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3月, 2023の投稿を表示しています

岡崎城:竹千代の記憶を辿る、春雨の散策路

本日は愛知県の岡崎城を訪れました。実は晴れ男を自認している私ですが、この日はあいにくの雨。それでも、旅の足取りが重くなることはありませんでした。むしろ、雨の日ならではの城の風情や春の景色を味わえる、特別な日となりました。 岡崎公園前駅から岡崎城公園までは徒歩で向かいました。駅から公園までの道のりも、しっとりと濡れた石畳や草木が、いつもより深い色合いで迎えてくれます。川辺に目を向けると、雨に濡れた桜がしっとりと咲き誇っていました。花びらが雨粒を纏って輝く様子は、晴れた日には見られない美しさです。桜の下を歩きながら、春の静けさとともに、歴史の舞台を歩んでいるような感覚に包まれました。 公園内の竹千代通りへと足を進めます。竹千代――徳川家康の幼名でもあり、岡崎城は彼の生誕の地です。竹林の緑と雨に濡れた道は、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していました。 途中、城の大手門も見学し、立派な門構えから戦国時代の面影を感じます。 この日はちょうど大河ドラマが「どうする家康」を放送中だったこともあり、公園内には仮設の展示館が設けられ、家康に関する特別展が開催されていました。戦国時代から江戸幕府開府に至るまでの家康の歩みや、岡崎城が果たした歴史的役割についての展示は、歴史好きにはたまらない内容でした。館内で改めて岡崎城の持つ重みを感じました。 そして、城の天守閣へ。石段を上り、展示を見ながら最上階を目指します。岡崎城の天守は、昭和の時代に再建されたものですが、展示内容や建築の重厚感によって、往時の雰囲気を想像することができます。最上階に到着し、岡崎市街を見下ろしました。雨に霞む町並みは、まるで水墨画のよう。遠くの景色も柔らかく溶け合い、晴天とは異なる情緒がありました。 雨の日の城巡りは、晴れの日には気づかない発見や、静けさの中に漂う歴史の重みを感じさせてくれます。雨だからこそ出会えた景色とともに、家康公の時代へ思いを馳せた一日 旅程 東京 ↓(新幹線/名鉄) 岡崎公園前駅 ↓(徒歩) 岡崎城/岡崎城公園 ↓(徒歩) 岡崎公園前駅 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 岡崎城トップページ|岡崎城(天守閣)|特集|岡崎城公園|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト 岡崎城公園・岡崎城 | 岡崎市ホームページ 岡崎城・岡崎城公園・三河武士のやかた家康館 | 【...

甲斐善光寺:武田氏ゆかりの地で出会う壮麗な本堂と重要文化財の門

本日は、甲府市を訪れました。朝から歴史ある街並みを歩き、武田神社など武田氏ゆかりのスポットを巡りました。その中で、ひときわ存在感を放つ甲斐善光寺へと足を運びました。 甲斐善光寺は、その名の通り、信州善光寺と深い関わりを持つ寺院です。戦国時代、川中島の戦いによる戦火から善光寺如来を守るため、武田信玄公がこの地に寺を建立し、ご本尊を移したのが始まりと伝えられています。その後、本尊は信州に戻されましたが、甲斐善光寺は信仰の場として残り続け、長い歴史を紡いできました。 参道を進むと、まず目に入るのが立派な山門です。重要文化財に指定されており、どっしりとしたその姿は、まるで訪れる者を静かに迎えてくれているかのようでした。門をくぐると、さらに驚かされたのは本堂の大きさです。遠くからもその屋根が見え、近づくほどに圧倒的な存在感を感じます。江戸時代に再建された本堂は、善光寺建築の特徴を色濃く残し、堂々たる姿で佇んでいました。 本堂の中は広々としており、厳かな空気が流れていました。参拝をしながら、この寺が辿ってきた歴史や、信仰を守り続けてきた人々の思いに想いを馳せました。甲府の町にありながら、どこか別世界のような静けさと落ち着きを感じさせてくれる場所です。 甲斐善光寺は、武田氏ゆかりのスポットとともに、甲府を訪れる際にはぜひ立ち寄ってほしい名刹です。その壮大な本堂と歴史ある山門は、過去から現代に至るまでの時の流れを感じさせ、訪れる人の心に深い印象を残します。 旅程 (略) ↓(徒歩) 放光寺 ↓(徒歩) 旧高野家住宅 甘草屋敷 ↓(徒歩) 塩山駅 ↓(JR中央本線) 甲府駅 ↓(徒歩) 武田神社 ↓(徒歩) 武田信玄公の墓 ↓(徒歩) 大泉寺 ↓(徒歩) 甲斐善光寺 ↓(徒歩) 甲府城跡(舞鶴城公園) ↓(徒歩) 甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎) ↓(徒歩) (略) 地域の名物 ほうとう リンク 甲斐善光寺 甲府市/善光寺 信玄公ゆかりの甲斐善光寺で体験型お寺見学 甲斐 善光寺|甲府のスポット・体験|甲府観光ナビ - 甲府市観光協会公式サイト 甲斐善光寺/山梨の歴史を旅するサイト

