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阮朝王宮:ベトナム最後の王朝、阮朝王宮の魅力

本日はフエ観光の日で、6:30という早朝にホテルのロビーに集合し、ダナン駅までバスで向かい、そこから観光列車に乗ってフエまで移動しました。並行して、バスもフエに移動しており、フエで同じバスに乗り込み、昼食を取るためレストランに移動しました。昼食は宮廷料理でした。 その後、バスで阮朝王宮(グエンちょうおうきゅう)に向かいました。 ベトナム中部のフエ市にそびえる阮朝王宮。この壮大な建築物は、ベトナム最後の王朝である阮朝(1802年–1945年)の中心地として栄えました。歴史と文化の融合が見られるこの場所は、現在も多くの人々を魅了しています。 阮朝王宮の建設は、初代皇帝である嘉隆帝(ザー・ロン帝)の時代に始まりました。1804年に着工され、約27年という長い年月をかけて完成しました。この宮殿は、中国の紫禁城をモデルにして設計されており、広大な敷地内に行政機関や皇帝の住居、宗教施設が配置されています。王宮全体が風水の理念に基づき、慎重に計画されている点も特筆に値します。 王宮の敷地は、外郭城(フン城)、皇城、紫禁城の三つのエリアに分かれています。外郭城は防衛の役割を果たし、その中に位置する皇城は行政や儀式が行われる場でした。 そして、さらに奥にある紫禁城は、皇帝とその家族のプライベートな居住空間として厳重に管理されていました。これらのエリアは、皇帝の権威とベトナムの宮廷文化を象徴しています。 特に注目すべき建物の一つが太和殿(タイホア殿)です。 この場所は、皇帝が公式な行事を行うための中心的な建物であり、その豪華な装飾と威厳ある雰囲気が訪れる人々を圧倒します。 また、午門も見逃せないポイントです。この門は、皇帝が儀式の際に通る唯一の通路であり、王宮のシンボルとも言える存在です。 特に異彩を放つのがキエンチュン宮殿(Kiến Trung Palace, 建中宮)です。歴史と文化が交錯するこの宮殿は、ベトナムの伝統と西洋建築が見事に融合した珍しい建築物でした。 キエンチュン宮殿が建設されたのは1921年から1923年の間のことです。第12代皇帝である啓定帝と第13代皇帝の保大帝の治世にわたって使用され、主に皇帝の住居として機能していました。保大帝はこの宮殿で日々の生活を送り、外交活動や重要な会議もここで行われました。当時のフランス植民地時代の影響を受けて建設されたこの宮殿は、ベ...

バッキンガム宮殿:ヴィクトリア女王から続く英国王室の象徴、王たちの足音を巡る

昨晩の年越しイベントを終えて、本日はロンドン市内の探索をすることにしました。まず、西のバッキンガム宮殿に向かいました。途中の公園では、散歩中の人、自転車に乗る人、寒い中オープンカーに乗る人たちから、Happy New Year! と声をかけられて、全然知らない人でもカジュアルに声を声を掛け合うのは良いなあ、と思いながら歩いていました。イギリス人はもうちょっとお堅い感じかと思っていました。 ロンドン中心部にそびえるバッキンガム宮殿は、イギリス王室の象徴として世界中の人々を魅了し続けています。荘厳な外観と気品あるたたずまいは、訪れる者に英国の伝統と威厳を強く印象づけます。現在では、チャールズ3世の公式なロンドンの住まいであり、英国王室の儀礼や国家行事の中心地でもあります。 その起源は18世紀初頭にさかのぼります。もともとはバッキンガム公爵の私邸として建てられた「バッキンガム・ハウス」でしたが、1761年にジョージ3世が王妃シャーロットのために購入したことで、王室の私的な住居としての歴史が始まりました。そして1837年、ヴィクトリア女王の即位とともに、正式に国王のロンドン公邸としての役割を担うようになったのです。 建物は新古典主義の優雅なスタイルで統一されており、外観の荘厳さだけでなく、内部の華麗な装飾も見どころのひとつです。宮殿には775の部屋があり、その中には国賓を迎えるためのステート・ルーム、王族の私室、職員のオフィスなどが含まれます。特にステート・ルームは、毎年夏に一般公開されており、王室コレクションの美術品や装飾、豪奢な家具などを間近で鑑賞することができます。 観光客にとって、バッキンガム宮殿といえば「衛兵交代式」がまず思い浮かぶことでしょう。正門前で行われるこの伝統的な儀式は、赤い制服と黒い熊毛帽子をかぶった衛兵たちが音楽に合わせて行進する華やかなイベントで、多くの人々がこの瞬間を一目見ようと詰めかけます。その背景には、国家と王室を守るという誇り高い任務が息づいています。 また、バッキンガム宮殿のバルコニーも有名です。王室の結婚式や戴冠式など、歴史的な出来事の際には、王族たちがこのバルコニーに姿を見せ、群衆の歓声に応える光景が繰り返されてきました。そこには、国民とのつながりを大切にする王室の姿勢が感じられます。 バッキンガム宮殿は単なる観光名所ではありません。...

