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新島旧邸:京都の町なかで思いがけず出会った特別公開

京都文化博物館に行くために京都市に来たこの日、私は開館までの時間を使って京都御苑を歩いていました。ところが、京都御苑は思っていた以上に見どころが多く、閑院宮邸跡や京都御所、桂宮邸跡などを見て回っているうちに、気づけばかなりの時間が過ぎていました。少し急ぎ足で京都文化博物館へ向かっていた途中、ふと目に入ったのが「新島旧邸 特別公開中」という文字でした。その瞬間、「あの新島だろうか」と思って案内を見ると、やはり同志社の創立者として知られる新島襄の旧邸でした。まったく予定していなかった立ち寄りでしたが、こうした思いがけない出会いも旅の大きな魅力です。入り口のスタッフの方に尋ねると、毎週土曜日は特別公開の日で、建物の内部も見学できるとのことでした。ここまで予定以上に時間を使ってしまっていましたが、せっかくの機会なので見学することにしました。 新島襄は、明治時代の日本において近代的な教育の実現を目指した人物として知られています。海外で学び、キリスト教や欧米の教育思想に触れた新島襄は、帰国後に京都で同志社英学校を創立し、日本の新しい教育のあり方を切り開こうとしました。その新島襄が暮らした旧邸が、京都の町なかに今も残されていること自体、とても貴重なことだと思います。しかも、この建物は単なる住まいではなく、新しい時代の思想や暮らし方を映し出す場でもあったのでしょう。明治という、和と洋、伝統と近代が激しく交差した時代の空気を、建物そのものから感じ取ることができるように思えました。 最初に見た日本風の附属屋は、落ち着いた雰囲気の建物でした。展示品もありましたが、同志社社史資料センター所蔵資料のレプリカが中心だったようで、いつか訪れてみたいと思っていた資料センターの予習のような時間にもなりました。この附属屋は新島襄の両親のために建てられたものだそうで、そのことを知ると建物の見え方も変わってきます。新しい時代の教育を志し、西洋の知識を積極的に取り入れた新島襄ですが、その一方で家族を大切にし、日本的な暮らしの空間もきちんと用意していたことが伝わってきます。近代化というと、何かを一方的に捨てて新しいものに入れ替えるような印象を持ちがちですが、実際にはこうして古いものと新しいものを併せ持ちながら進んでいったのだろうと感じました。 続いて見学した母屋は洋風の造りで、附属屋とはまた違った魅力がありま...

京都御苑:桂宮邸跡:静かな邸宅跡に残る宮家の記憶

京都文化博物館に向かう前の時間を使って、京都御苑を歩きました。最初は開館までの時間つぶしのつもりでしたが、実際に歩いてみると見どころが多く、思いがけず長い時間を過ごすことになりました。閑院宮邸跡や京都御所を見たあと、さらに北へ進んで訪れたのが桂宮邸跡です。京都御苑の中でも少し奥まった場所にあり、整備された大きな道からやや離れているため、ガイドマップがなければ通り過ぎてしまいそうな、ひっそりとした場所でした。 桂宮家は、江戸時代に続いた宮家の一つで、もとは八条宮家として始まり、のちに桂宮家と呼ばれるようになりました。桂離宮とのつながりでも知られる家ですが、京都御苑に残るこの邸跡は、華やかな宮廷文化の一端を今に伝える場所でもあります。現在の京都御苑は、かつて公家町として多くの宮家や公家の屋敷が並んでいた空間であり、明治維新によって都が東京へ移ったあと、その広大な土地が整理され、今のような開かれた苑地になりました。御苑の中を歩いていると静かな公園のようにも感じますが、その一角一角には、かつての京都の政治と文化を支えた人々の暮らしが重なっています。 実際に桂宮邸跡に入ってみると、人の姿はほとんどなく、見かけたのは清掃の方くらいでした。観光客でにぎわう京都御所周辺とは少し空気が異なり、ここだけ時間の流れがゆるやかになっているように感じました。復元された建物はありませんが、地面には木材で建物の間取りが示されており、かつてそこに屋敷が存在していたことを静かに伝えています。建物そのものがなくても、空間の輪郭が示されるだけで、そこにどのような部屋があり、どのように人が行き来していたのかを想像できるのが興味深いところです。何もないようでいて、むしろ想像の余地が大きく開かれている場所でした。 また、庭園の名残と思われる場所もありましたが、水が流れるはずのところには何も流れていませんでした。連日の水不足の影響で止められていただけなのかもしれませんが、かつて宮家の邸宅として整えられていたであろう空間に、今は水音もなく、池も乾いたように見える風景には、どこかさみしさがありました。豪華な建物や華やかな庭が復元されていれば、きっと分かりやすく見栄えもしたのでしょう。しかし、間取りだけが残され、水のない庭が広がる今の姿だからこそ、失われた時間そのものに向き合う感覚がありました。栄華をそのまま再現する...

