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紀伊風土記の丘:悠久の時を感じる古墳の丘

今日は、和歌山県の紀伊風土記 (きいふどきのおか) の丘にある天王塚古墳(てんのうづかこふん、天王塚山古墳)の石室公開に当選したため、日帰りで和歌山に来ました。 和歌山県立紀伊風土記の丘は、1971年8月に開館した和歌山県が運営する博物館施設で、主に考古学と民俗学に基づく資料の保存・研究・公開を目的としています。 この施設は、国の特別史跡である「岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)」の保全と活用を目的に設立され、和歌山市郊外の標高約150mの丘陵地に位置しています。敷地面積は約65ヘクタールにも及び、園内には大小約400~500基の古墳が点在しており、歴史的なロマンを感じられる場所です。 和歌山県立紀伊風土記の丘の館内には、古墳から出土した埴輪や陶磁器、民具など、古代から中世にかけての貴重な考古資料が展示されています。特に、ここでしか見ることができない「翼を広げた鳥形埴輪」や「両面人物埴輪」などは、古代の人々の生活や信仰を知る上で重要な手がかりとなっており、考古学ファンにとっては必見の展示です。 館舎は、松下幸之助氏の寄付を受けて建設されました。弥生時代の高床倉庫を模したデザインが特徴的で、外壁には近隣の古墳の石室に使用される「青石」が使われています。歴史的な趣を感じさせる外観は、博物館でありながらも、まるで古代の世界にタイムスリップしたかのような気分にさせてくれます。 広大な園内では、実際に公開されている古墳も複数あり、内部に入ることができる古墳もあります。これにより、古代の埋葬文化や当時の技術を体験的に学ぶことができ、訪れる人々に新たな発見を提供しています。 また、館舎の麓には、国や県指定の重要文化財に指定された移築民家集落や、万葉集に詠まれた植物を楽しめる万葉植物園が整備されています。 四季折々の自然と歴史が融合した環境の中で、散策を楽しむことができ、特に春の桜や秋の紅葉の時期には、多くの訪問者で賑わいます。 和歌山県立紀伊風土記の丘では、年に4回開催される企画展や特別展も魅力の一つです。さらに、埴輪や勾玉づくりなどの体験イベントも行われており、家族連れや学校・団体での見学にも人気です。特に体験イベントでは、古代の人々の文化に触れ、自分だけの作品を持ち帰ることができるため、大人も子供も一緒に楽しめる内容となっています。 施設のアクセスも良好で、和歌山市の...

加曽利貝塚:貝殻が語る歴史物語、縄文文化の魅力

千葉市埋蔵文化財調査センターの特別展「貝と人」を見れたので、貝塚の特別史跡の加曽利貝塚(かそりかいづか)に行くことにしました。 加曽利貝塚は、千葉県千葉市若葉区に位置する、日本最大級の縄文時代の貝塚です。この遺跡は、約7000年前から3000年前にかけての縄文時代中期から後期に形成されたもので、特にその規模の大きさと保存状態の良さから、2017年(平成29年)に国の特別史跡に指定されました。縄文時代の暮らしや文化を知るうえで、非常に貴重な場所となっています。 加曽利貝塚の大きな特徴の一つは、二つの環状貝塚「北貝塚」と「南貝塚」が存在することです。環状貝塚とは、貝殻が円を描くように積み上げられたもので、当時の人々の集落跡として考えられています。北貝塚は直径約140mのドーナツ型で、南貝塚は長径約190mの馬蹄型(ばていがた。馬のひづめの形)で、日本最大級の大きさです。貝殻のほかにも、魚や動物の骨、土器、石器、装身具など、多くの遺物が出土しており、これらは当時の生活様式や食文化、さらには信仰や社会構造を探る手がかりとなっています。 特に加曽利貝塚からは、イボキサゴ、ハマグリやアサリなどの貝が多く見つかっています。これらの貝類は、海や川から得られたものであり、縄文人たちが自然の豊かな食資源を上手に活用していたことがうかがえます。また、出土した土器や石器も、独自のデザインや技術が施されており、縄文文化の豊かさを実感できます。 加曽利貝塚を訪れる際には、併設されている「加曽利貝塚博物館」も見逃せません。この博物館では、貝塚から出土した数々の遺物が展示されているほか、縄文時代の生活を再現した展示も楽しめます。実際に土器作りや火おこし体験ができるワークショップも開催されており、大人から子どもまで、体験を通じて学べる貴重な機会となっています。 また、野外展示エリアには、縄文時代の住居である「竪穴住居」を復元したスペースがあります。当時の人々がどのような空間で暮らしていたのか、実際に目で見て体感することで、より深く歴史に触れることができます。定期的に行われる体験プログラムも人気で、地域の歴史や文化を楽しく学べるイベントとなっています。 加曽利貝塚へのアクセスは、千葉都市モノレールの「桜木駅」から徒歩で約15分ほどです。車で訪れる場合も、駐車場が完備されているので安心です。また、千葉市...

