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秋保温泉: ホテル瑞鳳

秋保温泉に入るために宮城県仙台市に来ました。 Webでも情報はたくさん集められますが、秋保・里センターでも日帰りで入れる温泉などについて教えてもらえます。日帰り温泉が無い温泉スポットもあるので旅行前に調べた方が良いですが、まれに、webの情報が古くて、コロナ中に日帰りの入浴をやめてしまったところもあり、地元の観光センターで確認するのも重要です。 秋保温泉ではいくつか日帰りで入浴できる温泉はありますが、仙台万華鏡美術館なども行っておきたかったので、少し東寄りのホテル瑞鳳にしました。 中はすごく立派できれいです。 広い休憩所もあるので、日帰りでも入浴後にゆっくり休むことができます。 旅程 東京 ↓(新幹線) 仙台駅 ↓(バス) 秋保・里センター(バス停) 周辺のスポット 磊々峡 仙台万華鏡美術館 秋保ヴィレッジ アグリエの森 地域の名物 関連スポット リンク 宮城県秋保|秋保温泉旅館組合公式HP 仙台秋保温泉・ホテル瑞鳳 公式サイト

片山津温泉

1月に起きた能登地震の復興の応援も兼ねて加賀の片山津温泉に来ました。 片山津温泉は、加賀(加賀市、小松市)にある粟津温泉、山代温泉、山中温泉と4つで加賀温泉郷、関西の奥座敷と呼ばれています。 片山津温泉は、江戸時代の1653年(承応2年)に、加賀国江沼郡(えぬまぐん・えぬのこおり)にの大聖寺藩(だいしょうじはん)の第二代藩主の前田利明(まえだ としあき)が加賀三湖の一つ「柴山潟」に鷹狩に訪れた際に、湖底に温泉が湧出していることに気づいたことが始まりと言われています。前田利明やその後の幾人の手によって温泉開発が行われましたが、湯源を確保することができませんでした。 1876年(明治9年)に、柴山潟で、松材三万本を使用し、埋め立て面積一町歩(約1ヘクタール)に及ぶ大規模な埋め立て工事が行われ、柴山潟の一部を埋め立てられました。その工事で造成された人工島に架橋されて温泉が利用できるようになりました。 翌1877年(明治10年)に片山津で初の温泉旅館が開業しました。 1882年(明治15年)、源泉が確保され開湯しました。 片山津温泉には、温泉旅館やホテルもありますが、今回は日帰りで入浴できる加賀片山津温泉 総湯に来ました。 2012年にできたばかりで、2階には軽い食事ができる場所もあり、きれいな施設です。2階の屋上からは、裏に広がる柴山潟(しばやまがた)が眺められます。柴山潟は加賀三湖の一つです。 加賀片山津温泉 総湯の近くの砂走公園には、足湯もあります。 柴山潟に突き出た浮御堂は、能登地震の影響で途中の道が通行止めになっていました。 道の途中で、話しかけていただいた人は、一部地震の被害を受けた家やホテルがあるが、全体としては全然大丈夫と言われていましたが、建物の壁が崩れていたり、道が盛り上がっていたりして、能登ほどではないにしても、たいへんな状態だということが分かりました。 旅程 東京 ↓(新幹線+特急) 加賀温泉駅 ↓(バス) 加賀片山津温泉 総湯 ↓(徒歩) 瑠璃光山 愛染寺 ↓(徒歩約15分) 中谷宇吉郎雪の科学館 ↓(バス) 加賀温泉駅 関連イベント 周辺のスポット 中谷宇吉郎 雪の科学館 瑠璃光山 愛染寺 地域の名物 関連スポット 粟津温泉 山代温泉 山中温泉 リンク 片山津温泉観光協会公式サイト 加賀市の観光施設 カフェも併設|片山津温泉総湯 公式サイト | ...

