スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2月, 2023の投稿を表示しています

箱根関所:雪残る旧街道と湖畔の歴史、江戸の旅路をたどる

本日は、箱根関所を訪れるため、晴れた冬の日に旅に出ました。 午前中は三島スカイウォークや山中城跡を巡り、バスで箱根峠まで移動しました。箱根峠からは、旧東海道を徒歩で下ることにしました。道中、部分的に昔の石畳が残り、ところどころには雪が積もっていました。現代の靴や装備でも足元が滑りやすく、慎重に歩を進めなければならず、江戸時代の人々がこの道を越えた苦労は、想像以上のものだったのだろうと実感しました。 道を進み、やがて芦ノ湖(あしのこ)が目の前に広がりました。湖面は澄み、冬の空気に包まれた景色がとても印象的でした。かつての旅人も、同じように湖を見下ろしながら、これまで歩んできた道のりやこれから先の旅を思い描いたのかもしれません。 箱根関所は、今では観光地として整備され、かつての厳重な雰囲気を再現した施設が立ち並んでいます。 関所の建物を歩くと、江戸時代の旅の緊張感や人々の往来を感じさせる展示が並び、当時の雰囲気を今に伝えています。関所は、江戸幕府が箱根を東西の要所として設けた交通と警備の拠点であり、特に「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まったことで知られています。旅人は関所を通るたびに身分証明や持ち物検査を受け、女性の通行には特に厳しい制限が設けられていました。 その後、箱根関所資料館を訪ね、当時の関所の仕組みや、実際に使用されていた道具、通行手形などを間近に見ることができました。資料館では、関所の歴史的な意義だけでなく、当時の人々の暮らしや旅路の厳しさも感じることができ、改めて江戸時代の交通制度の大切さや、その中で生きた人々の物語に思いを馳せました。 歴史の舞台となった場所を自分の足で歩き、当時の空気を少しでも感じることで、机上で学ぶ以上の気づきや感慨がありました。箱根の地に今も息づく歴史を、改めて身近に感じた一日となりました。 旅程 東京 ↓(新幹線) 三島駅 ↓(バス) 三島スカイウォーク ↓(バス) 山中城跡 ↓(バス) 箱根峠 ↓(徒歩) 箱根関所 ↓(バス) 小田原城 ↓(徒歩) 小田原駅 ↓(新幹線) 東京 関連イベント 周辺のスポット 地域の名物 関連スポット リンク 箱根町 箱根関所『よみがえった箱根関所』 400年前の箱根関所を完全復元!芦ノ湖の穴場な歴史スポットを紹介 | たびらい観光情報 箱根関所 | 箱根ナビ 箱根関所 旅物語館|静鉄リテイリング...

山中城跡

静岡県の三島スカイウォーク~箱根関所~小田原城を観光してきました。 三島スカイウォーク~箱根関所の途中に山中城跡というのがあったので、バスから降りてみました。 山中城は、北条氏康によって築城され、豊臣氏の小田原征伐における防衛地点の一つでした。北条氏(後北条氏)の滅亡後、山中城も廃城となりました。 他の大名に使用されたり改築することなく廃城となったため、北条氏の特徴が強く残っています。 1930年(昭和9年)に国指定史跡となり、2006年(平成18年)には日本100名城にも選ばれました。 場所は東海道の箱根関所と三島宿の中間ぐらいになります。 山中城跡には、天守閣は復元されていませんが、特徴的な堀が再現されています。上からみると障子のようになっており、障子堀といいます。 城跡のさまざまな場所から富士山を見ることができます。 山中城の堀は石垣を用いずに土のみで造られ、水のない空堀でした。当時から同じような光景を見ていたと思います。 曲輪(くるわ)は土塁、石垣、堀などで城内を分割した区画で、日本では本丸(ほんまる)、二の丸(にのまる)、三の丸(さんのまる)などと名付けられています。山中城にも本丸などの曲輪がいくつかあります。 一番先端にあるすりばち曲輪は、すり鉢状になっており、防衛の拠点でした。 山中城跡のすぐ横には宗閑寺があり、北条軍、豊臣軍の武将たちのお墓があります。敵味方が同じお寺に、しかも陥落した城のすぐ横のお寺にお墓があるというのは、日本的な感じがします。 宗閑寺は副将の間宮康俊 (まみややすとし)の娘の於久の方(おひさのかた)が亡き父を弔うために創建しました。於久の方は後に徳川家康の側室となります。 山中城主の松田直長(まつだなおなが)のお墓には、クルス紋があり、キリシタンであった可能性があります。 他に、間宮康俊の兄弟や一族、多米長定、豊臣軍の一柳直末(ひとつやなぎ なおすえ)などのお墓があります。 旅程 東京 ↓(新幹線) 三島駅 ↓(バス) 三島スカイウォーク ↓(バス) 山中城跡 ↓(バス) 箱根峠 ↓(徒歩) 箱根関所 ↓(バス) 小田原城 ↓(徒歩) 小田原駅 ↓(新幹線) 東京 周辺のスポット 三島スカイウォーク 箱根峠 地域の名物 関連スポット 箱根関所 三島宿 リンク 山中城跡公園 | 三島市観光Web 山中城跡(国指定文化財「史跡」)|三...

