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Sidi Mahrez Mosque:黒ずみも美しい、歴史が息づく丸屋根群

チュニス旧市街の北側を歩いていると、夕方のやわらかな光に浮かび上がる白いドーム群が見えてきました。いくつもの小さな丸屋根に抱かれるように、中央の大きなドームが鎮座し、遠目にも独特の量感があります。近づいて見上げると、白地の漆喰にところどころ年季の黒ずみが混じり、磨かれた宝物というより、長い時間を住民とともに生きてきた建築だと感じられます。カルタゴ遺跡を巡った同日の締めくくりに、この空気感はとても印象的でした。 このモスクは一般にシディ・マフレズ・モスク(Sidi Mahrez Mosque)として知られ、ムラーディー朝のベイ、ムハンマド・ベイ・エル=ムラーディーの時代に1692年から1697年にかけて建てられたとされます。オスマン帝国期の影響が色濃く、中央ドームを四つの半ドームで受け、その四隅をさらに小ドームが支えるという、外観が段状のドームの集まりに見える構成が特徴です。白く連なる丸屋根の連なりは、旧市街の屋根並みからぽっかりと浮かび上がるランドマークで、チュニスでも屈指のオスマン風モスクとして言及されます。 モスクの名は、10〜11世紀に生き、チュニスの守護聖とも呼ばれる法学者シディ・マフレズ(マフレズ・ベン・ハラフ)に由来します。彼はアリアナの出身で、後年バブ・スイカ地区に住し、その住まいが後に霊廟(ザウィーヤ)となりました。寛容と信仰で知られた人物で、チュニスの記憶の中で今も敬われています。モスク自体は近世の建立ですが、この聖者への敬意が都市の精神史に長く根を張り、礼拝の場の重みをいっそう深めているように感じます。 旧市街(メディナ)は1979年にユネスコ世界遺産に登録され、数百に及ぶモスクや宮殿、霊廟が折り重なる文化景観を成しています。シディ・マフレズ・モスクの白いドーム群は、その重層的な町並みの中で光と影を受け止める器のように存在し、午後の傾いた日差しを浴びると、表面の小さな凹凸や古い手仕事の痕跡まで浮かび上がって見えました。白一色の潔さのなかに、長年の風雨が刻んだ陰影が潜んでいて、写真で見た“まぶしい白”よりもずっと、時間の厚みをまとった白さです。 この日は北側のモスクをいくつか巡ってからここに至り、外から一巡して佇まいを味わいました。中央ドームを取り巻く小ドームのリズム、外壁の控えめな装飾、そして周囲の生活の気配が、礼拝空間を町に溶かし込んでいます。...

Saheb Ettabaâ Mosque:迷宮の街の目印、白い大理石がまぶしい午後

午後のチュニスの旧市街は、午前中のカルタゴ遺跡の余韻を連れて静かに熱を帯びていました。北側の路地を抜けていくと、瓦屋根の海の向こうに、ひときわ背の高いミナレット(尖塔)が空に線を引きます。 目印のように堂々と立つその塔を追うように歩みを進めると、白い大理石が光をはね返し、思わず「新築ですか」と錯覚するほど端正な佇まいのモスクに行き当たりました。あとで調べると、ここは19世紀初頭に宰相ユースフ・サーヒブ・アッタバの名を冠して建てられ、1808年に着工、1814年に完成した歴史ある礼拝堂でした。 一帯はハルファウィーン(Halfaouine)地区。モスク単体ではなく、同時期にバザールやハンマーム、二つのマドラサ、公共泉(サビール)、隊商宿(フンドゥク)、さらにサーヒブ・アッタバの宮殿や廟までを含む複合施設として整えられたことが、この場所の独特の気配を作っています。列柱のフルーテッドや彩色大理石のヴェニアなどにはイタリア趣味の意匠が濃く、建設には当時の工匠ハッジ・サッシ(サッシ・ベン・フリージャ)が関わり、地中海で拿捕されたイタリア人捕虜の労働力も投じられたという背景が、石の肌合いにまで物語を刻んでいました。 遠目に私を導いたミナレットは八角形で、実は長らく未完のまま時を過ごし、1970年の修復で現在の姿に整えられたそうです。塔の上に載った小さなランタンまで含めて線が細く、しかし視線をさらう凛とした立ち上がりは、迷宮のような旧市街で方向感覚を取り戻させてくれる頼もしさがありました。 門に足を踏み入れると、回廊の影が涼しく、白と薄茶の大理石が幾何学の秩序で連なります。礼拝堂の天蓋から下がる装飾灯が静かに揺れ、人々の出入りに合わせて床石の冷たさがほんの少しだけ柔らぎます。数時間前に見たカルタゴの廃墟は「時間の断片」、ここは暮らしの中に生きる「時間の継続」。約200年という数字は、磨かれ続けた大理石の光沢の前ではただの通過点に過ぎないのだと感じました。 このモスクは、フランス保護領成立(1881年)以前にチュニスで築かれた「最後の大モスク」とされ、いまは歴史的記念物として守られています。旅人の目には新しいとさえ映る美しさの裏側に、権勢を誇った宰相の構想、地中海世界の交流と軋轢、そして祈りの営みが幾層にも重なっている――そんなことを思いながら、私は再びミナレットを振り返り、旧市街...

