スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(愛媛県)が付いた投稿を表示しています

子規堂:松山で出会う、正岡子規ゆかりの静かな空間

高知・愛媛を巡る2日目の朝から、松山の町を歩き回ったあと、松山市駅の近くにある子規堂を訪れました。観光の締めくくりに、少し時間ができたことがきっかけでしたが、結果として心に残るひとときとなりました。 子規堂の入口で手渡された入場チケットは、どこか懐かしい切符の形をしていました。最初は不思議に思いましたが、中に入るとその理由がすぐにわかります。敷地内には、実際に使われていた「坊ちゃん列車」の客車が大切に展示されていました。松山の町を走っていたこの列車は、夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも登場することから、多くの人に親しまれています。木造の車体や座席からは、明治の面影が今も感じられ、かつての町の暮らしや旅の雰囲気を想像させてくれました。 子規堂の建物自体は、明治時代の俳人・正岡子規が幼少期から青年期を過ごした家の一部を移築・復元したものです。畳敷きの室内には、子規が使っていた机や書棚などの家具、手紙や原稿、写真といった数々の資料が丁寧に展示されていました。子規の病床生活や、俳句・短歌への情熱を感じさせる展示を見ていると、近代文学の黎明期に生きた彼の息遣いが伝わってくるようです。 静かな堂内で、しばし過去に思いを馳せていると、松山という町が単なる観光地ではなく、歴史と文化を育んできた場所であることに改めて気づかされました。旅の最後に子規堂を訪れたことで、松山と正岡子規、そして坊ちゃん列車のつながりがひとつの物語として心に残りました。忙しい観光の合間にも、ふと立ち寄ってみたくなる、そんな素朴な魅力を持つ場所だと感じます。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 道後温泉 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 松山市立子規記念博物館 伊丹十三記念館 松山市考古館 リンク 子規堂 | 子規堂は、正岡子規の遺筆を展示している史跡です 子規堂 | 松山市公式観光情報サイト|四国松山 瀬戸内松山 子規堂 松山市公式ホームページ PCサイト 子規堂|愛媛のスポット・体験|愛媛県の公式観光サイト【いよ観ネット】 子規堂|俳句...

松山城:空へ続くリフトと石垣の記憶、小春日和に歩く城下の道

湯神社を参拝した後、松山城に向かいました。冬とは思えぬ穏やかな陽気で、遠く石鎚山系までくっきりと見えるほどの好天に恵まれました。 松山城へはロープウェイとリフトのいずれかで向かうことができますが、この日は空と景色をより身近に感じられるリフトを選びました。椅子に揺られながら上がっていく途中、町の屋根が徐々に遠ざかり、松山の街並みが眼下に広がっていく感覚は、日常を離れて旅の時間に入り込むような心地よさがありました。 山上に到着すると、まず小腹を満たすべく立ち寄ったのが、名物の坊ちゃん団子。三色団子の素朴な甘さと熱いお茶が、ひとときの休息をもたらしてくれました。小説『坊っちゃん』でも知られるこの街の味を、ここで味わえたことが何よりうれしく感じられました。 その後、石垣を見上げながら歩を進め、堂々たる門をくぐって本丸広場へ。松山城は1602年に加藤嘉明によって築かれた名城で、江戸時代の面影を色濃く残しています。幾重にも積み上げられた高石垣や、敵の侵入を巧みに防ぐために設計された門や通路は、戦国から江戸へと移り変わる時代の知恵と緊張感を今に伝えてくれます。 本丸に入ると、鎧や刀剣、古文書などが展示されており、城主たちの暮らしぶりや戦の備えがうかがえました。 展示を一通り見たあとは、天守の最上階へ。そこからは松山城山公園や市街地、そして遠く瀬戸内海まで一望することができ、築城者がこの地に城を構えた理由を体感する瞬間でもありました。 再び広場に戻ったあと、次に味わったのはじゃこ天。魚の旨みがぎゅっと詰まった揚げたての一品で、寒さに少し冷えた体に染み渡る美味しさでした。松山城の凛とした空気の中でいただく地元グルメは、旅の記憶に深く刻まれます。 名残惜しさを感じながら、再びリフトで麓へと戻り、松山城見学を終えました。歴史と風景、そして食を楽しむにはぴったりのコースで、訪れる人すべてに満足をもたらす名城だと実感しました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 萬翠荘 坂の上の雲ミュージアム 愛媛県美術館 秋山兄弟生誕地 地域の名物 伊予かすり リンク 四...

