キトラ古墳の壁画を見学するために、奈良県高市郡明日香村へ行きました。壁画見学には応募時間が決まっていたため、早めに到着したので、待ち時間を利用して近くにある檜隈寺(ひのくまでら)跡へ向かうことにしました。 キトラ古墳の周辺は、古墳だけがぽつんとある場所というより、明日香村らしい歴史散策の道が整えられている地域でした。道にはウォーキングコースかジョギングコースのような矢印があり、「檜隈寺跡前休憩案内所」と書かれていました。その案内に従って進むと、やがて檜隈寺跡前休憩案内所に着きました。 地図で見ると、檜隈寺跡は休憩案内所から少し森の中へ入ったところにあるようでした。最近は東京でも熊の出没がニュースになっていたため、正直なところ、あまり森に近づきたくないなと思いました。それでも、せっかく明日香村まで来て、しかもキトラ古墳のすぐ近くにある史跡です。少し慎重な気持ちになりながらも、森の中へ入っていきました。 しばらく進むと、木々の間に鳥居が見えてきました。檜隈寺跡という名前から、当然お寺の跡を想像していたので、最初は「寺跡なのに鳥居があるのだろうか」と不思議に思いました。鳥居の前まで行くと、そこには「於美阿志神社(檜隈寺跡)」と書かれた案内板がありました。つまり、現在は神社の境内でありながら、その場所が古代寺院の跡でもあるということです。この時点で、神社なのか寺跡なのか、少し頭が混乱しましたが、同時に明日香らしい歴史の重なりを感じました。 於美阿志神社(おみあしじんじゃ)は、渡来系氏族である東漢氏、または倭漢氏と関わりの深い神社とされています。祭神とされる阿知使主は、東漢氏の祖と伝えられる人物です。そして檜隈寺は、その東漢氏に関係する氏寺であったと考えられています。古代の明日香は、天皇の宮や古墳だけでなく、大陸や朝鮮半島から渡ってきた人々の技術や文化が根づいた場所でもありました。檜隈寺跡に立つと、飛鳥時代の歴史が、日本国内だけで完結していたものではなく、東アジアの広い交流の中にあったことが感じられます。 鳥居をくぐり、まずは拝殿で参拝しました。境内は深い森に包まれていて、観光地として整いすぎた雰囲気ではなく、地域に静かに守られてきた場所という印象がありました。境内を歩いていると、「宣化天皇檜隈廬入野宮跡」と刻まれた石碑もありました。檜隈寺跡だけでなく、このあたりには宣化天皇...