チュニス駅 / Gare de Tunis:朝の光、旅の扉が開くとき

今日はチュニジアの最大の目的のカルタゴ(Carthage)に行きます。 昨日までホテルの前に車の通りが激しくタクシーも並んでいたのですが、今日は一画が閉鎖されているようで車が全然走っていません。 大きな駅ならタクシーも並んでいるだろうと、散歩も兼ねてチュニス駅(Gare de Tunis)に向かいました。最悪、タクシーがすごく高ければ、鉄道でカルタゴに向かうこともできます。 チュニス駅は、チュニジアの首都チュニスに位置する主要な鉄道駅で、国内交通の要所として機能しています。この駅は、チュニス市内や郊外、さらには国内各地への鉄道サービスを提供する重要なハブです。 周辺には路面電車(ライトレール)の駅やバス停もあり、多様な交通手段が利用可能です。 駅はチュニジア国鉄(SNCFT: Société Nationale des Chemins de Fer Tunisiens)によって運営されています。 国内主要都市への接続し、スファックス(Sfax)、スース(Sousse)、ガベス(Gabès)、ケフ(Kef)などへの長距離列車が発着します。郊外鉄道(TGM)で、マルサ(La Marsa)やシディ・ブ・サイド(Sidi Bou Said)といった郊外の観光地への鉄道も利用できます。 チュニス駅の歴史は19世紀後半に遡ります。フランス植民地時代に建設され、その影響を受けたクラシックな建築スタイルが特徴です。一部は改修されているものの、当時の面影を感じることができます。 チュニス駅は、観光客にとっても便利な拠点です。カスバ地区やスークといった歴史的エリアへも徒歩圏内で、さらに近郊の観光地への日帰り旅行にも適しています。たとえば、青と白の美しい町シディ・ブ・サイドや、ローマ時代の遺跡カルタゴへのアクセスが容易です。 タクシーが並んでいたので、カルタゴへの値段を聞いたところ、手頃な値段だったのでタクシーで行くことにしました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) チュニス駅 ↓(タクシー) ビュルサの丘/カルタゴ博物館 ↓(徒歩) セントルイス大聖堂 ↓(徒歩) アントニヌス浴場 ↓(タクシー) Basilica of Damous El Karita ↓(タクシー) (略) 関連イベント 周辺のスポット チュニス大聖堂 勝利広場/フランス門 スーク・エル・アッタリーン オリーブモスク シデ...