川越まつり会館

川越まつり会館では山車(だし)などが展示され、川越まつりについて学ぶことができます。 川越まつりは、慶安元年(1648)に川越藩主松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・太鼓等を寄進し祭礼を奨励し、慶安4年(1651)から神輿が渡御(とぎょ)したのが始まりだそうです。 ユネスコ無形文化遺産に登録されています。 旅程 東京 ↓(電車) 川越駅 周辺のスポット 時の鐘 地域の名物 関連スポット リンク 川越まつり会館 川越まつり会館 川越市 川越まつり会館|埼玉県公式観光サイト ちょこたび埼玉

富岡製糸場:世界遺産で感じる、近代日本の原点、静かに時を刻む糸を紡いだ少女たちの記憶

世界遺産の富岡製糸場(とみおかせいしじょう)を見学するため、群馬県の富岡市に来ました。 群馬県富岡市にある富岡製糸場は、日本が近代国家へと歩み始めた明治初期に建設された、日本初の本格的な器械製糸工場です。創設は1872年(明治5年)。日本がまだ西洋の技術に目を見張り、積極的に取り入れようとしていた時代に、明治政府が設立した国営工場でした。 この製糸場が特別なのは、当時の最先端技術をフランスから導入して、日本の生糸生産の品質と生産量を一気に高めようとしたところにあります。富岡製糸場では、フランス人技師のポール・ブリューナの指導のもと、大規模な製糸工場が建てられました。その象徴とも言えるのが、長さ約140メートルもある繰糸所です。フランス式の木骨レンガ造で建てられており、明治期の技術と美意識が見事に融合した建物です。 工場で働いていたのは主に若い女性たち、いわゆる工女と呼ばれる人々でした。彼女たちが暮らした寄宿舎(女工館 / じょこうかん)や、教育や医療体制など、当時としては先進的な職場環境が整えられていたことが、最近の研究でも明らかになってきています。一方で、後の時代に生まれた『女工哀史』のような文学が描いた過酷な労働のイメージもあり、富岡製糸場にはそうした歴史の複雑さも宿っています。 工場内には、繭の保管倉庫だった「西置繭所」や、フランス人技師が実際に暮らした「ブリュナ館(首長館)」も残っており、ただの産業施設ではなく、当時の生活や文化の痕跡を今に伝えてくれる貴重な場所です。 2014年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコの世界文化遺産に登録され、国内外から多くの観光客が訪れるようになりました。今も当時の建物の多くが良好な保存状態で残されており、敷地内を歩いていると、まるで明治の空気に触れているかのような感覚になります。 アクセスは、上信電鉄の上州富岡駅から徒歩で約15分ほど。入場料は大人で1,000円と、世界遺産としては比較的手頃で、ガイドツアーや音声ガイドなども用意されていますので、歴史に詳しくない方でも楽しめるようになっています。 近代日本の産業の原点に立ち返りたいとき、あるいは明治時代の息吹を感じてみたいとき、富岡製糸場は最良の訪問先のひとつだと思います。明治の夢が、今も赤レンガの壁の奥に静かに息づいています。 殖産興業 明治時代の日本は、幕末の開...

