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4月, 2023の投稿を表示しています

正覚山 十劫院 阿弥陀寺:葵の御紋と御三階が語る記憶

会津若松をめぐった本日、野口英世記念館や御薬園、鶴ヶ城と歩を重ねたあと、正覚山 十劫院 阿弥陀寺を訪ねました。山門前の石の門に刻まれた「阿弥陀寺」と「会津東軍墓地」の二つの文字が、寺が祈りの場であると同時に、会津戦争の記憶を抱く場所でもあることを静かに告げていました。 境内に入ると、まず目に留まったのは、本堂前ではなく徳川の葵紋を掲げた門前に据えられた狛犬でした。守護の獣が見守る先に広がるのは、東軍として戊辰の役で倒れた人々を弔う墓域です。会津は徳川譜代の松平家の城下町として知られ、維新期には新政府軍(西軍)に対する「東軍」の中核を担いました。石の戒名と小さな供花が並ぶ一角に立つと、史書に並ぶ年号よりも、静けさの中に残る息遣いのほうが切実に過去を語りかけてくるように感じます。 境内には葵の御紋を付した建物がほかにもあり、鶴ヶ城の小天守にあたる「御三階」がこちらに伝わっているとされます。戦乱と政体の転換を経ても、かつての城下文化と徳川ゆかりの記憶が寺に受け継がれていることを、意匠の一つ一つが物語っていました。寺社を歩くとき、建物の配置や紋章は単なる装飾ではなく、その土地が背負ってきた政治と信仰、誇りと悔恨の層を読み解く鍵になるのだとあらためて思います。 最後に本堂へ進み、旅の安全と先人への感謝を込めて手を合わせました。会津の春はやわらかな光に満ち、桜の季節を過ぎた境内には新緑が差し色のように映えていました。観光名所として知られる御薬園や鶴ヶ城の華やぎの先に、阿弥陀寺のように静かに歴史を伝える場所がある—その対比こそが会津らしさであり、歩く者の心に長く残る余韻なのだと感じながら寺を後にしました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR磐越西線) 猪苗代駅 ↓(タクシー) 野口英世記念館 ↓(タクシー) 会津武家屋敷 ↓(徒歩) 御薬園 ↓(徒歩) 鶴ヶ城(会津若松城) ↓(徒歩) 福島県立博物館 ↓(徒歩) 阿弥陀寺 ↓(徒歩) 会津若松駅 リンク 阿弥陀寺|観光・体験|会津若松の公式観光情報サイト【会津若松観光ナビ】 阿弥陀寺 | 会津若松七日町通り 阿弥陀寺 - ふくしまの旅 阿弥陀寺 - 【会津物語】 阿弥陀寺(七日町散策)|東北の観光スポットを探す | 旅東北 - 東北の観光・旅行情報サイト 阿弥陀寺 - 神社・仏閣 / 会津若松市 - ふくラボ! 阿弥陀寺

福島県立博物館:縄文から白虎隊、戊辰戦争、会津若松で感じる福島の歴史

鶴ヶ城を見学した後、敷地内にある福島県立博物館に向かいました。 福島県立博物館は、福島県会津若松市にある文化と歴史の宝庫です。ここでは、福島県の豊かな歴史や多彩な文化遺産を深く知ることができます。 館内には、縄文時代から現代に至るまでの幅広い展示があり、訪れる人を魅了します。特に注目されるのが、戊辰戦争に関連する貴重な資料です。白虎隊の歴史や会津藩の武士たちの暮らしぶりを伝える資料など、会津地方の激動の歴史をリアルに感じることができます。 また、会津地方だけでなく、浜通りや中通りを含めた福島県全域の歴史や民俗文化を紹介しています。伝統的な農具や民具、美しい工芸品の数々からは、この地域がどのように発展してきたかを理解することができます。 さらに、年に数回開催される特別展も魅力の一つです。福島県内外から多くの貴重な文化財が集まり、テーマごとに深掘りされた展示を楽しむことができます。 館内はゆったりとした空間設計が施されており、展示をじっくりと楽しむのに最適です。また、子ども向けのワークショップや体験コーナーも設けられているため、家族連れでも楽しめる工夫が随所に見られます。 博物館の外には美しい庭園が広がり、四季折々の景色を眺めながら休憩することもできます。特に紅葉の季節には、多くの観光客が訪れるほどの美しさを誇っています。 福島県立博物館は、福島を訪れる際にはぜひ立ち寄りたい、地域の文化と歴史を深く理解できる魅力あふれる場所です。 福島事件 福島事件は1882年(明治15年)に福島県で発生した、自由民権運動に関係する大きな政治事件です。当時の日本は明治維新以降、中央集権化を進める政府と、自由や民主主義を求める民衆との間で緊張が高まっていました。特に福島県では、自由民権運動が盛んに行われており、県民の間には政府に対する強い反発がありました。 この事件の直接の引き金となったのは、当時福島県令として赴任していた三島通庸(みしま みちつね)による強硬な県政運営でした。三島は県内で大規模な道路工事を推進し、その費用を地元民に負担させました。これに対し、民衆や自由民権運動の活動家たちは強く反発し、三島の施策に対する抗議活動が活発化します。 特に道路工事費の過重な負担に耐えかねた人々は納税拒否運動を起こし、抗議の声を高めましたが、三島はそれに対して厳しい弾圧を行いました。多くの活動家...

