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上海トランスラピッド:300キロの先にあった意外な振動

上海には、中国元の預金のために何度も通っています。「いつかは」と思い続けていた空港アクセスのリニアモーターカーに、この日ようやく乗りました。 日本の新幹線は静かさでも世界に名を馳せていますから、レールから浮上するリニアならなおのこと——と期待して車内に入ると、発車と同時に数字がみるみる跳ね上がり、あっという間に時速300キロを超えました。加速の鋭さは痛快でしたが、体感は意外と荒々しく、地方の在来線に揺られているかのような強い振動に少し怖さも覚えました。浮いているからこそ静か、という先入観が見事に裏切られた体験です。 その一方で、揺れの中でも速度を伸ばし続けるリニアの力強さにも感心しました。あらためて、日本の新幹線が速度と静粛性、乗り心地の三拍子を高い次元で両立していることを実感し、同時に「方式が違えば性格も違う」のだと腑に落ちました。技術の方向性や設計思想の違いが、乗り味にそのまま現れるのですね。 振り返れば、上海のリニアはドイツのトランスラピッド方式を導入し、2001年に着工、2004年に営業運転を開始した路線です。浦東国際空港と市内の龍陽路駅を結ぶおよそ30キロの短距離ながら、営業最高速度は時速431キロに達し、世界最速クラスの空港アクセスとして知られています。2003年には試験走行で時速501キロを記録したとも伝えられており、速度のポテンシャルは折り紙付きです。 日本でも中央新幹線(超電導リニア)が建設中で、いつかはこの国でも「浮く列車」の長距離営業に乗れる日が来ます。開業時期は不透明で2034年以降の見通しともされますが、長年磨いてきた新幹線の知見がどのように活かされるのか、一人の旅人として楽しみに待っています。 あの日の高速走行と手のひらに残った振動は、上海の空気とともに、今も鮮やかに記憶に刻まれています。次に乗るときは、速度計の数字だけでなく、窓の外の景色の移ろいにも、もう少し心を配ってみたいと思います。 旅程 成田空港 上海浦東国際空港 ↓( 上海トランスラピッド ) 竜陽路駅 ↓(徒歩) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク

東方明珠電視塔:現代都市・上海で感じた未来と伝統、光に照らされる上海の街

上海旅行の初日、私は昼間に豫園などの歴史あるスポットを訪れた後、夜になって東方明珠電視塔へと足を運びました。上海といえば、近年ますます発展を遂げる国際都市として有名ですが、その近未来的な街並みの象徴ともいえるのが、この東方明珠電視塔です。 タワーの外観は非常に特徴的で、まるで宇宙船か、あるいは未来都市を思わせるようなデザインです。特に真ん中に大きな球体が配されている様子は、上海の数ある高層ビルの中でもひときわ異彩を放っています。昼間の観光中も、その独特な姿が遠くからでも目に入り、「あそこに登ってみたい」と自然に思わされるほどでした。 東方明珠電視塔が完成したのは1994年のことで、建設当時はアジアで最も高いテレビ塔の一つでした。高さは468メートルあり、現在でも上海のランドマークとして世界中から多くの観光客を惹きつけています。このタワーはテレビ電波を発信する役割を持つだけでなく、観光名所として展望台やレストラン、博物館なども併設されています。 私は夜に展望台に上り、窓の外に広がる上海の夜景を堪能しました。眼下には黄浦江がゆったりと流れ、対岸には外灘の歴史的建築群がライトアップされて浮かび上がります。近くには超高層ビル群が林立し、それぞれが美しくイルミネーションに彩られていました。昼間に訪れた豫園の静かな佇まいと、夜の東方明珠電視塔から見下ろす光り輝く上海のコントラストがとても印象的で、伝統と現代が共存するこの街の多面性を実感しました。 タワーの展望台には、ガラスの床を備えたエリアもあり、高所が得意でない方は少しスリルを感じるかもしれません。しかし、そのスリルさえも、特別な旅の思い出となりました。地上から見上げたときの圧倒的な存在感と、展望台から見下ろす上海の街並み、どちらも旅の高揚感を存分に味わわせてくれます。 上海の過去と未来が交錯するこの地で、東方明珠電視塔は単なる観光スポット以上の意味を持っているように感じました。都市の成長とともに歩んできた歴史を感じながら、私は夜風に吹かれて静かに上海の景色を見つめていました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 豫園 ↓(徒歩) 江海関/外灘 ↓(徒歩) 東方明珠電視塔 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット 上海市歴史博物館 金茂大廈 上海中心 地域の名物 上海料理 リンク 東方明珠塔[東方テレビタワー] | 観光-上海ナビ

