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千代神社:城下町に佇む、時を刻む社殿

彦根城などを訪れたあとの初夏の昼下がり、千代神社を訪れました。彦根の町は、歴史的な街並みや名所が点在し、散策するだけでも心が落ち着きます。そんな中、千代神社は静かな住宅地にあり、地域の方々に親しまれている神社という印象を受けました。 千代神社の歴史は古く、社伝によれば、創建はなんと孝元天皇の時代にさかのぼると伝えられています。長い時の流れの中で、この地の人々の暮らしや祈りを見守ってきたのでしょう。 境内を進むと、落ち着いた雰囲気の拝殿が迎えてくれます。そっと手を合わせて参拝をし、静かな空気に包まれながら、しばし心を落ち着けました。千代神社の本殿は、江戸時代の1638年(寛永15年)に再建されたもので、現在は国の重要文化財にも指定されています。 彦根城をはじめとする大きな観光地も良いですが、千代神社のように地元の歴史や信仰が息づく場所にも、旅の魅力が詰まっています。静かな境内で過ごすひとときが、心に残る時間となりました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根駅 ↓(電車) 米原駅 ↓(徒歩7分) 青岸寺 ↓(徒歩7分) 米原駅 周辺のスポット 彦根城 地域の名物 信楽焼 鮒ずし リンク 彦根観光ガイド : 公益社団法人 彦根観光協会 神社紹介 > 滋賀県の神社 > 滋賀県神社庁 千代神社/彦根市 千代神社 | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]滋賀・びわ湖のすべてがわかる!

龍潭寺(彦根):彦根の静寂に触れて、苔の道と蓬莱の庭

梅雨の合間の晴天に恵まれ、滋賀県彦根の龍潭寺を訪れました。この日は彦根城や清凉寺も巡ったあとで、歴史と自然が織りなす一日となりました。 龍潭寺は井伊家に縁のある寺院として知られており、古くは遠州・浜松の龍潭寺と同じく、井伊氏の菩提寺としての歴史を持ちます。彦根藩初代藩主・井伊直政の死後、二代直孝の時代に整備が進められました。彦根城からそう遠くない場所に位置しながら、喧騒から離れた山裾にひっそりと佇む姿が印象的です。 山門へと続く参道の脇には、手入れの行き届いた苔が広がっており、陽射しが強い日にもかかわらず、そこだけはひんやりとした空気に包まれていました。静けさの中で、緑が放つ涼やかな気配が心を和ませてくれます。 中に進むと、襖絵や鎧が展示された空間に出会います。中でも、龍潭寺方丈襖絵(りょうたんじほうじょうふすまえ)は、落ち着いた筆致で描かれた風景が印象的で、時間を忘れて見入ってしまいました。武家の歴史を背負うこの寺ならではの展示が、時代の流れを肌で感じさせてくれます。 そして何よりも心に残ったのは、蓬莱池泉庭(ほうらいちせんてい)の佇まいでした。池泉式の庭園は、蓬莱神仙思想の影響を受けたもので、中央の島が蓬莱山を象徴しているとされます。静かな水面とその周囲を囲む石と植栽が調和し、まるで現実と夢の境を歩いているかのような気分に誘われました。水音も風の音も、どこか遠くで響いているようで、心の奥深くに届くような静寂がありました。 さらに奥へと進むと、大洞観音堂があります。こちらはもともと佐和山城の遺構のひとつとも伝えられ、彦根の歴史の積み重ねを感じさせる場でもあります。堂内には観音像が祀られており、その穏やかな表情が訪れる人の心を静かに見守っているようでした。 帰り道、ふと見上げた山の中腹に「佐和山城跡」の看板が見えました。 かつて石田三成が拠点とした名城が、いまはただ木々の向こうに眠っていると思うと、歴史の重みと同時に、自然と共に時を過ごす建造物の儚さを思いました。 歴史を知り、自然に触れ、心を整える。そんな時間を、龍潭寺は静かに与えてくれました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根...

