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美羅城:上海で出会う未来的な外観と雑多な活気

上海の電気街をいくつか見て回ったあと、美羅城にも足を運びました。上海には大規模な商業施設が数多くありますが、その中でもこの建物は、遠くからでもすぐにそれと分かる独特の姿をしていました。特徴的な半球の外観は、ただ大きいというだけではなく、街の中でひとつの目印として立っているような存在感があり、にぎやかな上海の風景の中でも強く印象に残りました。 美羅城がある徐家匯は、単なる買い物の街ではありません。徐家匯という地名は、明代の学者であり西洋との交流でも知られる徐光啓に由来し、この地域は長いあいだ中国と西洋文化が交わる場所として発展してきました。現在でも文化施設、教育機関、商業施設が集まり、歴史と現代的な都市機能が重なり合うエリアとして知られています。そうした背景を知ると、電気街や大型商業施設が集まる光景も、単なる消費の場ではなく、上海という都市の発展の積み重ねの上にあるものとして見えてきます。  美羅城そのものも、徐家匯を代表する存在のひとつです。徐家匯の商業圏は1980年代に発展し、地下鉄駅を核にした環状型の商業エリアとして上海で先駆的な位置を占めました。その中心にある美羅城は、直径41.2メートルの巨大な球体を冠した外観で知られ、徐家匯のランドマークとなっています。また、1998年5月に開業した施設で、上海の近代的な商業発展を象徴する建物のひとつでもあります。私が2011年に目にしたあの印象的な半球は、単に奇抜なデザインではなく、街の成長そのものを象徴する記号だったのだと思います。 中に入ると、電気店がところせましと並んでいました。整然とした高級商業施設というより、店や商品や人の気配がぎゅっと詰め込まれたような空間で、歩いているだけで強い熱気を感じました。最新の機器を見比べたり、店ごとの違いをのぞき込んだりしながら歩くうちに、当時の上海の勢いのようなものが、そのまま建物の中に流れ込んでいるように思えました。日本の家電量販店とはまた少し違い、密度の高い商売の空気がそのまま表に出ている感じがあり、私はそこに強く「中国らしさ」を感じました。 旅先で商業施設に入ると、その土地の暮らしや時代の雰囲気がよく見えることがあります。寺院や博物館のような歴史的な場所ではなくても、人々が何を求め、どのように集まり、どのような活気を生み出しているかが分かるからです。美羅城もまさにそ...

上海トランスラピッド:300キロの先にあった意外な振動

上海には、中国元の預金のために何度も通っています。「いつかは」と思い続けていた空港アクセスのリニアモーターカーに、この日ようやく乗りました。 日本の新幹線は静かさでも世界に名を馳せていますから、レールから浮上するリニアならなおのこと——と期待して車内に入ると、発車と同時に数字がみるみる跳ね上がり、あっという間に時速300キロを超えました。加速の鋭さは痛快でしたが、体感は意外と荒々しく、地方の在来線に揺られているかのような強い振動に少し怖さも覚えました。浮いているからこそ静か、という先入観が見事に裏切られた体験です。 その一方で、揺れの中でも速度を伸ばし続けるリニアの力強さにも感心しました。あらためて、日本の新幹線が速度と静粛性、乗り心地の三拍子を高い次元で両立していることを実感し、同時に「方式が違えば性格も違う」のだと腑に落ちました。技術の方向性や設計思想の違いが、乗り味にそのまま現れるのですね。 振り返れば、上海のリニアはドイツのトランスラピッド方式を導入し、2001年に着工、2004年に営業運転を開始した路線です。浦東国際空港と市内の龍陽路駅を結ぶおよそ30キロの短距離ながら、営業最高速度は時速431キロに達し、世界最速クラスの空港アクセスとして知られています。2003年には試験走行で時速501キロを記録したとも伝えられており、速度のポテンシャルは折り紙付きです。 日本でも中央新幹線(超電導リニア)が建設中で、いつかはこの国でも「浮く列車」の長距離営業に乗れる日が来ます。開業時期は不透明で2034年以降の見通しともされますが、長年磨いてきた新幹線の知見がどのように活かされるのか、一人の旅人として楽しみに待っています。 あの日の高速走行と手のひらに残った振動は、上海の空気とともに、今も鮮やかに記憶に刻まれています。次に乗るときは、速度計の数字だけでなく、窓の外の景色の移ろいにも、もう少し心を配ってみたいと思います。 旅程 成田空港 ↓(飛行機) 上海浦東国際空港 ↓( 上海トランスラピッド ) 竜陽路駅 ↓(徒歩) ホテル

