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チャムダンス鑑賞:ベトナム中南部が生んだ優美な舞踊

ミーソン遺跡でチャムダンスの講演も行われていたので、観てきました。 ベトナム中南部に暮らす少数民族チャム族の伝統舞踊であるチャムダンスは、インド文化やマレー文化など多様な影響が融合して生まれた、優美でエキゾチックな魅力を放つ舞踊です。古代チャンパ王国の末裔として知られるチャム族は、ヒンドゥー教やイスラム教といった異なる宗教を受け入れながら独自の文化を発展させてきました。古代チャンパ王国の歴史に触れると、ベトナムの他地域とは異なるチャム族の背景が見えてきます。かつて栄華を誇ったチャンパ王国の名残をとどめる遺跡や寺院では、いまなお彼らが誇りとする伝統が大切に受け継がれ、その中心にあるのがチャムダンスです。 チャムダンスは、柔らかくしなやかな手足の動きと、指先にまで意識を巡らせる繊細な所作が大きな特徴です。動作には曲線的な美しさがあり、その優雅さはインド舞踊のスタイルを想起させます。鮮やかな衣装をまとった踊り手の姿も魅力的で、女性はサロンと呼ばれる腰布とブラウスを纏い、男性はターバン状の布を頭に巻くことが多く、きらびやかなアクセサリーや腰飾りが舞の動きに合わせて華麗に揺れます。こうした衣装の独特な色彩感覚やデザインには、インドやマレーの伝統衣装の影響がはっきりと見られ、ベトナム民族文化全体のなかでも際立った存在感を放っています。 舞踊に用いられる音楽もチャム族が育んできた豊かな伝統文化の一端を示すものです。祭礼や宗教儀式などでは荘厳なリズムやメロディが奏でられ、観光客向けの公演やコミュニティのお祝いの場では、より軽快で盛り上がりやすい楽曲が選ばれることもあります。太鼓や独特の金属楽器を組み合わせた音色は、ベトナムの一般的な民族音楽とはやや異なる趣きを感じさせ、リズムに合わせて舞台上の踊り手たちがしなやかにステップを踏む姿は、観客を魅了してやみません。宗教儀式としてのチャムダンスは神々や先祖を敬い、祝宴の場面では人々の喜びを分かち合うための踊りとして、目的に応じた多様な表情を持つのも大きな特徴です。 旅行者がチャムダンスを鑑賞するには、ニントゥアン省やビントゥアン省などチャム族のコミュニティが集中する地域を訪れるのが一番の近道です。これらの地域には古代チャンパ王国の塔や寺院が点在しており、ポー・クロン・ガライ塔のように遺跡とチャムダンスを組み合わせた行事が行われることもあり...

ミーソン遺跡:煉瓦に刻まれた歴史

本日の最初は、ミーソン遺跡観光でした。 バスで田園地域を進み、山の中のミーソン遺跡に向かいます。ベトナムというとベトナム戦争、特に映画のランボーなどでよく見る田んぼのイメージでしたが、そういった光景が広がっていました。 ミーソン遺跡(My Son)の入り口(地図の右下)から移籍がある場所(地図の左上)まではかなりの距離があります。 ツアーが用意したカートに乗って向かいます。途中歩いている人もいましたが、結構な距離なのでカートに乗って行った方が良いです。 ミーソン遺跡は、ベトナム中部クアンナム省に位置する、チャンパ王国時代(4世紀~13世紀)の宗教的・文化的な中心地であり、ヒンドゥー教寺院群の遺跡です。1999年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。 ミーソン遺跡は、4世紀頃に建設が始まり、最初の寺院はチャンパ王国の王、バドラヴァルマン1世によって建立されました。 ミーソン遺跡は主にヒンドゥー教の神シヴァを祀る寺院群で、チャンパの王族の聖地として利用されました。シヴァ神は「バドラシュヴァ(幸福のシヴァ)」という名で崇拝されていました。 チャンパ王国は交易で栄え、多くの文化や技術をインドや東南アジア諸国から取り入れ、独自の芸術や建築様式を発展させました。 ミーソンには約70もの寺院がありましたが、戦争や風化により現在は20以上が残っています。寺院群は谷間に点在しており、建物ごとに異なる神々が祀られていました。 煉瓦で構築されており、独特な接着剤を使用せずに煉瓦を密着させる技術が用いられました。この技術は未解明の部分も多く、現在でも注目されています。写真上部の古い部分が実は現代の技術で補修された箇所で、下のきれいな部分がミーソンの技術で残っている煉瓦です。現代の煉瓦の方が痛みが速く、ミーソンオリジナルは1000年以上経ってもきれいなままです。 インドの影響を受けた優美な塔(祠堂、チャム塔)が特徴的で、彫刻やレリーフにはヒンドゥー教の神話や宗教的モチーフが描かれています。 遺跡はAからGまでのグループに分けられています。Aグループは特に重要な宗教儀式が行われていた中心的エリアでしたが、戦争で大きな被害を受けました。 ベトナム戦争中、アメリカ軍の空爆により多くの建造物が破壊されました。現在もその痕跡が残っています。こちらの地面の窪みは空爆の爆発によるもので、先の塔は倒...