京都御苑:閑院宮邸跡収納展示館:公家の世界を予習してから歩く京都御苑散策

京都文化博物館に行く予定で京都市に来たものの、開館まで少し時間がありました。せっかくなら京都らしい場所で朝の空気を吸いたいと思い、京都駅から京都御苑へ向かいます。南西側から入るとすぐ、落ち着いた佇まいの建物が目に入りました。そこが「閑院宮邸跡収納展示館」です。京都御苑全体の案内所になっていると知り、ガイドマップでももらってから園内を歩こう、と軽い気持ちで立ち寄りました。 ところが中に入った瞬間、「これは案内所というより、小さな博物館だな」と印象が変わりました。展示の射程が、京都御苑の地図や見どころ紹介だけに留まらないのです。公家とは何か、公家町はどのように成り立ち、どんな屋敷が並んでいたのか、宮廷の年中行事や文化、楽器、庭園の見方まで、基礎から丁寧に立ち上げてくれます。日本人の自分でさえ「なんとなく知っているつもり」で曖昧だった輪郭が、資料と解説によって少しずつはっきりしていく感覚がありました。京都を“古都”として眺めるだけでなく、その古都を日々の生活として支えた人々の制度や文化が、現代の目線で噛み砕かれているのがありがたかったです。 「閑院宮邸跡」と名が付いている通り、この場所はもともと閑院宮家ゆかりの地です。ただ、いま目の前にある建物は、記録上は明治期に宮内省の京都支庁として建てられたものとされ、過去の火災で失われた旧邸の“そのままの姿”が残っているわけではないようです。それでも、部材の一部に旧邸由来と推定されるものがある、という説明を読むと、時間の層が一気に厚くなります。江戸時代の四親王家の一つとしての閑院宮家の歴史や、建物が改修されながら今日まで使われてきた経緯を知ると、展示館そのものが「史料」になっているように感じられました。 さらに面白かったのは、歴史展示と自然展示が同じ建物の中で違和感なく共存しているところです。京都御苑は、かつて御所を中心に公家屋敷が立ち並ぶ「公家町」でしたが、明治維新と東京遷都の後に急速に荒廃し、そこから保存と整備の事業を経て、現在のような緑の公園としての姿が形づくられてきました。つまり御苑の自然は「昔からそこにあった森」でもありつつ、「歴史の転換点で整え直された都市の緑」でもあります。展示館の中で、樹木や生き物、管理の考え方にまで踏み込んだ解説を見ていると、御苑がただの散歩コースではなく、長い時間をかけて維持されている“文化的な自...

