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八坂神社:祇園さんの楼門と朱塗りの社殿

京都市の八坂神社に行きました。朝から京都観光をしており、六波羅探題跡からぶらぶらと歩いて向かうと、午後3時ごろ朱色の南楼門が見えてきました。車通りの多い四条通の突き当たりに、鮮やかな門がどんと構えている様子は、何度写真で見ていても実物を前にするとやはり迫力があります。 南楼門をくぐると、まず目に入ってくるのが大きな舞殿です。屋根の下には提灯がずらりと並び、普段の日でもお祭りの気配を感じさせます。ここは、7月の祇園祭のときには神輿や行列が発着する、八坂神社の「舞台」のような場所です。祇園祭の起源は平安時代の869年までさかのぼり、都に疫病が流行した際に、当時「祇園社」と呼ばれていたこの神社で、疫病退散を祈る御霊会が行われたことが始まりとされています。 舞殿の先には、本殿が堂々とした姿で建っています。本殿は拝殿と一体となった独特の「祇園造(ぎおんづくり)」の社殿で、現在の建物は江戸時代に再建されたものです。八坂神社はもともと「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれ、牛頭天王や素戔嗚尊(スサノオノミコト)など、疫病から人々を守る神として信仰されてきました。現在も主祭神はスサノオノミコト、その妃神のクシナダヒメノミコトと八柱の御子神が祀られ、厄除けや病気平癒、商売繁盛などのご利益で知られています。 境内を一回りしたあと、西楼門の方へ向かいました。こちらも南楼門と同じく朱色が鮮やかで、四条通に面しているため、人や車の流れとともに京都の街の日常と信仰が交差する場所になっています。途中の参道には屋台がいくつか並んでいて、たい焼きの甘い香りに誘われてひとつ買いました。焼き立てをほおばりながら歩いていると、観光で訪れているというより、昔からの門前町をそぞろ歩きしているような不思議な感覚になります。 再び境内に戻り、今度は北門の方へ抜けました。こちら側は南楼門に比べると人通りも落ち着いていて、社殿越しに木々の緑がよく見えます。八坂神社は創建が7世紀ごろとも伝えられ、長い歴史の中で京都の東山エリアの中心的な存在としてあり続けてきました。現在も全国約2300社ある八坂神社・素戔嗚神社の総本社とされ、地元の人々からは今でも親しみを込めて「祇園さん」と呼ばれています。 北門を出ると、次の目的地である知恩院へと向かいました。振り返ると、先ほどまでいた境内の社殿の屋根が、東山の斜面と重なって見えます。疫病...

桐生天満宮:繊維のまち桐生で出会う、歴史と文化の小径

桐生市を訪れると、まずその街並みの美しさに心を奪われます。晴れた日の散策は、岩宿遺跡や桐生明治館、桐生織物記念館といった歴史や文化を伝える場所を巡る旅となり、歩くごとに時代の移ろいを感じさせてくれました。その流れのなかで足を運んだのが、桐生天満宮です。 桐生市の中心部に鎮座するこの天満宮は、町の歴史とともに歩んできた古社であり、境内へはまず一の鳥居をくぐって進みます。 二の鳥居を通り抜けると、右手に機神神社(はたがみじんじゃ)が見えてきます。社殿には「栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)」を祀り、ここが桐生最古の織物市場の発祥地である旨が掲げられていました。桐生が古くから繊維産業と深い縁を持つことを改めて実感させられ、この土地の産業と信仰のつながりに静かに思いを馳せました。 さらに奥へと進むと、太鼓橋が境内の雰囲気を和ませてくれます。 水が張られていませんでしたが、からくり人形水車も設けられており、水が流れているときは、訪れる人を楽しませてくれるのでしょうか。 神門――地元では「桐生門」と呼ばれる美しい門をくぐり抜けて、いよいよ拝殿へと向かいます。境内には凛とした空気が漂い、静かに手を合わせると、遠い昔から人々がこの地で祈りを捧げてきた重みを感じることができました。 拝殿参拝のあとは、宝船神社、神楽殿、赤城神社、春日社、そして神明宮・直日神社など、さまざまな末社も見て回りました。それぞれの社殿や建造物には、地域の信仰と歴史が色濃く刻まれており、一つひとつに違った趣があります。特に宝船神社や神楽殿の造りは、祭りや行事の際に賑わいを見せてきた様子を想像させ、地域の人々にとっての神社の役割の大きさを改めて感じました。 この後、私はさらに歩みを進め、群馬大学工学部同窓記念会館へと向かいました。桐生の町は、明治から昭和にかけての建築群が今も残り、歴史の重なりと現代の活気が同居する不思議な魅力を持っています。桐生天満宮の静けさと、街に息づく人々の営み。その両方に触れることで、旅の一日がより豊かなものになりました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR両毛線) 岩宿駅 ↓(徒歩) 岩宿遺跡 ↓(徒歩) 桐生明治館(旧群馬県衛生所) ↓(徒歩) 西桐生駅 ↓(徒歩) 桐生織物記念館 ↓(徒歩) 蒲焼 泉新 ↓(徒歩) 矢野園 ↓(徒歩) 有鄰館 ↓(徒歩) まちなか交流館 ↓(徒歩) 平田家住...