チュニス大聖堂:ビザンティンとロマネスクが出会う場所

旧市街を東に向かいフランス門を抜けて新市街の方に来ました。フランス通りを抜けたところに大聖堂がありました。 チュニス大聖堂(Cathédrale Saint-Vincent-de-Paul de Tunis)は、チュニジアの首都チュニスにあるカトリックの大聖堂で、フランス統治時代の1882年に完成しました。この大聖堂は、フランス人建築家によって設計され、主にロマネスク様式、ビザンチン様式、ゴシック様式を融合させた美しい建築が特徴です。正面には大きなアーチ型の入り口と二つの鐘楼がそびえています。内部は美しいステンドグラスや装飾が施され、荘厳な雰囲気を感じられます。 この大聖堂は、フランスの著名なカトリック司祭であり、慈善活動家であった聖ヴィンセント・ド・ポール(Saint Vincent de Paul)にちなんで名付けられました。彼は困窮者への支援に尽力したことで知られています。 チュニス大聖堂は、チュニスの中心地、ハビブ・ブルギーバ大通り(Avenue Habib Bourguiba)沿いに位置し、市街地のランドマークとなっています。 チュニジアが独立(1956年)した後は、カトリック信徒が減少しましたが、現在でも宗教儀式や文化的イベントが開催されることがあります。 チュニス大聖堂は、主に宗教行事や観光スポットとして機能しています。信徒の減少により活動は限定的ですが、建物自体は保存状態が良く、訪れる価値のある美しい歴史的建造物です。 昼食をとっていないことに気づき、近くのレストランに入り、お任せで料理を用意してもらいました。 料理の名前は憶えていないですが、変なクセもなくおいしかったです。 お腹がいっぱいになり、長時間の移動で疲労もたまっていたので、今日の探索は終わりにすることにしました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 勝利広場/フランス門 ↓(徒歩) 旧市街メディナ/スーク・エル・アッタリーン ↓(徒歩) 旧市街メディナ/オリーブモスク ↓(徒歩) 旧市街メディナ/シディ・ユセフ・デイ・モスク ↓(徒歩) カスバ・モスク ↓(徒歩) カスバ広場 ↓(徒歩) チュニス大聖堂 ↓(徒歩) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 勝利広場/フランス門 スーク・エル・アッタリーン オリーブモスク シディ・ユセフ・デイ・モスク 地域の名物 関連スポット リンク Tunis Ca...

カスバ広場:国旗がはためくチュニスのオープンスペース

カスバ・モスクのあと、隣接するカスバ広場(Kasbah Square, Place de la Kasbah)に来ました。 カスバ広場は、チュニジアの首都チュニスに位置する歴史的かつ政治的に重要な広場です。旧市街(メディナ)に隣接し、現代的な行政機関と歴史的建築物が混在しているため、過去と現代が交錯する象徴的な場所となっています。 カスバ広場は、チュニジアの独立後、政府機関や国会議事堂が周囲に設置されるなど、政治の中心地としての役割が強化されました。広場には、政府関連の建物、特に首相官邸があり、政治的な決断やデモ活動の中心地としても知られています。 また、カスバ・モスクもこの広場に隣接しており、イスラム建築の重要な遺産として観光客に人気があります。カスバ・モスクはアブー・ザカリーヤー1世(Abu Zakariya Yahya I ben Abd al-Wahid)によって1230年代に建立されました。 近年では、2011年のジャスミン革命中、広場が大規模な抗議活動の中心となり、チュニジアの政治変革を象徴する場所にもなりました。 この後、メディナの Chateau de la Medina 辺りを通って新市街に向かいました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 勝利広場/フランス門 ↓(徒歩) 旧市街メディナ/スーク・エル・アッタリーン ↓(徒歩) 旧市街メディナ/オリーブモスク ↓(徒歩) 旧市街メディナ/シディ・ユセフ・デイ・モスク ↓(徒歩) カスバ・モスク ↓(徒歩) カスバ広場 ↓(徒歩) チュニス大聖堂 ↓(徒歩) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 勝利広場/フランス門 スーク・エル・アッタリーン オリーブモスク シディ・ユセフ・デイ・モスク 地域の名物 関連スポット リンク

カスバ・モスク:空へと指す塔と、風に乗る調べ、幾何学模様に迷い込む午後

シディ・ユセフ・デイ・モスク(Sidi Youssef Dey Mosque)からさらに西に向かい、旧市街メディナから出て、カスバ・モスク(Kasbah Mosque)に来ました。 「カスバ(Kasbah)」とは、アラビア語で「要塞」や「城塞」を意味し、特に北アフリカや中東のイスラム世界で見られる、都市の中心部に位置する防御施設や統治者の住居を指します。カスバは、都市の防御の要としての役割を果たすだけでなく、政権の権力や統治の象徴でもありました。 チュニスにあるカスバは、政治と宗教の中心地であり、カスバ・モスクもその一部を成していました。カスバは行政や軍事の拠点であり、古くからその都市の権力構造を支える重要な役割を果たしてきました。 カスバ・モスクは、1125年にハフス朝を建国したアブー・ザカリーヤー1世(Abu Zakariya Yahya I ben Abd al-Wahid)によって建設されました。彼はマグリブ地方で勢力を拡大し、チュニスをその拠点の一つとしました。モスクの建設は、彼の統治時代の宗教的、政治的な影響力を示すもので、当時のチュニスの政治的な中心地としての役割を果たしました。 カスバ・モスクの建築スタイルは、北アフリカに典型的なアラブ=ムーア様式で、ミナレットやアーチ、装飾タイルなどが特徴的です。特にミナレットは非常に印象的で、四角形の塔がモスクの中央部からそびえ立ち、チュニスの旧市街(メディナ)の風景の一部となっています。 また、モスクの内部は、細かい彫刻やモザイクが施されており、イスラム建築の細やかな職人技が見られます。柱や天井のデザインも、12世紀当時のイスラム建築の特徴を反映しており、宗教的な礼拝の場としてだけでなく、美術的価値も高い場所です。 このモスクは、単なる宗教施設としてだけでなく、カスバ(要塞)に隣接していることから、当時の政権における政治的な役割も果たしました。モスクは、政治的な儀式や重要な決定が行われる場でもありました。 カスバ・モスクは、今日でもチュニスの歴史的なメディナ地区における重要なランドマークであり、観光客や信者たちにとっても重要な場所です。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 勝利広場/フランス門 ↓(徒歩) 旧市街メディナ/スーク・エル・アッタリーン ↓(徒歩) 旧市街メディナ/オリーブモスク ↓(徒歩) 旧市街メディナ/...