伊佐爾波神社:石段の先に広がる、赤のひととき

道後の坂道を歩き続けた午前の終わり、子規記念博物館や道後温泉本館、そして宝厳寺をめぐってから、昼どきに伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)へ向かいました。 入口には鳥居らしきものが見当たらず、視界いっぱいに長い石段が立ちはだかります。息を整えて一段一段上がっていくと、やがて朱がまぶしい楼門と社殿が視界に飛び込み、旅気分が一気に高鳴りました。石段は135段。振り返れば道後の街並みまで見渡せて、上る苦労も報われます。 社殿は八幡造という珍しい様式で、前後二棟を連結した“M字”の屋根が横顔をつくります。日本でも整った八幡造の社殿が残るのはわずかで、ここはその代表の一つ。鮮紅の塗りと金箔をまとった柱、彫刻の意匠まで見応えがあり、桃山の雅を今に伝えるといわれるのも頷けました。 由緒を辿れば、仲哀天皇・神功皇后の来湯伝承や延喜式の古社の名が現れ、道後の歴史と重なり合います。主祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后に三柱姫大神。のちに湯築城の築城で現在地へ遷座し、地域の総守護として崇敬を集めてきました。 現在の社殿は江戸前期、松山藩主・松平定長が江戸城での弓の競射成就を感謝して造営したものと伝わり、寛文7年(1667)に竣工しました。国の重要文化財にも指定される貴重な建築で、楼門をくぐる瞬間の高揚感は、石段の達成感と相まって忘れがたい体験になります。 広い回廊を歩きながら、朱と白のコントラストや梁の彫り物を一つひとつ眺め、旅の午後の始まりをゆっくり味わいました。参拝を終えると、次の目的地である湯神社へ。道後の湯の記憶と八幡の気配が折り重なる半日で、松山の時間の厚みを体いっぱいに感じることができました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 道後温泉 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 松山市立子規記念博物館 伊丹十三記念館 子規堂 松山市考古館 リンク 伊佐爾波神社公式サイト 伊佐爾波神社|愛媛のスポット・体験|愛媛県の公式観光サイト【いよ観ネット】 伊佐爾波神社 | 松山市公式観光情報サイト|四国松山 瀬戸内松山 伊佐爾波神社 «...

道後温泉本館:千年の湯に癒されて、漱石も愛した温泉地

子規記念博物館から北へ道後温泉に向かいました。 昨晩、高知から愛媛に移動したあとにも道後温泉本館には来ていて、温泉に入る場合は、朝6時ぐらいから並んで予約を取るそうです。 並んで予約を取ろうかとも思いましたが、昨晩のうちに飛鳥乃湯泉の方に入って本館の方はあきらめることにしました。次に来るときには、本館近くにホテルを取って、朝食前に並ぼうかと思います。 道後温泉の近くの冠山(かんむりやま)からは、3000年前の縄文の土器が出てきており、3000年前から使われていた日本最古の温泉と言われています。 また、伊予国(いよのくに)風土記には、神話の時代に、大国主命(おおくにぬしのかみ)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、少彦名命が病気になり、大国主命は大分の「速見の湯」を海底に管を通して道後に導き温泉にしたという話が残っています。 同じく、伊予国風土記に、596年(法興6年)に聖徳太子が道後温泉に来浴し、温泉に感動し石碑を残しました。現在、石碑は発見されていませんが、飛鳥乃湯泉にレプリカがあります。 1894年(明治27年)に、道後温泉本館が落成されました。 そのころに、夏目漱石が松山中学の英語教師として松山市に赴任し、「坊ちゃん」の中で道後温泉のことを絶賛しています。 道後温泉駅からは、坊ちゃん列車も出ています。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 飛鳥乃湯泉 松山市立子規記念博物館 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 子規堂 伊丹十三記念館 松山市考古館 地域の名物 伊予かすり リンク 【公式サイト】道後温泉 道後温泉本館・飛鳥乃湯泉・椿の湯 入浴料金・営業時間|道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉 松山市公式ホームページ PCサイト

松山市立子規記念博物館:俳句の革新者をたどる文学の旅路、近代短詩の夜明け

高知・愛媛旅行の2日目、ホテルから松山市立子規記念博物館に向かいしました。 ちょうど愛媛マラソンととぶつかり、道が広範囲に封鎖されていました。特に知り合いがいるわけではないですが、お祭り気分で人に混ざって応援しました。 松山市立子規記念博物館は道後温泉の近くの道後公園内にあります。(現在、改装中。入館はできます) 子規記念博物館は正岡子規(まさおか しき)の文学や松山の歴史を学ぶことができる博物館です。 正岡子規は明治時代の俳人、歌人で国語学の研究者でもあり、近代文学に多大な影響を及ぼしました。 日清戦争からの帰国途中に病気になり、その後闘病生活中も精力的に作品を作り続けました。夏目漱石の下宿先に同宿したりと交友がありました。 研究者としては、与謝蕪村、芭薫、古今和歌集などについて研究しました。 1902年(明治35年)、34歳の若さで亡くなり、東京の大龍寺に埋葬されました。 また、野球好きでもあり、「野球」という日本語が生まれる前に「野球(の・ボール)」という雅号を用いたこともあります。道後温泉の近くにも野球のユニホーム姿の子規の像があります。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 道後温泉 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 子規堂 伊丹十三記念館 松山市考古館 地域の名物 伊予かすり 関連スポット 大龍寺 (東京都) リンク 松山市立子規記念博物館 The Shiki Museum 松山市立子規記念博物館 松山市公式ホームページ PCサイト 松山市立子規記念博物館デジタルアーカイブ