神田神社(神田明神):茅の輪をくぐる、夕暮れの朱色に心癒やされて

 晴れやかな日の夕方、神田明神を訪れました。最初に湯島聖堂を歩いたあと、そのまま足を延ばし、賑わいを見せる神田明神へと向かいました。 表参道に立つ隨神門をくぐると、鮮やかな朱色の社殿が目の前に現れ、心が引き締まるような気持ちになります。 ちょうど境内では茅の輪(ちのわ)が設けられていて、私もその輪をくぐり、無病息災を願いました。茅の輪くぐりは日本各地の神社で見られる古くからの風習で、夏越しの祓と呼ばれ、半年分の穢れを落とすために多くの参拝者がこの時期訪れます。 神田明神の本殿は、江戸時代から続く壮麗な建築で知られ、都心の喧騒のなかにあっても神聖な空気が流れています。ご祭神には大己貴命、少彦名命、平将門命が祀られており、江戸の総鎮守として今も多くの人々に親しまれています。境内を歩くと、獅子山の威厳ある姿や、銭形平次の碑など、さまざまな見どころが点在していることに気づきます。銭形平次の碑は、時代小説やテレビドラマで知られる架空の岡っ引きですが、神田明神を舞台に多くの物語が生まれたことを感じさせてくれます。 夕方に到着したため、神田明神資料館は残念ながら閉館していましたが、また次の機会に訪れたいと思います。境内を歩きながら、江戸時代から続く神社の歴史や、四季折々の行事に思いを馳せ、日常のなかでふと立ち寄れる場所としての神田明神の魅力をあらためて感じました。 旅程 御茶ノ水駅 ↓(徒歩) 湯島聖堂 ↓(徒歩) 神田神社(神田明神) ↓(徒歩) 本郷三丁目駅 関連イベント 周辺のスポット 湯島聖堂 地域の名物 関連スポット リンク Home|江戸総鎮守 神田明神 神田神社【神田明神】 - 東京十社めぐり 神田神社(神田明神)(スポット紹介)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda

