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足利織姫神社:朱の社と七色の鳥居に導かれて

朝から足利の歴史的な名所を巡り、足利織姫神社(あしかがおりひめじんじゃ)に足を運びました。鑁阿寺や足利学校の見学でひとときを過ごしたあと、すぐ近くにあるこの神社にも寄りました。 神社の入り口に立つと、まず目を引くのは鮮やかな朱塗りの社殿です。青空を背景に、その赤が一層際立ち、どこか非日常の世界に誘われるような気持ちになりました。織姫神社という名前からも分かる通り、ここは織物のまちとして知られる足利の歴史と深く結びついています。古くからこの地では織物産業が盛んで、織姫神社は、機織りや産業繁栄、さらには縁結びの神様として地域の人々に親しまれてきました。 境内には「七色の鳥居」と呼ばれる鳥居が並び、どれも色鮮やかで、思わず写真を撮りたくなります。ひとつひとつの鳥居をくぐるたび、願い事が叶うと言われているそうです。私も静かに願いを込めながら、心を整えて歩きました。 山の中腹にある神社からは足利の町並みを一望でき、歴史と自然が調和する景色が広がっていました。喧騒から少し離れ、心をリセットできる場所でもあると感じます。短い時間でしたが、足利の伝統と人々の祈りが息づくこの神社で、改めて日本の文化の奥深さに触れることができました。 歴史ある足利の町歩きの締めくくりに、足利織姫神社の静かな美しさと温かい空気を感じられたことは、とても印象に残っています。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓(東武線) 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 周辺のスポット 鑁阿寺 足利学校 足利市立美術館 明石弁天厳島神社(美人弁天) リンク 足利織姫神社 足利織姫神社 | とちぎ旅ネット〜栃木の観光旅行情報サイト 足利織姫神社 | 足利市観光協会 | 学び舎のまち足利 織姫神社  社殿・神楽殿・社務所・手水舎(おりひめじんじゃ  しゃでん、かぐらでん、しゃむしょ、ちょうずしゃ) | 足利市 公式ホームページ

明石弁天厳島神社(美人弁天):技芸のまちで祈る、小さな願い

朝から足利学校を目当てにまち歩きをはじめ、鑁阿寺の大銀杏に秋の名残を見つけ、次は足利織姫神社へ——と進む前に、少しだけ回り道をして明石弁天厳島神社に立ち寄りました。 市街地のざわめきからふっと音が引くように、境内は土曜の昼下がりらしい静けさに包まれていました。鳥居をくぐると、弁天像がいくつも視線をやさしく迎えてくれます。 水辺や島とゆかりの深い弁才天(弁天さま)は、もともとインドの河の女神サラスヴァティーを源流とし、日本では中世に音楽・芸能・知恵の守護、のちには財福にも通じる神として信仰が広がりました。「厳島神社」を名乗る社が各地にあるのは、安芸の厳島に鎮まる宗像三女神や弁天信仰が重なり合い、池や中島に社殿を配する風景が日本の町場に受け入れられていった歴史の名残でもあります。 足利は織物の町として栄え、機(はた)を織る手の巧みさもまた「技芸」のひとつ。そう思うと、弁天さまがこの土地で大切にされてきたことに、どこかしっくりくるものがあります。境内に並ぶ弁天像の前で足を止め、耳を澄ますと、水の気配や糸を紡ぐ音まで想像できるようでした。社務所の掲示には「毎月第1・第3日曜日に美人証明を発行」とあり、次に来る楽しみがひとつ増えます。今日はあいにくの土曜日で人影もまばらでしたが、その分、参拝の手を合わせる音や鈴の響きが澄んで聞こえ、旅の途中で呼吸を整えるには最高の時間でした。 旅程を振り返れば、学びの象徴である足利学校、武家の歴史を感じる鑁阿寺、産業と恋のご縁をつなぐ足利織姫神社——そこに弁天さまの社を加えると、知・武・技・縁が小さな一日で見事に輪を描いたように思えます。静かな境内を後にして坂を上がると、街の音が戻ってきました。次に訪ねるときは日曜日を選び、美人証明を手に、芸事とご縁の上達を願ってみよう。そんなささやかな約束を心に、足利の散策を続けました。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓(東武線) 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 周辺のスポット 鑁阿寺 足利学校 足利市立美術館 足利織姫神社 リンク 美人弁天|「美人の国 足利」栃木県足利市の美人弁天 本城厳島神社(明石弁天、美人弁天) | ...

