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民音音楽博物館:古典ピアノにオルゴールとオートマタ、実演による音の時間旅行

東京都新宿区の民音音楽博物館を訪ねました。入口を入ってすぐ、ちょうど2階で古典ピアノの演奏があると案内され、まずはその“生きた展示”から鑑賞することにしました。目の前で紹介されたのは、1840年のシュヴァイクホーファー、1800年のヨハン・フリッツ、1834年のコンラート・グラーフといった、19世紀前後の楽器です。いずれも同じ「ピアノ」という名前で括られてはいても、構造や響きの設計思想は時代とともに大きく変化してきたことが、解説を聞くうちに実感として伝わってきました。由来や特徴を説明したうえで、その楽器が活躍した時代の作曲家の音楽を実際に演奏してくださるため、文字情報だけでは掴みにくい「音の輪郭」や「余韻の質感」が、耳と身体で理解できるのが印象的でした。 その後、一階で自動演奏装置による演奏があると聞き、展示室を移動しました。自動演奏装置といっても、ここではオルゴールやからくり人形(オートマタ)といった、機械仕掛けで音楽を奏でる装置を指しています。オルゴールの「キング・オブ・レジナ」をはじめ、道化師と椅子のオートマタなど、多様な仕組みの“自動の音楽”を聴き比べる時間は、音の歴史が「作曲家と楽器」だけでなく、「技術と娯楽」「都市文化と家庭の楽しみ」とも強く結びついてきたことを思い出させます。人の手を介さずに音が立ち上がる瞬間には、便利さとは別の、どこか魔術めいた魅力が残っていて、当時の人々がこの装置に熱狂した理由が少しわかる気がしました。 再び2階に戻ってからは、企画展「日本のオーケストラのあゆみ」を見学しました。西洋音楽が日本に本格的に入ってきた近代以降、教育や軍楽、放送、劇場文化といった社会の変化とともに、オーケストラがどのように根づき、広がっていったのかを、資料を通じて辿れる構成になっています。楽団という“集団の表現”は、優れた演奏技術だけで成立するものではなく、聴衆の形成や支援の仕組み、演奏会文化の成熟といった土壌が必要です。展示を眺めていると、音楽史が社会史でもあることが、自然と腑に落ちてきました。 館内には民族楽器のコーナーもあり、弦鳴楽器(げんめいがっき)、気鳴楽器(きめいがっき)、膜鳴楽器(まくめいがっき)、体鳴楽器(たいめいがっき)という分類に沿って解説と展示が並びます。分類の枠組みがあることで、遠い地域の未知の楽器でも「どうやって音が生まれるのか」...

帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館):戦後は終わりではなく「過程」だった

朝から雨が降り、できれば外に出ずに行ける場所を探していたところ、戦後80年の節目のうちに訪ねたいと思っていた「帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)」に向かいました。都営大江戸線の都庁前駅に隣接する新宿住友ビル33階にあり、しかも無料ということもあって、当初はビル内の小さな展示を想像していました。しかし実際には想像以上に充実しており、映像鑑賞も含めて気がつけば3時間ほど滞在していました。雨に煙る都心の眺望を背景に、静かに戦後史と向き合う時間になりました。 展示はまず出兵の場面から始まり、軍服や携行品、かばんなどの道具類、そして背中を押すように託された千人針や寄せ書きの旗が並びます。他の戦争資料館で見かける品もありますが、ここでは個々の持ち物が語る「生活の手触り」に焦点が当たり、前線へ向かう人びとの日常が立ち上がってくるようでした。 続くのは終戦後の拘留、なかでもソ連による抑留の章です。ラーゲリ(収容所)の生活、極寒の地での強制労働が、手仕事の遺物とともに伝えられていました。食べ物と引き換えに袖を手放したため片袖のない外套、スプーンをはじめとする手作りの道具──厳しい環境の中で命をつなぐための選択と工夫が、無言のまま来館者に迫ります。引揚が途中3年半中断し、最終的に1956年まで、戦後11年にも及んだことを示す年表は、数字の重み以上に長い待ち時間の感覚を想像させました。 過酷さばかりではありません。現地の女医から寄せられた人形、拘留者が結成した劇団の旗など、限られた自由の中でも人と人がつながり、文化や娯楽を介して心を守ろうとした痕跡も丁寧に紹介されていました。 著名人の体験に触れるコーナーでは、漫画家の赤塚不二夫さんやちばてつやさんの引揚の記憶が展示され、今年51歳の自分にとっても「遠い昔」ではなく、すぐ上の世代の現実だったのだと実感します。 映像コーナーでは、ちばてつやさんの満州からの引揚体験が語られていました。食べ物と引き換えに子どもが売られていく場面、飢えのあまり馬のふんを口にしたという証言は、言葉を失うほど壮絶で、スクリーンの暗がりの中でしばし身動きが取れませんでした。歴史は数字や地名の羅列ではなく、一人ひとりの身体と感情に刻まれた出来事なのだと改めて思います。 訪問時の特別展は「苦難の道程 朝鮮引揚げの記憶と記録」。朝鮮半島には非常に多くの日本人...