本居宣長記念館/鈴屋:松阪城で出会う、江戸の知と学びの世界

三重県松阪市にある本居宣長記念館に行きました。 この日は朝から斎宮で、博物館や復元史跡などを見ていました。斎宮では、古代の制度や伊勢神宮との関わりを学ぶことができ、かなり充実した時間を過ごしましたが、まだ少し時間があったため、そのまま近くの松阪市まで移動することにしました。地図を見ると松坂城が駅の近くにあり、その周辺にも見どころが集まっていたので、御城番屋敷、本居宣長ノ宮、松阪神社に立ち寄りながら、目的地である本居宣長記念館に向かいました。 本居宣長という名前は、歴史の授業などで聞いた記憶があり、なんとなく学問の神様のような存在という印象も持っていましたが、実際に何をした人物なのかはよく知りませんでした。そのため、今回の見学は、名前だけ知っている人物の実像に触れるよい機会になりました。 本居宣長記念館は、展示を行う博物館と、本居宣長が暮らした旧宅「鈴屋」から成っています。まずは博物館から見学しました。館内に入って最初に見た紹介映像がとても分かりやすく、そこで本居宣長の最大の業績が『古事記伝』であることを知りました。『古事記伝』は、日本最古の歴史書のひとつである『古事記』を長年にわたって読み解き、注釈を加えた大著です。江戸時代には中国の思想や仏教の影響を受けた学問が広く行われていましたが、宣長はそうした外来の思想を通してではなく、日本の古典そのものに立ち返って日本人の心や感性を探ろうとしました。その姿勢は国学を代表するものとして知られており、後世にも大きな影響を与えています。 また、映像の中で印象に残ったのが、宣長の旧宅である鈴屋が、現代で言うサロンのような場になっていたという話でした。学問というと、机に向かって一人で静かに研究するイメージがありますが、実際には人が集まり、語り合い、学び合う場所でもあったことが分かります。江戸時代の地方都市に、そのような知的交流の場が存在していたと思うと、とても興味深く感じました。 二階の展示室へ向かう途中には、宣長が十七歳ごろに描いたという「大日本天下四海面図」のコピーが展示されていました。若いころにこれほど大きな視野で日本を捉えようとしていたことに驚かされます。しかも、単なる思いつきではなく、地理や世界への関心が早くから育っていたことが感じられました。二階には本物も展示されており、若き日の知的好奇心の強さを実感しました。 展示室で...

御城番屋敷:松阪城を支えた武士たちの暮らし

三重県松阪市にある御城番屋敷を訪れました。この日は朝から斎宮周辺を巡り、斎宮跡や博物館、復元された施設などを見学して古代の歴史に触れていました。まだ少し時間があったため、近くの松阪市まで移動し、本居宣長記念館に向かうことにしました。城下町として知られる松阪の町を歩いていると、その途中に御城番屋敷があり、せっかくなので立ち寄ってみることにしました。 御城番屋敷は、江戸時代に松坂城を守る武士たちが暮らした武家屋敷で、城の警備を担った紀州藩士の住まいでした。松坂城は、戦国時代末期に蒲生氏郷によって築かれた城で、その後は紀州徳川家の支配下に入り、紀州藩の重要な拠点の一つとなりました。御城番屋敷は江戸時代後期の文久年間(1860年代)に建てられた長屋形式の武家住宅で、城を守る役目を持つ武士たちがここに集団で暮らしていたと伝えられています。現在でも当時の町並みがよく残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれています。 通りに入ると、整然と続く武家屋敷の長屋が目に入ります。低い建物が連なる独特の景観で、石畳の道の両側には丁寧に整えられた生垣が続いていました。植物の塀の向こうには桜の木も見え、この日はまだ2月でしたが、温暖な気候の影響なのか、いくつかの花がきれいに咲いていました。歴史ある武家屋敷の景観と早咲きの桜の組み合わせは、少し不思議な季節感でしたが、静かな町並みの中でとても印象的な風景でした。 屋敷の一部は内部を見学できるようになっており、建物の構造や当時の暮らしを紹介する展示がありました。畳敷きの部屋や縁側などは質素ながら落ち着いた雰囲気で、城を守る武士たちの日常を想像させます。また、この屋敷は映画のロケ地としても使われており、実写映画「るろうに剣心」の撮影が行われた場所として紹介されていました。館内には俳優や撮影風景の写真が展示されており、作品の舞台の一部として利用されたことが分かります。 「るろうに剣心」といえば、学生のころに漫画を読んだ記憶がありますが、実写映画になっていることはこのとき初めて知りました。館内ではファンと思われる家族が説明員の方に撮影の様子などを熱心に質問しており、映画の舞台として訪れる人も多いのだろうと感じました。歴史的な武家屋敷と現代の映画文化が交差する場所というのも、なかなか興味深いものです。 静かな通りをゆっくり歩きながら屋敷の内部...