江海関/外灘:近代と現代が向かい合う、黄浦江のほとり

黄浦江(こうほこう)の河畔に広がる外灘は、初めて訪れてもどこか懐かしさを感じる不思議な場所です。この日は仕事の予定で上海に滞在していましたが、空いた時間を使って一人で市内観光をしていました。豫園(よえん)を歩き回ったあと、その足で外灘(がいたん、ワイタン)へ向かいました。 ビルの合間を抜けていくと、ふっと視界が開けて黄浦江の広い流れが現れます。秋の終わりの冷たい空気の中、河畔の遊歩道を北に向かって歩き始めました。対岸には、未来都市のような高層ビル群が林立し、その手前には茶色がかった川面が静かに流れています。一方、自分が歩いている西岸側には、まったく時代の違う西洋風の重厚な建物が並んでいて、近代と現代が向かい合っているように感じました。 しばらく歩くと、ドーム状の屋根をいただいた西洋風の建物が見えてきます。石造りのファサードは堂々としていながらもどこか柔らかく、夜になるとライトアップされてより一層存在感を増しそうだと想像しました。その奥に、ひときわ高い時計塔を持つ建物が見えてきます。これが江海関(こうかいかん)、上海税関の建物です。 江海関の歴史を少し振り返ると、この建物は単なる「きれいな古いビル」ではなく、上海が世界に向かって港を開いていった象徴とも言える存在です。もともとの税関は清の康熙帝(こうきてい)の時代、17世紀末に海禁が解かれた後に設置され、長江流域の貿易を管理する拠点として機能していました。やがて上海の海外貿易が急速に発展し、外国船は現在の外灘付近を好んで停泊するようになります。その結果、税関も市壁の外、黄浦江沿いへと移転し、列強の租界と密接に結びついた「江海関」として運営されるようになりました。 現在の江海関の建物は、1920年代に建て替えられたものです。1925年に着工し、1927年に完成したこのビルは、当時の最新技術である鉄筋コンクリート構造を採用しながら、外観はギリシア復古様式の落ち着いたネオ・クラシックな意匠でまとめられています。黄浦江側の部分は八階建てで、その上にそびえる時計塔は約90メートルに達し、完成当時は外灘で最も高い建物でした。 時計塔に設置された大時計は、設計がロンドンのビッグベンを手本としており、アジア最大級の機械式時計と言われます。四面に配された文字盤は直径5メートルを超え、内部の鐘もイギリスで鋳造されて上海まで運ばれました。長...

人民広場(上海):上海の都会のオアシス

元投資のために上海に来ています。元で預金する場合、日本では直接預金することはできず、円またはドルで中国の口座に送金し、中国国内で元に換金する必要があります。 ホテルの近くの人民広場(People's Square)に来ました。 人民広場(People's Square)は、上海市の中心部に位置する広大な公共広場で、市の行政・文化の中心地としての役割を担っています。上海のランドマーク的な場所であり、歴史的な背景や周辺の文化施設が豊富なことから、市民や観光客にとって人気のスポットです。 人民広場の歴史は、かつてこの場所に存在した上海競馬場に遡ります。競馬場は1862年に開場しましたが、第二次世界大戦後、1949年の中華人民共和国の成立と共に、競馬場は廃止され、その跡地が広場として再整備されました。1952年に「人民広場」として正式に公開され、その後、1970年代から1990年代にかけて再開発が進み、現在の姿になりました。 人民広場は上海の中心部、黄浦区に位置し、地下鉄1号線、2号線、8号線の人民広場駅が直結しているため、交通の便が非常に良いです。広場周辺は市内のショッピングエリアや観光スポットへのアクセスも抜群です。 人民広場の周辺には、上海の文化と歴史を象徴する施設が点在しています。 上海博物館: 中国の歴史的な文物や芸術品を収蔵している有名な博物館です。特に青銅器、陶磁器、書画のコレクションが充実しています。 上海大劇院(Shanghai Grand Theatre): 国際的に有名な劇場で、アジアでもトップクラスの公演施設の一つです。1998年に開業し、そのモダンで壮大な建築が特徴です。設計はフランスの建築家ジャン=マリー・シャラン(Jean-Marie Charpentier)が担当しました。 上海城市規劃展示館: 上海の都市開発の歴史と未来を紹介する展示館で、特に巨大な都市模型が注目されています。 人民公園: 広場の隣にある緑豊かな公園で、リラックスした雰囲気を楽しむことができます。週末には、親が子供の結婚相手を探す「結婚市場」が開かれることでも知られています。 人民広場周辺は上海市民の集いの場であり、政治的な集会や祝祭、国際的なイベントが開かれることもあります。また、平日には散歩や運動を楽しむ市民が多く、上海の都市生活を感じることができるスポ...