東方明珠電視塔:現代都市・上海で感じた未来と伝統、光に照らされる上海の街

上海旅行の初日、私は昼間に豫園などの歴史あるスポットを訪れた後、夜になって東方明珠電視塔へと足を運びました。上海といえば、近年ますます発展を遂げる国際都市として有名ですが、その近未来的な街並みの象徴ともいえるのが、この東方明珠電視塔です。 タワーの外観は非常に特徴的で、まるで宇宙船か、あるいは未来都市を思わせるようなデザインです。特に真ん中に大きな球体が配されている様子は、上海の数ある高層ビルの中でもひときわ異彩を放っています。昼間の観光中も、その独特な姿が遠くからでも目に入り、「あそこに登ってみたい」と自然に思わされるほどでした。 東方明珠電視塔が完成したのは1994年のことで、建設当時はアジアで最も高いテレビ塔の一つでした。高さは468メートルあり、現在でも上海のランドマークとして世界中から多くの観光客を惹きつけています。このタワーはテレビ電波を発信する役割を持つだけでなく、観光名所として展望台やレストラン、博物館なども併設されています。 私は夜に展望台に上り、窓の外に広がる上海の夜景を堪能しました。眼下には黄浦江がゆったりと流れ、対岸には外灘の歴史的建築群がライトアップされて浮かび上がります。近くには超高層ビル群が林立し、それぞれが美しくイルミネーションに彩られていました。昼間に訪れた豫園の静かな佇まいと、夜の東方明珠電視塔から見下ろす光り輝く上海のコントラストがとても印象的で、伝統と現代が共存するこの街の多面性を実感しました。 タワーの展望台には、ガラスの床を備えたエリアもあり、高所が得意でない方は少しスリルを感じるかもしれません。しかし、そのスリルさえも、特別な旅の思い出となりました。地上から見上げたときの圧倒的な存在感と、展望台から見下ろす上海の街並み、どちらも旅の高揚感を存分に味わわせてくれます。 上海の過去と未来が交錯するこの地で、東方明珠電視塔は単なる観光スポット以上の意味を持っているように感じました。都市の成長とともに歩んできた歴史を感じながら、私は夜風に吹かれて静かに上海の景色を見つめていました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 上海人民公園 ↓(徒歩) 豫園 ↓(徒歩) 江海関/外灘 ↓(徒歩) 東方明珠電視塔 ↓(徒歩) ホテル 周辺のスポット 上海市歴史博物館 金茂大廈 上海中心 地域の名物 上海料理 リンク 東方明珠塔[東方テレビタワー] |...

江海関/外灘:近代と現代が向かい合う、黄浦江のほとり

黄浦江(こうほこう)の河畔に広がる外灘は、初めて訪れてもどこか懐かしさを感じる不思議な場所です。この日は仕事の予定で上海に滞在していましたが、空いた時間を使って一人で市内観光をしていました。豫園(よえん)を歩き回ったあと、その足で外灘(がいたん、ワイタン)へ向かいました。 ビルの合間を抜けていくと、ふっと視界が開けて黄浦江の広い流れが現れます。秋の終わりの冷たい空気の中、河畔の遊歩道を北に向かって歩き始めました。対岸には、未来都市のような高層ビル群が林立し、その手前には茶色がかった川面が静かに流れています。一方、自分が歩いている西岸側には、まったく時代の違う西洋風の重厚な建物が並んでいて、近代と現代が向かい合っているように感じました。 しばらく歩くと、ドーム状の屋根をいただいた西洋風の建物が見えてきます。石造りのファサードは堂々としていながらもどこか柔らかく、夜になるとライトアップされてより一層存在感を増しそうだと想像しました。その奥に、ひときわ高い時計塔を持つ建物が見えてきます。これが江海関(こうかいかん)、上海税関の建物です。 江海関の歴史を少し振り返ると、この建物は単なる「きれいな古いビル」ではなく、上海が世界に向かって港を開いていった象徴とも言える存在です。もともとの税関は清の康熙帝(こうきてい)の時代、17世紀末に海禁が解かれた後に設置され、長江流域の貿易を管理する拠点として機能していました。やがて上海の海外貿易が急速に発展し、外国船は現在の外灘付近を好んで停泊するようになります。その結果、税関も市壁の外、黄浦江沿いへと移転し、列強の租界と密接に結びついた「江海関」として運営されるようになりました。 現在の江海関の建物は、1920年代に建て替えられたものです。1925年に着工し、1927年に完成したこのビルは、当時の最新技術である鉄筋コンクリート構造を採用しながら、外観はギリシア復古様式の落ち着いたネオ・クラシックな意匠でまとめられています。黄浦江側の部分は八階建てで、その上にそびえる時計塔は約90メートルに達し、完成当時は外灘で最も高い建物でした。 時計塔に設置された大時計は、設計がロンドンのビッグベンを手本としており、アジア最大級の機械式時計と言われます。四面に配された文字盤は直径5メートルを超え、内部の鐘もイギリスで鋳造されて上海まで運ばれました。長...

