スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2020の投稿を表示しています

浅草寺:雷門に提灯がない日、春の下町で出会った偶然

本日、浅草寺を訪れました。浅草寺は何度も来ていますが、コロナ下であれば、人が少ない状況の浅草寺が見れるのではないかと思い来てみました。 浅草寺といえば雷門の大提灯がシンボルですが、この日はまさに10年に一度の提灯の取り換え時期にあたり、雷門は提灯のない珍しい姿を見せていました。 普段は観光客でごった返すこのエリアも、コロナ禍の最中で、例年と比べると人通りは少なかったものの、それでも雷門前や仲見世通りにはそれなりの賑わいがあり、浅草という町の力強さを感じました。 仲見世通りを歩くと、多くの店が営業を続けており、和菓子や土産物を買い求める人々の姿も見られました。かつて江戸時代から続くこの商店街は、参拝者や観光客を迎え入れ、浅草らしい雰囲気を守り続けています。コロナ下の制約がありながらも、暖かく店を開ける人々の姿には、土地に根付いた暮らしの強さや誇りが感じられました。 宝蔵門を抜けて本堂へと向かうと、境内にも思いのほか多くの参拝者が集まっていました。 本堂の中も密になるほどではありませんが、静かな熱気が漂い、それぞれが祈りを捧げている様子は、どこか心に残ります。 浅草寺の歴史は古く、推古天皇の時代、628年(推古天皇36年)に隅田川で漁をしていた兄弟の網に観音像がかかったことに始まるとされます。以来、庶民の信仰を集め、関東大震災や東京大空襲をも乗り越えて、今も多くの人々が願いを込めて足を運ぶ場所であり続けています。 この日は、いつもと違う雷門の姿、静けさの中に漂う浅草の活気、そして歴史に根ざした町の底力を感じる、忘れがたい一日となりました。 旅程 浅草駅 ↓(徒歩) 浅草寺 ↓(徒歩) 浅草駅 関連イベント 周辺のスポット 浅草神社 浅草花やしき 地域の名物 関連スポット リンク 聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺 公式サイト - 浅草寺 お守りを買う | 聖観音宗あさくさかんのん浅草寺 公式サイト 浅草寺/東京の観光公式サイトGO TOKYO

東大寺:国風文化の夜明け前、天平文化の象徴、世界最大級の木造建築

各スポットでで写真を撮ったり説明を読んでいたため、時間がおしていたようで、平城宮跡歴史公園はさっとタクシーで通るだけになりました。その後、東大寺(とうだいじ)のある奈良公園に向かいました。 奈良県奈良市に位置する東大寺は、日本を代表する歴史的な寺院の一つです。奈良時代の752年(天平勝宝4年)に大仏開眼供養が行われ、聖武天皇の発願によって建立されました。国家の安泰と人々の幸福を願うため、国を挙げた壮大な事業として造営されたこの寺は、今日に至るまで多くの人々の信仰を集め続けています。 東大寺といえば、やはり「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏坐像が最も有名です。高さ約15メートルにも及ぶこの大仏は、青銅製としては世界最大級の仏像であり、圧倒的な存在感を放っています。大仏が安置されている大仏殿もまた、かつては世界最大の木造建築として知られ、現在の建物は江戸時代に再建されたものですが、それでもなお壮麗な姿を誇っています。 東大寺の境内は広大で、国宝や重要文化財に指定されている建造物や仏像が数多く点在しています。南大門はその代表例で、鎌倉時代に再建されたこの門は、力強い運慶・快慶作の金剛力士像によって守られています。門をくぐると、参道の先に荘厳な大仏殿がそびえ立ち、その迫力に思わず足を止めてしまうことでしょう。 また、東大寺は仏教文化だけでなく、日本の建築技術や芸術の粋を伝える場所でもあります。春と秋には「お水取り」や「おん祭り」といった伝統行事が行われ、多くの参拝者や観光客で賑わいます。特に東大寺二月堂で行われるお水取りは、1200年以上にわたり途切れることなく続けられてきた行事であり、春の訪れを告げる奈良の風物詩となっています。 自然豊かな奈良公園に隣接しているため、東大寺を訪れると、鹿たちが自由に歩き回る光景にも出会えます。歴史と自然が調和したこの空間は、訪れる人々にやすらぎと感動を与えてくれることでしょう。 東大寺は、単なる観光地ではなく、日本の精神文化を今に伝える貴重な存在です。ぜひ、時間をかけてゆっくりと巡り、その深い歴史と祈りの空気を肌で感じてみてください。 天平文化 奈良時代の中ごろ、8世紀前半から中頃にかけて、日本の歴史の中でも特に華やかな文化が花開きました。それが「天平文化(てんぴょうぶんか)」と呼ばれるものです。この名称は、聖武天皇の治世に用いられた元...

