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茨城県陶芸美術館

笠間つつじ公園から徒歩で茨城県陶芸美術館に行きました。 道は車道のみですが、自動車とバイクが1台ずつしか見かけないぐらい人通りが少ない道です。かなりの距離があるうえに、途中で自動販売機もないので、今日のような猛暑日には二度とやりたくありません。 陶芸美術館は笠間芸術の森公園の中にあります。笠間芸術の森公園も非常に広大な公園でスポーツなどを楽しむことができます。 「近代陶芸の祖」板谷波山さんの住宅や工房を再現した展示もあります。 非常に多くの陶芸が展示されていますが、まだよく分からないので、陶芸に見えないような作品ばかり見ていました。 特別展として、小中学生の作品も展示されていましたが、正直なところプロとの違いが分からないようなももあったり、逆にプロが先鋭的な作品を作ると子供の作品のようにも見え、違いが分からないぐらい小中学生の作品も素晴らしかったです(素人の感想です)。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間日動美術館 笠間つつじ公園 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間市公式ホームページ 茨城県陶芸美術館 Ibaraki Ceramic Art Museum 茨城県陶芸美術館 – 茨城県教育委員会 茨城県陶芸美術館 | 観光いばらき公式ホームページ

笠間つつじ公園

笠間日動美術館のあと、笠間つつじ公園に向かいました。 しかし、途中の道に書かれていた近道らしい方へ進んだところ、森のようなところに入ってしまい、しかも人が長い間通っていないようで、草をかき分けて進むことになってしまいました。素直に大きな道を通ってきた方がよいというか、公園も入口から上までそれなりに距離があったので、自動車で行く場所のようです。 午前中とは言え、猛暑の時期にこの道の選択は大失敗でした。 公園の入口。このあと、また頂上への近道みたいな案内がありますが、草が結構高くまで伸びていて、少し遠回りでも舗装道路を進んだ方が快適です。 頂上。 街を見渡すことができるのですが、ここまでが結構きつくてあまり感動はありませんでした。 キャンプも最近の大雨のせいか、猛暑のせいか、頂上では人は見かけませんでした。 笠間つつじ公園は、名前の通り、つつじなどが植えられており、5月初旬が見頃です。4月から5月初旬にかけてつつじ祭りを開催しているので、またその時期に訪れたいです。 少しネガティブな記事になりましたが、猛暑と道を間違えた私のミスです。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間日動美術館 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間つつじ公園 | 観光いばらき公式ホームページ つつじまつり | 笠間観光協会公式ホームページ 笠間つつじまつり – 観光いばらき 観光 | 笠間観光協会公式ホームページ  

笠間日動美術館

笠間稲荷神社参拝のあと、すぐ近くの笠間日動美術館に行きました。 特別展示として「Art & Mystery ウキウキ謎解き! トリックアート!!」を開催していました。 絵画に入ったような写真を撮ったり、 名画を立体的に見せたりするトリックアートがいくつか展示されており、楽しみながら芸術を学ぶことができます。 多くの画家のパレットが展示されており、非常に珍しく貴重なコレクションです。 笠間日動美術館は1972年(昭和47年)に画商の長谷川仁さん、林子さん夫妻により創設されました。パレットのコレクションはお二人と画家の親交から譲り受けたものです。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間稲荷神社 笠間つつじ公園 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット リンク 笠間日動美術館|公益財団法人日動美術財団|笠間市 笠間日動美術館 笠間市公式ホームページ