トプカプ宮殿:イスラムとヨーロッパの交差点、スルタンの記憶が眠る宮殿でオスマンの夢をたどる

トルコのイスタンブール観光の2日目。地下宮殿のあと、トプカプ宮殿に向かいました。 イスタンブールを訪れるなら、一度は足を運んでほしいのが「トプカプ宮殿」です。この壮大な宮殿は、オスマン帝国のスルタンたちが約400年にわたり政務と私生活を営んだ、歴史的にも美術的にも非常に価値の高い場所です。ボスポラス海峡と金角湾を望む絶好のロケーションに建てられており、イスタンブールの旧市街を歩いていると、その威容に自然と引き寄せられるような気持ちになります。 トプカプ宮殿の建設は、オスマン帝国の第7代スルタン、メフメト2世によって1459年に始められました。彼がコンスタンティノープルを征服したわずか6年後のことです。以後、19世紀半ばまでの長い間、オスマン帝国の中枢として機能してきました。その後、近代化を進めていたスルタンたちは、新たに建設されたドルマバフチェ宮殿へと移り、トプカプ宮殿はその役割を終えることになります。 この宮殿は、中庭が4つも連なる構造を持っており、訪れる人々はその順に進んでいくことで、まるで時代や空間を旅するような感覚を味わうことができます。第一中庭は一般市民にも開かれていた広場で、古代ビザンツ時代の教会「アヤ・イリニ」が残されています。次に進むと、行政の中心だった第二中庭に入ります。ここには、重臣たちが会議を開いていた「御前会議の間」や、かつての台所跡などがあり、かつての宮廷生活の片鱗を感じさせます。 さらに「幸福の門」を通り奥に進むと、スルタンの私的な領域である第三中庭へと入ります。ここには、オスマン帝国の宝物が収められた「宝物庫」や、神聖な「聖遺物室」があります。特に聖遺物室には、イスラム教の預言者ムハンマドの髭や剣などが展示されており、非常に神聖な空間となっています。ムスリムでなくとも、その静謐な雰囲気には自然と背筋が伸びるような気持ちになります。 そして第四中庭は、美しい庭園やパビリオンが広がる、まるで別世界のような空間です。ここからはボスポラス海峡の青い水面を一望でき、風に揺れる木々や花々が、長い歴史に包まれた宮殿に穏やかな表情を添えてくれます。なかでも「バグダッド・キオスク」は戦勝を記念して建てられた建物で、精緻な装飾やタイルがとても印象的です。 忘れてはならないのが「ハーレム」です。ここはスルタンの家族や側女たちが暮らしていた特別な空間で、まさに...