法隆寺:世界最古の木造建築と聖徳太子の遺産

京都・奈良観光に来ています。貸し切りのタクシーで刊行しており、法起寺と山背大兄王の墓所のあと、法隆寺に案内されました。 奈良県斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古の仏教寺院の一つとして知られています。推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられ、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。創建当時は、斑鳩寺(いかるがでら / 鵤寺)と呼ばれていました。歴史の重みを感じるこの寺院は、日本の仏教美術や建築を語る上で欠かせない存在です。 法隆寺の伽藍は、西院伽藍と東院伽藍の二つのエリアに分かれています。西院伽藍には、世界最古の木造建築群が立ち並び、特に金堂と五重塔が有名です。金堂には飛鳥時代の代表的な仏像である釈迦三尊像が安置され、その表情や姿勢からは深い歴史と信仰の重みを感じることができます。五重塔は仏教建築の粋を集めたもので、塔内部には釈迦の入滅や舎利信仰を表す塑像群が残されています。 東院伽藍には、聖徳太子を祀る夢殿が建っています。夢殿は八角形の美しい建築様式を持ち、太子信仰の中心となる場所です。内部には秘仏・救世観音像が安置され、特定の期間のみ御開帳されることで知られています。また、法隆寺には百済観音と呼ばれる国宝の仏像も所蔵されており、その優雅な姿は多くの参拝者を魅了しています。 法隆寺の歴史をひも解くと、670年(天智9年)に火災で焼失し、その後再建されたとされています。これを巡って「法隆寺再建非再建論争」と呼ばれる学術的な議論が行われましたが、現在の伽藍は7世紀後半のものと考えられています。そのため、再建されたものではあるものの、非常に古い建築物として世界的にも貴重な文化財とされています。 法隆寺は単なる歴史的建造物ではなく、日本の仏教文化がどのように根付いていったのかを知る手がかりとなる場所です。その荘厳な雰囲気の中で、飛鳥時代の人々が抱いていた信仰や仏教の広がりを感じ取ることができます。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、悠久の時を超えて受け継がれてきた法隆寺の魅力に触れてみてください。 文化財保護法 日本には数多くの歴史的建物や美術工芸品、伝統芸能や美しい自然環境など、次世代へと引き継ぐべき貴重な文化財があります。これらの文化財を守り、次の世代にも伝えていくために制定されたのが、「文化財保護法(ぶんかざいほごほう)...

東山慈照寺(銀閣寺):侘び・寂びの最高峰、東山文化の源流をたどる静寂の時間

下鴨神社などを参拝したあと、銀閣寺(ぎんかくじ/東山慈照寺/とうざんじしょうぜんじ)に来ました。 京都には数多くの歴史的な寺院が点在していますが、その中でも「銀閣寺」として広く知られる東山慈照寺は、侘び・寂びの美しさを象徴する場所として、多くの人々に親しまれています。 東山慈照寺は、室町幕府8代将軍・足利義政(あしかが よしまさ)が造営した山荘「東山殿」を、彼の死後に禅寺としたものです。義政の祖父・足利義満が建てた金閣寺(鹿苑寺)と対になる存在ですが、金閣寺のように豪華な金箔が施されているわけではありません。それにもかかわらず、その簡素で静謐(せいひつ)な美しさが、多くの人々を魅了し続けています。 銀閣寺の中心となる建物は、国宝にも指定されている「観音殿」です。観音殿は二層構造になっており、一階は書院造、二階は禅宗様式が取り入れられています。金箔を施した華やかな金閣寺に対し、銀閣寺は自然と調和した落ち着いた美しさを持ち、わび・さびの精神を体現しています。この控えめな趣こそが、東山文化の洗練された美意識を象徴しているのです。 庭園もまた、銀閣寺の魅力の一つです。池泉回遊式庭園で、特別史跡および特別名勝に指定されています。特に目を引くのが、白砂を波のように整えた「銀沙灘」と、その一角にある円錐形の「向月台」です。銀沙灘は水の流れを表し、向月台は月光を反射するように設計されているといわれています。これらの美しい砂紋は、見る人の心を静め、深い余韻を残します。 足利義政は、応仁の乱によって荒廃した京都の中で、政治から距離を置きながら東山文化を育みました。茶道、生け花、水墨画など、現在の日本文化の根幹をなす美意識がこの地で洗練されていったのです。そのため、銀閣寺は単なる寺院ではなく、日本の美学を語る上で欠かせない存在となっています。 京都を訪れる際には、ぜひ銀閣寺の静寂に包まれて、わび・さびの世界に浸ってみてはいかがでしょうか。華やかさを追求するのではなく、あえて質素な美を楽しむという日本独特の感性を体験できる場所です。銀閣寺の趣ある佇まいは、過去から未来へと受け継がれる日本文化の本質を伝えてくれることでしょう。 足利義政 室町幕府の第8代将軍である足利義政(あしかが よしまさ)は、日本史において大きな転換点となる時代を生きた人物です。彼の治世は、戦乱の時代の幕開けとなる応仁の...