笠間稲荷神社

東京から電車で約2時間半、笠間駅から徒歩約20分で到着。 今日の目的は旅行業務取扱管理者資格の勉強で学んだ笠間稲荷神社で茨城県笠間市にある稲荷神社。 日本三大稲荷の一つと言われていますが、確実に三大稲荷と言ってよい京都の伏見稲荷大社以外は、佐賀の祐徳稲荷神社や愛知の豊川稲荷などいくつもの稲荷が三大稲荷とうたっていてはっきりと決まっているわけではありません。 到着は9時半ごろでまだ朝早いからか人はまばら。 菊の名所で10月中旬から11月末にかけて菊まつりが開催されるらしいので、いつかその時期にまた訪れたいです。 おみくじは小吉。前回は鹿島神宮で引いた人生初の凶だったので、上り調子ということだろうか。仕事がうまくいっていないということだが、そういう認識はないので、しばらく気をつけて丁寧に仕事をしていきたい。 午前中他のスポットを回ったあと、この日は猛暑でこれ以上外を回るのは危険だと感じたので、茨城県陶芸美術館で昼を食べたあと水戸経由で帰りました。 旅程 都内 ↓(電車約2時間半) 笠間駅 ↓(徒歩約20分) 笠間稲荷神社 ↓(徒歩) 笠間日動美術館 ↓(徒歩) 笠間つつじ公園 ↓(徒歩 かなり遠い) 茨城県陶芸美術館 / 昼食 ↓(徒歩) 笠間駅 周辺のスポット 笠間日動美術館 笠間つつじ公園 茨城県陶芸美術館 地域の名物 笠間焼 結城紬 関連スポット 伏見稲荷大社 祐徳稲荷神社 豊川稲荷 リンク 笠間稲荷神社 笠間稲荷神社 | 観光いばらき公式ホームページ

カシマサッカーミュージアム:地方都市・鹿嶋で味わう、スポーツと歴史の散歩道

城県鹿嶋市にあるカシマサッカーミュージアムを訪れました。目的は鹿島神宮への参拝でしたが、その帰り道、せっかく鹿嶋市まで来たのだからと足を伸ばしてみることにしたのです。 カシマサッカーミュージアムは、鹿島アントラーズのホームであるカシマサッカースタジアムの中に位置しています。鹿島神宮から歩いて向かう道すがら、遠くに見えてくるスタジアムの大きな姿が印象的でした。普段、サッカーの試合が開催される日は、きっと多くのサポーターでにぎわうのでしょうが、この日は特にイベントもなく、スタジアム周辺も人影はまばら。地方都市らしい静けさが漂い、どこか非日常の雰囲気を味わえました。 ミュージアムの中も来館者は少なく、ゆったりと展示を見て回ることができました。入り口では、Jリーグ黎明期を象徴するジーコの大きな写真が来場者を迎えてくれます。1990年代、Jリーグが誕生した頃、よくテレビでサッカー中継を観ていた私には懐かしい光景です。 館内には歴代のボールやユニフォーム、シューズなどが展示され、サッカーファンでなくとも日本サッカーの歩みを感じることができます。最近はあまりサッカーの試合を観ていませんでしたが、展示の中には見覚えのある選手の名前や顔も多く、思わず足を止めて見入ってしまいました。 ミュージアムを見学した後は、スタジアムの観客席にも立ち寄ることができました。誰もいない広々としたスタジアムを静かに眺めていると、ここで繰り広げられる数々のドラマや歓声が、少しだけ感じられるような気がします。日常の喧騒から離れた静かな時間の中で、スポーツの持つ熱気や歴史の重みが静かに心に残りました。 なお、サッカーの試合がない日は、スタジアム周辺の交通機関も運行していないことが多いようです。そのため、帰りは鹿島神宮まで少し遠い道のりを、のどかな地方の風景を楽しみながら歩いて戻りました。人の少ない静かな鹿嶋の町を歩くことで、都会とは違う空気や時間の流れを味わうことができた一日でした。 カシマサッカーミュージアムは、サッカーに詳しくなくても、地域の歴史や文化、そしてスポーツが持つ力を感じられる場所です。鹿島神宮とあわせて訪れることで、より深く鹿嶋の魅力を知ることができるのではないでしょうか。 旅程 (略) ↓(徒歩) 水郷潮来あやめ園 ↓(徒歩) 潮来駅 ↓(JR鹿島線) 鹿島神宮駅 ↓(徒歩) 塚原ト伝生誕の...