林芙美子記念館:中井の静寂が育んだ創作の源

今日は、自宅から徒歩で行ける、東京・新宿の中井エリアにある林芙美子記念館を訪れました。 昭和を代表する女流作家である林芙美子(はやし ふみこ)が晩年を過ごした住居が保存されており、まるで当時にタイムスリップしたかのような感覚を味わえる場所です。日本家屋の落ち着いた佇まいや畳の香り、執筆に没頭したであろう書斎の空気感まで、そのすべてが林芙美子という存在を身近に感じさせてくれます。 建物は木造の和風建築で、玄関を入った瞬間から昭和の時代に溶け込むような懐かしさを覚えました。 家は二棟に分かれていますが、これは戦前の規制のため大きな家を建てることができないため、片方を芙美子名義、もう一つを夫の緑敏(りょくびん)名義で建てました。 家の建築には、かなりの部分で林芙美子が細部でこだわり、大工の親方はあきれて弟子に任せきりでした。 内部には林芙美子が実際に使用していた机や愛用品が展示されており、書簡や日記といった資料とともに公開されています。原稿や手紙からは人となりが伝わり、小説や随筆の背景にある彼女の思いを想像すると、作品世界が一段と深まるような気がしました。林芙美子の文章には力強い生命感が宿っているとよく言われますが、家庭的な暮らしの一端や書斎の雰囲気を目にすると、その源泉が日常のまなざしにあったのだと納得させられます。 例えば、家全体に風が通るように遮蔽物が無いつくりになっており、小窓から除くと反対側まで遮るものがないことが分かります。 寝室の前の、布団入れはインドのパトラ織が使われています。 台所には、当時最新の冷蔵庫が置かれていました。 記念館の小さな庭も見どころの一つです。建物の内側からそっと眺めると、まるで風や日差しが昔と変わらずそこにあるかのような錯覚を覚えます。戦時中から戦後にかけての激動の時代を経験しながらも、こうした穏やかな庭で執筆に向き合った姿を想像すると、その創作の息遣いがどこか身近に感じられます。また、庭を含む住まい全体がそれほど大きいわけではないため、静謐な時間を味わうにはちょうどよく、ゆっくり巡ってもそれほど時間はかかりません。 林芙美子が生きていたころは、庭には竹で埋め尽くされていましたが、林芙美子が亡くなったときにお葬式に多くの人が訪ねられるという事で、庭の竹をすべて切って広い敷地を作ったそうです。その後、夫の緑敏が庭の手入れをして、現在のよ...