道後温泉本館:千年の湯に癒されて、漱石も愛した温泉地

子規記念博物館から北へ道後温泉に向かいました。 昨晩、高知から愛媛に移動したあとにも道後温泉本館には来ていて、温泉に入る場合は、朝6時ぐらいから並んで予約を取るそうです。 並んで予約を取ろうかとも思いましたが、昨晩のうちに飛鳥乃湯泉の方に入って本館の方はあきらめることにしました。次に来るときには、本館近くにホテルを取って、朝食前に並ぼうかと思います。 道後温泉の近くの冠山(かんむりやま)からは、3000年前の縄文の土器が出てきており、3000年前から使われていた日本最古の温泉と言われています。 また、伊予国(いよのくに)風土記には、神話の時代に、大国主命(おおくにぬしのかみ)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が出雲の国から伊予の国へと旅していたところ、少彦名命が病気になり、大国主命は大分の「速見の湯」を海底に管を通して道後に導き温泉にしたという話が残っています。 同じく、伊予国風土記に、596年(法興6年)に聖徳太子が道後温泉に来浴し、温泉に感動し石碑を残しました。現在、石碑は発見されていませんが、飛鳥乃湯泉にレプリカがあります。 1894年(明治27年)に、道後温泉本館が落成されました。 そのころに、夏目漱石が松山中学の英語教師として松山市に赴任し、「坊ちゃん」の中で道後温泉のことを絶賛しています。 道後温泉駅からは、坊ちゃん列車も出ています。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 松山市立子規記念博物館 ↓(徒歩) 道後温泉 ↓(徒歩) (略) ↓(徒歩) 宝厳寺 ↓(徒歩) 伊佐爾波神社 ↓(徒歩) 湯神社 ↓(徒歩) 松山城 ↓(タクシー) 松山市考古館 ↓(タクシー) 子規堂 ↓(タクシー) 松山空港 周辺のスポット 飛鳥乃湯泉 松山市立子規記念博物館 伊佐爾波神社 宝厳寺 圓満寺 湯築城資料館 石手寺 松山城 愛媛県美術館 子規堂 伊丹十三記念館 松山市考古館 地域の名物 伊予かすり リンク 【公式サイト】道後温泉 道後温泉本館・飛鳥乃湯泉・椿の湯 入浴料金・営業時間|道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉物語|道後温泉旅館協同組合(道後温泉観光協会) 道後温泉 松山市公式ホームページ PCサイト

塩浸温泉龍馬公園:湯けむりをくぐる二人のシルエット

鹿児島観光の最終日は、霧島市内をタクシーで巡りながら、山の緑と川のせせらぎに沿って走りました。案内してくださった運転手さんの一押しで立ち寄ったのが、塩浸温泉龍馬公園でした。駐車場から降りると、湿った空気に温泉の匂いが混じり、ところどころから白い湯けむりが立ちのぼっています。川沿いの斜面には、坂本龍馬とお龍の銅像が静かに並び、濡れた石肌に差す光を受けて柔らかく光っていました。 資料館も併設されているようでしたが、訪れた折は新型コロナの影響で入館できず、屋外の散策に専念しました。 公園の一帯は、幕末のふたりが新婚の頃に足を運んだ地として知られています。慶応二年(1866年)に、龍馬とお龍は霧島の温泉地を巡り、塩浸温泉には十八日間も逗留したと伝わります。現在は園内に資料館や足湯、「新婚湯治碑」などが整えられ、往時をしのぶ展示も見られる場所です。 そもそもこの旅は、寺田屋事件で負った傷の療養を兼ね、西郷隆盛や小松帯刀の勧めもあって計画されたものだといわれます。湯治の行き先に霧島を選んだことは、薩摩と龍馬の結びつきの一端を映す選択でもあり、ここが「日本で最初の新婚旅行」と称されるゆえんにもなりました。 行程をたどると、二人は大坂から蒸気船で長崎を経て鹿児島に入り、日当山・塩浸・栄之尾と温泉地を回りながら高千穂峰にも登ったと記録されています。霧島の厳かで伸びやかな自然の中で、体を癒やしながら次の時代を見据えた思索を重ねたのだろうと想像します。 銅像の前に立つと、ふたりの等身大の距離感が印象に残ります。見上げる龍馬の姿は風に背筋を伸ばし、お龍は少し斜めに腰を下ろして寄り添うように佇みます。足元では、湯気を含んだ風が川面から吹き上がり、遠くで鳥の声が響きました。資料館に入れなかったのは残念でしたが、湯けむりに包まれた屋外の空気そのものが、歴史の余熱をまとった展示のように感じられます。 園内には足湯もあり、旅の終盤の疲れをそっとほどいてくれます。風の強い日で残念ながら足湯も遠慮しました。ここでの逗留は、二人にとって、歩みを整える休符だったのかもしれません。 霧島の山並みは、季節の光とともに表情を変えます。最終日にここを訪れたことで、旅が一本の物語として静かに結ばれた気がしました。激動の時代を駆け抜けたふたりが、湯けむりの向こうで束の間の安らぎを分かち合った場所。公園を後にするとき、歴...