開成館:主役はまさかの工事中、官舎から入植者住宅へ、建物のサイズで読む明治のくらし

郡山に来た目的は、郡山市歴史情報博物館の特別展と、もう一つは開成館でした。ところが朝いちばんで入った博物館が、特別展も常設展も思った以上に濃くて、気づけば予定を大幅にオーバーしていました。昼過ぎにようやく開成館へ向かった私は、少し急ぎ足のまま「今度は短時間でさらっと……」と自分に言い聞かせていたのですが、入口で最初に目に入ったのは、「開誠館は復旧工事中」という文字でした。 開成館本館は、福島県沖地震での被害と老朽化への対応として、耐震補強を含む改修が進められており、工事は2025年1月開始、2028年7月完了、展示リニューアル後に2028年中の再開館予定だそうです。とはいえ、敷地内の「旧立岩一郎邸」「旧坪内家」「旧小山家」は公開されていると知り、せっかく来たのだからと、今日は“本館の代わりに旧家を読む日”に切り替えることにしました。  最初に入ったのは旧立岩一郎邸です。「福島県開拓掛」の職員用官舎として、いわゆる「一番官舎」に当たる建物だと説明されていました。開拓に関わる“役所の家”という性格が最初からはっきりしていて、玄関をくぐった瞬間に、生活の場でありながら同時に仕事の延長線上でもあった空気が伝わってきます。展示は安積疏水関連が中心で、映像やパネルがこれでもかと並び、狭い空間が情報で満たされていました。急な階段を上がると、昔の家らしい角度と踏み幅で、足元に意識が持っていかれます。見学というより、当時の生活のテンポに身体のほうが合わせに行く感覚でした。ちなみにこの官舎には、安積疏水の着工式(1879年)に出席した伊藤博文や松方正義が宿泊したという話も伝わっているそうで、家のスケール感と「ここに要人が泊まった」という事実のギャップが、かえって明治の現場感を強くしました。 次に見たのが旧坪内家です。鳥取から入植した「鳥取開墾社」の副頭取、坪内元興の住宅で、入植者住宅としては最上級の“規格住宅(雛形)”をもとに建てられたと紹介されていました。旧立岩一郎邸が「行政の家」だとすれば、旧坪内家は「開墾を進める側の拠点の家」という印象です。糸車が置かれていたのが目に留まりました。副頭取という肩書きからすると、いかにも生活道具らしいものがあるのは少し意外で、もしかすると家の中の労働がとても身近だったのか、あるいは家族や手伝いの人を含めた暮らしの厚みがあったのか、と想像が膨...

旧朝倉家住宅:和の基調に西洋の便利さを一滴

渋谷・代官山の高台にある旧朝倉家住宅を訪ねました。最初は大名屋敷のような江戸の威容を想像していましたが、実際に足を踏み入れると、大正の空気をそのまま包み込んだ住まいでした。都市が急速に近代化した時代に、地域の名望家が暮らした屋敷で、武家の記憶と新しい生活様式が穏やかに同居しています。 主屋は和洋折衷のつくりで、中心は畳敷きの日本間です。ふすまや棚には豪奢になり過ぎない、けれど手の込んだ意匠が施され、日常の所作の中でふと目が留まる上品さがありました。 茶室も備わり、客を招き四季を愛でる時間がここに息づいていたのだろうと想像します。 一方で、トイレや会議室は洋式で、洋間も一部に限って取り入れられていました。華族や財閥の社交を想定した過剰な洋化ではなく、必要な機能を最小限に導入した実用本位の近代化が、この家の性格をよく表しています。 庭は、最初に「池が見当たらない」と思いましたが、地面に沿って水が通った痕跡のような溝が延び、かつての遣水を思わせます。敷地は想像以上に起伏があり、ゆったり散歩というより軽いハイキングの趣きでした。斜面に沿って植栽が段々に続き、立ち位置が変わるたびに景色が切り替わっていきます。渋谷の谷地形を活かした庭づくりは、静けさと動きの両方を感じさせ、都会の真ん中にいることを忘れさせてくれます。 畳の弾力や木の匂い、障子越しのやわらかな光に包まれていると、和の暮らしの基調を大切にしながら、必要なところだけ西洋の利便を借りた大正の感覚が自然と伝わってきます。大名屋敷の壮大さとは別の、生活に根ざした美しさ。派手さではなく、毎日の使い心地のよさを磨き上げた結果としての上質さに、静かな説得力がありました。 家を出るころには、「豪華絢爛」ではなく「ていねい」という言葉が心に残りました。歴史は教科書の出来事だけでなく、暮らしの積み重ねの中にも息づいている――旧朝倉家住宅は、その当たり前の事実を、木の手触りと斜面の足ざわりで教えてくれる場所でした。 旅程 代官山駅 ↓(徒歩) 旧朝倉家住宅 ↓(徒歩) 代官山駅 リンク 重要文化財 旧朝倉家住宅 | 重要文化財 旧朝倉家住宅 | 渋谷区ポータル