日帰りで宮城県の松島に行くため予定を立てたところ、多少時間があまりそうだったので、先に仙台のスポットをいくつか行くことにし、仙台城跡(せんだいじょうあと)に来ました。急遽予定に入れたため、きちんと調べずに行ったわけですが、3月の福島県沖地震の影響で伊達政宗公騎馬像が壊れており、再建中でした。
仙台市を代表する歴史的なスポットといえば、やはり仙台城です。青葉城の名でも知られ、伊達政宗が築いたこの城は、戦国時代から江戸時代にかけての歴史を感じられる場所として、多くの観光客に親しまれています。
仙台城が築かれたのは1601年(慶長6年)のことです。豊臣秀吉の死後、徳川家康が勢力を強める中で、伊達政宗は新たな拠点を求めて築城を決意しました。選ばれたのは、広瀬川に面し、天然の要害として守りに優れた青葉山でした。城の構造も特徴的で、多くの城に見られる天守閣が設けられなかったことが知られています。その理由については諸説ありますが、一説には幕府に対する配慮からだったともいわれています。
仙台城の本丸は広く、かつては立派な大広間や櫓が建ち並んでいました。しかし、明治時代の廃城令により多くの建物が取り壊され、残っていた建物も第二次世界大戦の空襲によって失われてしまいました。現在では、石垣や門の跡が残るのみですが、仙台城跡は公園として整備され、歴史を感じられる場所となっています。
この城跡を訪れたら、まず目に入るのが伊達政宗の騎馬像です。堂々とした姿で広瀬川を見下ろすこの像は、仙台のシンボルともいえる存在です。また、仙台城見聞館や青葉城本丸会館では、城の歴史や当時の様子を学べる展示があり、より深く仙台城について知ることができます。
本丸跡からは仙台市内を一望できるので、夕方の時間帯に訪れると、美しい景色とともに歴史のロマンを感じることができるでしょう。
仙台城跡には宮城県護国神社も鎮座しています。
仙台駅からのアクセスも便利で、観光バス「るーぷる仙台」を利用すれば、約20分で城跡に到着します。車で訪れることもでき、駐車場も用意されています。歴史好きの方はもちろん、仙台の景色を楽しみたい方にもおすすめのスポットです。
仙台城を訪れることで、伊達政宗が築いた城の歴史や、その壮大なロマンに思いを馳せることができるでしょう。城跡を歩きながら、かつてここにあった天守なき名城の姿を想像するのも、旅の醍醐味のひとつかもしれません。
宮城県護国神社
仙台市の観光スポットとして知られる仙台城跡。その一角に、静かに佇む宮城県護国神社(みやぎけんごこくじんじゃ)があります。この神社は、戦争で亡くなった宮城県出身の方々を慰霊するために創建されました。歴史のある仙台城跡を訪れる際には、ぜひ足を運んでみたい場所のひとつです。
宮城県護国神社が創建されたのは1904年(明治37年)のことです。日露戦争で戦没した宮城県ゆかりの英霊を慰霊するために建てられました。現在では約56,000柱の英霊が祀られ、戦争の記憶を伝える大切な場所となっています。戦後の一時期には存続が危ぶまれたものの、平和への願いとともに1958年(昭和33年)に再興され、今日に至ります。
仙台城跡を訪れる際には、宮城県護国神社にもぜひ立ち寄ってみてください。過去に思いを馳せながら、今ある平和の大切さを改めて感じることができる場所です。
塵芥集
戦国時代、各地の大名たちは自らの領国を統治するために分国法(ぶんこくほう)という独自の法律を定めました。その中でも、伊達氏によって制定された『塵芥集(じんかいしゅう)』は、東北地方の戦国法として特に注目されるものです。1536年(天文5年)、伊達稙宗(たねむね)によって編纂されたこの法令は、伊達家の家臣や領民を統治するためのルールを定めたものです。
『塵芥集』は全部で171か条から成り立ち、政治や軍事、司法、社会制度など、幅広い内容を含んでいます。
現代においても、『塵芥集』は歴史研究の重要な資料の一つとして位置づけられています。戦国時代の法律がどのように機能していたのかを知る手がかりとなるだけでなく、当時の人々の価値観や社会の在り方を知ることができる貴重な記録です。伊達家の統治がどのように行われていたのかを知る上で、『塵芥集』を読み解くことはとても興味深いものといえるでしょう。
旅程
東京
↓(新幹線)
仙台駅
↓(バス)
瑞巌寺
↓(バス)
↓(徒歩)
国際センター駅
↓(仙台市営東西線)
仙台駅
↓
(略)
関連イベント
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