鶴ヶ城(会津若松城):桜舞う会津で味わう、武家の面影と茶室の静寂

春の日差しが心地よい晴天の下、福島県会津若松市を訪れました。午前中は野口英世記念館で、偉大な医学者の足跡に触れるひとときを過ごしました。そこからタクシーで会津若松市内へ向かい、まずは会津武家屋敷と御薬園を巡りました。会津の歴史と文化が色濃く残るこれらの場所では、往時の暮らしや知恵を感じることができ、静かな感動が胸に残りました。 昼食を取った後、鶴ヶ城(つるがじょう/会津若松城)へ。城址公園に足を踏み入れると、ちょうど桜が見頃を迎えており、淡い花びらが青空に映えていました。公園内を歩くと、かつての濠の名残と思われる水の流れがあり、その静かなせせらぎに耳を傾けながら、天守閣へと向かいました。 鶴ヶ城は、室町時代に蘆名直盛(あしな なおもり)によって築かれ、戊辰戦争での激しい攻防やその後の再建を経て、今もなお会津の象徴としてそびえ立っています。現在の天守は博物館として公開されており、内部では会津藩の歴史や武具、当時の暮らしを伝える展示が充実しています。戊辰戦争の際に鶴ヶ城が果たした役割や、会津の人々が守り抜いた誇り高い精神に触れながら、ひとつひとつの展示をじっくりと見て回りました。 天守の最上階からは、城址公園とその先に広がる会津若松の町並みが一望できました。桜咲く公園と歴史ある城下町の景色は、春ならではの特別な美しさです。 城の外に出てからは、隣接する茶室「麟閣」にも立ち寄りました。豊臣秀吉の側近であった千利休の子、少庵が建てたと伝えられるこの茶室は、静寂の中に凛とした美しさが漂い、城とはまた違った趣を楽しめました。 会津若松の鶴ヶ城を訪れて、歴史と季節の美しさが織りなす特別な時間を過ごすことができました。かつての戦乱や復興の物語に思いを馳せつつ、現代に受け継がれる会津の精神と優雅な風景に心癒される一日となりました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR磐越西線) 猪苗代駅 ↓(タクシー) 野口英世記念館 ↓(タクシー) 会津武家屋敷 ↓(徒歩) 御薬園 ↓(徒歩) 鶴ヶ城(会津若松城) ↓(徒歩) 福島県立博物館 ↓(徒歩) 阿弥陀寺 ↓(徒歩) 会津若松駅 周辺のスポット 福島県立博物館 御薬園 リンク 鶴ヶ城 (会津若松城)トップページ | 一般財団法人 会津若松観光ビューロー 鶴ヶ城天守閣(国指定史跡・若松城跡)|観光・体験|会津若松の公式観光情報サイト【会津若松観光ナ...