曹洞宗 大泉寺 (甲府市):本堂からはじまった一巡、甲府で感じた落ち着き

北国街道の春はまだ浅く、甲府の空気には少しだけ山の冷たさが残っていました。朝から武田ゆかりの地を巡り、武田神社で背筋を正し、武田信玄公の墓所で静かに手を合わせたあと、足を延ばして大泉寺(だいせんじ)へ向かいました。信玄公の墓から歩いたので寺域には北側から入り、門前の段取りもなく、いきなり本堂と向き合うかたちになりました。思いがけない近さに少し驚きながら、まずは合掌して旅の無事を報告します。 本堂前には、甲斐の寺らしい端正さが漂っていました。大きな誇張はないのに、柱の一本一本が落ち着きと気概を帯びているように感じます。境内をゆっくり一巡すると、堂宇の配置に無駄がなく、山裾の地形に寄り添って築かれていることが分かりました。戦国の気配を帯びた史跡を歩いた後だからでしょうか、ここでは時間が一段ゆっくり流れているように思えます。 南へ抜けると、山門の額に「萬年山」と大書されていました。風に晒された木額の筆勢は力強く、寺号を越えて「この地で幾世代も祈りが重ねられてきた」という気配を直接伝えてきます。甲府の寺には武田氏ゆかりの由緒が折々に残り、祈願所や菩提寺として地域の信仰と政治の結節点を担ってきた歴史があります。大泉寺の静けさもまた、合戦や政変の記憶を飲み込み、日々の祈りの層を積み重ねてきた時間の厚みから生まれているのだと思いました。 境内の片隅でしばし腰を下ろすと、風に鳴る木の葉の擦れ合いが、さっきまでの史跡巡りの緊張をやわらげてくれます。武家の栄枯盛衰は書物や石碑の中で雄弁ですが、寺の空気はもっと寡黙で、それでも確かに当時を伝えてくれる。華やかな戦功の陰で、人びとの生活と祈りが確かに続いていたことを、こうした場所はさりげなく教えてくれます。 北から入って本堂に迎えられ、南の山門から「萬年山」に送られる――結果的に境内を南へと抜ける流れになったことで、祈りの導線を逆向きにたどったような、不思議な余韻が残りました。史跡としての手がかりを探す旅でもあり、同時に心を整える旅でもある。甲府での一日は、武田の記憶に触れつつ、静かな寺の時間に身をひたすことで締めくくられました。 大泉寺のことを思い返すと、派手な見どころを挙げるよりも、境内の空気そのものが記憶に残ります。歴史は大河のように語られますが、現地で向き合うと湧水のように足元から滲み出てくる。甲斐の山に抱かれた小さな時間が、長い歴...