靖國神社/遊就館:戦争と記憶をめぐる静かな時間

本日、東京・九段にある靖国神社と併設の遊就館(ゆうしゅうかん)を訪れました。夕方から雨の予報ということもあり、空気はややひんやりとしていて、境内の木々にもどこか静けさが漂っていました。 まずは靖国神社を参拝しました。明治時代に東京招魂社として創建され、後に靖国神社と名を改めたこの場所には、戊辰戦争以降の戦争や事変で命を落とした人々が英霊として祀られています。社殿の奥には日本庭園があり、訪れる人の心を穏やかにさせてくれる佇まいを見せていました。 続いて、隣接する遊就館を見学しました。館内には戦国時代から近代にかけての武具や歴史資料が豊富に展示されており、特に目を引いたのは、靖国刀や庖丁政宗と伝えられる脇差、六連発火縄銃や南蛮筒といった火器、そして紅糸威の大鎧など、日本の武の美学と技術の粋を感じさせる品々でした。 展示はその後、幕末から明治維新、そして帝国日本の成立、対外戦争へと時代を追っていきます。ペリー来航やフェートン号事件、吉田松陰や坂本龍馬らの志士たちの紹介から始まり、五箇条の御誓文、徴兵制、富国強兵政策、そして日清・日露戦争へと続く流れは、近代国家としての日本の歩みを丁寧にたどるものでした。 さらに、大東亜戦争と呼ばれる第二次世界大戦期の展示では、戦闘機や潜水艦の実物大模型、特攻作戦に関する記録、戦地での生活を伝える品々が印象に残りました。館内には映像資料も多数あり、当時の社会の雰囲気や国民の意識を今に伝えようとしていることが感じられます。 一方で、展示の随所に、戦地で命を落とした人々を英霊として悼む姿勢が強く打ち出されており、それが見る者にさまざまな感情を呼び起こすことも確かです。こうした記憶の語り方や祀り方は、日本国内でも意見が分かれることがありますが、少なくともこの場所では、国家と個人の犠牲というテーマが、荘重な形式の中で表現されていました。 戦争の記憶をどう伝え、どう受け止めていくのかは、国や時代によってさまざまな形があるのだと、あらためて考えさせられる訪問でした。 旅程 市ケ谷駅 ↓(徒歩) 靖國神社/遊就館 ↓(徒歩) 将門塚 ↓(徒歩) 日本銀行金融研究所 貨幣博物館 ↓(徒歩) 東京駅 関連イベント 周辺のスポット 昭和館 皇居 江戸城跡 東京大神宮 東京国立近代美術館 地域の名物 関連スポット リンク 靖國神社 遊就館|靖國神社

千葉神社:千葉氏の守護神、北辰妙見尊星王

加曽利貝塚から千葉駅方面の千葉神社(ちばじんじゃ)まで、Google Mapで調べると、徒歩1時間強だったので歩きで行くことにしました。千葉神社は、現在、開創1025年奉祝・妙見大祭900回奉祝記念事業のため、一部工事中です。 千葉神社は、千葉県千葉市中央区に位置する歴史ある神社です。主祭神として祀られているのは、北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)で、これは北極星や北斗七星を神格化した神様です。この神様は、特に「妙見信仰」として知られており、古くから武運長久や開運、厄除けなどのご利益があるとされています。 千葉神社の歴史は平安時代末期にまで遡ります。当初は北斗山金剛授寺(ほくとさんこんごうじゅじ)として創建され、千葉氏の氏神として信仰を集めました。千葉氏といえば、源頼朝に仕えたことで知られる武家で、戦国時代まで千葉地域を治めていました。千葉氏にとって、北辰妙見尊星王は一族を守護する特別な神であり、千葉神社もまたその信仰の中心地として大切にされてきました。 現在の千葉神社の社殿は、近代的な神社建築の特徴を持ち、美しい朱色の本殿が印象的です。その佇まいは、古い歴史を感じさせつつも、どこか新鮮な空気を纏っています。神社の周辺は千葉市の中心地にあり、アクセスも良好で、JR千葉駅から徒歩約10分、京成線千葉中央駅からは徒歩約5分と、観光や買い物の合間に立ち寄りやすい立地です。 千葉神社では、年間を通じて様々な行事が催されています。中でも、毎年8月に行われる「妙見大祭」は、地域の人々や観光客で大いに賑わいます。また、千葉神社ならではの「星供養(ほしくよう)」も見逃せない行事です。北辰妙見尊星王にちなみ、星に関する供養が行われ、星祭りも合わせて開催されます。このような独自の祭事は、他の神社ではあまり見られないもので、訪れる人々に特別な体験を提供しています。 千葉神社は、開運や厄除け、家内安全、商売繁盛、縁結び、学業成就といった多様なご利益があるとされています。そのため、受験生やビジネスマン、家族連れまで、訪れる人々の願いも様々です。お守りや御朱印も人気があり、特に「星」にまつわるデザインや、千葉神社ならではの開運アイテムも手に入れることができます。 都会の喧騒の中にありながら、千葉神社の境内には静寂が漂っています。参道を歩きながら、厳かな空気に包まれると、心が浄化...

武蔵府中熊野神社古墳/熊野神社:府中に眠る歴史の証人!