足利学校:学びの原点をたずねて、宥座之器が教えてくれた中庸の知恵

鑁阿寺(ばんなじ)を参拝したあと、その足で向かったのが、今回の旅の主目的でもある足利学校でした。日本最古の学校とされるこの場所は、現在学校関連のシステムを開発しており、教育に携わる者として一度は訪れておきたいと前々から思っていた場所です。 入徳門(にゅうとくもん)をくぐり中でチケットを買ったあと、学校の成り立ちを紹介するビデオを鑑賞しました。映像を通して、足利学校が奈良時代から平安時代にかけて成立し、室町時代には関東管領の足利氏によって大きく整備されたこと、戦国時代には上杉憲実(うえすぎ のりざね)によって儒学の拠点として再興されたことなど、その長い歴史の歩みを学ぶことができました。特に、江戸時代には庶民にも開かれた学問の場として全国から学徒が集まったという話には、教育の力の広がりを感じました。 次に学校門(がっこうもん)をくぐり、遺蹟図書館へと足を運びました。ここでは、歴代の元号に関する資料や、当時の学問のあり方を伝える貴重な展示が並んでおり、時の流れとともに受け継がれてきた知の蓄積に圧倒されました。書物が単なる情報の集積ではなく、人々の思想や価値観を形づくってきたことを実感できる空間でした。 杏壇門を通って訪れたのは、孔子廟です。そこには静謐な空気が流れ、儒教の祖・孔子を祀るための厳かな雰囲気が漂っていました。孔子像の前に立ち、かつての学徒たちがどのような気持ちでここを訪れたのかに思いを馳せました。 庭園を抜けて、方丈、書院、そして庫裡へと進むと、そこには当時の生活と学問の場が再現されており、儒学の精神が日々の営みの中にどのように息づいていたのかが伝わってきました。中でも私の心に強く残ったのは、「宥座之器(ゆうざのき)」と呼ばれる器でした。この器は、水が少なければ倒れ、多すぎても倒れ、適量のときだけ真っ直ぐに立つという仕掛けになっており、中庸の大切さを教える象徴として用いられていたそうです。目に見える形で「ほどほど」「バランス」という「中庸(ちゅうよう)」の概念を伝えるこの道具には、教育における知恵の深さを感じずにはいられませんでした。 足利学校は、単に古いというだけでなく、長い時間をかけて人々が学問と向き合ってきた場としての重みを今に伝えてくれます。教育とは何か、人は何を学ぶべきかをあらためて問いかけてくるような場所でした。この地に足を運び、時代を超えて続く知...

鑁阿寺:足利の秋、武家の記憶が残る寺院

秋の気配が深まりはじめた本日、足利学校へ向かう途中、私はふと思い立って鑁阿寺(ばんなじ)に立ち寄りました。少し肌寒さを感じる季節ではありましたが、空気は澄んでいて、散策にはとても心地よい日和でした。 鑁阿寺は、鎌倉時代に足利義兼(よしかね)によって創建された、真言宗大日派の本山です。もともとは足利氏の邸宅跡に建てられた寺院で、寺というよりは「武家屋敷と城郭の面影を色濃く残す寺院」とも言われています。 現在も境内には堀や土塁が巡らされており、いわゆる寺院建築とは一線を画す、武士の拠点としての面影を残しています。この独特の歴史的背景から、鑁阿寺は「日本100名城」にも選定されているのです。 境内では、まず本堂で静かに手を合わせました。国宝に指定されているこの本堂は、鎌倉時代の建築様式を伝える貴重な建物で、威厳がありながらも、どこか温かみを感じさせる佇まいです。 その後、多宝塔へ足を運びました。朱塗りの塔は木々の緑や秋の陽射しとよく調和しており、まるで絵画のような景色が広がっていました。 鐘楼の素朴な木造の構造や、経蔵に息づく書物への敬意もまた、鑁阿寺がいかに信仰と学問の場であったかを静かに語りかけてくるようでした。 鑁阿寺は単なる観光名所ではなく、足利氏の興亡を今に伝える歴史の舞台でもあります。そして、足利学校という日本最古の学び舎へ向かう前に、こうしてその祖となった武家の足跡を辿ることができたのは、私にとってとても意味深い体験となりました。今度は春や初夏、あるいは紅葉の盛りにも再訪し、また違った顔の鑁阿寺に出会ってみたいと思っています。 旅程 東京 ↓(電車) 足利市駅 ↓(徒歩) 鑁阿寺 ↓(徒歩) 足利学校 ↓(徒歩) 明石弁天厳島神社(美人弁天) ↓(徒歩) 足利織姫神社 ↓(徒歩) 足利市駅 ↓(東武線) 茂林寺前駅 ↓(徒歩) 茂林寺 ↓(徒歩) 茂林寺前駅 ↓(東武伊勢崎線) 東京 周辺のスポット 足利学校 足利織姫神社 足利市立美術館 明石弁天厳島神社(美人弁天) リンク 国宝 鑁阿寺 鑁阿寺(ばんなじ) | 足利市 公式ホームページ