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多摩動物公園:蝶が舞うドームと広がる草原、30年ぶりの動物園で出会う、生きものたちの今

動物園を訪れるのは、子どものころ以来、本当に久しぶりの体験でした。学芸員の勉強を進める中で、動物園も博物館法の枠組みの中に含まれることを知り、展示や解説の工夫に着目したいという思いから、多摩動物公園を訪れました。

正門から入ると、まずその広大な敷地と展示のスケールに圧倒されました。パンフレットを手に取ると、ライオンやゾウ、コアラなど、見たい動物たちの飼育エリアが大きく離れて配置されていることに気づき、子どもの頃に思い描いていた「動物がぎゅっと詰まった動物園」とはまったく異なる空間であることを実感しました。

最初に訪れたのは、未来的なドームが特徴的な昆虫生態園です。実は昆虫はあまり得意ではありませんが、思い切って足を踏み入れてみました。入り口付近にはごきぶりなど苦手な昆虫もいましたが、奥に進むと蝶の生態展示や、実際に蝶が舞うドーム空間が広がっていました。温度や湿度、光まで細かくコントロールされているようで、まるで映画のワンシーンのように美しく蝶が飛び交います。昆虫が苦手な方でも、ここなら安心して楽しめる工夫が感じられました。

続いて、アフリカ園へ向かいました。ライオンの飼育スペースは広大で、専用バスで周遊することもできるサファリパークのような展示方法が採用されています。今回はバスには乗らず外から見学しましたが、ライオンたちがのびのびと過ごす様子を遠くから観察できました。アフリカゾウやキリン、チンパンジーなどもそれぞれゆとりある環境で飼育されており、動物本来の行動が引き出せるよう工夫されていると感じました。

オーストラリア園では、コアラやカンガルー、インドサイなどをじっくりと見学。普段は混み合いがちなコアラ館もこの日は空いていて、ゆっくりと写真を撮ることができました。ガラス越しに間近で観察できる展示で、コアラの穏やかな動きに癒されました。

アジア園ではユキヒョウやレッサーパンダ、そしてオオカミなどが展示されていました。特にオオカミ舎は、建物の中からガラス越しに様々な角度で見学できるよう設計されていましたが、残念ながらこの日は姿を見ることができませんでした。オオカミはとても慎重な性格だそうで、姿を現すタイミングにも動物ごとの個性が感じられます。

どのエリアでも共通していたのは、動物たちがストレスを感じにくいよう広い空間が用意されていること、そして来園者が学びやすいよう生態や特徴のパネル解説が随所に設置されていたことです。展示のあり方ひとつで、動物の暮らしぶりや命の大切さを伝える工夫ができるのだと改めて感じました。

多摩動物公園は、単なるレジャー施設ではなく、動物と人間が互いに学び合う場所として、また教育施設としても高い役割を担っていると実感できる一日となりました。今後もいろいろな動物園を訪れ、展示や解説のあり方、動物たちの環境づくりについて学びを深めていきたいと思います。

旅程

多摩動物公園駅

↓(徒歩)

多摩動物公園

↓(徒歩)

多摩動物公園駅

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