業などに使われた可能性があると言われています。何のためにこのような大きな構造物を造ったのか。現在でもその正確な用途はわかっておらず、想像をかき立てられます。 また、遺跡内には大型の竪穴建物跡もあり、こちらは住居として使用されていたと考えられています。このような建物の多くが一箇所にまとまって存在していることから、三内丸山は一時的なキャンプではなく、何世代にもわたって人々が定住していた大規模な集落だったことがわかります。 遺跡からは多くの土器や石器、装身具も発掘されており、展示室ではそれらをじっくり見ることができます。中には翡翠の玉や彩色された土器もあり、遠方との交易が行われていたことがうかがえます。さらに、クリの栽培跡も見つかっており、縄文人たちが自然に頼るだけでなく、植物を選び育てていた可能性があるとされています。これは「森林農法」と呼ばれるもので、農耕以前の社会の在り方に新しい視点をもたらしました。 見学にはガイドツアーを利用するの...