さきたま古墳公園:悠久の眠りに寄り添う、金錯銘鉄剣に刻まれた謎

本日は、埼玉県の行田市に来ています。古墳をメインに、忍城あたりを探索しました。バスの本数も多いわけではなさそうなので、全部徒歩で廻りました。忍城、水城公園へ行ったあと、さきたま古墳公園へ向かいました。 埼玉県行田市に位置するさきたま古墳公園は、古代日本の歴史を肌で感じることができる特別な場所です。この地には5世紀から7世紀に築かれたとされる大型の前方後円墳を中心に、大小さまざまな古墳が点在しています。特に有名なのは、国の特別史跡に指定されている「稲荷山古墳」で、ここからは金錯銘鉄剣と呼ばれる歴史的に非常に重要な鉄剣が出土しました。この鉄剣には、当時の支配層の名前や出来事が刻まれており、日本古代史の謎を解く鍵とされています。 公園内は広々とした緑地に整備され、訪れる人々は、古墳の周囲を散策しながら悠久の時に思いを馳せることができます。春には桜が咲き誇り、古墳群とピンク色の花々が織りなす美しい景色が広がり、多くの人々がカメラを手に訪れます。また、公園内には「さきたま史跡の博物館」が併設されており、出土品や古墳時代の生活を紹介する展示を見ることができます。特に稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣の実物展示は見逃せません。この日は残念ながら改築中で将軍山古墳に併設されている展示館のみ見学しました。 古墳群を眺めながら芝生の上でのんびりと過ごすもよし、博物館でじっくりと古代史に触れるもよし、それぞれのスタイルで楽しめるのがさきたま古墳公園の魅力です。周辺には「行田市郷土博物館」や「足袋とくらしの博物館」など、行田の歴史や文化に触れられる施設もあり、併せて訪れるとさらに深い理解が得られるでしょう。 静かな公園内を歩いていると、現代とは異なる時の流れを感じ、古代の人々の営みに思いを馳せるひとときが訪れるはずです。歴史好きの方はもちろん、自然の中でゆっくり過ごしたい方にもおすすめの場所です。 稲荷山古墳出土鉄剣 稲荷山古墳は、5世紀後半に築かれたと考えられる前方後円墳です。この古墳が全国にその名を知られるようになったのは、1968年(昭和43年)に行われた発掘調査で、驚くべき出土品が発見されたことによります。それが、後に「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」と呼ばれるようになった鉄剣でした。 この鉄剣は、見た目こそ地中に長い間眠っていたことによる錆びが目立ちますが、X線撮影によって刃...

登呂遺跡:日本初の弥生時代の水田跡が発見された遺跡で弥生人の足跡をたどる

本日は、三保松原と登呂遺跡(とろいせき)を見学に静岡に来ました。同じ静岡市ですが、結構離れています。静岡駅で昼食をとったあと、登呂遺跡へ向かいました。 登呂遺跡は、静岡県静岡市駿河区にある弥生時代後期の集落遺跡です。日本の弥生時代を語る上で欠かせない遺跡のひとつとして知られています。発見されたのは1943年(昭和18年)のことで、当時、軍需工場の建設が進められている最中に偶然見つかりました。その後の発掘調査によって、弥生時代の人々が暮らしていた住居や、稲作を行っていた水田跡などが明らかになりました。 登呂遺跡の最大の特徴は、日本で初めて弥生時代の水田跡が発見されたことです。用水路や田植えの跡が残っており、稲作を中心とした人々の暮らしがうかがえます。また、集落内には竪穴住居や高床倉庫があり、弥生時代の生活様式を具体的に知ることができます。これらの発見は、当時の稲作文化がどのように広まり、発展していったのかを考える上で非常に重要な手がかりとなりました。 現在、登呂遺跡は「登呂遺跡公園」として整備されており、復元された住居や水田を見ることができます。弥生時代の風景をそのまま再現したような光景が広がっており、訪れる人々に当時の生活を想像させてくれます。また、遺跡の隣には「静岡市立登呂博物館」があり、発掘された土器や石器、農具などが展示されています。ここでは、弥生時代の暮らしに関する詳しい説明があり、知識を深めることができます。 博物館では、火起こしや土器作りなどの体験プログラムも用意されており、実際に弥生時代の生活を体験することができます。子どもから大人まで楽しめる内容となっており、歴史を身近に感じることができるのが魅力です。 静岡市を訪れる際には、登呂遺跡に立ち寄ってみるのもおすすめです。日本の古代史に触れ、弥生時代の人々の暮らしを体感することで、歴史の奥深さを改めて実感できるでしょう。 旅程 東京 ↓(新幹線) 静岡駅 ↓(JR東海道本線) 清水駅 ↓(バス) 御穗神社 ↓(徒歩) 三保松原 ↓(バス) 清水駅 ↓(JR東海道本線) 静岡駅 ↓(バス) 登呂遺跡 ↓(バス) 静岡駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 おでん粉:おでんにかけてもご飯にかけてもおいしい 関連スポット リンク 静岡市立登呂博物館 国指定特別史跡 登呂遺跡:静岡市公式...