武田神社:信玄公の居館跡に立つ神域、風林火山の記憶を辿る、甲府の歴史にふれる旅

本日は、武田信玄ゆかりの地を訪れるため、山梨県の甲府に来ています。午前中は恵林寺周辺を探索し、午後は甲府駅に移動し、武田神社(たけだじんじゃ)に来ました。 山梨県甲府市にある武田神社は、戦国時代の名将・武田信玄公を祀る神社として知られています。場所も、かつての信玄公の居館「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」の跡地に建てられており、境内に足を踏み入れた瞬間から歴史の重みを感じることができました。現在は国の史跡にも指定されており、甲府市の歴史を語る上でも欠かせない場所となっています。 参道は広々としていて、両側に並ぶ石灯籠が印象的でした。境内にはどっしりとした拝殿が建っており、そこで参拝をすませたあと、宝物殿にも立ち寄りました。宝物殿では、信玄公ゆかりの品々が展示されていて、特に軍配や書状、戦国時代の甲冑などを見ると、彼の生きた時代がぐっと身近に感じられました。展示の解説も丁寧で、信玄公の人物像をより深く知ることができたのも嬉しいポイントです。 また、武田神社は勝運や武運のご利益があるとされ、受験やスポーツの祈願に訪れる人も多いそうです。風林火山をモチーフにした御朱印帳もあり、信玄公らしい力強さと美しさを感じさせてくれます。 私が訪れたのは3月だったため、まだ桜は満開ではありませんでしたが、木々の蕾がほころびはじめていて、境内全体が春を迎える準備をしているようでした。桜の名所としても知られているので、もう少し後の時期に訪れると、また違った景色が楽しめたかもしれません。 武田信玄という一人の人物に焦点を当てながら、その功績や生きざまを感じることができる武田神社は、歴史好きの方にはもちろん、静かに心を整えたい方にもおすすめできる場所です。甲府駅からもアクセスしやすく、日帰り旅の目的地としてもぴったりだと思います。 甲州法度次第 戦国時代、各地の大名たちは自国を統治するために、独自の法令を整備していました。そうした法令は「分国法(ぶんこくほう)」と呼ばれ、戦国大名がいかに領国を治めようとしていたのかを知る貴重な手がかりとなります。そのなかでも特に知られているのが、甲斐国(現在の山梨県)を支配した武田晴信(はるのぶ / 信玄)によって制定されたとされる「甲州法度次第(こうしゅうはっとしだい)」です。 この法度は、武田家の家臣団や地域の統治に関する規則をまとめたもので、当初55ヶ...

旧高野家住宅 甘草屋敷:ひな祭りの季節、古民家の座敷に並ぶ春のしつらえ

山梨県塩山にある旧高野家住宅(きゅうたかのけじゅうたく)「甘草屋敷(かんぞうやしき)」を訪ねました。この日は武田家ゆかりの場所とその周辺を歩くことを目的に、朝から塩山へ向かい、恵林寺や放光寺を参拝したあとで、町なかに残る大きな茅葺風の屋敷に足を運びました。寺院の静けさを味わった流れのまま、今度は人々の暮らしの歴史へ視点を移していく、そんな一日の折り返し地点のような訪問になりました。 甘草屋敷は、江戸後期から19世紀初頭の建築とされる大型の民家で、甲州地方の特色を示す構造や外観が評価され、国の重要文化財(指定名称:旧高野家住宅)にもなっています。大きな切妻屋根に、前面中央の突き上げ屋根が目を引きますが、これは採光のための工夫で、内部が三層構造になり、かつては養蚕にも用いられたと伝えられています。柱や梁の組み方、漆喰で整えられた妻壁など、外から眺めるだけでも「この地方で積み重なってきた住まいの知恵」が感じられる建物でした。 ちょうどひな祭りの時期で、主屋と茅葺の小屋には雛壇が飾られていました。古民家の太い柱や広い座敷に、雛人形の色彩がすっと差し込むと、建物そのものが季節の展示空間に変わるようで、写真で見る「展示」とは違う臨場感があります。甘草屋敷は、甲州市の「ひな飾りと桃の花まつり」の主要会場の一つとしても知られ、各時代の雛人形などが並ぶことがあるそうですが、実際にその場に立つと、地域の春の風物詩として大切に受け継がれてきたことがよく分かりました。  「甘草屋敷」という呼び名は、江戸時代に漢方薬の原料となる甘草(カンゾウ)を栽培し、幕府に納めたことに由来するとされています。敷地内には甘草の説明板がある畑もありましたが、この日は植物らしきものが見当たらず、時期が違うのかもしれないと思いながら眺めました。それでも、薬草の栽培という少し意外な営みが、この家の記憶として今も名前に残り、建物の保存とともに語り継がれていること自体が面白く、寺社とは別の角度から「甲州の歴史の厚み」に触れた気がしました。  旅程 (略) ↓(徒歩) 放光寺 ↓(徒歩) 旧高野家住宅 甘草屋敷 ↓(徒歩) 塩山駅 ↓(JR中央本線) 甲府駅 ↓(徒歩) 武田神社 ↓(徒歩) 武田信玄公の墓 ↓(徒歩) 大泉寺 ↓(徒歩) 甲斐善光寺 ↓(徒歩) 甲府城跡(舞鶴城公園) ↓(徒歩) 甲府...

