スキップしてメイン コンテンツに移動

南禅寺:水路閣のアーチを越えて、歴史と自然が織りなす静寂の世界

コロナのパンデミックにより観光客がほとんどいなくなった京都・奈良に旅行に来ています。この記事は2025年に書いていますが、当時はこれほど深刻なものになるとは想像すらできませんでしたが、マスクは当然のことですが、貸し切りの観光タクシーを予約して、他者との接触を可能な限り減らしての旅行でした。

午前中、建仁寺などを廻ったあと昼食をとり、南禅寺に来ました。

京都の数ある名刹の中でも、ひときわ重厚な存在感を放つのが南禅寺(なんぜんじ)です。臨済宗南禅寺派の大本山として知られるこの寺は、鎌倉時代末期、亀山上皇の勅願によって建立されました。日本の禅宗寺院の中でも格式の高さは随一で、「五山之上」と称される特別な地位を持っています。

南禅寺といえば、まず目に飛び込んでくるのが圧倒的な大きさを誇る三門です。石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と称賛したことで知られ、実際に楼上に登れば、眼下に広がる京都の街並みと周囲の山々が一望できます。その風景は、時代を超えて訪れる者の心を打ち続けています。

境内を歩くと、枯山水の庭園や、歴史を刻んだ堂宇が静かに佇んでいます。特に方丈庭園は、小堀遠州の作と伝えられ、白砂と石組みの織りなす静謐な世界が広がっています。見る者の心を自然と鎮め、日常の喧騒を忘れさせてくれる場所です。

また、境内には明治時代に建設された水路閣もあり、南禅寺の中でも異彩を放っています。この赤煉瓦造りのアーチは、琵琶湖疏水を京都市内に運ぶために造られたものです。和の風情漂う南禅寺の中にあって、洋風のデザインが不思議と調和し、今では写真スポットとしても人気を集めています。

季節ごとに表情を変える南禅寺は、春の桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と、一年を通して楽しめるのも魅力のひとつです。特に紅葉の時期には、多くの人々が訪れ、境内は赤や橙に染まった幻想的な世界へと変わります。

歴史、建築、美しい自然がひとつに溶け合う南禅寺。京都を訪れたなら、ぜひゆっくりと時間をかけて歩いてみたい場所です。静かに流れる時間の中で、自分自身と向き合う、そんな特別なひとときを過ごすことができるでしょう。

鹿ケ谷の陰謀

平安時代末期、平清盛が絶大な権力を握る中で起こった事件に「鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)」があります。1177年(治承元年)、京都の鹿ケ谷(現在の南禅寺周辺)の山荘に集まった僧侶や貴族たちが、平家打倒を企てたとされています。この陰謀は未然に発覚し、参加者たちは厳しい処罰を受けました。

中心となったのは、僧侶の俊寛(しゅんかん)や藤原成親(ふじわら の なりちか)、後白河法皇の側近たちでした。彼らは平家の専横に不満を抱き、平家政権を覆そうと密議を重ねていたと伝えられています。しかし、計画は事前に漏れてしまい、平清盛に知られるところとなります。

清盛はすぐに対応し、陰謀に関与した者たちを一斉に捕らえました。俊寛は遠く鬼界ヶ島へ流され、藤原成親は死を賜りました。他にも多くの人々が流罪や死刑に処され、この事件をきっかけに、平家による支配はますます強化されていきます。

鹿ケ谷の陰謀は、単なる権力争いの一局面にとどまらず、後白河院政と平家政権の対立を象徴する出来事でもありました。この事件によって、貴族たちの間に広がっていた平家への反発がいったん抑え込まれ、以後の日本史における権力構造にも大きな影響を与えました。

現在、陰謀の舞台とされる鹿ケ谷には、俊寛にゆかりのある小堂や伝承地が残されています。南禅寺周辺の静かな山裾を歩くと、かつての緊張と陰謀の空気をかすかに感じ取ることができるかもしれません。歴史に思いを馳せながら、鹿ケ谷の地を訪ねてみるのも良いでしょう。

旅程

ホテル

↓(タクシー)

(略)

