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5月, 2025の投稿を表示しています

日本銀行金融研究所 貨幣博物館:銭から紙幣へ、めぐる日本の通貨物語

 曇りがちな空に雨の気配が漂うある日、午前中は靖国神社と遊就館をめぐり、将門塚に立ち寄ったのち、午後は日本橋の日本銀行金融研究所 貨幣博物館(かへいはくぶつかん)を訪れました。東京の中心にありながら、静けさと重みを感じさせるこの博物館は、まるでお金の歴史を通して日本の時間そのものを辿る場所のように感じられました。 貨幣博物館では、古代から現代にいたるまでの日本の貨幣の変遷を学ぶことができます。その背景には、単なる経済的な制度だけでなく、人々の暮らしや価値観の変化、国際情勢とのかかわりが色濃く映し出されていました。 古代の展示では、富本銭(ふほんせん)や和同開珎(わどうかいちん)といった初期の貨幣に加え、円形に方孔を持つ開元通宝(かいげんつうほう)などが紹介されていました。日本でも一時期は写経所(しゃきょうじょ)を中心とした国家的な宗教事業と結びつけて貨幣が使われましたが、しばしば「銭離れ」が起こり、米や絹といった実物財が交換の手段として重んじられる時期もあったようです。 中世に入ると、日本は自国で通貨を発行せず、主に中国の宋・元・明などの渡来銭が流通するという独特のスタイルが続きました。市の発達とともに有徳人と呼ばれる裕福な層が現れ、貨幣による商取引が活発になります。また、代銭納や撰銭といった制度も生まれ、徐々に「お金で納める」という発想が人々の生活に浸透していったようです。 そして、近世には徳川家康による貨幣の統一が大きな転換点となります。天正菱大判(てんしょうひしおおばん)や慶長小判といった金貨、銀貨が登場し、「金は天下のまわりもの」という言葉通り、貨幣が経済の血流として社会を循環していきました。石見銀山(いわみぎんざん)をはじめとする鉱山の開発は、この時代の経済活動を支えた柱の一つです。また、藩札や私札の発行、偽札防止の技術、両替屋の役割、さらには「付け払いや掛け払い」など、当時の人々のお金の使い方からも、今に通じる信頼や信用の基盤が築かれていく様子がうかがえました。 近代に入ると、金銀の流出や物価の高騰に悩まされつつ、円という新たな単位が誕生し、新貨条例が施行されます。開拓使兌換証券や政府紙幣の登場、西南戦争での紙幣乱発などを経て、日本銀行が設立され、やがて金本位制が導入されます。米騒動や金融恐慌、関東大震災といった社会の激動とともに、管理通貨制度へ...

将門塚:都会の真ん中で出会った千年の祈り、石碑の前で味わう“軽さ”と“重さ”