SOMPO美術館: ロートレック展

新宿にあるSOMPO美術館に行ってきました。 若いころは旅行先の有名な美術館ですら入ることがないぐらい興味がありませんでしたが、今は芸術についても一般常識ぐらいは理解しておこうと思い、少しずつ行くようにしています。 今はロートレック展をやっていました。正直なところ、ロートレックについては名前すら聞いたことがありません。 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは19世紀末にフランスで活躍した画家です。 ポスターなどの商業的なものも書かれていて、ムーランルージュなど知っている単語も出てきましたが、まだまだ勉強不足で全体的には理解が難しかったです。頭の片隅にでも記憶しておきたいと思います。 一部写真が許可されているものもありました。博物館や美術館にはまだまだ写真禁止のところが多いですが、SNSの普及で一部許可されているところも増えてきています。 ゴッホのひまわりも展示されています。こちらも写真撮影可です。 ゴッホのひまわりが日本にあるのかと驚きましたが、ひまわりは七点あり、そのうちの一点がSOMPO美術館にあるそうです。 ひまわり (絵画) - Wikipedia そういえば、ロンドンの ナショナル・ギャラリーでも見た気がします。いつかすべての美術館を訪ねてみたいと思います。 自宅が新宿から徒歩で約1時間なので歩いて帰りましたが、猛暑で非常に危険でした。先週の笠間も午前中で切り上げてきましたが、夏の外出は日本では難しくなり残念です。しばらくは夜までやっている施設か早朝でも入れる神社、お寺、公園に絞って行こうと思います。 本日、佐渡金山が世界文化遺産に登録されました。おめでとうございます。涼しくなったら、遊びに行きたいです。 旅程 新宿駅 ↓(徒歩5~10分) SOMPO美術館 ↓(徒歩) 帰宅 周辺のスポット 東京都庁 ルミネtheよしもと 花園神社 新宿御苑 地域の名物 関連スポット 大塚国際美術館 ノイエ・ピナコテーク(ミュンヘン) ナショナル・ギャラリー(ロンドン) ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム) フィラデルフィア美術館(フィラデルフィア) リンク SOMPO美術館(新宿駅 徒歩5分)|この街には《ひまわり》がある。

日本オリンピックミュージアム:幻となった1940年五輪と、戦争からの復興の象徴1964年東京オリンピック、コロナ下の2021年大会

新宿にある日本オリンピックミュージアムに来ました。 東京・新宿区にある日本オリンピックミュージアムは、オリンピックの歴史や理念、そしてスポーツの持つ力を体感的に学べる場所です。2019年(令和元年)9月にオープンし、国立競技場のすぐそばに位置していることから、オリンピックファンはもちろん、スポーツに関心のある多くの人々が訪れる注目のスポットとなっています。 ミュージアムの建物は、ガラスを多用した現代的なデザインが印象的で、館外には大きなオリンピックシンボルのモニュメントが設置されており、訪れた人たちのフォトスポットとして人気を集めています。展示は1階と2階に分かれており、オリンピックの創設から現在に至るまでの歩みを映像や資料、実物のトーチやメダルなどで辿ることができます。 特に目を引くのは、体験型の展示コーナーです。ここでは、アスリートの動きに挑戦できるシミュレーションや、走る・跳ぶといった動作を通してスポーツの難しさや面白さを実感できるコンテンツが用意されています。子どもから大人まで夢中になれる内容で、家族連れにもおすすめです。 また、日本で開催された1964年(昭和39年)と2021年(令和3年)の東京大会、1972年(昭和47年)の札幌大会、1998年(平成10年)の長野大会に関する資料も充実しており、それぞれの大会の特色や時代背景、選手たちの活躍が丁寧に紹介されています。パラリンピックに関する展示も設けられており、共生社会に向けた取り組みや、障がい者スポーツの魅力についても深く学ぶことができます。 ミュージアムの営業時間は朝10時から夕方5時までで、入館は閉館の30分前までとなっています。月曜日は休館日ですが、祝日の場合は開館し、翌日が休館となることもあります。入館料は大人500円、高校生以下は無料と、気軽に立ち寄れる価格設定なのも嬉しいポイントです。 日本オリンピックミュージアムは、オリンピックを通してスポーツの素晴らしさや人間の可能性に触れられる場所です。展示を見るだけでなく、実際に身体を動かしながら学べるユニークな空間となっており、訪れるたびに新たな発見があります。東京観光の一環として立ち寄ってみるのもおすすめです。 1964年東京オリンピック オリンピックと聞くと、平和の祭典というイメージがまず浮かびますが、日本がその理念と向き合った歴史には、光と影...