↓(タクシー)

将軍塚青龍殿

↓(タクシー)

南禅寺

↓(タクシー)

下鴨神社

↓(タクシー)

東山慈照寺

↓(タクシー)

高台寺

↓(タクシー)

(略)

↓(タクシー)

京都駅

関連イベント


周辺のスポット

  • 法勝寺九重の塔跡

地域の名物


関連スポット


リンク

コメント

このブログの人気の投稿

法隆寺:世界最古の木造建築と聖徳太子の遺産

京都・奈良観光に来ています。貸し切りのタクシーで刊行しており、法起寺と山背大兄王の墓所のあと、法隆寺に案内されました。 奈良県斑鳩町にある法隆寺(ほうりゅうじ)は、日本最古の仏教寺院の一つとして知られています。推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって創建されたと伝えられ、1993年にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。創建当時は、斑鳩寺(いかるがでら / 鵤寺)と呼ばれていました。歴史の重みを感じるこの寺院は、日本の仏教美術や建築を語る上で欠かせない存在です。 法隆寺の伽藍は、西院伽藍と東院伽藍の二つのエリアに分かれています。西院伽藍には、世界最古の木造建築群が立ち並び、特に金堂と五重塔が有名です。金堂には飛鳥時代の代表的な仏像である釈迦三尊像が安置され、その表情や姿勢からは深い歴史と信仰の重みを感じることができます。五重塔は仏教建築の粋を集めたもので、塔内部には釈迦の入滅や舎利信仰を表す塑像群が残されています。 東院伽藍には、聖徳太子を祀る夢殿が建っています。夢殿は八角形の美しい建築様式を持ち、太子信仰の中心となる場所です。内部には秘仏・救世観音像が安置され、特定の期間のみ御開帳されることで知られています。また、法隆寺には百済観音と呼ばれる国宝の仏像も所蔵されており、その優雅な姿は多くの参拝者を魅了しています。 法隆寺の歴史をひも解くと、670年(天智9年)に火災で焼失し、その後再建されたとされています。これを巡って「法隆寺再建非再建論争」と呼ばれる学術的な議論が行われましたが、現在の伽藍は7世紀後半のものと考えられています。そのため、再建されたものではあるものの、非常に古い建築物として世界的にも貴重な文化財とされています。 法隆寺は単なる歴史的建造物ではなく、日本の仏教文化がどのように根付いていったのかを知る手がかりとなる場所です。その荘厳な雰囲気の中で、飛鳥時代の人々が抱いていた信仰や仏教の広がりを感じ取ることができます。奈良を訪れる際には、ぜひ足を運び、悠久の時を超えて受け継がれてきた法隆寺の魅力に触れてみてください。 文化財保護法 日本には数多くの歴史的建物や美術工芸品、伝統芸能や美しい自然環境など、次世代へと引き継ぐべき貴重な文化財があります。これらの文化財を守り、次の世代にも伝えていくために制定されたのが、「文化財保護法(ぶんかざいほごほう)...

桐生市の歴史的な建造物群:西桐生駅、蒲焼 泉新、矢野園、有鄰館、まちなか交流館、平田家住宅旧店舗、森合資会社事務所・店蔵・石蔵(旧穀蔵)、一の湯、旧桐生高等染織学校講堂、無鄰館、旧曽我織物工場