豫園:高層ビルの街の中心で、明代の美意識に触れる

上海で銀行の手続きを終えたあと、気分転換も兼ねて豫園へ向かいました。当時は投資のために中国の銀行へ元建てで預金をしに、定期的に上海を訪れていました。用事自体はどこか淡々としがちですが、そのぶん「せっかく来たのだから、上海らしい場所を歩いて帰りたい」という気持ちが自然に湧いてきます。 タクシーを降りた瞬間、景色が切り替わったのをはっきり覚えています。目の前には中国の古い町並みが広がり、看板には右から「薬局」と読める文字、そして屋根の先が空へ反り返るような輪郭が続いていました。高層ビルが増え、行くたびに街が更新されていく上海のスピード感とは別の時間が、そこだけ静かに流れているようでした。 豫園は、明代に潘允端が父・潘恩のために造営した江南式庭園として知られ、1559年に着工し1577年に完成したと伝わります。 いわば「親を喜ばせるための庭」という出発点がまず魅力的で、商都・上海のど真ん中に、孝や美意識を形にした空間が残っていること自体が面白いと感じます。その後、荒廃と修復を繰り返し、清代には再建され、近代以降も整備が進んで現在の姿になりました。 実際に歩いてみると、庭園の「見せ方」が日本庭園とはかなり違います。池のまわりには、ごつごつした岩が主役のように据えられ、輪郭の鋭さや陰影がそのまま景色の骨格になっていました。整えすぎず、自然の荒々しさを“素材”として活かす感覚が強く、そこに中国的な美しさを感じます。視線を少し動かすだけで、石、水、建物の線が組み替わり、同じ場所でも表情が変わって見えるのが楽しく、立ち止まる回数が増えていきました。 周辺の建物やお寺のような空間では、仏像や掛け軸が展示されているところもあり、観光地の賑わいの中に、信仰や伝統が混ざり合っているのが印象的でした。上海は金融やビジネスの顔が強い一方で、こうした場所に来ると、街の根っこにある文化の層に触れられる気がします。用事を片付けた「ついで」の観光だったはずなのに、結果としてこの日の上海でいちばん記憶に残ったのは、ガラス張りの新しいビル群ではなく、文字の向きや屋根の反り、石の質感といった、古い様式が放つディテールでした。 急速に変化する都市だからこそ、変わらない景色の価値が際立ちます。銀行で数字と向き合ったあとに豫園を歩くと、同じ「上海」という街の中に、速度の違う世界が共存していることがよく分かります。...

人民広場(上海):上海の都会のオアシス

元投資のために上海に来ています。元で預金する場合、日本では直接預金することはできず、円またはドルで中国の口座に送金し、中国国内で元に換金する必要があります。 ホテルの近くの人民広場(People's Square)に来ました。 人民広場(People's Square)は、上海市の中心部に位置する広大な公共広場で、市の行政・文化の中心地としての役割を担っています。上海のランドマーク的な場所であり、歴史的な背景や周辺の文化施設が豊富なことから、市民や観光客にとって人気のスポットです。 人民広場の歴史は、かつてこの場所に存在した上海競馬場に遡ります。競馬場は1862年に開場しましたが、第二次世界大戦後、1949年の中華人民共和国の成立と共に、競馬場は廃止され、その跡地が広場として再整備されました。1952年に「人民広場」として正式に公開され、その後、1970年代から1990年代にかけて再開発が進み、現在の姿になりました。 人民広場は上海の中心部、黄浦区に位置し、地下鉄1号線、2号線、8号線の人民広場駅が直結しているため、交通の便が非常に良いです。広場周辺は市内のショッピングエリアや観光スポットへのアクセスも抜群です。 人民広場の周辺には、上海の文化と歴史を象徴する施設が点在しています。 上海博物館: 中国の歴史的な文物や芸術品を収蔵している有名な博物館です。特に青銅器、陶磁器、書画のコレクションが充実しています。 上海大劇院(Shanghai Grand Theatre): 国際的に有名な劇場で、アジアでもトップクラスの公演施設の一つです。1998年に開業し、そのモダンで壮大な建築が特徴です。設計はフランスの建築家ジャン=マリー・シャラン(Jean-Marie Charpentier)が担当しました。 上海城市規劃展示館: 上海の都市開発の歴史と未来を紹介する展示館で、特に巨大な都市模型が注目されています。 人民公園: 広場の隣にある緑豊かな公園で、リラックスした雰囲気を楽しむことができます。週末には、親が子供の結婚相手を探す「結婚市場」が開かれることでも知られています。 人民広場周辺は上海市民の集いの場であり、政治的な集会や祝祭、国際的なイベントが開かれることもあります。また、平日には散歩や運動を楽しむ市民が多く、上海の都市生活を感じることができるスポ...