穴八幡宮:朱の門、黒の殿、江戸の余韻

新宿区の高台に鎮座する穴八幡宮(あなはちまんぐう)にお参りしました。正面の大鳥居をくぐると、まず目に飛び込んでくるのは鮮烈な朱の隋神門です。軒の組物まで丹塗りが映え、石段を上がるほどに境内の空気が澄んでいくのを感じました。門を抜けると正面に黒塗りの拝殿が構え、落ち着いた艶のある黒と白木の対比が、静かな威厳を漂わせています。ここで一礼し、ゆっくりと参拝を済ませました。隋神門は江戸後期の建立で、戦災後に再建されたものだそうで、鮮やかな色合いの背景にそんな歴史も重なって見えます。 由緒に触れておくと、この神社は康平五年(1062)に源義家が凱旋の折、兜と太刀を納めて八幡神を祀ったのがはじまりと伝わります。のちに南側の山裾を切り開いた際、横穴から御神像が現れたという出来事にちなみ「穴八幡宮」と称されるようになりました。江戸時代には徳川家光の耳にも達し、江戸城北の総鎮護として崇敬を受け、将軍家ゆかりの行事として流鏑馬も奉納されています。境内に立つと、早稲田の街中でありながら、こうした歴史の層が静かに息づいているのを感じます。 拝殿脇を巡ると、鼓楼が目を引きました。上部の朱と下部の黒がきりりと締まり、太鼓を納める楼らしい端正さがあります。例大祭や大晦日に太鼓が鳴ると聞くと、杉木立にひびく音を想像してみたくなります。 さらに境内奥には「神武天皇陵遥拝所」の石碑が立ち、遠く奈良の橿原にある御陵へ心を向けるための場として静かに据えられていました。都市の真ん中で、大和へと視線が伸びる不思議な感覚を味わいます。 この神社といえば、冬至から節分のあいだだけ授与される「一陽来復」の御守もよく知られています。復活と転機を象徴する言葉になぞらえ、家々の恵方に貼って祀る独特の作法が受け継がれてきました。金銀融通の御守とも呼ばれ、季節が巡る時節の信仰を今に伝えています。 参拝後は隋神門を振り返り、朱と黒の濃淡のなかに江戸と近現代の記憶が重なる姿をしばし眺めました。門前の喧騒から一段上がっただけで、時間の速度が変わる——そんな感覚を与えてくれる場所でした。 旅程 家 ↓(徒歩) 肥後細川庭園 ↓(徒歩) 関口芭蕉庵 ↓(徒歩) 穴八幡宮 ↓(徒歩) 戸山公園 ↓(徒歩) 家 関連イベント 周辺のスポット 早稲田大学歴史館 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 戸山公園 地域の名物 関連スポット リンク 牛...

永心寺:薬医門が語る、新宿の路地に残る方丈の記憶

昼休みの小さな散歩の途中で、新宿区須賀町にある永心寺(えいしんじ)に出会いました。オフィス街の喧騒から数分離れるだけで、門前にひときわ静かな空気が流れていて、足を止めずにはいられませんでした。時間は限られていましたが、まずは山門をくぐって一礼し、本堂に手を合わせて帰ることにしました。 境内の案内によれば、永心寺は江戸時代の建物が今も残る貴重なお寺だそうです。山門は薬医門という形式で、切妻屋根を載せた端正な姿をしています。掲げられた扁額には慶応三年(1867年)の年号が刻まれており、江戸の末の気配がふっと立ちのぼるようでした。装飾の意匠は元禄から18世紀中頃の作例に似るとのことで、時代の移ろいを背負いながらも、門は静かに町を見守り続けてきたのだと感じました。 奥に進むと本堂が現れます。こちらは享保十一年(1726年)の建立で、方丈型と呼ばれる間取りをとり、北面中央に向拝を備えています。内部は二列六室の整然とした構成で、広縁がめぐるつくりだと説明にありました。江戸の寺町の景観を今に伝える建物として新宿区の有形文化財に指定されているとのことで、震災や戦災の難を免れ、本堂と山門がそろって残っている点がとても貴重だそうです。忙しない昼の時間帯でも、柱や梁に染みこんだ時間の厚みは十分に伝わってきました。 滞在は長くはできませんでしたが、参拝をして心を整えるひとときを得ました。高層建築の谷間にこうした江戸の記憶が息づいていることに、東京という都市の層の厚さをあらためて感じます。次はもう少しゆっくり訪れ、山門の細部や本堂の間取りをじっくり見てみたいと思います。昼休みの偶然の寄り道が、小さな歴史散歩になりました。 旅程 四ツ谷駅 ↓(徒歩) 西應寺 ↓(徒歩) 永心寺 ↓(徒歩) 四ツ谷駅 周辺のスポット 迎賓館赤坂離宮 リンク 永心寺(東京都新宿区)の概要・価格・アクセス|東京の霊園.com