御薬園:春の会津で出会う癒やしの庭と薬草の知恵

春の福島県会津若松を訪れたこの日、私は朝から歴史や文化に触れる旅を楽しんでいました。野口英世記念館で偉人の足跡をたどり、会津武家屋敷で武家文化に思いを馳せた後、次に足を運んだのが御薬園(おやくえん)でした。 御薬園の門をくぐると、まず目に入るのは整えられた日本庭園の美しさです。池の水面に映る新緑、丁寧に手入れされた植栽、そして園内を吹き抜ける春のやわらかな風――しばし日常を忘れ、心が穏やかになる瞬間でした。この庭園は、会津藩主が心身を癒やすために造られたとされ、その設計には武家の美意識と静寂への憧れが感じられます。 御薬園が特別なのは、単なる観賞用の庭園で終わらないところです。園内には多種多様な薬草が育てられており、かつては藩の薬草園として医療や調薬に使われてきた歴史があります。小道を歩きながら名札のついた薬草の数々を眺めていると、先人たちが自然の恵みをいかに活用していたのか、改めてその知恵に感心しました。 歴史的な建物も御薬園の魅力のひとつです。重陽閣や御茶屋御殿、楽寿亭などが静かに佇んでおり、いずれも往時の会津藩の格式や文化を今に伝えています。とりわけ重陽閣は、藩主の休憩や賓客のもてなしに使われた由緒ある建物で、内部から眺める庭園の景色も格別でした。また、園内の茶屋では抹茶をいただくこともでき、旅の疲れを癒やすひとときとなりました。 御薬園を歩きながら感じたのは、ここが単なる観光地ではなく、歴史と自然、そして人々の暮らしが深く結びついている場所だということです。会津の歴史を感じ、薬草の知恵に触れ、美しい庭園に心洗われる――そんな贅沢な時間を過ごすことができました。旅の途中にふと立ち寄るだけでも、きっと忘れがたい思い出となる場所だと感じます。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR磐越西線) 猪苗代駅 ↓(タクシー) 野口英世記念館 ↓(タクシー) 会津武家屋敷 ↓(徒歩) 御薬園 ↓(徒歩) 鶴ヶ城(会津若松城) ↓(徒歩) 福島県立博物館 ↓(徒歩) 阿弥陀寺 ↓(徒歩) 会津若松駅 周辺のスポット 鶴ヶ城(会津若松城) 福島県立博物館 リンク 御薬園 - 国指定名勝会津松平氏庭園 | 一般財団法人 会津若松観光ビューロー 御薬園(国指定名勝・会津松平氏庭園)|観光・体験|会津若松の公式観光情報サイト【会津若松観光ナビ】 御薬園 - ふくしまの旅 会津若松市の史跡一覧<...

会津武家屋敷:暮らしから読む会津の歴史、空間に刻まれた身分と役目

会津若松観光の一つとして会津武家屋敷を訪れました。 朝一番に野口英世記念館を見学し、その後はタクシーで猪苗代湖沿いを北上して会津若松へ向かう流れでした。湖の景色から城下町へ移り変わる道中は、旅の導入としてとても印象的で、「会津に来た」という気持ちがじわじわと高まっていきました。 会津武家屋敷の門をくぐると、西郷四郎の像が出迎えてくれます。姿三四郎のモデルとされる人物だという説明があり、武家の世界が「歴史の中の人」だけでなく、物語や文化の中にも息づいていることを最初から感じさせました。武家屋敷という場所に、剣術や精神性のイメージが自然につながっていく入口でもありました。 最初に見学したのは、家老屋敷・西郷頼母邸です。玄関から奥へ進むだけでも部屋数が多く、武器が並ぶ部屋、家臣が控える空間、生活の気配が残る土間など、役目と身分が空間設計に刻まれていることがよく分かります。 とりわけ、人が亡くなった場面を再現した部屋で屏風が逆さまに置かれていたのが強く心に残りました。非常時の作法や、死を悼む空気の重さが、展示というより“しるし”として伝わってくるようでした。 会津は戊辰戦争で知られる土地ですが、武家屋敷を歩いていると、戦いの歴史だけではなく、日常の秩序や家の運営、家臣団を抱えることの現実が立ち上がってきます。山川捨松の部屋に展示されていた西洋ドレスは、その象徴のようでした。会津の人々が背負った近代の荒波や、旧来の武家社会から新しい時代へ移っていく過程が、一着の服という具体物を通して急に現実味を帯びます。 その後は旧中畑陣屋や資料館、会津天満宮も巡り、敷地全体として「武家の生活」「地域の統治」「学びや信仰」といった要素が重なっていることを実感しました。 会津武家屋敷は、単に立派な建物を見る場所というより、会津という土地が培ってきた価値観や、武家の誇りと緊張感を、空間のスケールで受け取れる場所でした。帰り際には、最初に見た西郷四郎の像が、今度は“歴史を見終えた自分”を静かに送り出してくれているように感じられました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR磐越西線) 猪苗代駅 ↓(タクシー) 野口英世記念館 ↓(タクシー) 会津武家屋敷 ↓(徒歩) 御薬園 ↓(徒歩) 鶴ヶ城(会津若松城) ↓(徒歩) 福島県立博物館 ↓(徒歩) 阿弥陀寺 ↓(徒歩) 会津若松駅 周辺のスポット 御薬園 鶴...

