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野菊の墓文学碑:伊藤左千夫をたどる時間、文学碑が語りかける物語の余韻

矢切の渡しで矢切側に渡ったあと、そのまま東に進み「野菊の墓文学碑(のぎくのはかぶんがくひ)」に来ました。 千葉県松戸市に、伊藤左千夫の代表作『野菊の墓』ゆかりの文学碑があることをご存じでしょうか。千葉県松戸市は『野菊の墓』の舞台であり、作品世界をしのばせる小さな記念碑がひっそりと建っています。 記念碑は1965年(昭和40年)5月に完成し、筆は伊藤左千夫の門下の土屋文明によるものです。 そもそも『野菊の墓』は、1906年(明治39年)に雑誌『ホトトギス』で発表された短編小説で、松戸市の風景を背景に、淡く切ない恋模様を描いた作品です。 松戸市の文学碑は、そうした地域独自の解釈や作者とのつながりを顕彰するため、地元の有志によって建立されたとされています。場所は比較的静かなエリアにあります。伊藤左千夫の功績や『野菊の墓』のあらすじ、作品が与えた影響といった情報が読み取れ、松戸市ならではの視点で作品を振り返ることができます。 実は、「野菊」という花は無く、「野菊」と呼ばれている花には、キク科に属するさまざまな野生種が含まれています。たとえば「ノコンギク」「ヨメナ」「リュウノウギク」など、地域によって多種多様な野菊が見られ、花の色や大きさにも違いがあります。関東では、「カントウヨメナ」「ノコンギク」「ユウガギク」などがあります。こうした菊の仲間をひとまとめに「野菊」と呼ぶ背景には、秋の野山を飾る小さな菊の花々全体を愛でる日本人特有の愛称的な呼び方があるのかもしれません。 訪れた後は、松戸ならではの街歩きを楽しむのもおすすめです。矢切の渡しから野菊の墓文学碑に向かう途中の小川にかかった矢切橋には、野菊の墓文学碑で主人公が発した「野菊のような人」の碑があります。 矢切駅近くの麺王で食べた揚げ餃子にはねぎがたっぷり入っていました。これは矢切ねぎでしょうか。ラーメンもおいしかったです。 松戸市にある野菊の墓文学碑は、作者の足跡や物語の背景をひもときながら、地元ならではの「ここが舞台かもしれない」という物語を受け継いでいる大切なスポットです。 松戸に来る機会があれば、あるいは近隣にお住まいの方は、日帰りのちょっとしたお散歩コースとして訪ねてみてはいかがでしょうか。思わぬ場所に息づく文学の足跡を見つけると、日常の景色も少し違って見えてくるかもしれません。『野菊の墓』を改めて読み返した上で...

矢切の渡し:下町の風を感じる小さな旅、柴又から矢切へ渡し舟に揺られて

寅さん記念館から東に進むと江戸川に着きます。江戸川の東京の葛飾側と千葉の千葉側を行き来する船「矢切の渡し (やきりのわたし)」に乗ってみることにしました。 東京の下町情緒を味わうなら、ぜひ足を運んでみたい場所のひとつに「矢切の渡し」があります。葛飾区柴又から江戸川を挟み、対岸の千葉県松戸市矢切地区へと渡る小さな渡し舟は、江戸時代から長い歴史を紡いできた貴重な交通手段です。船着場は、映画「男はつらいよ」でおなじみの柴又帝釈天から歩いてほど近い場所にあり、あの参道の賑わいとはまた違った、穏やかな川辺の雰囲気が漂っています。 かつては橋が十分に整備されておらず、江戸川沿いの人々はこの渡し舟を生活道路として利用してきました。現在ではモーターボートや橋が当たり前の時代になりましたが、矢切の渡しは地元の歴史と文化を守る象徴として、今なお運航を続けています。かつては手こぎが主流だった舟も、いまは小型エンジン付きの船が使われていますが、対岸までわずか数分の渡航は、川面に近い視線と静かな水音が心地よく、どこか昔にタイムスリップしたかのような気分に浸ることができます。 現在の運航は例年三月中旬から十一月下旬ごろまでは毎日運航され、12月から3月上旬は土日祝日のみの運行です。時間帯は午前から夕方までが目安ですが、天候や川の増水などでスケジュールが変わることもあります。乗船料金は片道大人は200円、子どもは100円で手軽さも魅力的です。自転車を持ち込む場合は追加料金が必要になる場合があるため、利用の際には公式情報や現地案内をチェックしておくと安心です。 川の向こう岸に着くと、柴又の門前町とは打って変わって、のんびりとした風景が広がります。周辺には畑や田園が残されていて、都心からそれほど遠くないとは思えない、のどかな里の空気を味わうことができます。もちろん渡し舟に乗らずとも、江戸川の土手を散策して川風を感じるのもおすすめですが、舟旅は短いながらにいつもと違った視点からこの地域を楽しむことができる特別な体験だと感じます。 矢切側では、名物の矢切ねぎが売っていました。 ちあきなおみや細川たかしの歌に「矢切の渡し」というのがありますが、子供頃聞いていたので、ずっと「やぎりの私」と思っていました。舟のことだったんですね。なお、矢切というのが、「やきり」だったり「やぎり」だったりしますが、地名としては...