本日は鹿児島県の霧島市を観光します。高千穂の方も廻りたかったため、貸し切りでタクシーを頼みました。隼人塚や鹿児島神宮などを廻ったあと、上野原縄文の森に来ました。アゼルバイジャンでガイドをしてくれた人が、鹿児島で縄文の勉強をしたということを言われていて、上野原縄文の森のことなのかは不明ですが、記憶に残っていて鹿児島観光のついでに訪れることにしました。
上野原縄文の森(うえのはらじょうもんのもり)は、鹿児島県霧島市にある縄文時代の大規模な遺跡を保存・展示する考古学公園です。この場所は、約1万700~1万400年前の日本最古級の定住集落跡として発見された上野原遺跡を中心に整備されており、縄文時代の暮らしを体験しながら学べる貴重な文化施設となっています。
1997年(平成9年)の発掘調査により、竪穴住居跡や貯蔵穴、土坑墓など、当時の人々の生活を物語る多くの遺構が発見されました。特に注目すべきは、国内最古級の集落構造が確認されたことで、縄文時代の社会形成の早さを示す重要な証拠とされています。
園内には、遺跡を保存した「上野原縄文の森展示館」や、復元された竪穴住居、体験学習ができる工房、そして散策路や展望台などがあり、自然の中で縄文人の暮らしを追体験することができます。展示館では出土品の土器や石器、装飾品などが展示され、縄文文化の豊かさを感じられるように工夫が凝らされています。
また、体験プログラムも充実しており、土器作りや火起こし、弓矢体験など、縄文人の技術や生活に直に触れることができます。こうした参加型の学習は、子どもから大人まで幅広い層に人気があります。
地層観察館で見える地層から、この森が桜島の噴火の長い歴史の上にできていることも知ることができます。
さらに、周囲には霧島連山の雄大な自然が広がっており、縄文時代の人々が暮らした環境を想像しながらの散策は、心を癒やしてくれるでしょう。
上野原縄文の森は、単なる遺跡ではなく、縄文文化を五感で体感しながら深く学べる貴重な歴史公園です。鹿児島を訪れる際には、ぜひ足を運んでみてください。
狗奴国
九州南部にあったとされる古代の国、狗奴国(くなのくに/くなこく)は、『魏志倭人伝』の中でその名を確認することができる謎多き勢力です。三世紀の日本列島には複数の小国が割拠しており、その中でも狗奴国は、卑弥呼が統治していたとされる邪馬台国と並び、対立関係にあったことが記されています。このため、狗奴国は倭国の分裂や古代王権の成立過程を読み解く鍵として、長く歴史学者や考古学者の関心を集めてきました。
狗奴国の特徴としてまず挙げられるのは、その位置が特定されていないことです。魏志倭人伝には、狗奴国は邪馬台国の南方にあり、倭の諸国とは異なる王が治めていたと書かれています。しかしその詳細は不明で、南九州の熊本県人吉盆地や鹿児島県霧島地域、あるいは宮崎県の一部など、いくつかの有力な比定地が学界では挙げられています。
考古学的には、球磨川流域の古墳群や、霧島の上野原遺跡、西都原古墳群などが注目されており、弥生時代末期から古墳時代初頭の南九州における政治的な緊張感を物語っていると考えられています。これらの地域には、戦闘や武力衝突を示す遺物が発見されることもあり、邪馬台国との抗争が現実に存在していた可能性をうかがわせます。
一方で、狗奴国の王については、名前が「卑弥弓呼(ひみここ)」とされる説もありますが、確証は得られていません。「卑弥呼」と音が似ているため、かえって混乱を招くこともあります。倭国大乱の終結と卑弥呼の登場、そして狗奴国との緊張関係は、まさに倭の古代国家形成のドラマを象徴する出来事だと言えるでしょう。
今日では、狗奴国に関係する展示は特定の博物館には存在しないものの、九州各地の歴史館や考古博物館にて、当時の文化や生活、そして国家形成期の社会構造を知ることができます。人吉歴史館や霧島市の上野原縄文の森、西都原考古博物館などがその一例です。
狗奴国という存在は、謎に包まれながらも、邪馬台国とは異なる視点から倭の歴史を見つめ直す機会を私たちに与えてくれます。その実態は未だ定かではありませんが、だからこそ想像力をかき立てる存在として、今もなお語り継がれているのです。
旅程
(略)
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坂元のくろず「壺畑」
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国分上野原テクノパーク
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(略)
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塩浸温泉龍馬公園
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鹿児島空港
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