靖國神社を後にして貨幣博物館へ向かう途中、以前から気になっていた「将門塚」に立ち寄りました。曇天の昼下がりで、夕方には雨が降り出すという予報の日でしたが、塚の周囲は丁寧に清掃され、四季の花が静かに彩りを添えていました。都心の高層ビルに囲まれながらも、そこだけ時間が緩やかに流れているような空気が漂います。  将門塚は、平安時代中期に東国で反乱を起こした平将門の首が祀られていると伝わる場所です。940年(天慶三年)に討たれた将門の首は都へ運ばれ、晒された後に夜な夜な唸り声を上げながら東国へ飛び去った──そんな伝説が『将門記』などに描かれています。やがて首は現在の大手町付近に落ち、土地の人々が塚を築いて慰霊したのが始まりとされます。江戸時代には徳川幕府が塚の修復を命じ、関東大震災後や第二次世界大戦後にも復興が行われるなど、幾度となく整備されてきました。首都中枢の再開発が進む中でも「動かすと祟りがある」と恐れられ、ビルの設計を変更してまで保存を優先したという逸話も残っています。  私が訪れた時間帯には、海外からの旅行者と思しき人々が静かに列を作り、手を合わせていました。観光名所のひとつくらいの軽い気持ちで立ち寄った自分が、少し恥ずかしくなるほどの落ち着いた雰囲気です。近年は歴史や伝統行事を事前に学び、礼儀正しく振る舞う海外の方が増えていますが、その姿勢がこの小さな聖域にも表れていました。  塚の中心には将門の名を刻んだ石碑と賽銭箱が置かれ、周囲には案内板が控えめに立っています。賽銭を投じ、二拝二拍手一拝で祈りを捧げると、都会の喧騒が少し遠のくように感じられました。ビル風に揺れる木々の葉音、参拝者同士が自然に保つ距離感、それらが一体となって厳かな空気を醸し出しています。  将門塚を後にしながら、東京という巨大都市は多層的な歴史の上に立っていることを改めて実感しました。最先端のオフィス街に、千年以上前の戦乱と人々の祈りがひっそり息づいている──そのギャップこそが東京の魅力の一つなのでしょう。気軽に足を運べる立地でありながら、訪れる際には将門の物語と土地の人々が守り継いできた思いに敬意を払いたいと感じました。  雨雲の色が濃くなり始めた空を見上げつつ、次の目的地である貨幣博物館へと足を向けました。短い滞在でしたが、将門塚は雨が落ちる前のわずかな時間に静かで濃密な歴史体験を与えてく...

靖國神社/遊就館:戦争と記憶をめぐる静かな時間

本日、東京・九段にある靖国神社と併設の遊就館(ゆうしゅうかん)を訪れました。夕方から雨の予報ということもあり、空気はややひんやりとしていて、境内の木々にもどこか静けさが漂っていました。 まずは靖国神社を参拝しました。明治時代に東京招魂社として創建され、後に靖国神社と名を改めたこの場所には、戊辰戦争以降の戦争や事変で命を落とした人々が英霊として祀られています。社殿の奥には日本庭園があり、訪れる人の心を穏やかにさせてくれる佇まいを見せていました。 続いて、隣接する遊就館を見学しました。館内には戦国時代から近代にかけての武具や歴史資料が豊富に展示されており、特に目を引いたのは、靖国刀や庖丁政宗と伝えられる脇差、六連発火縄銃や南蛮筒といった火器、そして紅糸威の大鎧など、日本の武の美学と技術の粋を感じさせる品々でした。 展示はその後、幕末から明治維新、そして帝国日本の成立、対外戦争へと時代を追っていきます。ペリー来航やフェートン号事件、吉田松陰や坂本龍馬らの志士たちの紹介から始まり、五箇条の御誓文、徴兵制、富国強兵政策、そして日清・日露戦争へと続く流れは、近代国家としての日本の歩みを丁寧にたどるものでした。 さらに、大東亜戦争と呼ばれる第二次世界大戦期の展示では、戦闘機や潜水艦の実物大模型、特攻作戦に関する記録、戦地での生活を伝える品々が印象に残りました。館内には映像資料も多数あり、当時の社会の雰囲気や国民の意識を今に伝えようとしていることが感じられます。 一方で、展示の随所に、戦地で命を落とした人々を英霊として悼む姿勢が強く打ち出されており、それが見る者にさまざまな感情を呼び起こすことも確かです。こうした記憶の語り方や祀り方は、日本国内でも意見が分かれることがありますが、少なくともこの場所では、国家と個人の犠牲というテーマが、荘重な形式の中で表現されていました。 戦争の記憶をどう伝え、どう受け止めていくのかは、国や時代によってさまざまな形があるのだと、あらためて考えさせられる訪問でした。 旅程 市ケ谷駅 ↓(徒歩) 靖國神社/遊就館 ↓(徒歩) 将門塚 ↓(徒歩) 日本銀行金融研究所 貨幣博物館 ↓(徒歩) 東京駅 関連イベント 周辺のスポット 昭和館 皇居 江戸城跡 東京大神宮 東京国立近代美術館 地域の名物 関連スポット リンク 靖國神社 遊就館|靖國神社