万里の長城(八達嶺長城):山の稜線をたどる旅、急な坂と緩やかな坂

中国・北京のバスツアーに参加し、紫禁城(故宮博物院)の重厚な歴史を堪能した後、かの有名な万里の長城、八達嶺長城へと向かいました。晩秋の澄み切った空気のなか、バスは市街地を離れ、山々の中へと進んでいきます。車窓からの景色がだんだんと壮大になり、遠くに長城が連なる姿が見えたとき、何とも言えない高揚感を覚えました。 八達嶺長城に到着すると、すぐに小高い山の上へと続く長城の「頂上」が目に飛び込んできます。ガイドさんの説明によれば、左側には勾配の急な「男坂」、右側には比較的ゆるやかな「女坂」があるそうです。どちらを登っても構いません、という言葉に、せっかくなので両方の坂を味わってみようと決めました。時間を半分ずつ割り振り、まずは男坂へと挑みます。 男坂は予想以上に急勾配で、一段一段が高く、すぐに息が切れてしまいました。体力に自信があるつもりでしたが、想像以上の厳しさに、思ったほど先まで進むことができず、途中で引き返すことになりました。それでも、振り返ったときに見えた長城の壮大な風景は圧巻で、遥か昔の兵士たちがここを行き来したことを思うと、感慨深いものがありました。 次に女坂へと向かいます。男坂の後なので「これくらいなら楽勝だろう」と思っていたのですが、こちらも油断できません。坂自体は緩やかなものの、既に足がふらふらで、同じバスツアーのガイドさんも途中で立ち止まりながら登っていました。思わず追い抜いてしまうほどでしたが、お互いに笑い合いながら坂を登ったのも、良い思い出です。 八達嶺長城は明の時代に築かれた区間で、観光地として整備されてはいるものの、その圧倒的なスケールや、周囲の山々と一体となった景観は、まさに中国の歴史の重みを感じさせます。万里の長城という名前の通り、遥か彼方まで続く石造りの壁に、かつてここを守った人々の思いや、時代を超えた壮大な物語を重ねずにはいられませんでした。 帰りのバスに揺られながら、長城の上で味わった息切れや達成感、そして自分の足で歴史の一端に触れた実感が、心地よい疲労感とともに胸に残りました。今でもあの時の山々と、長城の果てしない姿が、鮮やかに心に蘇ります。 旅程 ホテル ↓(バス/ツアー) 紫禁城/故宮博物院 ↓(バス/ツアー) 万里の長城(八達嶺長城) ↓(バス/ツアー) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 八...