旧市街メディナ/シディ・ユセフ・デイ・モスク

オリーブモスクのあるスーク・エル・アッタリーンから西に進み、シディ・ユセフ・デイ・モスク(Sidi Youssef Dey Mosque)に来ました。 シディ・ユセフ・デイ・モスクは、チュニジアの首都チュニスのメディナ地区に位置する歴史的なモスクです。このモスクはオスマン帝国時代の重要な遺産で、1615年にチュニスの初代オスマン帝国総督であったユセフ・デイ(Youssef Dey)によって建てられました。モスクは彼の名前にちなんでいます。 シディ・ユセフ・デイ・モスクは、チュニスで最初にオスマン様式で建てられたモスクの一つです。オスマン建築の特徴として、中央に大きなドームを持ち、他の部分に小さなドームが散りばめられています。ミナレット(尖塔)は、オスマン様式の影響を受けた八角形の形をしており、これも特徴的な要素です。このミナレットは、メディナ全体から見ることができ、都市の景観に際立っています。 シディ・ユセフ・デイ・モスクは、オスマン帝国がチュニジアを支配していた時期に建設され、当時の政治的、宗教的な中心地としての役割を果たしていました。ユセフ・デイはモスクとともに、マドラサ(イスラム教の学校)や公衆浴場(ハンマーム)なども建設し、メディナの発展に貢献しました。シディ・ユセフ・デイ・モスクは、宗教活動だけでなく、教育や社会活動の場としても機能しました。 シディ・ユセフ・デイ・モスクには、ユセフ・デイ自身が埋葬されています。モスクの敷地内には彼の霊廟(マウソレウム)があり、訪問者は彼の墓を参拝することができます。 シディ・ユセフ・デイ・モスクは、メディナ地区におけるイスラム建築の貴重な例であり、オスマン帝国の影響を強く感じることができる場所です。また、モスクの周辺には市場や他の歴史的な建物が立ち並び、チュニスの伝統的な文化と歴史に触れることができる観光名所でもあります。 シディ・ユセフ・デイ・モスクは現在も礼拝の場として利用されており、地域の住民にとって重要な宗教的施設です。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 勝利広場/フランス門 ↓(徒歩) 旧市街メディナ/スーク・エル・アッタリーン ↓(徒歩) 旧市街メディナ/オリーブモスク ↓(徒歩) 旧市街メディナ/シディ・ユセフ・デイ・モスク ↓(徒歩) カスバ・モスク ↓(徒歩) カスバ広場 ↓(徒歩) チュニス大聖堂 ↓(徒歩)...