清凉寺:佐和山を背に、心を澄ます、井伊家の眠る場所

滋賀県彦根市の清凉寺(せいりょうじ)を訪ねました。 彦根駅から東へ向かう道すがら、山の斜面に「佐和山城跡」という大きな看板が現れ、まずはこの土地の歴史に迎えられた気持ちになりました。佐和山は関ヶ原前夜の緊張をはらんだ舞台で、石田三成の居城としてよく知られています。戦後、城は廃され、やがて井伊家が彦根城を築き近世の城下町が形づくられていきました。そんな時代の重なりを思いながら、清凉寺の参道へ足を踏み入れます。 門前は広く、白い砂利が隅々まで敷き詰められていて清々しい景観でした。参道の脇には堂々と枝を広げる松が立ち、風に揺れる葉の音が静けさを際立たせます。境内に入っても同じく砂利が行き届き、掃き清められた空間が続きました。派手さよりも手入れの良さが印象に残り、寺の姿勢がそのまま風景になっているように感じます。 石碑には井伊家菩提寺の文字。彦根藩主としてこの地を治めた井伊家は、関ヶ原後に佐和山から彦根へと時代の舵を切りました。清凉寺は、その一族の祈りと記憶を静かに受け止めてきた場所です。城や武家屋敷が語る政治の歴史に対して、菩提寺は人としての営みを伝える場だと実感します。勝敗と制度が表の歴史なら、弔いと祈りは裏側から時代を支える柱なのだろう、と。 本堂の前に立つと、お賽銭箱は見当たりませんでした。由緒や宗派によっては、賽銭箱を常時置かないお寺もあります。ここでは静かに手を合わせることがいちばんの礼儀だと受けとめ、合掌して日々の感謝を伝えました。広い砂利の反射光がやわらかく本堂の木肌を照らし、短い祈りの時間がいっそう落ち着いたものになりました。 その後、井伊家の墓所にも足を運び、同じように手を合わせました。家の歴史というと豪壮な城や甲冑を思い浮かべがちですが、墓前に立つと、為政者である前にひとりの人であったことが胸に迫ってきます。代々の当主たちが見てきた季節の移ろいも、ここでは砂利の白さや松の緑に静かに沈んでいるようでした。 清凉寺の境内は、観光の高揚をいったん落ち着かせ、土地の時間の流れに歩調を合わせてくれる場所でした。行きがけに見た「佐和山城跡」の看板は、合戦と政の記憶を呼び起こしますが、門前の砂利と松の風情は、それらを包み込む長い静けさを教えてくれます。城と寺、表の歴史と裏の祈り。その両方が重なり合う彦根という土地の輪郭が、ここで少しはっきりした気がしました。 帰り道...

彦根城:井伊直弼の気配をたどる、鎧と能面と庭園と、武家文化を味わう

彦根をじっくり歩く一日として、朝、彦根駅を出て彦根城へ向かいました。 城下町の空気を感じながら進むと、彦根城の手前に滋賀縣護國神社があり、まずは参拝して旅の安全を願いました。城へ向かう気持ちが整うようで、観光の始まりにちょうど良い区切りになります。 さらに歩くと、敷地入口のあたりで井伊大老歌碑が目に入りました。彦根といえば井伊家、そして幕末に大老を務めた井伊直弼の存在が強く印象に残ります。彦根城は関ヶ原の戦い後に井伊家の居城として整えられ、江戸時代を通じて譜代大名の要衝として機能しました。いま目の前に広がる中堀に水が満ちている景色も、城が「見せるため」だけでなく「守るため」の施設であったことを静かに語っているようでした。 敷地内に入って最初に立ち寄ったのが開国記念館です。レゴで作られた彦根城の姿は親しみやすいのに、背景にある歴史は重厚で、その対比が面白く感じられました。彦根という土地が、江戸の安定した統治の象徴である城と、幕末の開国という大転換の記憶を同時に抱えていることが、展示の切り口からも伝わってきます。 馬屋を見たあと、内堀を渡って彦根城博物館へ向かいました。鎧や着物、能面、琴や掛け軸など、多様な展示を眺めていると、武家の世界が「武」だけでなく「芸」や「儀礼」と密接につながっていたことを実感します。能舞台や庭園も併設され、権力の場である城が、同時に文化を育てる舞台でもあったのだと腑に落ちました。 そしていよいよ天守へ。彦根城の天守は国宝として知られ、山城らしい高低差の中を進むほどに、守りの工夫が身体感覚として分かってきます。 内部を見学して最上階に上がると、彦根市の街並みが一望でき、城がこの土地を見守ってきた時間の長さに思いが及びました。天守の外へ出たあとは、次の目的地である玄宮園へ向かいます。歩き続けた一日の最後に庭園を訪れる流れは、軍事と政治の象徴としての城から、静けさを味わう空間へと気持ちが切り替わっていくようで、彦根観光の締めくくりにふさわしい余韻を残してくれました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR琵琶湖線) 彦根駅 ↓(徒歩) 滋賀縣護國神社 ↓(徒歩) 彦根城 ↓(徒歩) 玄宮園 ↓(徒歩) 彦根港/琵琶湖 ↓(徒歩) 清凉寺 ↓(徒歩) 龍潭寺 ↓(徒歩) 千代神社 ↓(徒歩) 彦根駅 ↓(電車) 米原駅 ↓(徒歩7分) 青岸寺 ↓(徒歩7分) 米...