南禅寺:水路閣のアーチを越えて、歴史と自然が織りなす静寂の世界

コロナのパンデミックにより観光客がほとんどいなくなった京都・奈良に旅行に来ています。この記事は2025年に書いていますが、当時はこれほど深刻なものになるとは想像すらできませんでしたが、マスクは当然のことですが、貸し切りの観光タクシーを予約して、他者との接触を可能な限り減らしての旅行でした。 午前中、建仁寺などを廻ったあと昼食をとり、南禅寺に来ました。 京都の数ある名刹の中でも、ひときわ重厚な存在感を放つのが南禅寺(なんぜんじ)です。臨済宗南禅寺派の大本山として知られるこの寺は、鎌倉時代末期、亀山上皇の勅願によって建立されました。日本の禅宗寺院の中でも格式の高さは随一で、「五山之上」と称される特別な地位を持っています。 南禅寺といえば、まず目に飛び込んでくるのが圧倒的な大きさを誇る三門です。石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と称賛したことで知られ、実際に楼上に登れば、眼下に広がる京都の街並みと周囲の山々が一望できます。その風景は、時代を超えて訪れる者の心を打ち続けています。 境内を歩くと、枯山水の庭園や、歴史を刻んだ堂宇が静かに佇んでいます。特に方丈庭園は、小堀遠州の作と伝えられ、白砂と石組みの織りなす静謐な世界が広がっています。見る者の心を自然と鎮め、日常の喧騒を忘れさせてくれる場所です。 また、境内には明治時代に建設された水路閣もあり、南禅寺の中でも異彩を放っています。この赤煉瓦造りのアーチは、琵琶湖疏水を京都市内に運ぶために造られたものです。和の風情漂う南禅寺の中にあって、洋風のデザインが不思議と調和し、今では写真スポットとしても人気を集めています。 季節ごとに表情を変える南禅寺は、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、一年を通して楽しめるのも魅力のひとつです。特に紅葉の時期には、多くの人々が訪れ、境内は赤や橙に染まった幻想的な世界へと変わります。 歴史、建築、美しい自然がひとつに溶け合う南禅寺。京都を訪れたなら、ぜひゆっくりと時間をかけて歩いてみたい場所です。静かに流れる時間の中で、自分自身と向き合う、そんな特別なひとときを過ごすことができるでしょう。 鹿ケ谷の陰謀 平安時代末期、平清盛が絶大な権力を握る中で起こった事件に「鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)」があります。1177年(治承元年)、京都の鹿ケ谷(現在の南禅寺周辺)の山荘に集まった僧侶や貴族...

元離宮二条城:石垣にしみる春の雨音、江戸幕府の始まりと終わりの舞台

2泊3日の京都、奈良の旅行に来ました。本日は初日で、今日明日は京都観光を効率よくめぐるため、観光タクシーを予約しました。あいにくの小雨ですが、伏見稲荷大社、三十三間堂を見て、二条城へ向かいました。春の訪れには少し早い肌寒さの中、雨に煙る石垣と瓦屋根が、かえって往時の気配を濃くしてくれるような、静謐な時間でした。 二条城は、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の宿所として築いた城で、江戸幕府の権威を象徴する存在でした。完成は1603年(慶長8年)。幕末には十五代将軍徳川慶喜が大政奉還を宣言した舞台ともなり、始まりと終わり、ふたつの歴史の節目に深く関わった場所です。その意味で、ここを歩くことは、日本の近世史を足元から辿るような体験でもありました。 私は東大手門から城内に入りました。重厚な番所を抜け、まず目を引かれたのは唐門の華やかさでした。極彩色の彫刻が施されたその姿は、まるで幕府の威信を彫り込んだような迫力があり、薄曇りの空の下でも堂々と輝いていました。 続いて国宝・二の丸御殿に足を踏み入れると、長い廊下に導かれながら、次々に現れる豪奢な襖絵と床の間の意匠に圧倒されました。狩野派の筆による虎や松の絵が、来客に威厳を示す装飾として機能していたといいます。将軍と諸大名がこの空間でどのようなやりとりを交わしたのか、想像するだけで胸が高鳴ります。 御殿を出ると、目の前に広がるのは二の丸庭園。池を中心に石橋や築山を配した典型的な書院造庭園で、雨に濡れた苔がしっとりと深い緑を湛えていました。雨の日の庭園というのは、音も匂いも含めて、どこか優しく心に染み入ってくるものです。観光客の数も少なく、静けさの中に水音だけが響き、庭そのものの呼吸が聞こえるような錯覚すら覚えました。 その後、本丸櫓門をくぐり、本丸庭園を歩き、かつて五層の天守がそびえていた天守閣跡にも登りました。いまは石垣だけが残りますが、ここから見渡す京都の町並みには、過ぎ去った時間の重みが確かに感じられます。 城内には土蔵や仕切門、そして名勝・清流園などもあり、建築と庭園の両面から城の構造や美意識を読み解くことができます。最終的には東大手門へと戻り、再び外の雨音に包まれながら、私はタクシーに乗り込みました。 歴史の舞台としての荘厳さと、雨に潤う静けさが交錯する二条城。その日訪れた記憶は、旅の中でもひときわ深く心に残っています...