大國魂神社から旧甲州街道を西へ向かうと武蔵府中熊野神社古墳がある熊野神社と府中熊野神社古墳展示館が見えてきます。 武蔵府中熊野神社古墳は、東京都府中市にある珍しい形式の古墳です。全国的にも6例しか確認されていない「上円下方墳」という形状を持ち、その特異な構造から考古学的にも大変貴重な遺跡とされています。 この古墳の築造時期は7世紀中頃から後半と考えられています。飛鳥時代に入るこの時期は、古墳文化の終焉が近づき、中央政権との関係が一層強まる中で、新しい埋葬様式が見られるようになりました。武蔵府中熊野神社古墳もまた、そうした時代の変化を象徴する存在といえるでしょう。 古墳は三段に分かれており、第一段の基壇は一辺32メートル、高さ0.5メートルの方形をしています。その上に築かれた第二段は一辺23メートル、高さ2.2メートル、さらに第三段となる上円部は直径16メートル、高さ2.1メートルの円形を成しています。この三層構造が、一般的な前方後円墳や円墳とは異なる独特の形を作り出しており、発掘調査の際にも注目されました。 武蔵府中熊野神社古墳は明治時代にはすでに開口していたため、副葬品はわずかしか出土しませんでした。その中でも、鉄地銀象嵌鞘尻金具(てつじ ぎんぞうがん さやじり かなぐ)は、当時は先進の技術で作られた、鉄製の地金(じがね、じきん)に銀で模様がつけられた(銀象嵌)、刀の鞘(さや)の先端(鞘尻)につける金具です。この模様は七つの円で構成される「七曜文(しちようもん)」で、同じ時代に作られた国産初の貨幣の「富本銭(ふほんせん)」に見られるだけの、国内外では他に例のないものです。 この古墳は、熊野神社の境内にあるため、現在も良好な状態で保存されています。訪れると、その墳丘の姿を間近に見ることができ、飛鳥時代の府中の姿に思いを馳せることができます。 府中熊野神社古墳展示館 旧甲州街道から来た時に最初に見えるのは古墳ではなく、街道に面している展示館が見つかります。 この展示館には、武蔵府中熊野神社古墳の説明や使用されていた石材が展示されています。また、石室が復原されており、中に入ることができます。 熊野神社 武蔵府中の熊野神社は、もともと府中内の別の場所にあったものであり、神社と古墳は直接の関係は無いようです。 本殿は虹梁絵様(こうりょうえよう)や彫刻などの構成が簡素であるこ...

大國魂神社:二千年の歴史を誇る武蔵国の総社

岡本太郎美術館のあと、登戸駅からJR南武線で府中に移動し、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)に来ました。 東京都府中市にある大國魂神社は、武蔵国の総社として長い歴史を持つ神社です。 歴史 創建は西暦111年(景行天皇(けいこうてんのう)41年)5月5日と伝えられ、武蔵国の守護神として崇敬を集めてきました。現在も多くの参拝者が訪れ、地域の人々に親しまれています。 創建当初は、ヤマト王権が設置した武蔵国造(くに の みやつこ)が代々奉仕していましたが、大化の改新で武蔵国司(こくし、くにのつかさ、くにのみこともち)が置かれたため、国司が国造に代わって奉仕することになりました。管内神社の祭典を行う便宜上、武蔵国中の神社を一か所に集める必要があり、武蔵総社といわれるようになりました。左右の相殿(あいどの)に、国内著名の神社六社を合祀(ごうし)したため、六所宮とも呼ばれています。六社は、一之宮が小野神社(東京都多摩市)、二ノ宮が二宮神社(東京都あきる野市)、三ノ宮が氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)、四ノ宮が秩父神社(埼玉県秩父市番場町)、五ノ宮が金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)、六ノ宮が杉山神社(神奈川県横浜市緑区)です。 徳川家康が江戸幕府を開くと祟敬(すうけい)の誠を尽くし、神領地500石を寄進しました。 明治維新に准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)に、その後、県社(けんしゃ)、官幣小社(かんぺいしょうしゃ)に列せられました。 御祭神 御祭神は大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)で、国土の安泰や五穀豊穣を司る神様です。また、武蔵国内の主要な神社の神々を合祀しているため、武蔵国全体を守護する神社としての役割も果たしています。こうした背景から、武蔵国の国府があった府中の総社として、古くから信仰されてきました。 祭事 大國魂神社の中でも特に有名なのが、毎年5月に行われる「くらやみ祭」です。この祭りは江戸時代から続く伝統行事で、東京都の無形民俗文化財にも指定されています。かつては夜の暗闇の中で神輿が渡御することからこの名前がつきました。現在では日中にも行われるようになりましたが、神輿が繰り出す夜の光景は今でも幻想的で、多くの人々を魅了しています。 また、7月には「すもも祭」が開かれます。この祭りでは、酸味のあるすももを食べることで夏バテ防止や厄除けのご利益があるとされています。さらに...