旧市街地メディナ/オリーブモスク:迷路の果てに現れる、知と美の聖地

あやしいおっちゃんの案内を終えたあと、オリーブモスク(グランドモスク(Grande Mosquee)、ジャーミウ・ザイトゥーナ(Jamaa ez Zitouna))に向かいました。 ぐるっと周りを廻ってみたのですが、中への入り方が分からず。 人がたくさんいるとこで、とりあえず写真だけ撮りましたが、あのおっちゃんが案内してくれた屋上のミナレット(尖塔)がハイライトでした。 オリーブモスクは、チュニジアの首都チュニスに位置する歴史的なモスクで、地元では「ザイトゥーナ・モスク」として知られています。このモスクは、北アフリカで最も古いイスラム教の礼拝所の一つで、教育と宗教の中心地として長い歴史を持っています。 オリーブモスクの創建は、8世紀にまで遡ります。一般的には698年に建設されたとされていますが、現在の形に整えられたのは9世紀で、アッバース朝のもとでの改築が行われました。モスクの名前の由来については、オリーブの木が植えられていたからとも、あるいは宗教的な象徴としての「オリーブの木」にちなんで名付けられたとも言われています。 オリーブモスクは、約5,000平方メートルの広大な敷地を持ち、特徴的な中庭と美しいアーチ状の回廊が特徴です。内装には、イスラム建築特有のアラベスク模様や幾何学模様が施され、手の込んだ彫刻が至るところに見られます。また、ミナレット(尖塔)はモスクのシンボルで、14世紀に建設されたもので、チュニスの旧市街地においてランドマーク的な存在です。 オリーブモスクは、宗教施設としてだけでなく、イスラム教の学問を学ぶ重要な教育機関でもあります。このモスクに付随するザイトゥーナ大学は、アズハル大学と並んでイスラム世界の最高学府の一つとされ、法学や神学、その他の学問が教えられています。数多くの著名な学者や知識人がここで学び、北アフリカと中東の学問の発展に大きな貢献をしました。 現在でもオリーブモスクは、信仰と教育の場として機能しており、多くの礼拝者や観光客が訪れます。旧市街地メディナの一部として、1981年にユネスコの世界遺産に登録されており、訪れる人々にチュニスの豊かな歴史と文化を伝えています。 オリーブモスクは、チュニスの重要な歴史的ランドマークであり、イスラム教とアラブ文化の影響を色濃く残した場所です。観光客も訪れやすい場所に位置し、見どころも多いので、チュニ...

旧市街メディナ/スーク・エル・アッタリーン

勝利広場から旧市街メディナに入ると、両脇に店が並びスーク(マーケット)が次々と現れます。 シャマア・エッツィ・トゥナ通りを西へどんどん進むとスーク・エル・アッタリーン(Souk El Attarine)にたどり着きます。正直なところ、切れ目がほとんどないので、どこがどのスークかよく分かりません。 スーク・エル・アッタリーンは、チュニジアの首都チュニスにある有名な伝統的市場(スーク)の一つで、特に香水や香料、アロマに関する商品を取り扱うことで知られています。このスークは、旧市街(メディナ)の中心部に位置し、歴史的な建造物や路地に囲まれた魅力的な場所です。 旧市街を歩いていると、あやしいおっちゃんが2000円ぐらいで案内するよ、って言ってきました。チュニジアで2000円は結構高いわけですが、ちょっと好奇心もあったのでのってみました(安全な人ばかりではないので、おススメはできません)。 あまり期待していなかったのですが、どこかの家の屋上につれていってくれました。 あまりにうさん臭かったので、全く期待していなかったのですが、個人的にはかなり良いものに当たりました。 思ったより広く、多分いくつかの家の上をあちこち案内してくれました。 オリーブモスク(グランドモスク(Grande Mosquee)、ジャーミウ・ザイトゥーナ(Jamaa ez Zitouna))のミナレット(尖塔)が見えてきました。 必ずしもきれいな風景ばかりではありませんが、旧市街が一望できました。 もはや自分がどこにいるのかも分からないまま、家の中に案内されました。 すごく豪華そうなベッドが。座ってもいいよ、と言ってくれましたが、触って壊れて弁償させられたりしたら、嫌なので座らずに前に立って写真だけ撮ってもらいました。 このあと、香水やアクセサリーも売りつけてきて、普段なら買わないのですが、想像以上に良かったので、適当に買ってあげました(笑) 男一人なのと、たまたま良かったですが、外国で怪しい人についていくのはあまりおススメできません。 スーク・エル・アッタリーンは、13世紀に設立されたとされ、オスマン帝国時代から続く長い歴史を誇ります。当初から、香料や香水の市場として栄えてきました。チュニスのメディナ自体はユネスコの世界遺産に登録されており、スーク・エル・アッタリーンもその一部として文化的に非常に重要な場所...