江戸城跡:皇居東御苑:消えた天守閣と、残された風景、時を超えて佇む城跡に、江戸の静けさを聴く

今日は皇居東御苑にある江戸城跡に来ました。 東京・千代田区の中心部に位置する「江戸城跡」は、かつて徳川幕府の本拠地として栄えた場所です。現在では皇居として使われており、一般に立ち入れるエリアも整備され、都会の喧騒の中にあって静かで落ち着いた時間を過ごせる歴史スポットとして人気があります。 もともとこの場所に城を築いたのは、室町時代の武将・太田道灌でした。1457年(康正3年)に築かれた江戸城は、当時はまだ小さな城でしたが、1590年(天正18年)に徳川家康が入城し、本格的な改修と拡張が行われます。そして1603年(慶長8年)、家康が江戸幕府を開いたことにより、この城は日本の政治の中心地となりました。以来、江戸城は15代にわたる将軍たちの居城として、260年以上にわたる平和な時代を見守ってきたのです。 現在、江戸城跡の一部は「皇居東御苑」として整備されており、無料で一般公開されています。ここでは、かつての本丸や二の丸、三の丸の一部を散策することができ、歴史好きにはたまらない空間となっています。特に印象的なのは、天守台と呼ばれる巨大な石の土台です。実は江戸城には、かつて五重の壮麗な天守閣が存在していましたが、1657年(明暦3年)の明暦の大火で焼失してしまい、その後は再建されることなく、今に至っています。それでもこの天守台に立ってみると、往時の江戸城の壮大さが想像でき、しばし時を忘れてしまいます。 また、大手門や富士見櫓といった防御施設の名残も残っており、当時の築城技術の高さや、将軍の居城としての威厳を随所に感じることができます。特に大手門は、江戸城の正門として堂々たる存在感を放っており、門をくぐると一気に江戸時代へと引き込まれるような感覚を覚えるでしょう。 さらに、皇居前広場から望む「二重橋」は、観光客に人気の写真スポットとなっています。現在の二重橋は、実際には二重構造ではありませんが、その優雅な姿が訪れる人々の心を和ませてくれます。 江戸城跡を歩くと、現代の東京のど真ん中にありながら、どこか静かで時間がゆっくり流れているように感じられます。春には梅や桜が咲き誇り、秋には紅葉が彩りを添えるこの場所は、歴史と自然の両方を楽しめる、贅沢な空間だといえるでしょう。 江戸城は単なる遺跡ではなく、今もなお東京という都市の中心に息づいています。時代を超えて続いてきた日本の政治と文...

皇居: 一般参観

皇居の一般参観に申し込んで、参加しました。 皇居(こうきょ)は、天皇の住まいであり、皇室の公式な居所です。東京都千代田区に位置し、もともとは江戸時代に徳川将軍家が居住していた江戸城の跡地にあります。 1869年(明治2年)、東京奠都(とうきょうてんと)で京都から東京に首都が移され、天皇の居住地も東京に移りました。このときから、この場所が皇居として使用されるようになりました。 皇居の敷地は非常に広大で、美しい庭園や緑地が広がっており、多くの建物が点在しています。主な建物には、天皇が日常的に生活している「御所」や、重要な儀式が行われる「宮殿」、そして天皇一家の公務や国賓の接遇に使用される「吹上御所」などがあります。 また、皇居は一般の人々にも一部開放されており、「皇居東御苑」や「皇居外苑」などは自由に散策することができます。また、新年や天皇誕生日などの特定の行事の際には、一般参賀が行われ、多くの人々が皇居を訪れます。 皇居は、歴史的な価値や自然の美しさに加えて、現代の日本においても重要な文化的・象徴的な存在であり続けています。 皇居の一般参観は、皇居内部を一般の人々が見学できる貴重な機会です。宮内庁が事前予約制で開催しており、歴史的な建物や庭園を見学することができます。 最初に、窓明館(そうめいかん)で説明を受けます。 元枢密院庁舎の皇宮警察本部前を通ります。1921年(大正10年)に作られました。 そして、富士見櫓が見えてきます。江戸城のときに作られたものです。 さらに進むと見えてくる建物が、宮内庁庁舎です。皇居の中にあるんですね。 そして、宮殿前の宮殿東庭です。 そして、宮殿。天皇誕生日などの一般参賀でテレビよく見るところです。 その後、正門鉄橋(二重橋)に向かいます。古いランプが残っています。 その橋の上から見えるのが、伏見櫓です。 その後、裏側を廻って終了です。 旅程 東京駅 ↓(徒歩) 皇居 ↓(徒歩) 東京駅 関連イベント 周辺のスポット 江戸城跡 昭和館 三菱一号館美術館 東京国立近代美術館 科学技術館 靖國神社/遊就館 地域の名物 関連スポット リンク 宮内庁参観案内:施設情報:皇居 皇居 - 宮内庁 皇居東御苑 - 宮内庁 皇居外苑|皇居外苑|国民公園|環境省 皇居東御苑(スポット紹介)|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Ch...