大阪城:石垣に刻まれた失われた栄華と豊臣秀吉の夢、天下人の記憶が眠る再生の城

今日は大阪市に来ました。いくつか見たいポイントがあり、若干距離が離れているので、テンポよく廻りたいと思っています。まず、大阪城公園にある大阪城(おおさかじょう / 大坂城)に来ました。 大阪を訪れるなら、やはり一度は足を運びたいのが「大阪城」です。大阪城は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって築かれた、日本を代表する名城のひとつです。1583年(天正11年)、天下統一を進める秀吉が、自らの権威を示すためにこの地に壮大な城を築き始めました。その規模は当時としては破格で、全国から集められた巨石によって組まれた石垣や、広大な堀は、まさに天下人の威光を感じさせるものです。 しかし、栄華を誇った豊臣家も、大坂の陣によって滅亡してしまいます。1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大阪城は落城し、豊臣家は歴史の表舞台から姿を消しました。その後、徳川幕府の二代将軍・徳川秀忠によって再建が進められ、現在私たちが目にする城郭の多くは、このときの再建によるものです。 現在の天守閣は、1931年(昭和6年)に市民の寄付によって鉄筋コンクリートで再建されたもので、外観は五層、内部は八階建てとなっています。館内は歴史博物館として整備されており、豊臣秀吉にまつわる資料や甲冑、屏風絵などが展示されています。 最上階の展望台からは、大阪市内を一望することができ、晴れた日には遠くまで見渡せて、とても気持ちの良い場所です。 天守閣を囲む大阪城公園もまた、訪れる人にとって大きな魅力です。春には桜が咲き誇り、多くの花見客でにぎわいます。梅林も整備されており、早春には可憐な梅の香りが漂います。また、敷地内には大阪城ホールという大型イベント会場もあり、コンサートやスポーツイベントなどが開催されるなど、市民にとっても憩いと楽しみの場となっています。 アクセスも非常に良く、JR大阪環状線の「大阪城公園駅」や「森ノ宮駅」から徒歩で行くことができます。観光で訪れる際には、天守閣だけでなく、公園内をのんびりと散策するのもおすすめです。季節によっては、ライトアップイベントやプロジェクションマッピングも行われており、昼と夜で違った魅力を楽しむことができます。 歴史と現代が共存する大阪城は、ただの観光地ではなく、日本人にとっての誇りや記憶を宿す場所でもあります。大阪を訪れた際には、ぜひこの城の物語に思いを馳せながら歩いてみてください...

東山慈照寺(銀閣寺):侘び・寂びの最高峰、東山文化の源流をたどる静寂の時間

下鴨神社などを参拝したあと、銀閣寺(ぎんかくじ/東山慈照寺/とうざんじしょうぜんじ)に来ました。 京都には数多くの歴史的な寺院が点在していますが、その中でも「銀閣寺」として広く知られる東山慈照寺は、侘び・寂びの美しさを象徴する場所として、多くの人々に親しまれています。 東山慈照寺は、室町幕府8代将軍・足利義政(あしかが よしまさ)が造営した山荘「東山殿」を、彼の死後に禅寺としたものです。義政の祖父・足利義満が建てた金閣寺(鹿苑寺)と対になる存在ですが、金閣寺のように豪華な金箔が施されているわけではありません。それにもかかわらず、その簡素で静謐(せいひつ)な美しさが、多くの人々を魅了し続けています。 銀閣寺の中心となる建物は、国宝にも指定されている「観音殿」です。観音殿は二層構造になっており、一階は書院造、二階は禅宗様式が取り入れられています。金箔を施した華やかな金閣寺に対し、銀閣寺は自然と調和した落ち着いた美しさを持ち、わび・さびの精神を体現しています。この控えめな趣こそが、東山文化の洗練された美意識を象徴しているのです。 庭園もまた、銀閣寺の魅力の一つです。池泉回遊式庭園で、特別史跡および特別名勝に指定されています。特に目を引くのが、白砂を波のように整えた「銀沙灘」と、その一角にある円錐形の「向月台」です。銀沙灘は水の流れを表し、向月台は月光を反射するように設計されているといわれています。これらの美しい砂紋は、見る人の心を静め、深い余韻を残します。 足利義政は、応仁の乱によって荒廃した京都の中で、政治から距離を置きながら東山文化を育みました。茶道、生け花、水墨画など、現在の日本文化の根幹をなす美意識がこの地で洗練されていったのです。そのため、銀閣寺は単なる寺院ではなく、日本の美学を語る上で欠かせない存在となっています。 京都を訪れる際には、ぜひ銀閣寺の静寂に包まれて、わび・さびの世界に浸ってみてはいかがでしょうか。華やかさを追求するのではなく、あえて質素な美を楽しむという日本独特の感性を体験できる場所です。銀閣寺の趣ある佇まいは、過去から未来へと受け継がれる日本文化の本質を伝えてくれることでしょう。 足利義政 室町幕府の第8代将軍である足利義政(あしかが よしまさ)は、日本史において大きな転換点となる時代を生きた人物です。彼の治世は、戦乱の時代の幕開けとなる応仁の...