地下宮殿:メデューサが眠る神秘の石の回廊、石柱が語るビザンツの物語

トルコ観光2日目の朝、イスタンブールの地下宮殿を訪れたました。外は今にも雨が降り出しそうな曇り空で、街を歩く人々も少し足早に見えたのを覚えています。そんな中、期待と少しの緊張を胸に、地下宮殿への階段を降りていきました。 地下へと進むと、ひんやりとした空気が頬に心地よく、上とはまるで別世界のような静けさが広がっていました。内部は想像していたよりもずっと広大で、天井は高く、あたりはライトの明かりがところどころに灯るのみで、全体的に薄暗い雰囲気です。その暗がりがまた歴史の重みを感じさせてくれます。 歩を進めるごとに、いくつもの石柱が林立している光景が目に飛び込んできます。一つひとつの柱や天井には美しい装飾が施されていて、ただの貯水池とは思えない荘厳さがありました。この地下宮殿は、ビザンツ時代の6世紀、ユスティニアヌス1世の時代に造られたとされ、イスタンブールの街を支えてきた重要なインフラでもありました。 中でも印象的だったのは、柱の土台に彫られている逆さまの顔です。ガイドブックで予習していた「メデューサの頭」を実際に目にした時は、その大きさと不思議な迫力に圧倒されました。なぜ顔が逆さまなのか、その理由には諸説あるようですが、こうした伝説や謎も、訪れる人々の想像をかき立てる大きな魅力の一つです。 静かに水が張られた地下の広間を歩きながら、遥か昔の人々がこの場所でどんな思いを巡らせていたのだろうと考えました。イスタンブールの喧騒とはまったく異なる、静謐で神秘的な空間で、短い時間でしたが悠久の歴史に包まれる特別な体験となりました。 旅程 ホテル ↓(徒歩) 地下宮殿 ↓(徒歩) トプカプ宮殿 ↓(徒歩) Sırkecı駅 ↓(路面電車) (略) Karaköy駅 ↓(徒歩) ガラタ塔 ↓(徒歩) Karaköy駅 ↓(路面電車) Sırkecı駅 ↓(路面電車) ホテル 周辺のスポット アヤソフィア(ハギア・ソフィア) トプカプ宮殿 スルタンアフメト・モスク 地域の名物 シシケバブ ドネルケバブ リンク イスタンブールの地下宮殿「バシリカ・シスタン」|おすすめトルコ観光地BEST20 | トルコ旅行・トルコツアー おすすめプラン満載の【ターキッシュエア&トラベル】

ノルマンニ宮殿/パラティーナ礼拝堂/ヌォーバ門:ノルマンの栄光とアラブの輝き、シチリアに息づく異文化の交差点

イタリア、シチリア島のパレルモに来ました。パレルモ劇場は映画ゴッドファーザーの重要な場面の撮影に使われ、初代ゴッドファーザー自体がシチリアのコレルオーネ村の出身ということで、今回のシチリア観光の目的はゴッドファーザー関連のスポットです。ゴッドファーザーの前に、初日の本日はパレルモに慣れるために、パレルモ市内の史跡探索をしました。いくつかの教会、博物館などを見た後、ノルマンニ宮殿に来ました。 シチリア島の州都パレルモは、アラブ、ノルマン、ビザンティン、スペインといった多様な文化が交差した都市です。その豊かな歴史を肌で感じられる場所のひとつが、旧市街の一角にたたずむノルマンニ宮殿と、そのそばに立つ壮麗なヌォーバ門です。これらの建築物は、単なる観光名所ではなく、長い年月の中で織りなされた権力と芸術、信仰と統治の物語を今に伝えています。 ノルマンニ宮殿は、もともとは9世紀のアラブ支配時代に建てられたエミール(首長)の宮廷が起源とされています。1072年にノルマン人がパレルモを征服すると、彼らはこの建物をシチリア王国の王宮として大規模に改築しました。とりわけルッジェーロ2世の治世下においては、行政と儀式の中心としての役割を果たし、その後もホーエンシュタウフェン朝、アンジュー家、アラゴン家など、さまざまな王家によって引き継がれていきました。現在ではシチリア州議会の本拠地として使われており、過去と現在が同居する不思議な空間となっています。 この宮殿の中でもひときわ目を引くのが、1132年にルッジェーロ2世の命によって建てられたパラティーナ礼拝堂です。ここはまさにシチリアの多文化的アイデンティティを象徴する空間であり、ビザンティンの金色モザイク、アラブの幾何学装飾、ノルマンの建築技術が見事に融合しています。特にアプスに描かれたキリスト・パンタクラトールのモザイクは、その荘厳さと輝きに目を奪われます。木製の格子天井にはイスラム建築特有のムカルナス装飾が施されており、静謐な空間の中に異文化が共鳴しあっているのを感じ取ることができます。 ノルマンニ宮殿に足を運ぶ際には、ぜひその入口を彩るヌォーバ門にも注目していただきたいです。現在の門は1583年にスペイン副王の命により再建されたもので、チャールズ5世が1535年にチュニス遠征からの帰路にパレルモを訪れたことを記念して建てられました。この...