西應寺:喧騒の裏側に眠る剣客の記憶

最近は昼休みの散歩を習慣にしています。サンドイッチを片手に新宿の町を歩いていると、西應寺に行き当たりました。高層ビルの谷間を抜け、ふと路地に入ると、車の音が遠のき、砂利の感触と木々の匂いが立ちのぼります。新宿区といえば現代的な景観が真っ先に浮かびますが、実は寺社が点在し、由緒ある墓所や文化財が静かに息づいているのだと改めて感じました。 境内には榊原鍵吉の墓の案内があり、新宿区指定文化財であることが記されていました。幕末から明治にかけて名を馳せた剣客として広く知られる人物で、動乱の時代を生きた個人の物語が、この都会の片隅に確かに刻まれているのだと思うと、通り過ぎてきたオフィス街の喧騒が急に遠いものに思えます。また、正徳2年(1712年)鋳造の梵鐘も同じく区の文化財として保護されており、江戸の響きを伝える重厚な存在感がありました。幾世代を超えて受け継がれてきた金属の艶と刻まれた文字を前にすると、時間の厚みを手で触れられるような気持ちになります。 西應寺の静けさは、短い昼休みの中で心の速度を落としてくれます。歴史の断片に触れると、日々の仕事や歩数の記録といった目の前のタスクが、より大きな流れの中に位置づけられていくようです。新宿にはビル群と同じくらい、こうした小さな歴史の居場所があるのだと知ることができました。次の昼休みも、地図アプリでは見落としてしまう細い参道を探しながら、またどこかの寺の門をくぐってみたいと思います。 旅程 四ツ谷駅 ↓(徒歩) 西應寺 ↓(徒歩) 永心寺 ↓(徒歩) 四ツ谷駅 周辺のスポット 迎賓館赤坂離宮 リンク 卍西應寺|東京都新宿区 - 八百万の神

東京都庁:243メートルの存在感、近未来の大聖堂、建築美にふれるひととき、東京の絶景を眺める

新宿にある東京都庁(とうきょうとちょう)に来ました。 新宿にそびえ立つ東京都庁は、東京の政治・行政の中心であると同時に、観光スポットとしても多くの人々に親しまれている建物です。東京都新宿区西新宿に位置し、都営大江戸線の「都庁前駅」から直結しているため、アクセスも非常に便利です。また、JR新宿駅からも徒歩10分ほどで到着できる距離にあります。 東京都庁は、バブル期が終わる頃の1990年(平成2年)に竣工された比較的新しい建物で、設計を手がけたのは世界的な建築家・丹下健三(たんげ けんぞう)氏です。彼は、東京カテドラル聖マリア大聖堂なども手がけたことで知られており、その重厚で荘厳な建築スタイルは都庁にも色濃く表れています。東京都庁第一本庁舎の高さは約243メートル。ツインタワーのようにそびえる姿は、まるで近未来の大聖堂を思わせる迫力があります。 都庁の魅力のひとつに、展望室の存在があります。第一本庁舎の45階にある展望室は、誰でも無料で入ることができ、地上202メートルの高さから東京の街並みを一望できます。晴れた日には、遠く富士山まで見渡せることもありますし、夕暮れ時や夜景の美しさも格別です。外国人観光客にも人気が高く、ガイドブックにも必ずといっていいほど掲載されています。 展望室にはお土産ショップやカフェもあり、東京らしいグッズを買ったり、景色を眺めながらひと息ついたりすることもできます。こうした施設の充実も、東京都庁を訪れる楽しさのひとつといえるでしょう。 もちろん、東京都庁は観光地であるだけでなく、都政の中枢でもあります。現在の都知事は小池百合子氏で、ここから東京全体の行政を取り仕切っています。都市計画、防災、交通、福祉、教育など、都庁では実に多岐にわたる業務が日々行われています。 旅行や散策の途中でふらっと立ち寄るにもぴったりですし、建築や都市行政に興味がある方にはぜひ一度訪れてみてほしいスポットです。東京都庁は、東京という都市の姿を象徴する存在であり、そこには都市のエネルギーと未来への可能性が詰まっています。 バブル期 バブル期という言葉を聞くと、多くの方が「華やかだった時代」「お金が湯水のように使われていた」というイメージを持つのではないでしょうか。実際、1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)ごろにかけての日本は、経済成長がピークを迎え、人々の生...