金沢城公園:庭園の静寂、庭園の水面に映る加賀の静けさ

春の気配が少しずつ感じられる本日、金沢を訪れました。尾山神社の和洋折衷の独特な神門をくぐり、静かな境内を歩いた後、私はその足で金沢城公園へと向かいました。 鼠多門からの入場です。再建されたばかりの鼠多門橋を渡ると、加賀藩ゆかりの往時の風情がそこかしこに感じられました。 門を抜けた先で広がるのは、整えられた玉泉院丸庭園。池泉回遊式庭園の姿に心をなごませながら、園内を歩いていると、弟から一通のメッセージが届きました。開いてみると、先週生まれたばかりの姪の写真。生まれたばかりの小さな命がスマートフォンの画面に笑みを浮かべているようで、その瞬間、風景以上に心があたたかく満たされたのを覚えています。 玉泉院丸庭園の一角には、旧第六旅団司令部庁舎が立っています。明治期の軍の歴史を伝えるこの建物は、かつての近代化の一端を担っていたことを思わせる静かな佇まいでした。 そこから金沢城の中心部、菱櫓や五十間長屋、橋爪門続櫓などの復元建造物を見学しました。内部に入ると、展示によって再建の工法や歴史的な背景が丁寧に解説されており、ただの復元建築にとどまらない、時代をつなぐ意志を感じました。木組みの美しさや石垣の工夫には、加賀百万石の力と知恵が今も息づいているかのようです。 見学のあとは、鶴丸倉庫を見て回り、再び外へ出て橋爪門を正面から眺めました。そして、百間堀跡をたどりながら、兼六園へと歩を進めます。江戸と明治、自然と人工、歴史と現在が折り重なるこの道のりは、ただの観光ではなく、時間の流れの中に身を置くような体験でした。 金沢の空の下、静かに揺れる庭園の水面と、生まれたばかりの姪のまなざしとが、心の中で重なり合った一日でした。歴史の中を歩きながら、新しい命と向き合う──そんな春の訪れを、私は金沢で迎えました。 金沢城 金沢城は、石川県金沢市の中心に位置する歴史的な城郭で、加賀百万石を誇った前田家の居城として知られています。その威容は現在もなお、兼六園と並ぶ観光名所として多くの人々を惹きつけています。 この城の起源は戦国時代にさかのぼります。もともとは一向一揆勢が拠点としていた尾山御坊(おやまごぼう)という宗教施設でしたが、1580年(天正8年)に織田信長の命を受けた佐久間盛政(さくま もりまさ)によって攻略され、その跡地に金沢城が築かれました。後に豊臣秀吉の配下であった前田利家(まえだ と...