野口英世記念館:猪苗代湖畔で辿る、感染症と闘った偉人の生涯

本日は、福島県の会津若松地方に来ました。会津若松中心街からは、少し遠いですが、猪苗代駅で降りて、猪苗代湖の北にある野口英世記念館に向かいました。 この日は、よく晴れた気持ちのよい一日でした。福島県の猪苗代湖周辺は青空に映えて、湖面がきらきらと輝いていました。その美しい景色を楽しんだあと、目的地である偉人・野口英世ゆかりの地、野口英世記念館を訪れました。 記念館に入るとまず目に入ったのは、野口英世が幼少期を過ごした生家です。この家はもともとの場所から移築されたもので、貧しいながらも母のシカが火傷を負った息子の英世を懸命に支え、教育を受けさせようとした姿が偲ばれました。その質素な家屋からは、困難な状況にありながらも希望を持ち続けた野口英世の原点を感じ取ることができました。 展示スペースに進むと、野口英世の生涯や研究について詳しく紹介されていました。幼少期の火傷を治療したことがきっかけとなり医学への道を志し、さまざまな感染症研究にその生涯を捧げた野口英世の情熱と貢献が伝わってきます。特に黄熱病の研究など、世界的な功績を残したことを改めて実感しました。 記念館にはまた、感染症に特化した「野口英世感染症ミュージアム」が併設されています。ここでは、感染症の歴史やその脅威、さらには近代医学がどのように感染症と闘ってきたかを学ぶことができました。新型コロナウイルスが猛威を振るった直後ということもあり、感染症研究の重要性と、それに人生を賭けた研究者たちの努力に深い敬意を抱かずにはいられませんでした。 猪苗代湖の穏やかな景色と、野口英世の波乱に満ちた人生を振り返るこの旅は、静かな感動を与えてくれる貴重な時間となりました。現代社会においてもなお重要性を増す感染症研究の意義を再認識しつつ、記念館を後にしました。 旅程 東京 ↓(新幹線/JR磐越西線) 猪苗代駅 ↓(タクシー) 野口英世記念館 ↓(タクシー) 会津武家屋敷 ↓(徒歩) 御薬園 ↓(徒歩) 鶴ヶ城(会津若松城) ↓(徒歩) 福島県立博物館 ↓(徒歩) 阿弥陀寺 ↓(徒歩) 会津若松駅 周辺のスポット 猪苗代湖 鶴ヶ城(会津若松城) 福島県立博物館 御薬園 飯盛山 会津武家屋敷 東山温泉 リンク 公益財団法人 野口英世記念会 野口英世記念館|特集|会津若松の公式観光情報サイト【会津若松観光ナビ】 野口英世記念館・感染症ミュージア...