東京大神宮

本日は、東京大神宮に行きました。 東京大神宮は、東京都千代田区にある神社で、「東京のお伊勢さま」として知られています。1880年(明治13年)に創建され、日本で最初に神前結婚式を行った神社としても有名です。そのため、縁結びのご利益があるとされ、多くの人々が訪れています。 主祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)や豊受大神(とようけのおおかみ)など、伊勢神宮の内宮・外宮の御祭神です。天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)、倭比賣命(やまとひめのみこと、倭比売命、倭姫命)も祀られています。 東京大神宮は明治時代に伊勢神宮の遥拝所(遠くから神宮を拝む場所)として設立されました。元々は日比谷にありましたが、関東大震災の後、現在の富士見町(千代田区)に移転しました。 神前結婚式の発祥地として、恋愛成就や縁結びを祈願する参拝者が多いです。特に若い女性から人気があり、境内では恋愛のお守りや絵馬が多く見られます。 御利益は、縁結び、恋愛成就、家内安全、商売繁盛などです。 東京大神宮は、神聖さと親しみやすさが共存する神社で、多くの観光客や地元の人々に親しまれています。訪れる際はぜひ縁結びの祈願をしてみてください! 旅程 飯田橋駅 ↓(徒歩) 東京大神宮 ↓(徒歩) 飯田橋駅 関連イベント 周辺のスポット 小石川後楽園 東京ドーム 野球殿堂博物館 東京ドームシティ アトラクションズ Space Travelium TeNQ(スペーストラベリウムテンキュー) かくれんぼ横丁 善國寺 靖國神社/遊就館 地域の名物 関連スポット 伊勢神宮 倭姫宮 リンク 東京大神宮 東京大神宮(スポット紹介)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda 【公式】和婚・和装の挙式なら東京大神宮で神前結婚式|マツヤサロン 東京大神宮通り・飯田橋西口通り商業連合会

芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡)

芭蕉庵史跡展望庭園のあと、すぐ近くにある芭蕉稲荷神社(ばしょういなりじんじゃ)に向かいました。 芭蕉稲荷神社は、東京都江東区(深川エリア)に鎮座する小規模な神社で、松尾芭蕉ゆかりの地とされる周辺環境からこの名が付けられています。芭蕉が深川の「芭蕉庵」に居住し、数多くの句作を行ったことから、この地域は「俳諧の聖地」の一つとして文学愛好家に知られています。 芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して1680年(延宝8年)から1694年(元禄7年)大阪で病没するまで芭蕉庵を本拠とし「古池や蛙飛び込む水の音」などの名吟の数々を残しました。 また、ここより全国のたびに出て「奥の細道」などを著しました。 芭蕉没後は芭蕉庵は武家屋敷となり滅失しました。1917年(大正6年)に芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、ここに芭蕉稲荷神社が祀られました。 芭蕉稲荷神社は、そうした土地柄に因み、文芸的な意味合いを帯びた稲荷神社として存在しています。 「稲荷神社」と名が付くように、穀物の神・商売繁盛の神として知られる稲荷信仰を基盤に持つ神社ですが、同時に「芭蕉」の名を冠することで、松尾芭蕉の偉業を讃え、地域の文学・文化の記憶を伝える存在にもなっています。当地には芭蕉に関連する句碑や、芭蕉庵跡にまつわる記念碑、文学散策路などが点在しており、芭蕉稲荷神社もこれらの文学遺産の一環として、参詣者や散策者に深川の俳諧文化を想起させます。 旅程 清澄白河駅 ↓(徒歩) 芭蕉庵史跡展望庭園 ↓(徒歩) 芭蕉稲荷神社(深川芭蕉庵跡) ↓(徒歩) 江東区芭蕉記念館 ↓(徒歩) 清澄白河駅 関連イベント 周辺のスポット 芭蕉庵史跡展望庭園 江東区芭蕉記念館 清澄庭園 地域の名物 深川めし 関連スポット リンク 観光情報 | 江東おでかけ情報局