鹿島神宮:鹿が導く参道、ボールが躍る街、凶を結んで道ひらく

午前中に水郷潮来あやめ園の静かな水辺を歩き、午後は鹿嶋市へ移動して鹿島神宮に向かいました。 鹿島神宮駅から参道へ向かう途中、「塚原卜伝生誕の地」の案内と、凛々しい卜伝の銅像に出会います。戦国期の剣豪がこの地に生まれ、のちに“鹿島の武神”と結びついた剣術を大成したと思うと、参拝前から背筋が伸びました。 駅周辺にはアントラーズを思わせるサッカーボールの石像や鹿のモチーフも見かけ、街全体が神社とサッカーの気風でつながっていると感じます。 朱色の楼門をくぐると、空気が一段ひんやりと変わりました。鹿島神宮は東国随一の古社で、御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。古くから武の守護神として崇敬されてきました。 現在の社殿群は江戸初期の造営が核になっており、家康が関ヶ原戦勝の奉謝として1605年に造営(のち奥宮本殿へ)。続いて二代・秀忠が1619年に現在の本殿を再建、さらに水戸藩祖・徳川頼房が1634年に楼門を寄進しています。楼門は高さ約13メートル、日本三大楼門の一つで重要文化財です。 参道の砂が柔らかく、両脇の杉が高くそびえ、境内全体が森のように広がっていました。公式案内によれば、境内地は東京ドーム15個分に及び、御手洗池や鹿園など見どころが点在します。時間の流れがゆるむようで、都会の喧騒をすっかり忘れます。 まずは大きな鳥居をくぐっておみくじを。結果は人生初の「凶」。仕事も健康も順調な今こそ気を引き締めよう、と軽く笑いながら結び所に結びました。 拝殿で手を合わせ、さらに奥へ。静けさの中に人の往来が絶えず、古社ならではの息づかいを感じます。 奥宮のあたりは、江戸の将軍家の庇護を物語る建築が続き、歴史と信仰が重なり合う濃密な一角でした。 そこから林間の小道をたどって「要石(かなめいし)」へ。地中深くまで伸びるとされる霊石で、武甕槌が地震を起こす大鯰(なまず)を鎮めるという伝承で知られます。鹿島の要石は“凹”、対をなす香取神宮は“凸”という言い伝えもあり、東国の大地を押さえる要(かなめ)の物語に思いを馳せました。 境内では松尾芭蕉の句碑にも足を止めました。芭蕉は1687年に鹿島詣でを記し、『鹿島紀行』として残しています。森の匂いに混じって、旅の余韻のような静けさが漂っていました。 そして鹿園へ。奈良と縁の深い“神鹿”が今も大切に守られ、参道の喧騒から一歩離れた小さな聖域のよ...