八劔神社(諏訪大社上社摂社):御柱が語る諏訪の信仰と、舞台に咲く和傘の彩り

長野県諏訪市を訪れた私は、朝早くから諏訪大社の四社巡りを楽しみました。秋宮の厳かな雰囲気や、春宮の穏やかな境内、本宮の歴史を感じさせる佇まい、そして前宮の自然に囲まれた静けさ。諏訪の地に流れる神話と歴史に思いを馳せながら歩くうちに、時間にも少し余裕ができ、せっかくなので他のスポットにも足を運んでみることにしました。 その中で立ち寄ったのが、八劔神社(やつるぎじんじゃ)です。諏訪大社に比べると控えめな佇まいながら、ここにも独特の趣があります。 境内には、諏訪大社と同じように御柱(おんばしら、みはしら)が四本、力強く建てられていました。御柱といえば、諏訪地方を象徴する祭り「御柱祭」を連想せずにはいられません。諏訪大社だけでなく、地域の神社にもこうして御柱が立てられていることから、土地の人々にとって御柱がいかに大切な存在であるかを改めて感じました。 拝殿の前には、まるで舞台のような建物があり、その内部には色とりどりの和傘が飾られていました。普段見かける神社の境内とは少し違う、どこか幻想的な空間。和傘は日本の伝統的な工芸品であり、雨や日差しをしのぐ道具としてだけでなく、舞や祭事などでも用いられます。八劔神社の和傘は、ただの飾りではなく、何かの行事や祭礼に関連したものかもしれません。境内に差し込む春のやわらかな光と和傘の色彩が織りなす光景は、心に残る美しさでした。 八劔神社の創建や由緒については諏訪大社ほど広く知られていないものの、諏訪湖周辺の歴史や信仰と深く結びついていることがうかがえます。古くから地域の人々の暮らしとともに歩み、今も静かにその存在感を放つ神社。訪れる人は決して多くありませんが、だからこそ、ゆっくりとその空気に包まれることができました。 諏訪大社を巡った後に、ふと立ち寄った八劔神社。その静けさと素朴さ、そして御柱や和傘が織りなす独特の雰囲気は、諏訪という土地の多層的な魅力を教えてくれました。旅の最後に、心落ち着くひとときを過ごすことができ、改めて神社巡りの楽しさを感じた一日となりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 諏訪市湖畔公園 ↓(徒歩) 片倉館 ↓(徒歩) (略) ↓(タクシー) 鷲峰山法華寺 ↓(徒歩) 諏訪大社 上社 本宮 ↓(タクシー) 高島城 ↓(徒歩) 八劔神社(諏訪大社上社摂社) ↓(徒歩) 上諏訪駅 周辺のスポット 諏訪湖 諏訪大社 上社 ...

高島城:四社参りのあとに見つけた桃色の楽園

桜の季節に諏訪を巡っていたこの日、諏訪大社の四社をまわり終えた帰り道、タクシーの運転手さんに「駅の近くでどこか見どころはありますか」と尋ねると、「高島城(たかしまじょう)がいいですよ」と勧められました。事前の候補には入れていなかった場所でしたが、結果的にこの寄り道が旅の印象を鮮やかに塗り替えてくれました。 高島公園には南側から入り、まずは園内の諏訪護国神社に参拝しました。 ちょうど桜が満開で、淡い花びらが風に舞い、堀の水面に映る姿まで薄桃色に染めていました。参道を抜けて公園をゆっくり散策すると、石垣と水、そして花がつくる重なりが美しく、城下町の春を凝縮したような光景にしばし足が止まります。 北側の天守へ向かい、館内の展示を見ながら階段を上がって展望階に出ると、足もとに広がる公園一帯が柔らかな桜色に包まれていました。その向こうには諏訪市街が開け、さらに視線を上げると山並みがまだ残雪を抱えています。湖畔の町ならではの澄んだ空気が頬をなで、朝から歩き続けた体に心地よいご褒美となりました。 高島城は、かつて諏訪湖に迫り出すように築かれたことから「浮城(うきしろ)」とも呼ばれた名城です。近世に築かれて以降、江戸時代には諏訪氏の居城として城下町の要を担いました。明治の廃城で多くの建物は失われましたが、現在の天守は復興されたもので、内部は地域の歴史や城の変遷を知ることができる資料館になっています。堀と石垣が今に伝える佇まいは、湖とともに生きた城の性格を感じさせ、ただ眺めるだけでも当時の景観を想像させてくれます。 当初は諏訪大社だけを目的にしていましたが、最後に高島城を訪ねたことで、宗教と武家、祈りと治政、そして自然と都市が折り重なる諏訪の歴史が、一本の糸でつながったように思いました。予定外の寄り道が旅のハイライトになることがありますが、この日の満開の桜と水面に映る天守は、まさにそんな“偶然のご褒美”でした。次は新緑や紅葉、雪景色の季節にも訪れ、湖と城が見せる別の表情を味わってみたいです。 旅程 (略) ↓(徒歩) 諏訪市湖畔公園 ↓(徒歩) 片倉館 ↓(徒歩) (略) ↓(タクシー) 鷲峰山法華寺 ↓(徒歩) 諏訪大社 上社 本宮 ↓(タクシー) 高島城 ↓(徒歩) 八劔神社(諏訪大社上社摂社) ↓(徒歩) 上諏訪駅 周辺のスポット 諏訪湖 諏訪大社 上社 本宮 諏訪大社 上社 ...