勝利広場/フランス門:新旧がほどける交差点、境い目の広場で見上げた空

ホテルで少し休憩した後、旧市街(メディナ)の探索に出かけました。 ホテルの前が勝利広場(Place de la Victoire、ビクトワール広場)です。 勝利広場は、チュニジアの首都チュニスに位置する歴史的な広場です。この広場は、旧市街(メディナ)と新市街(ヴィル・ヌーヴ)を結ぶ重要な地点であり、交通の要所としても知られています。 メディナとは、アラブ世界の伝統的な都市の旧市街を指す言葉で、特に北アフリカや中東の歴史的な都市で見られます。アラビア語で「都市」や「町」を意味し、通常は都市の中心部に位置し、古くからの商業活動や社会生活の中心地でした。 メディナには、狭い路地や迷路のような通りが特徴で、建物が密集し、壁に囲まれていることが多いです。この構造は防御のために作られ、外敵の侵入を防ぎ、また都市内部の涼しさを保つ役割も果たしています。チュニスやフェズ、マラケシュなどの都市にあるメディナは、歴史的・文化的な価値が高く、ユネスコの世界遺産に登録されているものもあります。 チュニスの勝利広場は、特に有名なフランス門(Bab el Bhar、バブ・アル・バフル)という門によって象徴されています。この門は「海の門」とも呼ばれ、チュニスの旧市街(メディナ)への入り口にあたります。かつては、メディナと港を結ぶ重要な通路でしたが、現在では歴史的なシンボルとして残っています。 フランス門は、かつてチュニスを防御するために築かれた城壁の一部で、13世紀ごろに建設されました。「バブ・アル・バフル」というアラビア語名は「海の門」を意味し、チュニスが港町として重要な役割を果たしていた時代に由来しています。チュニスは当時、地中海と接していたため、海へのアクセスが非常に重要でした。しかし、後に海岸線が後退し、現在ではこの門が海とは直接接していません。 フランスが1881年から1956年までチュニジアを保護領として支配していた時期に、門の近くにフランス風の新市街(ヴィル・ヌーヴ)が建設されました。この影響で、地元の人々はこの門を「フランス門」と呼ぶようになりました。新市街の整備はチュニスの近代化の一環であり、ヨーロッパ風の広い大通りや建築様式が導入されました。 フランス門の外観は、イスラム建築とヨーロッパの影響が融合した特徴を持っています。門自体は比較的シンプルで、石造りのアーチを中心にした構...

チュニス-カルタゴ国際空港 / Hotel Royal Victoria

GWを利用してチュニジアのチュニスに来ました。カタール航空の会員なので、いつものようにドーハ経由でチュニス-カルタゴ国際空港(Tunis–Carthage International Airport、TUN)に着きました。 初めてのアフリカ大陸上陸です。 カルタゴの遺跡が有名なので、関連するパネルが並びます。 空港の規模は、北欧や東欧のような規模でした。特に新しくもなく、小さくもなくという感じです。 チュニス-カルタゴ国際空港は、チュニジアの首都チュニスに位置する主要な国際空港です。この空港の名前は、チュニス市の近くにある古代都市カルタゴにちなんで名付けられています。チュニジア最大の空港であり、アフリカやヨーロッパ、その他の地域との航空交通の重要なハブとして機能しています。 空港は国内および国際便を提供しており、特にフランス、イタリア、ドイツなどのヨーロッパ諸国との接続が充実しています。また、チュニジア航空(Tunisair)の本拠地でもあり、同社の主要な運航拠点として機能しています。ターミナル内には、免税店や飲食店などの施設も充実しており、乗客に様々なサービスが提供されています。 カルタゴの遺跡やチュニス市内の観光地へのアクセスも良好で、観光客にとっても便利な空港です。 タクシーに乗ってホテルに向かいました。途中、謎のモニュメントが。ハッセン・ベルクホジャ・パーク(Hassen Belkhodja Park)という公園のようです。 ハッセン・ベルクホジャ・パークは、チュニスの中心部に位置する緑豊かな公園です。チュニスの市民にとって、リラックスしたり、家族や友人と過ごしたり、スポーツや散歩を楽しむための場所として親しまれています。 この公園は、ハッセン・ベルクホジャ氏にちなんで名付けられました。彼は、特にサッカー界で重要な役割を果たした人物で、チュニジアのサッカークラブ「エスペランス・スポルティーブ・ド・チュニス」の元会長として知られています。ベルクホジャ氏は、サッカークラブの発展に尽力し、その影響力は公園名にも反映されています。 公園内には、緑地やベンチ、遊歩道が整備されており、都会の喧騒から離れて自然を楽しめる場所です。また、子供向けの遊具やスポーツ施設もあり、地元住民の集まりやアクティビティの場としても利用されています。 ハッセン・ベルクホジャ・パークは、自然...