塚原ト伝生誕の地:鹿島神宮への道すがら出会った剣聖のまなざし

鹿島神宮を目指して鹿島神宮駅を出て歩き始めると、思いがけない出会いがありました。駅から神社へ向かう道の途中、「剣聖 塚原卜伝生誕之地」と書かれた大きな看板と、公園の一角に立つ堂々とした卜伝の像が目に入ったのです。目的地はあくまで鹿島神宮でしたが、戦国時代の剣豪として名前だけは知っていた人物ゆかりの場所に偶然行き当たったことがうれしく、足を止めて眺めていきました。 石像の卜伝は、両手で刀の柄に手を添え、静かにこちらを見つめていました。実際の顔立ちは分からないものの、「生涯無敗」とも伝わる剣士にふさわしい、隙のない立ち姿です。周囲には生誕地を示す石碑もあり、駅前の住宅や車の往来を背景にしながらも、この一角だけ時間が少しだけ戦国時代にさかのぼったような、不思議な空気をまとっていました。 案内板などによると、塚原卜伝は延徳元年(1489年)、常陸国一之宮である鹿島神宮の神職・卜部家の次男として生まれ、のちに沼尾の塚原城主・塚原安幹の養子となったとされています。幼いころから実父からは「鹿島の太刀」、養父の系統からは天真正伝香取神道流を学び、その二つの流れを統合して「鹿島新當流(鹿島新当流)」を開いた人物です。十代で廻国修行に出て各地の武士と立ち会い、のちに三度の修行でおよそ生涯の半分近くを旅と鍛錬に費やしたともいわれています。 修行を終えて鹿島に戻った卜伝は、鹿島神宮に千日籠もって精神修養に励み、その中で自らの剣の到達点ともいえる「一之太刀」を会得したと伝えられます。この太刀は「国に平和をもたらす剣」とされ、卜伝は「剣は人を殺める道具ではなく、人を活かす道である」という考えのもと、将軍足利義輝や多くの大名たちにも剣を教えました。戦乱の世にあっても平和を志向したその姿勢が、彼を「剣聖」と呼ばせた所以なのだろうと想像します。 ネットで調べてみると、鹿嶋市内には卜伝の墓が梅香寺にあり、そちらも「パワースポット」として知られているようです。ただ、今回はあくまで鹿島神宮への参拝が主目的で、墓所は市内の別の方向にあるため、時間的に足を伸ばすのは断念しました。それでも、生誕の地に立つ銅像だけでも、鹿島の地と卜伝のつながりを実感するには十分でした。 こうして「塚原卜伝生誕の地」は、鹿島神宮への道すがらふと立ち寄った小さな寄り道となりました。しかし、その寄り道のおかげで、鹿島という土地が単に古...

筑波山:二峰に礼を、足元に慎重を、登山装備は心構え

八月の盛り、筑波山に出かけました。 まずは麓の筑波山神社に参拝し、気持ちを整えてからケーブルカー乗り場へ向かいます。いつもの散歩の延長のつもりでジーンズ姿でしたが、周りは本格的な登山装備の方が多く、少し場違いだったかなと思っていると、切符売り場で「女体山駅まで行けなくて戻る方も多いですよ。返金はできませんが大丈夫ですか」と念を押されました。覚悟を決めて、上りはケーブルカー、下りはロープウェイのセット券を購入し、そのまま急勾配を上るケーブルカーに乗り込みました。 山頂駅に着くと、涼やかな風とともに視界が開け、筑波山神社の男体山御本殿に手を合わせます。筑波山は二峰からなる山で、男体山と女体山にそれぞれ御本殿があり、古くは伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る山として信仰を集めてきました。『万葉集』にも歌われた名山で、男女一対の峰に夫婦和合や豊穣の祈りが重ねられてきたことを思うと、社殿の朱色がいっそう印象深く見えます。 ここからが本番です。ロープウェイの女体山駅を目指して、岩だらけの尾根道を進みます。切符売り場の方の言葉どおり、想像以上に急で、両手を軽く使う場面もありました。 途中で有名なガマ石を見つけると、口のかたちがなるほどガマらしく、昔からここで売られた「ガマの油売り口上」の面影まで浮かんでくるようでした。 距離は長くないので、呼吸と足運びを整えながら進むと、体感で三十分ほどで女体山駅に到着しました。女体山御本殿にも参拝し、二峰それぞれに手を合わせられたことに小さな達成感を覚えます。 下りはロープウェイでつつじヶ丘へ。改札で子どもが切符を切ってくれる小さなサプライズがあり、イベントだったのか常設の体験だったのかは分からないものの、旅の一場面として心が和みました。 つつじヶ丘駅の周辺には、今は使われていない遊具がぽつりぽつりと残り、昭和の行楽地の記憶が風に揺れているようでした。かつては家族連れでにぎわったのだろう景色に、時の流れを感じます。 ガマ大明神の前で記念写真を撮り、ちょうど昼時になったので軽く食事を済ませ、東京へ戻りました。 軽装でも行けるだろうと高をくくっていた自分への警鐘と、山から受け取ったご褒美が同居する一日でした。歴史と信仰の山は、ケーブルカーやロープウェイで気軽にアクセスできる一方で、山頂の岩稜はやはり山らしい厳しさを持っています。次はもう少し装備を整え、双耳峰の...