諏訪大社 上社 本宮:忘れてしまった石碑の文字の由来

諏訪の一日を「諏訪大社」を軸に組み立てて歩きました。 下社の秋宮と春宮を参拝し、片倉館などにも立ち寄りながら上社へ向かおうとしたのですが、地図で見る以上に距離があり、途中で迷わずタクシーに切り替えました。まず前宮を参拝し、その流れのまま本宮へ。諏訪は一つの社に参れば終わりではなく、土地の広がりそのものが信仰のスケールを物語っているように感じます。 本宮の東側から近づくと、小さな鳥居と社が目に入り、案内図には蠶玉神社とありました。大社の境内に点在する摂社・末社は、古くから地域の暮らしや生業と結びつきながら信仰を支えてきた存在でもあります。 さらに進むと赤い立派な門が見え、惹かれるままに鷲峰山法華寺を先に見学しました。寺からは本宮の三之御柱が望め、諏訪の象徴である御柱が、境内の外からでも確かな存在感を放っていました。諏訪大社の御柱祭は、社殿を持たなかった古い神社の形を今に伝えるともいわれ、巨木を曳き建てる豪壮さの奥に、自然への畏敬を中心に据えた信仰の原型が見えてくるようです。 二之御柱を見たあと境内に入ると、正面には巨大な鳥居が構え、その傍らには石に刻まれた「諏訪大社本宮」の文字がありました。タクシーの運転手さんから「総理大臣の揮毫だ」と教わったものの、どなたの筆だったかは思い出せません。それでも、旅先でこうした由来を聞くと、目の前の風景が急に歴史の層を帯びて立ち上がってくるのが面白いところです。参拝を終えると、森の気配が濃い境内にしばらく身を置き、ここが単なる観光地ではなく、古くから人々が祈りを重ねてきた場所なのだと静かに実感しました。 その後は再びタクシーで上諏訪駅へ戻る予定でしたが、少し時間が余っていることを伝えると運転手さんが高島城を勧めてくれました。せっかくの機会なので城で降ろしてもらい、旅の締めくくりに城下の景色まで味わうことができました。歩いて、迷って、乗り物を使い、寄り道に導かれる。諏訪の旅は、予定通りに進まないからこそ、土地の奥行きが身体に残る一日になりました。 旅程 (略) ↓(徒歩) 諏訪市湖畔公園 ↓(徒歩) 片倉館 ↓(徒歩) (略) ↓(タクシー) 鷲峰山法華寺 ↓(徒歩) 諏訪大社 上社 本宮 ↓(タクシー) 高島城 ↓(徒歩) 八劔神社(諏訪大社上社摂社) ↓(徒歩) 上諏訪駅 周辺のスポット 諏訪湖 諏訪大社 上社 前宮 諏訪大社 下社...

片倉館:大正ロマン香る建築美、歴史を感じる湯処、千人風呂でととのう日

諏訪神社と諏訪湖を目的に長崎県の諏訪市に来ました。 上諏訪駅の近くに片倉館という史跡があったので寄ってみました。 不勉強で「片倉」という名前を全く聞いたことがありませんでしたが、片倉館はかつての財閥の片倉財閥の温泉保養施設だそうです。 昭和3年(1928)年に建設されました。 千人風呂という温泉もあり、今でも入ることができますが、今回は入る時間がありませんでした。次回、また来たいと思います。 中には片倉財閥と交流のあった犬養毅さんや東郷平八郎さんの書も飾られています。 片倉財閥は製糸業が主な産業で、片倉製糸紡績(現在の片倉工業)は富岡製糸場を所有していた時期もありました。日本を支える有数の企業であったことが分かります。 少し離れたところには片倉館を作った片倉兼太郎さんの生家もあるので、いつか訪れたいと思います。 旅程 (略) ↓(徒歩) 諏訪市湖畔公園 ↓(徒歩) 片倉館 ↓(徒歩) (略) ↓(タクシー) 鷲峰山法華寺 ↓(徒歩) 諏訪大社 上社 本宮 ↓(タクシー) 高島城 ↓(徒歩) 八劔神社(諏訪大社上社摂社) ↓(徒歩) 上諏訪駅 周辺のスポット 諏訪湖 諏訪大社 上社 本宮 諏訪大社 上社 前宮 諏訪大社 下社 春宮 諏訪大社 下社 秋宮 高島城 片倉兼太郎生家 関連スポット 富岡製糸場 リンク 【国指定重要文化財】財団法人片倉館 片倉館(国重要指定文化財) | 諏訪観光連盟