群馬県桐生市は、江戸時代から続く織物の町として知られ、かつて「桐生新町(きりゅうしんまち)」と呼ばれた歴史ある地域です。市内には桐生明治館や桐生織物記念館、桐生天満宮、織物参考館・紫といった代表的な施設だけでなく、今もなお往時の面影を色濃く残す歴史的建造物が数多く点在しています。これらの建造物群は、伝統的な町並みや商家、蔵などが連なり、まるで時代を遡ったかのような雰囲気を味わうことができます。 特に「桐生新町」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、歴史と文化の香りを今に伝える貴重なエリアです。昔ながらの格子戸や石畳、重厚な蔵造りの家々が並ぶ風景は、歩くだけで桐生の長い歴史や人々の暮らしを感じさせてくれます。この記事では、そんな桐生新町の歴史的建造物群についてご紹介したいと思います。 西桐生駅 西桐生駅は、木造の趣ある駅舎が印象的な駅です。1928年(昭和3年)の開業以来、上毛電気鉄道の駅として、現在も多くの人々に利用されています。時代の移り変わりの中で、駅舎そのものは大きな改修を受けることなく、当時の面影を色濃く残しているため、歴史好きの方やレトロな雰囲気を味わいたい方にとって、心惹かれるスポットとなっています。 私が訪れた日は、真夏のような強い日差しが照りつける暑い日でした。ホームや駅舎の待合スペースでは、電車を待つ人々だけでなく、ベンチで休憩をとる方や、涼を求めて飲み物や軽食を楽しむ方の姿も見られました。昔ながらの木造駅舎にはどこか心地よい落ち着きがあり、旅の合間にほっと一息つくにはぴったりの空間です。 私も駅舎内の自動販売機でアイスクリームを買い、ベンチに腰掛けてしばし涼を取りました。外の暑さを忘れさせてくれるような、静かな時間が流れていたのが印象的です。長い歴史を持つ西桐生駅は、日常の中にそっと溶け込みつつ、訪れる人に昔懐かしい風景と、ひとときのやすらぎを与えてくれる場所だと感じました。 蒲焼 泉新 桐生の町を歩いていると、ふと香ばしいうなぎの香りが漂ってきました。そこにあるのが、天保元年(1829年)創業の老舗「蒲焼 泉新(いずしん)」です。長い歴史を持つうなぎ料理屋で、創業以来、地元の人々や旅人に親しまれてきました。建物自体がいつ建てられたものかははっきりとは分かりませんが、昭和61年に曳き移転されたという記録が残っており、それ以前からこの...

大阪・関西万博:夢洲に描かれた、テクノロジーと文化が交差する場所

4月から通信制の大学に入学したので、しばらくは旅行は月に一回ぐらいで我慢しようと思います。今月は始まったばかりの万博に行くことにしました。 2025年、再び大阪に世界が集まります。舞台となるのは、大阪湾に浮かぶ人工島・夢洲。ここで開催されるのが「2025年日本国際博覧会」、通称「大阪・関西万博」です。1970年に開催された伝説的な大阪万博から55年、今回は「いのち輝く未来社会のデザイン」という壮大なテーマのもと、人と地球、そして社会のあり方を問う万博が始まろうとしています。 会場の中央には「リング」と呼ばれる巨大な円形の構造物が設けられ、その周囲を各国のパビリオンや企業展示が囲みます。まるで未来都市のような空間で、来場者はぐるりと円を巡りながら、さまざまな価値観やテクノロジー、文化と出会うことになります。今回の万博では、150を超える国と地域が参加予定で、各国が独自の視点で「いのち」と「未来社会」に迫る展示を行います。 企業パビリオンでは、日本の最先端技術が一堂に会し、たとえば空飛ぶクルマや自動運転の次世代モビリティが実際に体験できる機会もあります。デジタル技術を駆使した展示や、環境配慮を徹底した建築・運営方法も注目されており、まさに未来社会の「実験場」として機能することが期待されています。 また、未来の社会課題に対する解決の糸口を探る場として、万博の副題には「未来社会の実験場(People's Living Lab)」という言葉が掲げられています。ここでは、技術だけではなく、人と人のつながりや、文化の融合、自然との共生といった、より根本的な問題についても来場者に問いかけてきます。 この万博のもうひとつの魅力が、公式キャラクター「ミャクミャク」です。一度見たら忘れられないユニークな姿は、生命の細胞と水の流れをイメージしており、「いのち」のコンセプトを象徴する存在として多くの人々に愛されています。 大阪・関西万博は、過去の栄光を振り返るだけのイベントではありません。これは、これからの日本、そして世界がどう生きていくのか、その道を模索するための舞台です。都市と自然、伝統と革新、個と共生のバランスをどう取るのか――夢洲の地で繰り広げられる6か月間の対話が、私たちにそのヒントを示してくれることでしょう。 GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION 大阪・...