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4月, 2025の投稿を表示しています

玉川大学教育博物館:歴史の中の教室を歩く、教育をめぐるまなざし

今月から学芸員の勉強をするために玉川大学の通信教育課程に入学しました。本日、初めて玉川大学のキャンパスに足を運び、教育博物館を訪れました。キャンパスを訪れるのは初めてで、今後のオフラインスクーリングのためにキャンパスや周辺の店を見る目的もあり、胸が高鳴る思いでした。 博物館では、特に第一展示室の「教育史」に焦点を当てて見学しました。展示室に足を踏み入れると、縄文時代の勝坂式土器や古代遺跡の出土品が目に飛び込んできました。人類が文字を持つ以前から、技術や知識を伝えてきたことを物語る遺物に、教育の根源的な意味を感じます。 展示は江戸時代の教育へと進み、幕府の直轄機関である昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)や湯島聖堂(ゆしませいどう)が紹介されていました。儒学を中心とした学びが、武士たちの教養形成に大きな役割を果たしていたことがよくわかります。一方で、蘭学や国学も発展していたことから、当時の知識体系が意外にも多様だったことに驚かされました。 藩校の資料も豊富で、水戸藩の弘道館(こうどうかん)や庄内藩の致道館(ちどうかん)、津和野藩の養老館(ようろうかん)など、各地で特色ある教育が行われていたことが伝わってきます。貧しい者にも無償で藩校出版物を配布していたという話には、当時の教育への情熱と社会的意義を感じずにはいられませんでした。 さらに、私塾や寺子屋にもスポットが当てられており、広瀬淡窓(ひろせ たんそう)の咸宜園(かんぎえん)や緒方洪庵(おがた こうあん)の適塾(てきじゅ)、吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)など、民間で営まれた教育の力強さに心を打たれました。特に寺子屋の起源が室町時代後期の寺院教育に遡ると知り、日本の教育文化の奥深さに改めて感動しました。 また、江戸時代後期の科学の発展を伝えるコーナーも興味深かったです。『解体新書』に代表される医学書や、地球説略(ちきゅうせつりゃく)、植物啓原(しょくがくけいげん)など、学問の成果が具体的な形で紹介されており、知識の探求が時代を超えて続いてきたことを実感しました。 展示は明治以降の近代教育にも及びます。学制や小学校令の制定による教育制度の整備、国定教科書の登場など、国家主導の教育改革が進められた様子が丁寧に紹介されていました。その一方で、植民地支配下での日本語教育という重いテーマにも触れられており、教育の...

昭和館:戦争を知らない世代へ、銃後、黒塗り教科書、そして復興

最近、高校の日本史、世界史の学び直しをしており、歴史に関係する史跡や博物館をChatGPTに探してもらっています。日本の第二次世界大戦前後について質問すると、昭和館を強く推薦してくるので、本日行ってきました。 東京・九段下にある昭和館を訪れ、常設展をじっくりと見学してきました。この常設展では、昭和10年代から戦後の復興、高度経済成長期に至るまでの人々の暮らしが、豊富な資料とともに紹介されています。 展示は、子どもでも理解できるような工夫が随所に施されており、同時に、大人が学び直すにも十分な深みを持った内容でした。昭和という激動の時代を、生活者の目線から体感できる、貴重な場となっています。 展示の最初では、「銃後の備え(じゅうごのそなえ)」や「授産所の内職」「母子寮」といった、戦地に赴かない側の人々がどのように生活し、戦争を支えたかが紹介されていました。 また、「青空教室」「団地」「徴兵制度」など、教育や住まい、社会制度の変遷についても触れられており、当時の社会全体が戦争体制に組み込まれていたことを感じさせられます。 軍事郵便の「黒塗り」や、兵士を守ろうとする願いが込められた「千人針(せんにんばり)」「銃後(十五)の護り(じゅうごのまもり」など、個人の小さな行動にも、大きな時代の影響が現れていました。 戦時下の生活を支えた工夫も印象的でした。例えば、「金属類回収令」による金属供出で、陶製の食器やアイロン、竹製のランドセルが使われるようになったこと。食糧難の中では、「すいとん」や「混食飯」で空腹をしのぎ、「配給制度」によって日用品が管理されていたことも紹介されていました。「隣組」の存在が、互いに助け合いながらも監視し合うという、複雑な人間関係を生み出していた様子も、当時の暮らしの一端を物語っています。 戦後の焦土から立ち上がる日本の姿も、昭和館の常設展では丁寧に描かれていました。「戦災復興院(せんさいふっこういん)」や「銀座復興絵巻」など、街並みを取り戻していく様子。海外から届けられた「ララ物資」や「脱脂粉乳」が、飢えた子どもたちを支えたこと。当時の教科書は「黒塗り」され、教育内容も大きな転換を迎えていたことを、実際の教材から知ることができました。昭和25年度の全国高等学校野球選手権のポスターや、「東書の教科書」なども展示されており、戦後社会の再生と教育への希望がにじん...

大阪・関西万博:夢洲に描かれた、テクノロジーと文化が交差する場所

4月から通信制の大学に入学したので、しばらくは旅行は月に一回ぐらいで我慢しようと思います。今月は始まったばかりの万博に行くことにしました。 2025年、再び大阪に世界が集まります。舞台となるのは、大阪湾に浮かぶ人工島・夢洲。ここで開催されるのが「2025年日本国際博覧会」、通称「大阪・関西万博」です。1970年に開催された伝説的な大阪万博から55年、今回は「いのち輝く未来社会のデザイン」という壮大なテーマのもと、人と地球、そして社会のあり方を問う万博が始まろうとしています。 会場の中央には「リング」と呼ばれる巨大な円形の構造物が設けられ、その周囲を各国のパビリオンや企業展示が囲みます。まるで未来都市のような空間で、来場者はぐるりと円を巡りながら、さまざまな価値観やテクノロジー、文化と出会うことになります。今回の万博では、150を超える国と地域が参加予定で、各国が独自の視点で「いのち」と「未来社会」に迫る展示を行います。 企業パビリオンでは、日本の最先端技術が一堂に会し、たとえば空飛ぶクルマや自動運転の次世代モビリティが実際に体験できる機会もあります。デジタル技術を駆使した展示や、環境配慮を徹底した建築・運営方法も注目されており、まさに未来社会の「実験場」として機能することが期待されています。 また、未来の社会課題に対する解決の糸口を探る場として、万博の副題には「未来社会の実験場(People's Living Lab)」という言葉が掲げられています。ここでは、技術だけではなく、人と人のつながりや、文化の融合、自然との共生といった、より根本的な問題についても来場者に問いかけてきます。 この万博のもうひとつの魅力が、公式キャラクター「ミャクミャク」です。一度見たら忘れられないユニークな姿は、生命の細胞と水の流れをイメージしており、「いのち」のコンセプトを象徴する存在として多くの人々に愛されています。 大阪・関西万博は、過去の栄光を振り返るだけのイベントではありません。これは、これからの日本、そして世界がどう生きていくのか、その道を模索するための舞台です。都市と自然、伝統と革新、個と共生のバランスをどう取るのか――夢洲の地で繰り広げられる6か月間の対話が、私たちにそのヒントを示してくれることでしょう。 GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION 大阪・...