紫禁城/故宮博物院:皇帝たちの残響が響く、歴史が眠る宮殿、中国五千年の縮図

本日は、現地の日本人向けのツアーで紫禁城(しきんじょう)に来ました。 北京の中心にそびえる紫禁城。この壮麗な宮殿はかつて、明・清の皇帝たちが政を行い、暮らした地でした。そしてその紫禁城こそが、いまや世界最大級の博物館「故宮博物院」として新たな命を得ています。門をくぐった瞬間、500年にわたる歴史と、中国文明の重厚さが静かに、しかし確かに訪れる者を包み込むのです。 故宮博物院は1925年、清朝最後の皇帝・宣統帝(溥儀)が紫禁城を離れた翌年に設立されました。それまで禁中と呼ばれ、皇帝以外の者の立ち入りを許さなかった空間が、一般に開かれたのです。以来、数多くの文化財がこの地に集められ、その数は現在では180万点を超えるといわれています。 展示されている品々は、まさに中国文化の精華です。書や絵画、陶磁器や青銅器、皇帝の衣装や調度品にいたるまで、ひとつひとつが過去の時を静かに語りかけてきます。例えば、宋代の書画には繊細な筆致と精神性がにじみ出ており、眺めるだけで深い余韻が残ります。また、明・清の精巧な陶磁器は、まるで時代そのものが焼き付けられているかのような存在感を放っています。 しかし、故宮博物院が他の博物館と大きく異なるのは、その建物自体が最大の展示品であるという点です。太和殿をはじめとする堂々たる宮殿群は、風水や陰陽五行といった古代中国の思想を反映して綿密に配置されており、その荘厳な空間に身を置くだけでも、歴史と一体になるような感覚が味わえます。床の石ひとつ、屋根の瑠璃瓦一枚にも、皇帝の威光と職人たちの技術が宿っているのです。 現代の故宮博物院は、過去の栄華をただ保存するだけの場所ではありません。人気を博している文創グッズの販売などを通して、新たな世代との接点を模索しています。こうした動きは、古いものを単に懐かしむのではなく、未来に向けてどう語り継いでいくかという問いへの挑戦にも見えます。 かつての皇帝たちの時間が流れていたこの場所には、今も確かに、時間の層が幾重にも重なっています。石畳の上を歩くとき、その一歩一歩が歴史を踏みしめているように感じられるのです。北京を訪れるなら、ぜひ一度、故宮博物院の門をくぐってみてください。過去と現在、そして未来が交錯する、特別な体験が待っています。 義和団事件 19世紀末の中国は、まさに外からの圧力と内からの動揺が渦巻く時代でした。列...

天安門広場:国家と民衆の記憶が刻まれた広場、語られざる歴史の重み

仕事で南京に来たついでに北京に来ました。明日の現地ツアーを予約した後、少し時間が余ったので天安門広場に来ました。 北京の中心に広がる天安門広場は、ただの都市空間ではありません。ここは中国の近現代史が幾度となく交差してきた、まさに「歴史の交差点」ともいえる場所です。北には天安門がそびえ、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言したあの象徴的な門が、今も変わらぬ姿で広場を見下ろしています。 広場の広さは実に44万平方メートルとされ、世界でも最大級の規模を誇ります。広場の中央には人民英雄記念碑が堂々と立ち、中国近代に命を捧げた無数の人々の魂を静かに称えています。その南には、毛沢東の遺体が安置されている毛主席紀念堂があり、今なお国内外からの訪問者が絶えません。 西側には人民大会堂があり、ここでは全国人民代表大会など国家の重要な会議が開かれます。一方、東側には中国国家博物館が広がり、数千年にわたる中国文明の足跡を丁寧に伝えています。どの建物も、単なる建築物にとどまらず、それぞれが中国の歴史や権威、文化を象徴する存在となっています。 天安門広場では、建国記念日や軍事パレード、重要な政治行事が盛大に行われる一方で、忘れてはならない1989年の出来事もあります。あの年、民主化を求めて集まった学生や市民たちの訴えは、最後には武力によって封じられることとなりました。この「天安門事件」は現在の中国では公に語ることができず、記憶の扱い方そのものが政治的な意味を持っています。 それでも毎朝、日の出とともに行われる国旗掲揚式には多くの人々が集まり、荘厳な雰囲気の中で国家を思う時を過ごしています。観光地としての顔と、政治の中枢としての顔。その二面性こそが、天安門広場を特別な場所にしているのです。 広場を歩いていると、ふとした瞬間に歴史の重みが足元から伝わってくるような気がします。過去と現在が幾重にも折り重なり、そして未来へとつながっていく――天安門広場は、そんな時間の流れを体感できる数少ない場所のひとつです。 旅程 ホテル ↓(地下鉄/徒歩) 天安門広場 ↓(地下鉄/徒歩) ホテル 関連イベント 周辺のスポット 紫禁城/故宮博物院 頤和園 盧溝橋 地域の名物 北京料理/北京ダック 関連スポット リンク